旅先の暗雲
落ちたクーリアに代わり、俺がクレアハートをしているわけだが。
(ここから街まで、か……ふん。自己治癒魔法を最大出力で回しながらの全力疾走。骨格と筋肉にかかる負荷は計算外だが、お前の空腹をより完璧なものにするための必要経費だ。負荷テストも兼ねて良いテストケースになるだろう)
街への帰路、俺はクーリアの意識をバックグラウンドに置いたまま、その肉体を精密制御して雪原を駆け抜けた。
『星霜の蒼』が、主の眠りを妨げぬよう慣性を殺しながら、俺の最適化された歩法を忠実に再現する。
やがて、数時間かかるはずの距離をわずか数十分で踏破し、俺は冒険者ギルドの重厚な扉を勢いよく蹴破った。
バァァァン!!
静まり返っていたギルド内に、荒い呼吸と、冬の冷気を纏った威圧感が吹き込む。
「……っは、っくは、はぁ、はぁ、はっ、……おい。この依頼書を張り出した本人を呼べ」
クーリアの愛らしい喉から放たれたのは、本来の彼女からは想像もつかない、凍てつくような管理者の声。
泥と体液に汚れながらも、背筋を真っ直ぐに伸ばし、『蒼の憧憬』を杖ではなく処刑具のように突き立てたその姿に、受付の職員たちは息を呑み、思考停止に陥った。
「な、なんだ、その格好は……。崖崩れの復旧に行ったんじゃ……」
「ただの崖崩れだと報告した無能を呼べと言っているんだ。……こいつの処理のせいで、精神的リソースが最底辺まで枯渇した。……相応の補填を用意してもらうぞ」
俺はカウンターに、道中で女王蟻から引きちぎってきた、蒼く発光する巨大な触角をドサリと投げ出した。
それが何より雄弁なログとなり、ギルド内に戦慄の波が広がっていく。
(……ふん。ようやく演算が追いついたようだな)
カウンターに叩きつけられた女王蟻の触角が、鈍い蒼光を放ちながら凍てついた床を鳴らす。
受付職員の顔から血の気が引き、その視線は女王蟻の戦利品と、泥にまみれながらも神格のごとき冷徹さを放つ「クーリア」の間を、壊れた時計の針のように往復した。
「そ、そんな……。雪蟻女王……!? 嘘だろ、あれは災害指定だぞ! 専門の討伐隊を組む案件だ……それを、君一人で……?」
「『一人』ではない。……まあ、いい。お前たちの見積もりミスのおかげで、予定外の高負荷戦闘を強いられた。この娘の代謝は今、臨界点を超えて空腹という名の致命的エラーを引き起こしている」
俺は『蒼の憧憬』の先端を突き付け、低く、威圧的な響きを維持したまま言葉を重ねる。
周囲の冒険者たちも、その異様な威圧感に気圧され、誰一人として近づこうとしない。彼らの生存本能が、目の前の少女の中身が「別物」であることを警告しているのだろう。
「わ、わかった! すぐにギルドマスターを呼ぶ! 報酬の上乗せはもちろん、女王の素材買取も最高値で処理させる! だから、その……杖をしまってくれ、頼む!」
(……よし、交渉成立だ。これでお前の望む高カロリーリソースは確保されたぞ、クーリア)
俺は心の中で、未だ微睡みの中にいる彼女に告げる。
そのまま、ギルドの奥から慌てて駆け出してきた責任者の姿を確認すると、俺は役割を終えるべく、彼女の肉体の支配権を緩やかに返還し始めた。
「あ……ぅ……。……えっ? ここ、ギルド……?」
自己治癒魔法による強烈な空腹感と共に、クーリアの意識が再起動される。
彼女の琥珀色の瞳がパチパチと瞬き、目の前で平伏しているギルド職員と、カウンターに転がるグロテスクな触角を捉えた。
(……ミ、ミコトさん!? 私、いつの間に帰ってきたんですか!? それに、なんでみんなそんなに震えて……お、お腹空いたぁ……!)
(……ふん。お前の要求通り、最高のご褒美を用意させておいた。……さあ、泥だらけの英雄。存分にその報酬を味わうが良い)
ところが、やはりひねくれた依頼とは一筋縄ではいかないようで。
「やあやあ、君が今回の依頼を解決してくれたと言う冒険者かな? いやはや、期待以上だよ! 是非とも我が屋敷に招待させてくれ。ああ、ちゃんと食事も準備させよう!」
俺は前世の記憶のせいで(うっわ、うさんくせぇ……)となったが、クーリアは素直に受け取り、喜んでいる。
(……やれやれ。俺の警戒プログラムが最大音量で警報を鳴らしているというのに。こいつときたら……)
目の前で揉み手をしながら、脂ぎった笑みを浮かべる男。その身なりの良さと、不自然なほどタイミングの良い登場は、俺に言わせれば「ここに罠がありますよ」とデバッグモードで叫んでいるようなものだ。
(ミコトさん! 聞きました!? 屋敷でご飯ですって! ギルドのご飯もいいですけど、貴族様のお屋敷なら、きっともっと凄い生クリームが……!)
(お前な。思考回路が完全に糖分に占領されているぞ。見ろ、あの男の目。あれは救済者の目じゃない。……獲物の価値を計算している商人の目だ)
だが、クーリアの脳内は既に「お屋敷のフルコース」という名の極彩色グラフィックで埋め尽くされている。彼女の空腹という名の物理的制約が、俺の冷徹な警告を片端からゴミ箱へ放り込んでいく。
(いいじゃないですかぁ! 悪い人だったら、またミコトさんが「めっ」てしてくれれば解決です! それより今は、私の胃袋が臨界点なんです!)
(ふん、全く。……まあいい。このままここでギルドと押し問答をするより、相手の土俵に乗り込んで正体を暴く方が効率的か。……いいだろう、乗ってやる。ただしクーリア、食事中に一瞬でも意識の混濁や魔力回路の違和感を感じたら、即座に俺に権限を返せ。……毒を仕込まれている可能性は高いからな)
(はーい! ミコトさんは心配性だなぁ。じゃあ、行きましょう! レッツ・ゴー・お屋敷!)
俺は内心でため息をつきながら、彼女の表面上の表情を「純真な少女の喜び」へと最適化した。
自称・招待主の男の後ろを歩きながら、俺は『星屑の目』を数機パージし、男の歩幅、呼吸数、そして周囲に潜伏しているであろう護衛の存在を走査し始める。
(……さて。この「招待」という名のイベント、報酬が食事だけで済むとは思わんことだ)
……結論から言うと、滅茶苦茶良い人だった。
報告書を読んだおっさんは、崩落の原因が雪蟻のせいだったことや、その規模、更に解決の為にその殲滅を行った事などについて目を白黒させていた。
むしろ良い人過ぎて逆に胡散臭いレベルだったが、この地の管理を任され、特に主要な街道の異変に気付けなかった事を深く反省しており、未来を憂う者として当然抱えるべき課題の把握、及び対策、その計画と見積もり、全て見直す姿勢は理に適っている。
(……チッ。俺の警戒プログラムが完全に空回りさせられたか。ここまで一点の曇りもないクリーンな設計を見せつけられると、逆にこちらの論理がバグを起こしそうだ)
俺は脳内で展開していた数百通りの|暗殺・脱出シミュレーション《エスケープ・ログ》を苦々しく閉じた。
目の前の男が語る、街のインフラ整備計画、魔物被害に対する長期的ソリューション、そしてそのための予算編成……。どれをとっても非の打ち所がない。私欲ではなく、純粋に「この土地を最適化したい」という情熱が、その言葉の端々からレンダリングされている。
(ミコトさーん! ほら、言ったじゃないですか! 疑ってばっかりいると、美味しいものも美味しくなくなっちゃいますよ? この子羊のグリル、最高です!)
(……ふん。お前が咀嚼しているその肉に毒が含まれていないことだけは、俺がリアルタイムで検出し続けているからな。……だが、認めざるを得ない。この男、システム上の欠陥がまるで見当たらない)
男はニコニコと、食欲旺盛なクーリアを見守りながら、この街の未来について熱弁を振るっている。
「いやあ、雪蟻の女王を倒せるほどの逸材が、まさかこんな若いお嬢さんだったとは! ぜひ、この街の防衛アドバイザーとして登録させてほしいくらいだよ」
「たまたまだ。俺は通りすがりでね、希望には沿えない、断る……と言いたいところだが。アンタのの提示した条件、旅の資金調達としてはこれ以上ないほど効率的なんだよな。とは言え、今はそんな暇じゃない」
俺は、お屋敷の最高級ソファに深く沈み込み、生クリームたっぷりのケーキを頬張るクーリアの視界を通して、男が広げた都市計画図を凝視した。
(クーリア。食べ終わったらさっさと帰るぞ。これ以上ここに居ると、お前のそのお人好しな性格が、この男の善意に完全に上書きされてしまうからな)
(ええー、もうちょっとだけ! デザートのおかわり、聞いてみてもいいですか!?)
(……却下だ。これ以上の糖分摂取は、明日のエルニット山脈越えの移動速度に影響するからな。いいか、お前の胃袋はもう限界容量だ)
「……というわけだ。アンタの熱意は理解したが、俺たちには先を急ぐ事情がある。この街の安定稼働に寄与するのは、また別のリソースに任せるんだな」
俺は淡々と、だが明確に対話の終了を告げた。
男は少し残念そうに肩を落としたが、すぐに納得したように深く頷き、デスクの引き出しから一通の封筒を取り出した。
「……なるほど、引き止めようとしたのは私のエゴだったようだね。だが、せめてこれを持って行ってほしい。君たちの旅の安全性を高める一助になるはずだ」
男から手渡されたのは、エルニット山脈の難所を越えるための特別通行証と、山脈の気流を詳細に記した最新の気象ログだった。
(……ほう。これはありがたいな。これがあれば、正規のチェックポイントを最短時間でスルーできる。……お前、この男の善意には感謝しておけよ、クーリア)
(わぁ、すごいです! ありがとうございます、おじさん! ……ね、ミコトさん。やっぱり良い人だったじゃないですか。最後にケーキのおかわり、聞いてみても良かったんじゃ……)
(……まだ言っているのか。いいから席を立て。これ以上甘い匂いを嗅いでいると、俺の判断基準まで鈍りそうだ)
俺たちは丁寧、かつ迅速に屋敷を後にした。
夜風が、ケーキの甘い香りに満ちた脳内を冷やしていく。
背後で遠ざかる豪華な屋敷。結局、裏もバグもない純粋なクエスト報酬だったわけだが……どうにも、この「出来すぎた平穏」が、嵐の前の静止画面のように感じられてならない。
(クーリア、宿に戻るぞ。明日の早朝には起動だ。……今夜はしっかり眠っておけ。山脈越えは、今日のアリ退治ほどイージーではないぞ)
(はーい。もう、ミコトさんは心配しすぎですってば。えへへ、お腹いっぱいで幸せ……。おやすみなさい、ミコトさん……)
歩きながら早くもスリープモードし始めた彼女の意識を支えながら、俺は冷たい月明かりの下、宿への道を急いだ。
宿の隅、蝋燭の火が微かに揺れる中で、俺は『蒼の憧憬』の内部構造に干渉し続けていた。
空間に展開された青白い|ホログラム・ウィジェット《仮想作業窓》には、杖の設計変更案が目まぐるしく流れていく。
(……やはり、槍としての剛性を上げつつ、お前の可変式魔法に対応させるには、基幹パーツの材質強化が不可欠だ。……だが、一番の懸念はそこじゃない)
俺の意識は、昼間出会った「善意の塊」のような男の顔ではなく、その背後に潜む巨大なシステムへと向いていた。
(……奴らは、俺が目覚める遥か以前から、この世界の遺物を解析し、独自の改変を加え続けている。教団が管理する聖遺物の中には、俺の想定外な挙動を示す代物が紛れ込んでいる可能性が高い……)
もし、奴らが因果律そのものを歪めるような技術を保持していたら、今の俺とクーリアの処理能力では、正面からぶつかれば致命的なエラーを招きかねない。
(……だからこそ、この『蒼の憧憬』には、ただの物理破壊以上の役割を持たせる必要がある。……刺突の瞬間、相手の術式を直接浸食する論理杭……。これなら、未知の技術相手でも一矢報いれるか)
俺がそんな不穏な計算を加速させている横で、クーリアは意識の奥で「むにゃ……」と幸せそうな寝息を立てている。その無防備なバイタルを見ていると、俺の演算回路に僅かなノイズが走る。
(……ったく、気楽なもんだ。明日からは、今日のような『物理でボコる』だけでは済まない戦場になるというのに。……寝顔くらいは、今のうちに堪能しておけよ)
俺は『蒼の憧憬』の先端部に、鋭利な魔導鋼の仮想形状を焼き付け、明朝の実装に向けて最終調整に入った。




