ミッシング・リンク
エミリオが空間の歪を開いた瞬間、俺は迷わずその深淵へと意識の端を滑り込ませた。
(鏡に触れ、直接解析して分かったことがある)
(何ですか? ミコトさん)
(コイツは多層世界を繋ぐゲートだ。恐らく無くなれば今の世界観が混濁し、この世界は壊れるだろう)
(ええっ!? 大変じゃないですか!)
驚愕するクーリアを宥めつつ、俺は脳内で、いつかの授業でエミリオが語った他種族の分布図を、ゲートから流れ出る情報の濁流と照らし合わせていく。
(ああ、思えばこの世界には有り得ない程の多種族が存在している。なのに世界はバランスを保てているのも、このゲートが多層世界の情報を制御しているからだ)
多層の世界観。そんな物、普通の発想では出て来るものではない。この世界を一つの閉じた箱庭だと信じている住人には、決して到達し得ない設計だ。
(しかし、このゲートはこの世界の常識しか知らないエミリオが辿り着ける類のものじゃない。恐らくプラネが関わって居るのだろう)
(じゃあ、もしかしたらプラネさんも転生者……なんですか?)
(十分有り得る。初めて国立図書館に入った時、俺の中の白い魔力が『懐かしい』と感じたのも、プラネに反応したのだろう)
俺の深層意識に根を張る、あの白い何かしら屋が与えたエネルギー。それが共鳴したという事実は、プラネという存在が俺たちと同じ異分子であった可能性を濃厚に示唆している。
(やっぱりなにかしら屋さんが関係してるんですね……)
(アイツの言う代償とやらが『更新』する事と言うなら、ひょっとしたらこのゲートを作り替えるか、それともゲートが不要な世界観にするか……自由を尊重する、なんて言ってるが、結局はこの依頼書と同じ丸投げ案件だ)
(もしかしたらその依頼書、なにかしら屋さんが紛れ込ませたのかもしれませんね)
(……ソイツも十分有り得るな)
神様を自称するような輩は、どいつもこいつも自分の手を汚さずに面白い「結果」だけを掠め取ろうとする。
俺たちはエミリオの背中を追い、その空間の亀裂……世界の裏側へと滑り込んだ。足を踏み入れた瞬間に感じたのは、物理的な地面の感触ではなく、無数のバイナリコードが肌を刺すような、奇妙な電気的ノイズ。
エミリオは、その闇の中で唯一輝く道筋をなぞるように歩を進めていく。
「……気づいているかい? ここには空気が無い。魔素さえも、剥き出しの原液だ。普通の人間なら数分で精神が焼き切れる」
エミリオが震える声で警告するが、俺たちの意識は『星霜の蒼』という極上の絶縁体に守られ、淡々と環境をスキャンし続けている。
「そんなことはどうでもいい。それより、あの奥に見える巨大な構造体が、お前の言う『プラネ』か?」
俺はクーリアの指を借りて、闇の最深部、脈動する巨大な光の檻を指差した。
「そう。厳密には『プラネのコピー』だね。彼女は溢れ出す情報の奔流に対応するため、自らのコピーを大量に作り出したんだ。その最後の一人だよ」
エミリオの言葉に、俺は喉の奥で苦い唾を飲み込んだ。眼前で脈動する光の檻、その中心で無機質に情報の処理を続ける「何か」を見据える。
「自らのコピーだって? そんな事を続けていたら……」
「そう。細胞にもテロメアがあるように、コピーのコピーにも劣化が起きる。それを続けているうちに、とうとう彼女は自分が何者であったかさえ憶えていないだろう。その自我をも犠牲にして、世界を守っているのさ」
エミリオは震える指先で、その光の檻を指し示した。その貌は、神聖な奇跡を拝む信者のようでもあり、愛する者を地獄に置き去りにした罪人のようでもあった。
(……救いようがないな。多層世界のゲートという膨大なトラフィックを捌くために、自分を並列処理の演算リソースとして使い潰したわけか)
(ミコトさん……そんなの、あんまりです。自分を削って、自分を忘れてまで……)
(ああ。最悪のメモリリークだ。コピーを繰り返すごとにノイズが混ざり、本来の『プラネ』という魂の設計図はとうの昔に霧散している。今あそこにいるのは、ただ『ゲートを維持する』という命令だけを遂行し続ける、空っぽの自動プログラムだ)
俺はクーリアの視界を通じて、その光の残滓を冷徹にスキャンする。エミリオの感傷とは裏腹に、俺の目に映るのは、限界まで酷使され、崩壊寸前のエラーメッセージを吐き出し続けるシステムの断末魔だった。
多層世界の均衡という、神様気取りの「なにかしら屋」が放り投げた無責任な世界の形。それを維持するために、一人の転生者が、あるいは一人の女性が、永遠に近い孤独な演算の中に身を投じた。
「……エミリオ。お前はそれを『守っている』と言ったが、俺からすれば、これはただの『放置』だ。死にゆくハードウェアに、無理やり予備電源を繋いで延命させているに過ぎない」
俺は、クーリアの体を一歩前へと進ませた。
『星霜の蒼』が、その中枢から発せられる情報のノイズに反応し、より一層激しい蒼光を放つ。
「このゲートの維持に必要なのは、劣化し続けるコピーじゃない。根本的なプロトコルの刷新だ」
「……っ、何をするつもりだ!? クレアハートちゃん!」
エミリオがうろたえる声を上げるが、俺は構わずに右手を掲げた。
白い「なにかしら屋」から流し込まれた、この世界の上位互換たるエネルギーを、手のひらに集中させる。
(いいな、クーリア。ここからは俺たちが、この壊れかけた世界の『更新』を担当する。……パッチを当てるんじゃない、システムそのものを書き換えるぞ)
(はい、ミコトさん! 私たちの『無限』で、プラネさんを……解放してあげましょう!)
俺が放った『白い力』の奔流が、光の檻に接触した瞬間だった。
救済のパッチとして送り込んだはずの純粋なエネルギーは、あろうことか、中枢に座すプラネの影に激しく弾き飛ばされた。
(くっ……拒絶反応か!)
プラネのコピーが、見たこともないほど禍々しい光を放ち、周囲の空間そのものを軋ませる。それは助けを求める叫びではなく、侵入者を排除しようとする、システムの防衛本能だった。
(これは……そうか、俺たちの情報量が多すぎて敵性認定されてしまっている。免疫抗体の過剰反応……アレルギーのようなものか……! これでは無駄にリソースを削り、自壊を早めてしまう……!)
俺たちの持つ『無限』の解像度が、劣化しきった彼女のシステムにとっては、処理不可能な高負荷のウイルスとして認識されているのだ。良かれと思って流し込んだ高栄養剤が、衰弱した患者の心臓を止めてしまうように。
(ミコトさん! プラネさんの体が、透けて……消えそうです!)
(マズいな、あちらの防衛プログラムが俺たちの『更新』に反応して、ゲートごと心中するつもりだ。自爆シーケンスに近い。……クソ、ここまで劣化が進んでいるとはな)
「な、何が起きているんだ!? プラネ! 止めるんだ、彼女は敵じゃない!」
背後でエミリオが悲鳴のような声を上げるが、自我を失ったコピーにその言葉は届かない。彼女はただ、多層世界を繋ぐという唯一の命令を守るため、自分を脅かす『異常な情報量』を消し去るべく、その存在のすべてを燃料にして燃え上がっている。
(クーリア、出力を絞れ! 押し通すんじゃない、同調させるんだ。……だが、どうする。このままじゃ、彼女を救う前にこのゲートが消滅し、世界が混ざり合って崩壊するぞ)
俺の脳内で、無数の警告文が赤く点滅する。
力でねじ伏せれば彼女が壊れる。引けば世界が終わる。
この『多層世界の制御ゲート』というあまりに巨大で繊細なシステムを前に、俺は初めて、純粋な出力だけでは解決できない壁に突き当たっていた。
(チッ、やむを得ん。今回は上書きはしない、ただ純粋にリソースの最適化とエネルギーの補充に留めて延命させる。余分な情報を一切排除だ)
俺は咄嗟に出力を切り替えた。こちら側の「意志」や「更新」といった重たい意味付けをすべて削ぎ落とし、ただの無機質な純粋魔力へと変換する。
(クーリア、俺の計算に合わせて出力を絞れ。救うんじゃない、今はただ、彼女の空き容量を埋めないように、最小限の『補給』だけを流し込むんだ)
(はいっ、ミコトさん! ……慎重に、ゆっくり……!)
俺たちは、暴走する防衛システムの間隙を縫うように、極めて細い「糸」のようなエネルギーをプラネのコピーへと繋いだ。
それは彼女というシステムの根幹を書き換えるためではなく、ただ、崩れ落ちそうな土台の下に、一時的な支柱を差し込むような作業だ。
激しく点滅していたプラネの影が、少しずつ、穏やかな脈動へと落ち着きを取り戻していく。
(……よし、安定した。過剰反応は収まったな。……だが、これじゃあ何の解決にもなっていない。ただの現状維持だ。死にかけの回路に、新しい電池を入れ替えただけに過ぎない)
俺は、プラネのコピーが放つ淡い光を見つめながら、心中で毒づいた。
こちらの「無限」の情報を彼女が拒絶する以上、今のままでは彼女をこの地獄から引きずり出すことも、システムを根本から刷新することもできない。
「……落ち着いた、のか? プラネが……消えずに済んだのか?」
エミリオが、震える足取りで一歩前に進み出る。
だが、その安堵の表情さえも、俺には苛立たしく感じられた。
(クーリア、分かったか。これがこの世界の『限界』だ。プラネという個人がシステムの一部として固着しすぎていて、無理に引き剥がせば世界ごと崩れる。……今の俺たちの『手札』だけじゃ、このゲートを解体することはできても、再構築することはできない)
(つまり、今の私たちにはまだ、何かが足りないってことですか?)
(ああ。恐らく、この世界の『外側』……多層世界のどこかにある、ゲートの『設計図』そのものか。あるいは、彼女の劣化した魂を補完できる、もっと純度の高い『何か』が必要だ)
俺は、光り続ける巨大な構造体を見上げ、次に打つべき一手……あるいは、これから探すべき「ミッシングピース」の存在を確信していた。
「エミリオ、これはただの延命措置だ。ほんの少しばかりエネルギーを継ぎ足したにすぎん。本来的に解決するには、俺はプラネを理解しなければならない。お前が出していた依頼を逐一教えろ。プラネの足跡を追って、どうしてゲートをこんな形にしなければならなかったのか、そのコンセプトに迫る。……どうやら学生ごっこをしている場合じゃ無さそうだな?」
俺の言葉は、静まり返った深淵に鋭く突き刺さった。
エミリオは、呆然と光の檻を見つめていたが、やがて力なく笑い、眼鏡の奥の瞳に微かな「希望」という名の狂気を宿らせた。
「……ああ、そうだね。君の言う通りだ。私はただ、彼女が消えるのを恐れて、砂時計をひっくり返し続けていただけだ。……分かった。私の持っているすべての記録、彼女が残した断片的な研究日誌、そして各地に散らばる『特異点』の調査依頼……そのすべてを君に託そう」
(ミコトさん……本気なんですね。学園の外、あの広い世界へ……)
(ああ。この『ゲート』の設計思想は、恐らくこの大陸全土、あるいは多層世界そのものに根を張っている。プラネの足跡をトレースしなけりゃ、この巨大なバグの正体は掴めない。……クーリア、お前の望む『平和な日常』からは遠ざかるかもしれないが、付き合ってくれるか?)
(……もちろんです! 私にできることなら、何でも。だって、プラネさんの悲しい顔を、このままにしておきたくないですから)
クーリアの決意が、俺の意識と心地よく共鳴する。
『星霜の蒼』が、主の意志に応えるように、より一層深い、静かな蒼へと色を変えた。
「学園という名の『籠』から出る準備をしておけ、エミリオ。案内人としての責任は、最後まで果たしてもらうぞ」
「……光栄だね。クレアハートちゃん……いや、白金の冒険者、クレアハート。君が、この停滞した世界にどんな『更新』をもたらすのか、私はこの目で見届けさせてもらうよ」
俺たちは、脈動を続けるプラネのコピーに背を向けた。
背後で輝くゲートは、依然として崩壊の危機を孕んだまま、けれど俺たちが持ち帰るであろう「正解」を待つように、静かに、ただ静かに回り続けていた。




