依頼とダイエット
クーリアを先に寝かしつけ、俺は一人、監視を続けていたが……。
(豚野郎は酔いつぶれて寝たか。今日はもう収穫はなさそうだ。ふん、全く時間の無駄だったな。あんな醜い実行ログを延々と記録させられる身にもなってほしいものだ)
俺は視界の端で、司祭の個室に張り付かせた星屑の目の監視ウィンドウを最小化し、バックグラウンド処理に回した。司祭のバイタルが急変するか、部屋の座標に異常な魔力反応が出ない限り、俺の脳内にアラートが飛ぶように設定してある。
(ルナリア教……か。腐りきっているのは理解したが、今の俺たちにはこの巨大なシステムを根底から書き換えるだけの空き容量はない。まずはクーリアを、本来の目的地へ送り届けるのが最優先だ)
意識の中ではクーリアが安心しきった様子で眠っている。それが、少しだけ俺の回路を落ち着かせた。
(……数日、この街で『月天姫』に関する決定的なエラーが見つからなければ、予定通りエルニット山脈へ向かう)
俺はシーツを整え、薄暗い部屋の中で目を閉じた。
脳内には、山脈を越えた先にある未知のマップデータと、そこで必要になるであろう防寒用魔導具の構成案が流れ始める。
(おやすみ、クーリア。……明日の朝は、今日よりはマシな起動画面であることを願うぞ))
翌朝。
意識を休止状態へ移行させてから、どれほどの時間が経過しただろうか。
バイタルチェック、異常なし。周囲の魔素密度、安定。
(……ミコトさん! ミコトさんってば! 起きてください、朝ですよ!)
脳内に直接入力される、やけに高彩度な歌声。
まぶたの裏側から光が透過し、俺の脳内クロックが強制的に引き上げられた。
(……チッ。いつもなかなか起きないのはお前の方だろうに、どうして今日は予定より三十分も早いシステム起動んだ)
ゆっくりと目を開ければ、窓から差し込む朝日。
腰まで届く黒髪が、寝起きの動きに合わせてふわりと揺れる。なかなかの目に毒な高解像度だ。
(ほら、今日の朝食のメニュー! 宿の人が『頑張る便利屋さんのために』って、お刺身を出してくれるそうですよ! 私、お刺身大好きなんです!)
身支度を整え、階段を降りて食堂へ向かう足取りも、俺の精密な歩法と彼女の弾むようなリズムが混ざり合った独特のものだ。階下に広がるのは、この地の利を活かした見事な刺し盛りのビュッフェ。
(ほう、これは……なかなかのクオリティだな。……なるほど、凍った魚のようなものか。寒冷地ならではのメジャーな保存食だな。素材の鮮度を魔力で固定しているわけでもなさそうだ。純粋な冷気によるアーカイブか)
(ルイ……? もう、ミコトさんはすぐ難しい名前に変換しちゃうんだから! 名前なんて何でも良いじゃないですか。見てください、これ。口に入れるとシャリシャリして、ちょっとシャーベットみたいで美味しいですよ!)
右手が皿へ伸び、一切れの切り身を口に運ぶ。冷たい食感の後に、舌の熱で魚の脂が解凍され、濃厚な旨味が広がる。
(……まあ、悪くない。良質な蛋白質に加え、魚の脂肪酸は体脂肪蓄積を抑制し、脳の演算速度にも寄与する。しかも赤身はヘモグロビンも豊富だ。今日の活動に向けたリソースとしては最適と言える)
(もー、美味しければそれで百点満点です! えへへー、朝から幸せですねっ!)
琥珀色の瞳を細めて、俺たちの頬が緩む。傍から見れば、一人の少女が幸せそうに食事を楽しんでいる光景にしか見えないだろう。だが、その内側では、彼女の純粋な多幸感と、それを冷静に分析する俺の思考が、一本の回線で密接に溶け合っている。
(ふん、ちゃんと食ったらギルドに行くぞ。今日もサブクエストをこなさなきゃならないからな。……あまり目立ちたくはないが、山脈越えの前提条件を整えるためには、多少の稼ぎと情報は必要だ)
(はーい! よぉし、あと3枚……いえ、5枚食べたら行きましょう、ミコトさん!)
彼女の旺盛な食欲に苦笑しながら、俺は残りのルイベを口にした。この冷たさが、昨夜の脳内シミュレーションで昂ぶった精神を、ちょうどよくクールダウンさせてくれる。
(お前、最近また食欲が増してきてないか? 今のお前は、肉体年齢が年相応なんだ。摂取カロリーが消費を上回れば、当然皮下脂肪として蓄積されるぞ?)
(んぐっ!?)
ルイベを飲み込もうとした喉が、俺の冷徹な指摘に大きく跳ねた。
琥珀色の瞳が泳ぎ、箸がピタリと止まる。脳内に流れ込んでくるのは、彼女の「えっ、まさか」「でも美味しいし」「でもでも服がキツくなったら……」という高速演算のノイズだ。
(……な、なな、何言ってるんですか! 私、これでも毎日たくさん歩いてるし、ミコトさんが魔法を使うときだって、私の代謝を使ってるじゃないですか!)
(ふん。魔法の演算に回す分を差し引いても、今朝のパック数は明らかに過剰だ。『星霜の蒼』が自動でサイズ調整してくれるからといって、中身の質量まで無視できると思うなよ?)
(うぅ……。そ、それを言われると……。でも、このシャリシャリが、その、止まらなくて……)
俺たちの手は、迷うように次の切り身を弄んでいる。
彼女の「食べたい」という本能的な欲求と、俺の「管理責任」という理性が、一つの脳内で激しく衝突を起こしているのだ。
(……あと一枚。あと一枚だけですよ、ミコトさん! それで今日は、ギルドまで全力疾走して燃焼しますから!)
(……勝手にしろ。ただし、走る時の姿勢制御は俺がやる。お前が転んで、せっかく摂った栄養を戻す羽目になったら、それこそリソースの無駄だからな)
(わーい! じゃあ、いただきまーす!)
結局、彼女の誘惑に押し切られる形で、最後の一枚を口に放り込んだ。
(……やれやれ。結局、この実行結果か。俺の論理的推論も、彼女の食欲という名のバグには勝てないらしい。……いや、俺自身もこの冷涼な旨味を「悪くない」と判定している以上、共犯と言えるがな)
口の中に広がる最後の一片の冷たさを惜しみながら、俺たちは席を立った。
脳内では、クーリアの「あー幸せ!」という多幸感がキャッシュとして響き渡り、それに付随して、彼女が約束した「全力疾走」のための運動シミュレーションが自動的に展開される。
(……準備はいいか、クーリア。約束通り、ギルドまでの最短経路を全速で駆け抜けるぞ。心拍数の上昇、筋肉への負荷……すべて俺が最適化する。お前はただ、その足を最大出力で回せ)
(もちろんです、ミコトさん! えへへ、エンジン全開ですよー!)
宿の扉を蹴り出すようにして飛び出した俺たちの身体は、朝の冷気を切り裂いて加速する。
彼女の躍動する鼓動と、俺の研ぎ澄まされた感覚遮断が一つに溶け合い、視界が加速の向こう側へと流れていく。
……そして数分後。
全力疾走の末に、若干息を切らしながらも(主に俺の姿勢制御のおかげで一度も転ぶことなく)、冒険者ギルドの重厚な扉の前に到着した。
(ふぅ……ふぅ……! ほら、ミコトさん! ちゃんと燃焼しましたよ!)
(……ふん。推定消費エネルギーは、摂取量の三割といったところか。残りの七割を相殺したければ、今日のギルドでの仕事は、身体を動かすものを選ぶ必要があるな)
俺たちは乱れた息を整え、琥珀色の瞳に「仕事」への意欲を宿して(半分はダイエットのためだが)、ギルドの喧騒の中へと足を踏み入れた。
(ふむ、崖崩れの復旧、魔物出現の可能性有り……か。岩石の物理的撤去に加え、警戒任務も含まれる。適度な緊張感がある仕事だな。お前の燃焼効率には最適だ)
(うう、魔物ですかあ……やっぱり出ますよね。あの、今回はミコトさんは魔法でポポーンって手伝ってくれないんですよね……?)
(当然だ。体を使うと宣言したのはどこのどいつだ。有言実行してもらうぞ。俺はあくまで感覚共有と、致命的なバグ……死角からの奇襲に対する最低限のプロテクトに徹する)
俺は掲示板からその依頼書を剥ぎ取ると、受付へと向かった。
琥珀色の瞳には不安の色が混じっているが、彼女の身体能力を司る運動神経は、先程の全力疾走のおかげで既に最適化されている。
(……それに、お前の『星霜の蒼』には身体強化のパッチも組み込まれている。魔力で誤魔化すのではなく、お前自身の筋力と反射神経でそれをどこまで並列起動できるか、試させてもらうぞ)
(うぅ……スパルタだぁ。分かりましたよ、やればいいんでしょ、やれば! 筋肉痛になっても、今夜は泣き言言いませんからね!)
(ふん。泣き言を言う暇があるなら、一回でも多く回避行動を刻め。……行くぞ、現場の崖崩れポイントは北、歩いていくなら半日は掛かるが……これももちろん、全力疾走で行くからな。目標タイムは一時間だ)
(ええっ!? また走るんですか!? ミコトさんの鬼ーっ!)
心の中で叫ぶ彼女をよそに、俺達は足を一歩踏み出した。
(ひ、ひぃ……一時間なんて、そんなのもう全力疾走どころか、音速に挑戦するレベルじゃないですかぁ! もう、こうなったらヤケです! 私は風になってやりますよ!)
脳内で響き渡る悲鳴とは裏腹に、俺たちの脚は迷いなく石畳を蹴り飛ばした。
『星霜の蒼』の身体強化パッチが、彼女の筋繊維に魔力を通し、一歩一歩のストライドを限界まで引き上げる。俺は彼女の視界を補正し、障害物のない最短の走行ラインを脳内に直接投影した。
(泣き言を言う余裕があるなら、肺の換気効率に意識を向けろ。ほら、三歩手前に浮き石だ。右足の荷重を外して、一気に跳べ!)
(わ、わかってますよぅ……! ほらぁっ!)
ひときわ大きな跳躍。風を切る音が鼓膜を叩き、景色が流体のように後ろへと消えていく。
――そして、一時間後。
目標地点である北の崖崩れ現場に到着した。
俺たちの身体からは、冬の朝とは思えないほどの蒸気が立ち上り、彼女の呼吸は過負荷寸前の激しさで乱れている。
(……ふむ、五十八分四十二秒。予定よりも前倒しだな。燃焼効率に関しては、文句なしの最大値と言えるだろう)
(……ぁ、ぅ……ミコトさん……。私、もう……指一本、動かしたくない、です……)
(音速は流石に厳しかったが、そこらのオンボロ馬車なんかよりは全然早かったじゃないか。しっかり風になってたぞ)
(しかも山道ですよ!? 走りやすい平地じゃないんです! 私の脚、産まれたての子ジカみたいにプルプル震えてますよ……)
膝に手をつき、今にも崩れ落ちそうな彼女の身体を、俺は感覚共有を介して内側から支える。
(適度な負荷だ。呼吸を整える間に生活魔法の『自然治癒を高める魔法』を使い続ければ、超回復で筋力の増強が見込めるだろう)
(ええぇー、私、ムキムキになっちゃいませんか?)
(そういうのが良いなら、今後のメニューに蛋白質の量を増やすか?)
(遠慮します!)
(はは、即答か。まあ、お前がバキバキの重戦士になるのもそれはそれで面白いがな。……さて、無駄話はここまでだ。呼吸が整ったら、せっかく温まった体が冷える前にまずは崖の様子を見るぞ)
俺達は遠目にも分かるほど崩落した岩肌を確認する。どうやらかなり広範囲に崩れたらしく、反対側の様子がまるで見えない程だった。
(うわー、これ一人でやる仕事じゃなくないですか? それになんか……雪に混じって白い何かが蠢いてません?)
(あれは……『星屑の目』を近付けて確認する)
俺は空中に浮遊させていた『星屑の目』からの映像を、脳内の共有視界に大きく投影した。
(……なるほど、雪蟻か。おそらく崩落の原因はコイツ等だ。巣の拡充で穴だらけにしたおかげで、崖付近の地盤がスカスカになってしまったんだろう)
雪に紛れるほど白い、体長五十センチほどの蟻たちが、鋭い顎で岩を削り、さらに奥へと空洞を掘り進めている。その振動が、不安定な崖を今もじりじりと崩落予備軍へと追い込んでいた。
(ひえぇ……! あんなのがウジャウジャいるんですか!? ミコトさん、これ、岩をどかすだけじゃ解決しませんよ! どかした瞬間に、中からワラワラって出てきたら……私、気絶しちゃいます!)
脳内に響く彼女の悲鳴は、生理的な嫌悪感でノイズ混じりだ。確かに、あの白く節だった脚が雪の中から無数に突き出している光景は、美意識を重視する彼女には耐え難いものだろう。
(だが、見ろ。アイツ等自身で岩の整理をしている。アレは働き蟻の集団なんだろう。勝手にやってくれるなら都合が良い、しばらく様子見だ)
(え、放っとくんですか?)
俺の言葉に、彼女は意外そうな色を滲ませて反応する。琥珀色の瞳が、せっせと岩を運ぶ蟻の群れを恐る恐る捉えた。
(ああ。働き蟻はその性質上、戦闘能力は低く、人に対して害意はないし道を作るのは上手い。まあ、いくら害は無くてもこうして実害が出ている以上、見過ごしは出来ないが……)
(じゃあ、道を作ってもらってから退治するんですね?)
せかせかと岩を運ぶ雪蟻を見ながら、僅かに緊張を強めてクーリアが尋ねてくる。彼女の意識は、既に「どうやってアイツらに触れずに片付けるか」という最短解を探し始めているようだ。
(そういうことだ。俺のサポート無しの実戦訓練相手にはちょうど良いだろう。数だけは無駄に多いが、その分、長期戦の経験にもなる。……物量に押されて囲まれるなよ。奴らの連携は論理的だ)
俺たちは岩陰に身を潜め、自然の解体業者たちが道を切り拓くのをじっと待った。
雪蟻たちが顎を噛み合わせるカチカチという乾いた音が、静かな雪原に不気味なリズムを刻む。
(……クーリア、呼吸を整えろ。あと三つの大きな岩がどかされた瞬間、崖の構造強度が変わる。そこが作戦開始だ)
(うぅ、了解です……。でもミコトさん、終わった後は絶対に、美味しいお菓子と、あと、ふわふわの石鹸でお風呂に入れてくださいね!)
(ふん、成果次第だ。……来るぞ!)
最後の遮蔽物が雪蟻の手によって排除された瞬間、奥の空洞から冷たい風が吹き抜けた。同時に、侵入者を感知した蟻たちが一斉にその触角をこちらへと向ける。




