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冬は……奴が来る!

 あれから二ヶ月、様々なノウハウを得たクーリアは、ますますサバイバビリティを磨き上げ、最早この森で彼女を恐れない存在は居ない。クーリアはまさに、女王だった。


(……女王、か。全くだな)


 俺は、共有する視界の端で、クーリアの指先に宿る静かな魔力の揺らぎを見つめていた。

 2ヶ月。俺が持ち込んだ「効率」と「最適化」のノウハウを、クーリアという「理想の設計図」が吸収し尽くした結果だ。

 かつてはただの「逃げ隠れする弱者」だった彼女。


(……だが、それも今日で終わりだ。いつまでもこの箱庭で『女王ごっこ』をしてるわけにはいかねえからな)


 俺達は今や、この森の生態系の頂点に君臨している。

 無駄のない足運び、大気の魔力をハックして張り巡らされる不可視の結界、そして獲物を仕留める際の冷徹なまでの精度。

 それは、ミコトという頭脳エンジンと、クーリアという極上のハードウェアが魂のレベルで溶け合ったからこそ到達できた、暴力的なまでの完成美だった。


(はい、ミコトさん。……少しだけ、この静かな森が名残惜しいですけど)


 クーリアがそっと、自分を「女王」として傅かせてきた深い緑のカーテンを振り返る。

 その横顔は、やはり国を傾けるほどの美貌だ。成長の遅れなど、この圧倒的なカリスマ性の前では些細なバグにしか見えない。


(行くぞ。……冬が来る前に、まずは『文明』に触れて、次の準備を整える)


 俺達は、もはや恐れるもののなくなった森の境界線を超え、街道へと足を踏み出した。


 街道を見つけたのは一月前。道行く人に街への道を教えてもらい、行こうと思えばその時点で行けた。

 しかし、そうしなかった。する必要を感じなかった。

 俺達には時間が必要だった。時間だけが必要だった。

 やがて必要に足ると、次のステップを踏む。そこでも時間が必要だった。時間だけが必要だった。

 そして、次も、また、次も。

 魂が触れ合うたびに、足りないと感じる。

 充足するたびに、さらに深く、さらに長く、この濃密な関係に浸っていたいと願ってしまう。

 一つステップを進めるたびに、また別の「時間」が必要になる。それはまるで、目的地へ向かうことを先延ばしにするための、正当な言い訳を積み上げているようでもあった。


(……だが、それももう、極限まで積み上がった。……もう、必要な『時間』は使い切ったんだ。……そうだろ、クーリア)

(……はい、ミコトさん。……少し、寂しいけれど。……でも、私たちはもう、この森に収まるような存在じゃなくなってしまいましたから)


 街道を歩み。街の外壁が見える頃。白く立ち込める霧。


 水蒸気爆発が引き起こしたその白濁は、二人が過ごした「猶予」の終焉を象徴しているようだった。

 霧の向こう、カチカチと空間を削り取るような音を立てて近づく「奴」。

それは、時間という名の繭を食い破り、二人を強引に「外の世界」へと引き摺り出すための、無慈悲なトリガー。

(……待たせたな。……たっぷり『時間』をかけて、史上最高に厄介なコンビが仕上がったところだ)


 俺は、クーリアと一身になりて、静かに、だが確実な殺意を込めて次の術式を編み始める。

 もう、足踏みはしない。

 必要な時間をすべて使い果たした俺達は、冬の訪れと共に現れたその「不条理」を、ただの踏み台にするべく視線を据えた。


(そして、たどり着いた答えの一つがこれ。魔力理解)


 今更何を言うんだ。そう思うだろうか。


(……ああ、そうだ。あれほど「非科学的だ」と切り捨てようとしていた俺が、最終的に辿り着いた結論。皮肉なもんだな)


 俺は、自らの意識の奥底で、かつての自分を嘲笑うように呟いた。

 物理法則で魔法を解釈しようとした一ヶ月目。

 クーリアの感覚を「脳内データ」として数値化しようとした二ヶ月目。

 だが、そんな回り道を経て、肉体を共有する彼女から注ぎ込まれ続けたのは、もっと根源的な、言葉にするのも微温い「実感」だった。


(……理屈じゃない。構築でもない。……ただ、そこにある『力』の呼吸を、自分の鼓動と同じように感じ取ること。……それが、俺たちが出した『魔力理解』の正体だ)


 それは、既存の魔導書にあるような「詠唱」や「陣」を必要としない。

 クーリアという最高の楽器を、俺という最高の奏者が、互いの魂の波長を合わせるだけで鳴らすような、あまりにも純粋な同調。



「……ふう」


 白く立ち込める霧の中、ミコトは静かに息を吐いた。


 その吐息すらも、もはやただの二酸化炭素の排出ではない。大気中の魔力と共鳴し、周囲の霧を「自らの意志の延長」へと変えていく。


(……見ろよ、クーリア。あんなに得体の知れなかった『奴』の気配が、今は手に取るようにわかる。……どこを叩けば壊れるか、どの回路を遮断すれば霧散するか……全部、視えるんだ)

(……はい、ミコトさん。……今の私たちは、世界と繋がっているみたいです。……怖いけど、でも、すごく……静かですね)

(だな。『ダウンクロック』)


 霧の向こう、カチリ、と空間を凍らせる音が小さく響く。空気が止まった。

 物理学において、絶対零度とは分子の運動が停止した状態を指す。

 だが今、俺とクーリアが行っているのは、その逆――「自分たち以外の時間を凍結させる」ほどの、圧倒的な演算処理による支配だ。


(見えるか、クーリア。奴の魔力の流れ……クロック数が追いついてねえ。この静止した世界の中じゃ、あいつはただの『標本』だ)

(はい、ミコトさん。……何もかもが、止まって……。私たちの鼓動だけが、こんなに速く、熱く聞こえます……)


 二人の魂は、静寂の中で激しく共鳴する。

 ミコトは、まるで精密機器の回路を指でなぞるかのように、指先をわずかに動かした。

その軌跡に従い、熱い霧が、光子を限界まで圧縮した「線」へと収束していく。

 俺は指先をわずかに動かした。

 それだけで、爆発の余韻である熱い霧が、意志を持った刃のように収束し、鋭い光を帯びる。火と水の生活魔法の応用だ。


(……さあ、ステップを一つ進めようぜ。……これが、俺たちの『理解』の証明だ)


 冬を連れてきた「奴」が、ついに霧を割り、その絶望的なまでの質量を露わにする。「奴」もまた、自分たちの目の前に現れた存在が、もはや単なる「餌」でも「獲物」でもない、理解を超えた「何か」に変質していることに、本能的な恐怖を感じたのかもしれない。その姿はまるで雪に溶け込む白い蜘蛛。この森の冬の支配者、霜の蜘蛛だ。

 どうやら自分が居ない間に勝手に女王を自称する俺達がよほど気に入らないらしく、始めから臨戦態勢を取っている。

 だが、それを見つめる俺達の瞳に、もはや「未知」への怯えは微塵もなかった。

 俺達の魂は、静寂の中で激しく共鳴する。

 俺は、まるで精密機器の回路を指でなぞるかのように、指先をわずかに動かした。

 その軌跡に従い、熱い霧が、光子を限界まで圧縮した「線」へと収束していく。

 蜘蛛野郎が、その巨大な質量をもって、今まさに最初の一歩を踏み出そうとした。

 その、コンマ数秒の遅滞の中に、俺は永遠にも等しい「殺意」のコードを書き込む。


(魔力なんてチンプンカンプンだった俺に、お前が教えてくれた『感覚』。……それに、俺が持てる限りの『指向性』を。……名前、付けていいか?)

(……え? ああ、どうぞ? 多分、誰も気にしないと思いますけど……)

(……じゃあ、今からお前が撃つ魔法は、『セレスティアル・レイ』だ)


 指先が放たれる。


 ダウンクロックされた世界の中で、唯一時間に縛られない「光」だけが、相対論的な正しさを伴って奔った。


――パァンッ!!


 事象の完結は、観測よりも速い。

 奴の網膜がその光を捉えた瞬間には、すでにその核は蒸発し、存在の定義を失っていた。

 霧が晴れる。

 二人の「女王」が佇む街道には、もはや冬を阻むものは何一つ残っていない。


(……相対性理論の意地汚さというか、宇宙の絶対的な法則というか……。俺たちがどれだけ意識のクロックを上げようが、光速は変わらねえ。……つまり、この静止した世界の中で、あの光だけが唯一、平然と動いてやがるんだ)


 自分たちが作り出した「静寂」の世界。

 止まった雪、凍りついた敵、沈黙した風。

 そのモノクロームの静止画の中を、指先から放たれた『セレスティアル・レイ』という光子の群れだけが、色彩を維持したまま、物理法則の化け物として奴の眉間を貫きにいく。


(……ミコトさん。……眩しいです。止まった世界なのに、あの光だけが……生きて、動いてる……)

(……ああ。だからこそ、最強の攻撃なんだよ。……観測と直撃が『同時』。逃げる時間も、防ぐ論理も、存在しねえ)


 指先から放たれた極細の光条が、奴の核を抉る。

ダウンクロックされた意識の中で、ミコトはその「破壊の瞬間」を、永遠のような密度で凝視していた。

 光が物質を透過し、結合を解き、分子を霧散させるプロセス。


 やがて。


 俺が「クロック」を通常に戻した瞬間。


――パァンッ!!


 圧縮されていた結果が一気に現実に流れ込み、巨大な「冬の不条理」は、悲鳴を上げる暇もなく、ただの輝く塵となって四散した。


(……ふう。……お疲れ、クーリア。……は。馬鹿でか蜘蛛野郎、地球の物理学、なめんなってな)

(……はい。……今の、ミコトさん。……少しだけ、怖いくらいにかっこよかったですよ)


 霧が晴れ、街道には清冽な冬の空気が満ちた。

 蜘蛛野郎はグズグズに崩れ落ち、もはや見る影もない。

 あとに残ったのは爆発の熱い霧と、信じられないものを見た門衛たちの絶句。


(この気まずさを突破するには、この体の美少女っ振りを利用しない手はない……だが、俺じゃ難しい。クーリア、頼んだ)

(……えっ?! うぅ、はい、お任せください、ミコトさん。……少し、恥ずかしいですけど……頑張ります)


 俺は意識の主導権をクーリアに預け、内側からその「最適化された演技」を眺めることにした。

 さっきまで戦場を支配していた凛とした覇気は、一瞬で霧の中に溶け去った。

 代わりに現れたのは、冷たい空気の中で肩を小さくすくめ、今にも消えてしまいそうな儚さを纏った一人の少女だ。

 彼女は、不安げに揺れる瞳を伏せ、戸惑いながら門衛たちへと歩み寄る。


「……あの、すみません……。驚かせて、しまいましたか……?」


 鈴を転がすような可憐な声が、凍りついた空気を優しく解かす。

 腰を抜かしていた門衛が、弾かれたように顔を上げた。


「あ、いや、ええと……。……お嬢ちゃん、今のは……」

「……よく、分からないんです。……とても怖くて、必死に火を……。……あの、私、足が震えてしまって……中へ、入れていただけますでしょうか……?」


 クーリアは、潤んだ瞳で門衛をじっと見つめた。

ただの入城許可を求めているだけなのに、その破壊力はもはや抗いようのない「絶対的な理」だった。


「も、もちろん、もちろんだ! さあ、早く中へ!」

「身分証? ああ、いい、いい! 後でいいから! それより寒いだろう、怪我はないか!?」


 さっきまでの畏怖はどこへやら。

 門衛たちは競うようにして重い門扉を開け、俺たちを街の中へと招き入れる。

 彼らにとって、目の前の少女はもはや「化け物を屠った謎の強者」ではなく、「守るべき奇跡のような美少女」へと、その定義が完全に書き換えられていた。


(……やるな。俺の演技じゃ、ここまでスムーズにはいかなかった)

(……ふふ。……ミコトさんに褒められるのが、一番の魔法です。……さあ、行きましょう。この街の『中』へ)


 俺たちは、門衛たちの熱い視線(と少しの心配)を背中で受け流しながら、優雅に冬の街の石畳へと踏み出した。

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