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イチャラブご教授願います!  作者: 沖綱真優
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<8> 家に帰るまでが授業

 ひとくち分のケーキなんて咀嚼する必要がないんじゃないかって速さで喉に移っていった。上下する喉仏を見詰めていたら、なんだか力が抜けたみたいでフォークがこぼれ落ちた。


 チャンチリン。


 床に跳ねる高い音に我に返る。

 あ、と小さなため息にも似た声が、私の口からやはりこぼれ落ちた。店員さんを呼ばなくては。


 しかし私が立ち上がる前に、ロディさんが尻の動きだけでこちらに寄り、ただでさえ隙間のなかったふたりが密着する。

 押された格好になる私が逆側によろけるのを、脇腹の辺りに回した手が防ぐ。



「今まで食べたケーキの中で一番美味しかった」


 頭頂に軽く接した顎から、言葉が直接脳内に流れ込む。

 これは何ていうんだっけ。そうそう骨伝導。

 だからこんなに。



「お茶、淹れさせていただきますね」


 衝立を軽く退けて、先ほどの店員さんが入ってきた。人が来たのだから離れるかと思いきや、背後から回したロディさんの手に余計に力が入る。


「あ、お願いします。あと、フォーク落としちゃって。二本、持ってきていただけますか?」


 頭上で微かに会釈した雰囲気はあったものの、何も言わないロディさんに代わり、店員さんにお願いした。



「彼氏さんは心配性ですね」

「え?」

「そんなにくっ付かなくても私は拐いませんよ?ふふっ。こちらどうぞ」


 すぐにフォークもお持ちしますね。

 綺麗な所作でお茶を淹れてくれた店員さんは、そう言って丁寧に衝立を戻して去っていった。



 感じのいい店員さんだなぁと見送れば、またふたり残されて。左側の温かさと回された手の温かさと背中に沿う腕のあたたたたた。あれ、ちょっと待って。何しに来たんだっけ。


「バッグ」

「うん?こっちにあるよ」


 向こう側は椅子ふたつ。バッグは椅子に掛けてくれてあって。ロディさんはそちらに移動して渡してくれた。そのまま椅子の方に座る。


 カバンを開ける。中には使い込んだメモ帳とノート三冊、鉛筆五本入った筆入れ。

 もうメモじゃ足りない。


 ノートを三冊ソファに広げる。それぞれに鉛筆を置く。

 紅茶をひとくち啜る。香気が鼻から喉から、力に変わる。

 横向きにソファに座り、三冊のノートすべてを意識の中に入れる。

 さて、と気合いを入れる前にテーブルに戻り、紅茶をがぶり飲み干した。喉から胃に落ちていく液体が少し熱いが、冷めてしまうのは惜しいから。



「自動筆記」


 ノートに向き直り両手を緩く組む。魔力の糸が三本の鉛筆に絡まり、動きだす。

 研ぎ澄まされた意識の奥から、言葉が湧いてくる。次から次から止めどなく湧き出す。

 それは、小さな崖下から流れ出る湧き水を集めた清い流ればかりではなく、池底を割って湧き出すそばから泥に汚される水でもある。

 清廉なだけの言葉にどれほどの価値があるというのか、人は醜く、私は醜い。経験したままを、感じたままを、加工する前の思を志を至を。

 書き殴り、書き散らし、書き留める。





「ふぅ〜〜」


 三冊を四度捲って二十四ページ。文字と画で埋まったページを満足して見下ろす。

 読み返して意味不明の記述があるのは当然だけど、しばらく後にまた違う発見があるのも創作メモの素晴らしいところだ。

 受け入れられない感情の起伏があったとて、それもまた創作の題材となり得る。


 ぺらりと一冊のノートを手に取る。以前のメモに、今の状況のヒントがあった気がした。

 あぁ、そうだ。家庭教師との雑談で・・・

『デートの時には、他のことを考えない』

 ・・・これは取材だから、セーフだよね。



「時間、あれ?なんで」


 時計は午後六時を回り。


「ゴメンよ。ルリの仕事ぶりを眺めていたら時間を忘れて・・・すっかり遅くなっちゃったね」


 お腹が空いたからケーキはいただいたよ、と微笑んだロディさんは本物の紳士だと思う。





 外はもう暗く、家まで送るといわれれば、おかしな人に声を掛けられた恐怖もあって、ありがたくお願いした。

 持ち帰りケーキ二個入り掛ける二箱を両手に持ってぶーらぶら。

 イチャコラデート取材は終わりだから、ロディさんも必要以上に近づかない。斜め後ろの丁度良い距離感で、付いてきてくれる。


「ありがとうございました。とっても参考になりました」


 カフェ・ガルボの前到着。


「講師のお礼金はまた、エコー姐さん経由でお支払いしますので。請求書回してくださいね。それから、これは気持ちです」


 ケーキを一箱手渡す。

 両手で受け取ったロディさんは、ありがとう、といい、もう一度あ、と口を開いた。


「ちょっとぉ〜ルリルーちゃん、遅いわよぉ。社長が心配してたから」


 カフェ・ガルボからエコー姐さんが出てきた。


「あ、そうだ、帰り時間きちんと言ってませんでしたっ。ではロディさん、今日は本当にありがとうございましたぁ」


 外階段に駆けて、一度止まって振り返りぶんぶん手を振る。

 暗くて表情はもう見えなかったけれど、背の高いロディさんが胸の横で小さく手を振る姿がとても可愛くて。

 心臓が優しさに包まれた。

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