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お金よりご飯が欲しい

 通常、ドレスを一着まるまる仕上げるのに掛かる時間は一週間程だと言われています。

 しかし、おば様の勢いならおそらく、あと2時間程で完成してしまうでしょう、それも手直しのみ必要すら無い完成度で。

 それほどまでに集中、いえ、トランス状態でした。


(ミコトさん、見てください。おば様の指、もう残像が見えるくらいの速さで動いてます……。魔法も使っていないのに、まるで機械仕掛けみたい……!)


 私は、最低限の下着(と言っても、おば様が「あなたのような子にこれは失礼ね!」と奥から引っ張り出してきた最高級の絹製です)だけを纏い、採寸室の真ん中でじっと立っていました。

 通常なら一週間。デザインを決め、仮縫いをし、何度も調整を重ねてようやく形になるはずの「ドレス」という名の芸術。

 それが今、おば様の狂熱的な集中力――いえ、彼女の職人としての全人生を懸けた「トランス状態」によって、驚異的な速度で編み上げられていきます。


(ああ。あの人、脳内のリミッターを外してやがる。アドレナリンと、お前の『美貌』という名の劇薬によって、神経伝達速度が極限まで加速してるんだ。これはもはや、職人の手仕事じゃない。肉体というハードウェアを限界まで回した、命懸けの『高速レンダリング』だぞ)


ミコトさんの声に、驚きと……そして、同じ「高み」を目指す者としての深い敬意が混ざります。


(ねえ、ミコトさん。おば様、あんなに一生懸命……。私、何か手伝いたいです。あんなに頑張ってくれてるのに、ただ立ってるだけなんて……)

(そう言われても。……そうだ、だったら、俺たちに出来そうな力添えで応えてやろう。クーリア、お前の魔力を俺に貸せ。……おば様が縫い合わせた瞬間の『縫い目』の一点一点に、俺が分子レベルでの『固着』と『最適化』の魔法を流し込む。……針が布を通る瞬間の摩擦熱をゼロにし、糸の張力を理想値で固定するんだ)

(はい! やりましょう、ミコトさん!)


 店主のおば様が、一心不乱に針を走らせる。

その針が蒼い布を貫くたびに、私とミコトさんの意識が重なり、微細な魔力の閃光が「縫い目」に宿ります。

おば様の「熱狂」と、ミコトさんの「論理」と、私の「祈り」。

 三つの力が混ざり合い、この部屋の空気そのものが、魔法の炉の中のように熱く、密度を増していきます。


(……。……あと少し。……肩のライン、ウエストの絞り、そして……光を纏うスカートの裾……!)

(……ミコトさん! ……完成、します……!)


 最後の一刺しが終わり、おば様が大きく息を吐いてその場に膝をつきました。

 額には大粒の汗。でも、その瞳には、これまでの人生で一度も浮かべたことがないような、輝かしい達成感が宿っていました。


「……できたわ……。……さあ、着てごらんなさい。……私の、いいえ……この街の『奇跡』さん」


 目の前にあるのは、ただの服ではありませんでした。

 ミコトさんのロジックによって構造色が再定義され、おば様の情熱によって命を吹き込まれた、深海よりも深く、夜空よりも澄んだ「蒼」のドレス。


(クーリア、行け。……お前が、この世界の理を塗り替える最初の瞬間だ)


 おずおずと一歩踏み出します。おば様の手には、まるで国王に献上するかのようなドレスが有りました。


(ミコトさん、私、震えが止まりません……)


 目の前にあるのは、もはや「布」ではありませんでした。

 おば様が、震える両手で恭しく掲げているのは、王冠や宝珠すら霞むような、重厚で、かつ羽毛のように軽やかな「蒼」の結晶。


(ああ、分かってる、クーリア。だが、怖がることはない。そのドレスは、おば様の執念とお前の魔力、そして俺のロジックが結実した、言わば俺たちの『半身』だ。さあ、受け取れ。それが、お前の新しい勝負服だ)


 ミコトさんの力強い言葉に背中を押され、私はおずおずと、裸足のまま一歩、前へ踏み出しました。

 おば様は、跪くような姿勢でそのドレスを私へと差し出します。その目は、もはや単なる店主のものではありません。神に供物を捧げる信徒のような、純粋で、狂気に似た敬虔さが宿っていました。


「……さあ……着て、ちょうだい……。……これが、私の……私の人生の、すべてよ……」


 その震える声に応えるように、私はゆっくりと、蒼い海のようなドレスの中に身を沈めました。


(……接続、完了。……クーリア、いくぞ。……全パラメータ、出力最大)


 袖を通し、背中の編み上げがおば様の指によって締め上げられていく。

 その瞬間、ドレスに宿っていたミコトさんの「構造色ハック」が、私の肌の温度、そして鼓動と完全に同期しました。


 パッと。


 部屋の隅々まで、青白い火花が散ったような幻覚が見えました。


(……っ! ……なんだ、この適合率は……!?)


 ミコトさんの驚愕の思考が響きます。

 鏡の中に映し出されたのは、泥に汚れていたはずの「10歳の迷子」ではありませんでした。

 蒼いドレスの裾は、私が動くたびに光の粒子を振り撒き、深海から立ち上る泡のように美しく揺らめきます。

おば様の手によって磨き上げられた肌は、蒼い布地とのコントラストで、発光しているかのような白磁の輝きを放ち。

 栄養失調で細かった体躯は、ドレスの完璧なシルエットによって「この世ならざる高潔な儚さ」へと昇華されていました。


「……ああ……ああ、神様……!!」


 おば様が、ついに堪えきれずにその場に崩れ落ち、両手で顔を覆ってむせび泣き始めました。

 自分が作り上げたものが、自分の想像を遥かに超え、目の前で「奇跡」として完成したことに、職人の魂が耐えきれなかったのでしょう。


(……クーリア、お前……いや、『俺たち』……これは、もう『勝ちました』なんてレベルじゃないな)


 ミコトさんの声が、微かに震えています。

 理系的な計算、合理的な営業戦略。そんなものをすべて置き去りにして。

 鏡の中に立つのは、ボロを纏った原石から、一瞬で「世界の理を司る蒼の妖精」へと変貌を遂げた、一人の少女(の姿をした少年)。


(……ふふ。……ミコトさん。……私、今、とっても……『最高』な気分です……!)


私は、ふわりとドレスの裾を摘み上げ、泣き崩れるおば様の前で、静かに、そして優雅に一回転してみせました。


(魅力のパラメーターに500%の補正、魔力伝導率が98%? なにこの布、ほぼ魔力で出来てんの?)

(ミ、ミコトさん? 難しいことは分かりませんけど……なんだか、体がすごく軽いんです。それに、周りの魔力が、呼吸するみたいに勝手に体の中に流れ込んできて……)

(当たり前だ! 伝導率補正のせいで、魔法運用効率と魔力抵抗力が700%越え、通常の7倍以上に跳ね上がってる。おまけに外部魔力取込循環機能。いいか、これ、理論上はお前がどれだけ大魔法を連発しても、魔力が枯渇する前に周囲から補充が終わる。つまり、『永久機関』だ。お前は今、着てるだけで歩く戦略兵器(蒼の妖精)になったんだぞ)


 ミコトさんの驚愕を余所に、私は鏡に映る自分を、うっとりと見つめていました。

 確かに、指先一つ動かすだけで、空気中の魔力が心地よく共鳴するのが分かります。

 ドレスの裾が揺れるたびに、微かな光の粒子が尾を引き、私の肌を内側から活性化させていく。

(ふふ。すごいですね、ミコトさん。これなら、どんな怖い魔物が来てもミコトさんの言う『不具合』を直すのも、もっと簡単にできちゃいそうです)

(ああ、営業戦略もクソもないな。こんなものを纏ったお前が街を歩けば、それはもはや『交渉』じゃなく『神託』だ。おば様のトランス状態、恐るべし、だな)


 私は、涙を拭いて立ち上がろうとするおば様の手を、そっと取りました。

 今の私の手は、ミコトさんのロジックと、このドレスの補正によって、触れるだけで相手の疲労を癒やす「慈愛の波動」すら無意識に放っています。


「おば様。このドレス、一生、大切にします。私、この『蒼』と一緒に、この街の悲しいところを、全部綺麗にしてきますね」

「ああ、ああ……。行ってらっしゃい、お嬢さん。……いえ、私の『最高傑作』」


 おば様は、恍惚とした表情で私を見送ります。

 彼女の職人としての命を削った結晶。

 そして、ミコトさんのロジックが物理法則をねじ伏せた、最強の武装。


(さて、ミコトさん。準備はいいですか? ……『永久機関』を積んだ私たちの、最初のお仕事、始めましょう!)

(……ああ、となるとやはりギルドか。まずは『身分』と『実績』のインフラを整えるのが最優先事項だからな)


 ミコトさんの思考が、瞬時に「戦闘・実務モード」へと切り替わりました。驚愕のあまりオーバーヒート気味だった演算回路が、ドレスから供給される膨大な魔力リソースを得て、かつてないほど鋭く、冷徹に研ぎ澄まされていくのが分かります。


(いいか、クーリア。このドレスのスペックは、今の俺たちにはオーバースペック気味だ。だが、その『過剰な出力』を『洗練された技術』として見せるのが、最高のプロモーションになる。下手に隠す必要はない。むしろ、ギルドの連中が信じている『限界』を、優雅に踏み越えてやるんだ)

(……はい! ミコトさんの言う通りに。……私、精一杯かっこよく、美しく振る舞いますね)

 仕立て屋の扉を開け、私は街へと踏み出しました。

数時間前、泥にまみれて門を潜った時とは、すべてが違って見えます。

 空気が、光が、そして行き交う人々の視線が、私のドレスが振り撒く「蒼」の残光に吸い寄せられ、物理的な重力を伴ってこちらへと集まってくる。


「……な、なんだ、あのお嬢さんは……?」

「空が……歩いているのか?」


背後から聞こえるどよめきを、私はミコトさんの冷徹な演算結果として受け流しながら、真っ直ぐにギルドの巨大な石造りの建物へと向かいました。


(ミコトさん、見えました。ギルドの受付です。あ、なんだか怖そうな人たちがたくさん……)

(気にすんな。お前の魔力抵抗力は今、常人の7倍だ。あそこにいる連中の殺気や威圧感なんて、今の俺たちには『そよ風』にすらならない。とはいえ、いきなり高難度クエストは受けられないだろうしな、まずは登録からだろう)

(そうですね……あ!)

(どうした?)

(名前、どうしましょう……)

(ふむ……実は、こういうときのために考えてはいたんだ)

(え、なになに?)

(笑うなよ? クーリアってのは、俺の世界では透明って意味なんだ。そして、俺の名前、スミ・ミコトのスミも澄と書いて、これもまた透き通ったイメージを表す字だ。そこに、俺のミコト、命を足して、クレアハート。……どうだ?)

(クレアハート。透き通った、心……)


 私は口の中でその名前をそっと繰り返しました。

 ミコトさんの世界での言葉と、私の名前。それが混ざり合って、新しい「命」として形を成す。

 脳内に流れてくるミコトさんの思考は、少し照れくさそうで、でも計算し尽くされた確信に満ちていて、私の胸の奥を温かい魔力で満たしていきます。


(はい! ミコトさん、最高の名前です。私、大好きです!)

(そうか。なら、今日から俺たちは、この街で『クレアハート』だ。さあ、その名をギルドカードに刻み込んでやれ)


 私は意を決して、静まり返ったギルドのロビーを悠然と横切りました。


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