ご飯があればだいたい大丈夫
俺は自分の袖口や裾に目をやった。
街道の汚れ、返り血(あるいは魔物の体液)、そして三ヶ月の野営に耐え抜いた布地の擦り切れ。いくら水の生活魔法が使い放題とはいえ、落ちない物は落ちないのだ。
「美少女」としてのビジュアルがカンストしているおかげで、門番には「ボロボロなのが余計に儚さを引き立てる」なんて脳内変換をされたが、物理的な限界は近い。
(……はい。……実は、少し前から……あちこちが薄くなってて、気になってたんです。……女の子として、この格好で街を歩くのは……ちょっとだけ、恥ずかしいかも)
クーリアが脳内で、きゅっと縮こまるような仕草を見せる。
体は見た目こそ美少女とは言えまだ幼女といっても差し支えないのに、やはり魂は女の子なだけあって、そのモジモジは街ゆく男の視線がザクザク刺さるようだ。
食はサバイバル能力で、住は野宿でどうにかしてきたが、「衣」だけは自給自足が難しい。しかも、俺たちの手元には、この世界の経済を回すための「金」が絶望的に欠けている。
俺は周囲を見渡した。
賑やかな市場、並ぶ商店、そして……冒険者や商人が出入りするギルドのような建物。
(クーリア、悪いな。しばらくそのボロ……いや、『ヴィンテージ感あふれる可憐なスタイル』で我慢してくれ。……一刻も早く、お前に一番似合う、最高の服を着せてやるからな)
(……ふふ。はい、ミコトさん。あなたが選んでくれるなら、私、何でも嬉しいです。……でも、まずは『元手』……ですね?)
(まあ、最悪それも、ひょっとしたらこの容姿でどうにかなりそうではある、けどな……)
(ミコトさん? まさか『売る』気ですか……?)
昏い瞳になるクーリア。こえぇよ。
(いやいや?! はぁ。……今のは、俺が全面的に悪かった。言葉が足りなかったな、すまん)
おかげでとんでもない勘違いに飛躍したもんだ。
(……本当ですよ……? ミコトさんなら、もっとスマートに、かっこよく稼いでくれるって信じてたのに……。……私、ちょっと泣いちゃいそうです……)
(まあ、売り物としてはそう、大差はないが……要するに、『ここ』だ)
そう言いつつ、こめかみの辺りを人差し指でトントンする。
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(……もう、ミコトさん。理屈ばっかり並べてますけど……今の私たち、本当にお金以前の問題なんです)
私は脳内でため息をつきながら、そっと自分の胸元を隠すように腕を組みました。
「知識を売る」なんて格好いいことを言っているけれど、今の私の姿は、三ヶ月の野営ですっかり薄汚れた、ボロボロの服を纏った少女。
ミコトさんは「ヴィンテージ感」なんて笑っているけれど、街ゆく人たちの視線はもっと残酷です。美しさを称賛する目の中に、明らかに「……でも、浮浪児かしら?」という憐れみが混ざっているのが、私には痛いほど分かってしまうから。
(……ミコトさん。ロジックを売る前に、まずは『まともな身なり』を手に入れないと。このままだと、どんなに凄い理論を話しても、怪しい詐欺師だと思われちゃいますよ?)
私はミコトさんの思考の先回りをしました。
彼がギルドや工房を「解析」しようとしている間に、私は鼻をくんくんと動かして、冷たい冬の空気の中に混ざる「甘い匂い」を追いかけます。
(……あ。見つけました)
人混みの向こう、メインストリートから一本外れた路地に、古びているけれど手入れの行き届いた「仕立て屋」の看板。
ショーウィンドウには、少し流行は遅れているけれど、丁寧な手仕事が伺える温かそうなドレスが飾られています。
(……あんな素敵な服が着られたら、きっとミコトさんの言葉も、もっとみんなに響くはず。……ねえ、ミコトさん。まずはここから、私たちの『最適化』を始めませんか?)
(……おい、クーリア。そこは普通の服屋だろ? 金がないって言ってるのに、どうするつもりだ……?)
ミコトさんが困惑しているのが分かります。
ふふ。ミコトさんは頭がいいけれど、たまに「人の心」の動かし方を忘れちゃうんです。
(……いいですか、ミコトさん。……『技術営業』の前に、まずは『先行投資』をさせるんです。……私、ちょっと試してみたいことがあるんです)
私は、ボロボロの裾を少しだけ摘み上げて、わざと心細そうな足取りで、その仕立て屋の扉を叩きました。
カランカラン、と乾いた鐘の音が響く。
「……あの、ごめんなさい……。お仕事中に、すみません……」
伏せ目がちに、震える声で紡ぐ言葉。
ミコトさんには「あざとい」って言われちゃうかもしれないけれど、これも私たちが生き抜くための、私なりの「ロジック」なんです。
(……さあ、ここからは、ミコトさんの『知識』を私の『おねだり』に乗せて、魔法をかけてあげますね)
呼びかけられ、反応した店主と目が合う。
(勝ちました)
私の視界の隅で、店主の――少し気難しそうな、それでいて職人気質らしい年配の女性の――瞳が、劇的に揺れ動くのを「観測」しました。
それまで針を動かしていた彼女の手が、ピタリと止まる。
入り口に立つ私の、泥に汚れた裾、ボロボロの袖……そして、そのみすぼらしさをかき消して余りある「この世のものとは思えない美貌」と「消え入りそうな儚さ」が、彼女の網膜に強烈なコントラストとして焼き付いたはずです。
(……勝ちました。……この人の『美学』という名の防壁に、今、決定的な穴が開きましたよ)
ミコトさんは呆れているかもしれないけれど、これは計算された勝利です。
職人にとって、美しいものが不当に扱われている状況ほど、我慢ならないことはないはずだから。
「……あら……。あなた、その格好……一体どこから来たの?」
店主の女性が、眼鏡をずらし、吸い寄せられるようにカウンターから身を乗り出しました。
その目はもう、私を「浮浪児」としてではなく、「泥にまみれた極上の宝石」として見ています。
(……ふふ。ミコトさん、聞こえますか? 彼女の鼓動が少し速くなった。これ、職人が「運命の素材」に出会った時の音ですよ)
私はあえてすぐには答えず、困ったように視線を泳がせ、それから意を決したように彼女の目を見つめました。
「……遠いところから、歩いてきました。……魔法の練習を、失敗してしまって。……お金も、荷物も……全部、燃えちゃったんです」
嘘は言っていません。あの『セレスティアル・レイ』という名の、ミコトさんの無茶苦茶な最適化魔法のせいで、私たちの現状が「すっからかん」なのは事実ですから。
(女ってこえぇ……)
(……ねえ、ミコトさん。呆れてないで、あそこ。彼女の背後にある棚の、隅の方。……あの色褪せた青い布。あれ、ただの失敗作じゃないですよね?)
私は、店主の女性が気まずそうに、けれど未練たっぷりに視線を避けていた「呪われた不良在庫」に目を向けました。
(あー……ありゃ『火』と『水』の属性がケンカして、染料が定着せずに変質しちまったマジックテキスタイルだな。……今のあいつは、熱力学的に不安定な『ゴミ』だが……俺たちが『再定義』してやれば、一瞬で王侯貴族が奪い合う『幻の絹』に化けるぜ)
ミコトさんの脳内から、冷徹で、でも少し楽しそうな計算式が流れてくる。
よし。舞台は整いました。
私は、店主の女性に一歩近づき、その「ゴミ」と呼ばれている布を指差しました。
「……あの、おば様。……あそこの布、とても悲しそうな色をしています。……もし、私がそれを『綺麗』にできたら……代わりに、少しだけ、針と糸を貸していただけませんか?」
店主の目が、驚愕に見開かれます。
泥だらけの美少女が、店一番の頭痛の種を指して、そんな傲慢な……いえ、純粋な提案をしてきたんですから。
(……さあ、ミコトさん。……あなたの得意な『ロジック』で、このお店の空気を丸ごと書き換えてしまいましょう。……私たちの、新しい服のために)
不意を打たれしばし言葉を失っていた女主人は、ふと、我に返ったように顔を振りました。
「お嬢さん、あの布はね、とあるお貴族様からの指定された材料しか使えないんだよ」
(……お貴族様の、指定材料。……なるほど、そういうことですか)
私は心の中で、ミコトさんと視線を交わしたような気がしました。
自由にできない「縛り」があるからこそ、失敗が許されず、店主さんはあんなに追い詰められた顔をしていたんですね。
(……ミコトさん、解析完了しましたか? 『指定材料』っていう制約があるなら、それを利用して逆転する……あなたの得意分野ですよね?)
(……ああ。指定材料しか使えないってことは、逆に言えば『余計な魔力や触媒を足さずに、素材そのもののポテンシャルを再構成する』だけでいいってことだ。……店主、あいつは布の不備を『欠陥』だと思ってるが、俺からすれば、ただ単に『分子配列がソートされてないだけの未完成品』にすぎないぜ)
ミコトさんの冷静な声が、私の自信をさらに深めてくれます。
私は、店主さんの言葉に一度深く頷き、それから最高に無垢で、でも確信に満ちた微笑みを浮かべました。
「……はい、分かっています。新しいものを足す必要なんてありません。……その布の中に眠っている『本当の輝き』を、少しだけ呼び覚ましてあげるだけでいいんです」
私は、拒絶される前にそっと、その「呪われた布」へと指先を伸ばしました。
店主さんが「あ、危ないわ!」と声を上げるよりも速く。
(……ミコトさん、同期開始! 生活魔法『乾燥』と『洗浄』……いえ、この場合は『熱運動の完全停止』と『不純物の分子分離』の同時実行……行けますね?)
(……任せろ。……指定された成分表は変えない。ただ、今のカオスな状態から『あるべき秩序』へ、俺が強制的に再定義してやる。……さあ、クーリア、指を置け。……ここからが、俺たちの『技術営業』の本番だ)
私の指先が、冷たく沈んでいたはずの布に触れた瞬間――。
パチッ、と。
静かな、けれど密度の高い火花が散ったかのように、布の繊維が「意志」を持ったように波打ち始めました。
「……えっ!? な、何が……!?」
店主さんの叫び。
泥だらけの私の指の下で、濁っていた青が、まるで朝霧を払い除けた冬の空のような、透き通った極上の「蒼」へと塗り替えられていく。
(……ミコトさん、見て。おば様の時間が止まってる)
私の指先から広がる「蒼」は、波紋のように布の隅々まで行き渡り、死んでいた繊維の一本一本が、まるで産声を上げるように輝き始めました。
(……ああ。熱振動を極限まで抑え込み、光の屈折率を一定方向にソートした。ただの『青い布』が、光を閉じ込める『構造色の結晶』に書き換わった瞬間だ)
ミコトさんの声には、職人のような矜持と、科学者のような冷徹さが混ざり合っています。
でも、その指先を通して伝わってくるのは、世界を「あるべき姿」に整えることへの、純粋な喜び。
「……そ、そんな……。魔法も使わずに……ただ触れただけで……?」
店主さんは、震える手でその布の端に触れました。いえ、魔法は使ってますよ?
それでも泥だらけの私の手から生まれたとは思えない、汚れひとつない、神聖なまでの美しさ。
「……信じられない。あんなに反発し合っていた色が……こんなに、深く、澄み渡るなんて……。これなら、あのお貴族様だって文句のつけようがないどころか……」
彼女はハッと私を見ました。
その瞳にあるのは、もう憐れみではありません。
理解を超えた「奇跡」への敬畏。そして、その奇跡を起こした「泥だらけの宝石」を、自らの手で完成させたいという、抑えきれない職人の情熱。
(……ミコトさん。……もう、何も言わなくていいみたい。……彼女の指、もう勝手に、最高の針と糸を探し始めてますよ)
(……はぁ。……思惑通りだな、クーリア。……さあ、最高の『先行投資』をしてもらおうか。……お前が望む、お前に最も相応しい、世界の理を纏うための一着を)
私は、あえて少しだけ疲れたように肩を落とし、弱々しく微笑んでみせました。
「……あの、おば様。……これ、直った……でしょうか……?」
「直ったなんてものじゃないわよ、お嬢さん!!」
彼女はカウンターを飛び越える勢いで私を抱き寄せ、奥の採寸室へと押し込みました。
「いい、そこに座ってなさい! すぐに熱いお茶と、体を拭くお湯を持ってくるわ! ……それから、その布! その布を、あなたの体に合わせた最高のドレスに仕立ててあげる! ……一銭もいらない、これは私の誇りにかけての仕事よ!」
(……勝ちました。完全勝利です、ミコトさん!)
(……ああ。……だがクーリア。……あいつ、俺を『お嬢さん』って呼んだぞ。……後でしっかり、中身は『俺』だって分からせてやるからな?)
(……ふふ。……それは、私が『お嬢さん』と言われるのはおかしい、と言うことですか?)
ギクッとする雰囲気が漂ってくる。
私だって、ミコトさんの感情は何となくわかるんですからね。




