ルナリア教の下っ端
俺は渋々ながら、解析に割いていた演算資源の一部を生活魔法に振り分ける。
(クーリア、その男を安全な領域へ引きずり出せ。俺が周囲の熱力学定義を書き換える。……おい、あまり深入りするなよ。こいつの生体ログを見る限り、ただの行き倒れにしちゃあ装備が良すぎる)
俺は指先から微細な魔素を放ち、男の周囲数メートルの気温を強引に固定した。雪が蒸発もせず、ただ静かに消失し、乾いた地面が露出する。
「あ……温かい……。助かっ、たのか……?」
男が弱々しく目を開ける。その胸元で揺れたのは、ノース・ゲートの警備隊員が持つ身分証……ではなく、ルナリア教の下位構成員が身につける銀の三日月だった。
(末端か……大した情報は持って居なさそうだな)
「ありがとうございます、冒険者様。私は月天ルナリア教の信『兎』で、この地方の布教を命じられた宣教師なんです」
「信兎? 信徒じゃなくて?」
「はい、ルナリア教は純白の兎を神獣として崇めておりまして、その信者は皆、穢れなき信兎と呼ばれるのです」
その言葉を聞いて、俺の脳裏にはあの『何かしら屋』の姿が浮かぶ。
確かあいつも『何かしら屋の雪兎』とか名乗っていた筈だ。
「……それで? その信兎がどうしてこんな所で行き倒れてたんだ?」
「実はこの先にある集落に向かう途中で魔物に襲われてしまいまして……なんとか命からがら逃げおおせたのですが、荷物の大半を失いまして……」
(ミコトさん、この人をその集落まで護衛してあげましょう!)
(またタダ働きか? やれやれ……お前はお人好し過ぎる。だがまあ、どうやら目的地までのルートは同じようだし、教団についても探りを入れるチャンスかもしれないな)
「あの、もし良かったら私をその集落まで案内してくれませんか?」
クーリアが敢えて護衛という言葉を使わず、案内人としての交渉をする。
「ああ、なんて慈悲深い……! 琥珀色の瞳の聖女様。その、夜のような黒髪も……よく、お似合いですね」
髪について話す口調はどこか固く、歯切れが悪い。
「……? 私の髪がどうかしましたか? 確かに珍しい色だと思いますけど……」
「あ、いえ、その……ルナリア教の一部派閥では黒髪を『穢れを溜めた黒い兎』と称して忌み嫌う過激派も居るもので……私は違いますよ!?」
慌ててわたわたと手を振る信兎。
(……ハッ。|黒髪を『穢れ』だと? 随分と低レベルな符号化だな。ルナリア教の信仰が白だか何だか知らんが、色の違いをバグ扱いするとは、論理の欠片もありゃしない)
(ミコトさん、怒らないで。この人は違うって言ってますし……。でも、私の髪をそんな風に言う人がいるなんて、ちょっと悲しいですね)
「……ですが、その赤い瞳のような宝石の付いた白い腕輪は、そんな過激派にとっても黒髪を上回る印象になると思いますよ!」
(……なるほど。教団に目を付けられたのは『星霜の蒼』じゃなくて『蒼の憧憬』の方だったか。確かに、コイツには現代の技術しか施されていない。古代文明の超科学から見ればセキュリティなんか丸裸だな)
「それにしても、お若いのに宣教師を任されるなんて凄いんですね」
「はは、いえいえ。お歳を召された方には少々厳しいものですし、何よりエルニット山脈にはルナリア教の聖地も有りますから、自分から志願したのですよ」
(まあ、確かに、老人にこの環境は難しいか)
「さあ、あの尾根を越えれば集落が見えてきますよ。あそこは「塩漬け肉」が美味しいんです。原木もあって、天井から吊るしてある巨大な豚のバラ肉は壮観です。雪国の保存食なので、塩気と脂身が凝縮されており、スープに入れれば最高の出汁が出ます」
(……塩漬け肉、か。この極寒環境において塩分と脂身の同時摂取は、生体維持の最適解だな。保存食としての完成度も高い。……悪くない報酬だ)
俺は、脳内の空腹ゲージを一時的にミュートし、信兎の話す高効率栄養材を、『星霜の蒼』の最適摂取リストに登録する。
(クーリア、まだ浮かれるなよ。脂身と塩分の暴力に脳をハックされるのは、実物を口にしてからだ。……だが、確かにその報酬には、タダ働きを有償依頼に昇格させるだけの価値がある)
(はい! 焚き火で焼いたソーセージに、熱々の脂身スープ……。でもミコトさん、また食べ物のことを効率で考えますね。でも、脂身たっぷりのスープ、すごく美味しそう! 早く食べたいです!)
「他にも仕留めたばかりの獲物の“内臓”、ハンターからしか貰えない鮮度が命の部位なんかも珍味ですね。ハツ(心臓)やレバーをシンプルに塩だけで味付けして焚き火で豪快に焼いて食べるのが美味いんです」
(……ハツにレバー、生鮮臓器か。生体活動に必要な必須アミノ酸と鉄分が最も凝縮された部位だな。鮮度が命という時限仕様さえクリアすれば、栄養価の変換効率は最強の部類だ)
(うぅ、心臓を焼いて食べるなんてちょっとワイルドですけど……。でも、焚き火で豪快に焼いたお肉なんて絶対美味しいですよ! ミコトさん、これならタダ働き分以上の報酬になりそうですね!)
「熟成された巨大ソーセージなんかもお勧めですよ。あの集落は雪の時期を乗り越えるために毎年かなりの量を作りますからね、もしかしたらお土産に束で貰えるかもしれませんよ」
(香草と肉をパンパンに詰めて煙突で燻したものか。1本で1食分あるような太いものを束で貰う。……悪くない)
「あと、こちらは食べ物ではありませんが、この地方に現れる魔物、シルバーフォックスの冬毛の毛皮なんかもなかなかに希少価値が高いですね。王都のの貴族達にも非常に人気が高いので、集落の良い収入源になっているようです」
(何!? おいクーリア、聞いたか? ここら一帯のシルバーフォックスを狩り尽くすぞ!)
(ミコトさんこそ聞いてました!? 集落の収入源って言ってたじゃないですか! どうしてそう、お金のことになると目の色変えるんですか!)
「そう言えば、魔物の乾燥肉なんかも作ってますね。魔物の中にも食べられる生き物は居ますから、こういった極地では貴重な食糧なんですよ。長期の保存も利くので、冒険者様達には密かな人気となっているようです。中にはドラゴンの干し肉もあるとか……もし、そういったレア食材がたまたまあれば、それだけでも幸運ですよ。まさに兎様の導きです」
(……ドラゴンの乾燥肉だと? 高純度魔素の塊である竜肉を、脱水加工して保存性を高めた逸品か。一度の摂取で一週間分の魔力を賄えるほどの超高効率燃料。……ふん、兎の導きなんて不確定なものには頼らんが、その希少ドロップ、俺の所有物に加えん手はないな)
(ミコトさん! よだれ……じゃなくて、強欲な演算が漏れてますよ! ドラゴンなんて、もし居たら今の私たちが食べられちゃう方ですからね!?)
「ははは! お二人とも、集落に着くのが楽しみになってきたようですね。……あ、ほら、あそこです。あの岩陰を曲がれば、わが『信兎』たちが管理するスノー・フレーク集落の――」
眼下に広がるのは、単なる数軒の家が集まった「点」ではない。雪の重みに耐えるべく低く、だが重厚に造られた石造りの家々が、まるで結晶が成長するように規則正しく並ぶ、一つの「面」としての共同体だった。
(……ほう。単なる自然発生的な居住空間かと思えば、これは計画的な都市設計に近い。防壁代わりの外周住宅群に、中央へと集束する動線。小規模集落の定義を上書きする、立派な自治組織じゃないか)
(わぁ……! ミコトさん見てください、あの大きな煙突! あんなにたくさん煙が出てるってことは、あの中にベーコンやソーセージがいっぱい……!)
(……クーリア、お前の視覚解析は食料限定か? だが、確かにあの排気効率を見る限り、加工肉の生産能力はかなりのものだ。……ふん、報酬の期待値を、当初の予測値から1.5倍に上方修正しておくとしよう)
「あはは、驚かれましたか? あれが私たちの誇る『スノー・フレーク』です。さあ、冷えないうちに参りましょう。門をくぐれば、すぐに暖かい『鹿の臓物スープ』が出迎えてくれますよ」
(……臓物スープか。体温低下を解除するには、最速のソリューションだな。……行くぞ、クーリア。空腹ゲージがうるさくて、思考にノイズが混じり始めた。ひとまず腰を落ち着けたいが……この集落には宿は有るだろうか……ギルドは無さそうだが)
(ミコトさん、こういった規模の集落なんかでは、困った時はお互い様精神ですよ)
そこでふとまだ自己紹介をしていないことに気付いた。
「冒険者、クレアハートだ」
「……クレアハート様、ですね。改めて、命を救っていただきありがとうございます!」
信兎は深々と頭を下げ、その銀の三日月を大切そうに握りしめる。
「宿ならご心配なく! 我らルナリア教の巡礼宿がございます。豪華な設備はございませんが、雪を凌ぐには十分な厚さの石壁と、一晩中絶やさない暖炉の火はお約束しますよ。ギルドの支部はありませんが、我々が管理する共有倉庫には、冒険者の方々が必要とする最低限の消耗品も備蓄してあります」
(……巡礼宿か。宗教施設特有の閉鎖的なネットワークだが、背に腹は代えられん。それに、共有倉庫の備蓄という響き……補給効率としては悪くないな)
(ミコトさん、ほら! 宿もあるし、あったかそうですよ! さあ、クレアハートとして、ここはビシッと聖女様らしく振る舞いましょう!)
門番の厚い外套に積もった雪を払いながら、信兎が重い石の門を叩きます。
「開門! 迷える信兎を救ってくださった、琥珀色の瞳の聖女様のお通りだ!」
「……『琥珀色の瞳の聖女』か。勝手にタグ付けするなと言いたいところだが、今はその方が都合がいいか」
俺は心中で毒づきながら、石造りの重厚な門をくぐる。
門を抜けた瞬間、肌を刺すような外気の冷圧が、暖炉の熱量と加工肉の芳香が混ざり合った「生活の匂い」に上書きされた。
(クーリア、浮かれるな。周囲の熱源分布を注視しろ。この集落、家々の配置が効率的すぎる。雪を逃がし、熱を共有するための動線が、まるで計算された基板の配線のようだ)
(はい、ミコトさん。でも……見てください、あの窓辺に吊るされた巨大な肉の塊! あれが信兎さんの言っていた塩漬け肉ですね!)
彼女の視覚情報は相変わらず食料に偏っているが、確かにあの乾燥効率は一級品だ。
「……まずは、スープだ。話はそれからにする」
俺は努めて冷静な声を出し、コートのボアを正した。琥珀色の瞳の奥で、クーリアが期待に胸を膨らませているのが伝わって来ていた。




