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クレアハート・ロス

ちょっと短いけど閑話。リナは実はヤンキー女子でした。

【リリィ視点】


 春休み最終日。明日から始まる新学期への期待と、少しの緊張が入り混じる学園の食堂。私、リリィ・アーデントは、親友のレオと一緒に、いつものようにマダム・ボルケーノの前に立っていました。


 「……マダム。あの、クレアハートさんは?」


 いつもなら、誰よりも早く席につき、優雅な動作で――けれど恐ろしい速度で――食事を楽しんでいるはずの彼女の姿がありません。


「ああ、リリィちゃん! あの子なら、急な用事で中退することになったみたいだよ。さっき、エミリオ先生と一緒に出ていったわ」

「えっ……中退!?」


 私とレオは顔を見合わせました。あんなに凄まじい魔法を使い、私たちが一生かかっても届かないような高みにいた彼女が、挨拶もなしにいなくなるなんて。

 呆然とする私たちの前に、マダムが「ニヤリ」と不敵な笑みを浮かべて、一冊のメモ帳を叩きつけました。


「でもね、あの子……置き土産を残していってくれたのよ。リリィちゃんたちが立派な魔導師になれるようにって、特別なレシピをね!」

「レシピ……ですか?」


 マダムが厨房に引っ込み、数分後。

 運ばれてきた「それ」を見た瞬間、食堂にいた全生徒の時が止まりました。

「お待たせ! これこそが彼女の直伝、名付けて――『満漢全席(まんかんぜんせき)・クレアハート盛り』よ!!」


 ドォォォォォン!!


 テーブルが悲鳴を上げました。そこに鎮座していたのは、もはや料理ではありません。肉の絶壁、野菜の密林、そして最上部で白く輝く、山のようなライスの巨塔。


「……ねえ、レオ。私たち、あの優雅なクレアハートさんに、一体どんな過酷なトレーニングを課してたと思われてたのかな……?」

「……わかんない、リリィ。でも、これ一人前じゃないよね? ……え、マダム、これ一人で食べるの?」

「当然じゃない! 高効率な魔力循環には、これくらいのエネルギーが必要だって書いてあったわ。さあ、食べなさい! 彼女の期待を裏切るんじゃないわよ!」


 漂ってくる香りは、信じられないほど食欲をそそる完璧なもの。なのに、視覚情報が「死」を予感させています。

 私は震える手でフォークを握りました。


「……クレアハートさん。あなた、最後になんてものを残していってくれたんですか……」


 一口食べれば、意識が飛びそうなほどの美味しさと、胃壁を突き破らんばかりの重量感。

 遠く北の空へと去っていった彼女の、冷徹で、けれど少しだけお節介な「合理性」が、物理的な重みとなって私たちの胃袋を支配していきます。


「……やるしかないよ、リリィ。これが、僕たちにできる唯一のデバッグだ……!」

「意味がわからないよ、レオ……!」


 かくして、学園の食堂には「完食した者は賢者になれる」という、出所不明の奇妙な伝説と、涙目で山に挑む二人の少男少女の姿が刻まれることになったのでした。


【レオ視点】


 新学期を前にした、春休み最後の日。学園の食堂は、いつになく静かだった。

 僕は、自分の前に座るはずの(あるじ)の姿を求めて、無意識に視線を彷徨わせていた。


「……リリィ。クレアハートさん、まだ来ないね」

「そうね……。昨日の今日だし、お疲れなのかも」


 僕たちは、あの「エミリオ先生の暴走」という悪夢のような光景を共に潜り抜けた。彼女が、僕たちが逆立ちしても敵わないほどの『化け物』であることを知ってしまった。……けれど、それでも彼女は、僕たちを見捨てなかった。

 そんな彼女に、改めてお礼を言いたかった。

 でも、僕たちの前に現れたのは、彼女ではなく、満面の笑みを浮かべたマダム・ボルケーノだった。


「二人とも、探し物はこれかしら?」


 マダムがカウンターに置いたのは、一冊の使い古されたメモ帳だった。


「……これ、彼女の?」

「そうよ。あの子……いえ、あの方ね。さっき、学園を去ったわ。これはね、『残される若人への技術提供だ』って、あの方が直接私に渡してくれたレシピよ」


 心臓が、どくんと跳ねた。

 去った? 何も言わずに?

 僕が呆然としている間に、マダムは厨房で凄まじい火柱を上げ始めた。

「さあ、あの方の置き土産、しっかり味わいなさい! 名付けて、『満漢全席(まんかんぜんせき)・クレアハート盛り』よ!!」


 運ばれてきた「それ」を見た瞬間、僕は自分の目がバグを起こしたのかと思った。

 視界が、茶色と白の壁で埋め尽くされている。

 皿が見えない。いや、皿という概念が、その上にそびえ立つ肉の地層と飯の山脈によってゲシュタルト崩壊を起こしている。


「……ねえ、レオ。私たち、あの優雅なクレアハートさんに、一体どんな過酷なトレーニングを課してたと思われてたのかな……?」


 リリィの声が震えている。僕だって震えている。

 この量は、物理法則を無視している。これを一人で食べろというのは、もはや食事ではなく、命懸けの「デバッグ」だ。


「……わかんない、リリィ。でも、これ一人前じゃないよね? ……え、マダム、これ……一人で?」

「当然よ! 『これしきの熱量を処理できないなら、魔導師など辞めてしまえ』。……あの方は、そう仰りたかったに違いないわ!」


 マダムの勘違いが、僕たちの胃袋に死刑宣告を突きつける。

 けれど、漂ってくる香りは……悔しいほどに完璧だった。

 精密に計算されたスパイスの配合。魔力の循環を促すという、独自の効率的な調理法。


(……ああ、そうか。これは、彼女なりの『激励』なんだ)


 言葉で「頑張れ」なんて言わない。

 ただ、生き残るための糧を、これでもかと叩き込んでいく。

 あの冷徹で、強くて、少しだけ不器用だった彼女らしい、最高の――そして最悪のプレゼントだ。


「……やるしかないよ、リリィ。これが、僕たちにできる唯一の恩返しだ……!」

「意味がわからないよ、レオ……! でも……うぅ、美味しいのが余計に辛いよぉ!」


 僕は涙目でスプーンを握り、目の前の「絶壁」に挑みかかった。

 あの方が、この世界のどこかで、僕たちのこの無様な姿を見て笑ってくれていることを願いながら。


【リナ視点】


 (……あいつ、本当に行っちまったのか)


 学園の喧騒から少し離れた中庭。私は、誰もいなくなった女子寮の窓を見上げ、苦い煙を吐き出すようにため息をついた。

 あんな『規格外』、元々この窮屈な箱庭に収まりきる器じゃなかったのは分かってる。エミリオの爺さんが血眼になって追いかけていた「何か」に、あいつは自ら首を突っ込みに行ったんだろう。


 「……リナさん。あの、これを」


 背後から声をかけてきたのは、半泣きで腹を抱えたレオとリリィだった。

 二人の手には、マダム・ボルケーノの食堂から持ち出されたらしい、不気味なほど重たい包みが握られている。


「何だい、それは。……爆弾か?」

「いえ……クレアハートさんの『置き土産』の、お裾分けです。僕たちだけじゃ、どうしても……あと一歩が届かなくて……」


差し出された包みを開けた瞬間、私は言葉を失った。

そこに鎮座していたのは、見たこともないほど高密度に圧縮された肉と飯の塊。いや、魔力の奔流を物理的な「質量」に変換したような、狂気じみたエネルギーの塊だった。

「……あいつ、最後に学園の胃袋ごとハックするつもりだったのか?」


 思わず呟きが漏れる。 

 添えられたメモには、殴り書きのような、けれど精密な数式を思わせる筆致でこう記されていた。


過負荷(オーバーロード)に備え、予備電源を確保しておけ』


 不器用な優しさなんて言葉じゃ生ぬるい。

 これは警告だ。これから起こる世界の「更新」についてこれない弱者は、今のうちに腹を膨らませておけという、あいつなりの傲慢な激励。


「ふん。……こんなお節介、頼んだ覚えはないんだけどね」


 私は、その『クレアハート盛り』の一部を乱暴に口に放り込んだ。

 舌の上で爆発する、計算され尽くした旨味と熱量。

 ……完敗だ。

 味も、魔力も、そしてその生き様さえも。


「……おい、お前ら。泣いてる暇があるなら食え。あいつが戻ってきた時に『胃もたれで倒れてました』なんて報告、私は死んでもしたくないからね」

「はい、リナさん……っ!」


 夕闇が迫る学園で、私たちはその「暴力的なまでの慈悲」を飲み込んだ。

 いつかあいつが、この世界のバグをすべて消し去って、またふらりと戻ってくるその日のために。



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