なんやこいつぅ
ギルドを出た私たちは、その足で学園都市の中央にそびえ立つ国立図書館へと向かいました。
目的地は、研究棟の一角にあるエミリオ先生の個人研究室。
美少女なのに中身は六十歳のおじいちゃんのインパクトが強すぎるせいで忘れがちですが、エミリオ先生はここの司書さんでもありますから。
(いいか、クーリア。あの狸ジジイと話すのはお前に任せる。アイツ苦手なんだよ、俺は後ろに下がるから。お前はただ、俺の指示通りに『おしとやかな助手』を演じればいい)
(えぇ……。緊張しますよぅ。私、ミコトさんみたいに難しいこと言えませんよ?)
(心配するな。セリフは俺が脳内に直接送ってやる。お前はそれをなぞるだけでいい。……いくぞ)
私はミコトさんの指示通り、姿勢を正し、トントンと行儀よく扉を叩きました。
「失礼いたします、エミリオ先生。……自習の件で、少しご相談したいことがありまして」
私の口から漏れたのは、自分でも驚くほど清楚で、鈴を転がすようなお嬢様ボイス。
扉が開くと、そこには山積みの古書に囲まれたエミリオ先生が、クスクスと笑いながら座っていました。
「やあ、クレアハートちゃん。よく来てくれたね。……あはは、今日の君は一段と綺麗だね。それで、今日はどんな知識をねだりに来たのかな?」
(……チッ、相変わらず嫌な勘の良さだ。クーリア、次だ。『古代文明の遺物に関する比較資料を拝見したい』と言え)
「あの、エミリオ先生。実は……古代文明の遺物に関する比較資料を、拝見したいと思いまして。……特に、魔力を一切受け付けない特殊な材質についての記述を探しているんです」
私が一生懸命に言葉を紡ぐと、ミコトさんは私の手を使って、さりげなくあの『黒い円筒』をデスクに置きました。指先の揃え方まで完璧にコントロールされていて、なんだか私自身の体が別の生き物になったみたいです。
「……へえ。これを見繕ってほしい、ということかな?」
エミリオ先生は円筒を指先で転がしました。その瞬間、彼の顔から「変態なりきり女子高生」の皮が剥がれ、一瞬だけ鋭い学者の顔が覗きます。
「……あはは、なるほどね。これはね、私たちの魔法体系とは根源が違うんだ。まるで、別の宇宙の理屈で作られたみたいだね。……残念だけど、こんな特殊な代物の資料は、この図書館のどこをひっくり返しても出てこないよ」
(……何だと!? 嘘をつけ、ここは世界最大の知識の集積地だろうが! ……クーリア、食い下がれ!)
「そ、そんな……! 世界最大の図書館なのに、無いんですか……?」
「うん、無いね。公式な記録としては。……でも」
エミリオ先生は、悪戯っぽく微笑んで、自分の胸元を指差しました。
「私の『個人蔵書』になら、似たような遺物についての古い手記があるんだ。……どうする? 司書の仕事ではないけど、先生個人の好意で貸してあげなくもないよ?」
(……!! このジジイ、最初から私物化してやがったか。これじゃあ『仕事しろ』とは言い返せねえ……!)
「そ、その資料……どうしても、拝見したいです」
「あはは、いい返事だ。……ただし、対価は必要だよ? 先生の大切なコレクションを見せるんだからね」
エミリオ先生は、おっとりと立ち上がると、私の耳元に顔を寄せました。
「――今日の放課後、また私の背中を流してくれるかな? ……ああ、拒否権はないよ。これは君の『もう一人の自分』への個別指導料も兼ねているんだから」
(………………っ!!)
脳内で、ミコトさんの血管がブチ切れる音が聞こえました。
(このセクハラ狸め……放課後、この狸をのぼせ死させてやる。……だが今は資料が先だ、くそったれ)
(ミコトさん! 殺気が漏れてますってば!!)
結局、ミコトさんの合理的な判断は「私物の資料のために変態に屈する」という屈辱的な結論を導き出しました。
私は真っ赤な顔で、エミリオ先生が奥の棚から取り出してきた、ひどく古びた「手記」をただ見つめることしかできませんでした。
その日の夜。
春休み中だというのに、エミリオ先生の「補習」という名の精神的苦行を終えた私たちは、這々の体で女子寮の自室へと帰り着きました。
ミコトさんは部屋に入るなり、机に突っ伏して、いつものサプリメントをまた一つ、カリリと噛み砕きました。
(ミコトさん。それ、今日でもう何個目ですか? いくら頭を使うからって、飲み過ぎですよ……)
(うるさい。あの狸の無駄話をフィルタリングしながら、必要な情報だけを抽出するのがどれだけ脳に負担か分かってるのか。……ほら、それより手記を開け。解析を再開するぞ)
呆れる私をよそに、ミコトさんは演算効率を無理やり引き上げ、机の上に広げたエミリオ先生の個人蔵書へと視線を落としました。
(この文法、現在の魔法体系とは互換性がない。だが……この記述パターン、昨夜の『黒い円筒』の刻印と同期する箇所があるな。……ここだ。ここを起点に論理展開する)
窓の外は静かな春の夜。ページを捲る音だけが、不自然なほど大きく響きます。
やがて、ミコトさんの思考が一点で止まり、私の背筋に冷たい震えが走りました。
(……読めたぞ。……断片的だが、間違いねえ。……『魔素生命体』。……『人工生命』。……そして、これらを統括するプロジェクトの名称か? ……『実験体』。……最後にこれだ。……『娘』)
(むすめ? 人工的に作られた、女の子……っていうことですか?)
ミコトさんの脳内に、あの依頼書に描かれていた、青い水槽の少女の顔が浮かび上がります。
(ああ。……どうやらあの『開かない箱』は、ただのガラクタじゃねえ。……この『娘』という魔素生命体を定義し、制御するための……文字通りの『心臓』か、あるいは『揺り籠』だ)
(じゃあ、あの施設から持ってきちゃったのは、その子の……?)
(ああ。俺たちが手にしたのは、恐らく古代文明が遺した最悪の遺産の起動キーだ。古代文字で解読出来た以上、ほぼ間違いなくな……全く、春休み早々とんでもない爆弾を抱え込んじまったな)
月光に照らされた黒い円筒が、まるで私たちの会話を聞いているかのように、静かに、けれど確かにそこに存在していました。
(しかし……くそ、駄目だ。これ以上わかりそうな部分がない。アップデート式の依頼書だってんなら何かヒントでも書かれてねえのか?)
一縷の望みをかけて依頼書を取り出すと、そこには追記で『がんばれ』の文字。
無言床に叩きつけるミコトさん。すると、手のひらを依頼書に向けて炎の魔力を溜めました。
「……灰にしてやる」
(わ、わ! 火事になっちゃう! 駄目ですよ! それに多分、燃えないと思います!)
(うるさい、黙っていろ。この論理破綻な紙切れ、存在自体が俺のリソースの無駄遣いだ。このふざけた煽り文句ごと、分子レベルで焼き尽くして論理削除してやる……!)
ミコトさんは私の静止も聞かず、手のひらに圧縮された火属性の魔力を溜め込みました。
オレンジ色の輝きが、夜の自室を赤々と照らし出します。
「……消えろ」
ボォッ! と、至近距離から高熱の火炎が依頼書を包み込みました。
普通なら、一瞬で炭も残らず消滅するはずの温度です。
ところが――。
(……ええっ!? 嘘でしょ!?)
炎が収まった後、床の上には、何事もなかったかのようにピンピンした状態の依頼書が転がっていました。焦げ跡一つ、煤一つ付いていません。
それどころか、炎の熱に反応したのか、さっきの文字の横にさらなる追記が。
『あついよ』
「…………」
無言で、今度は氷属性の魔力を練り始めるミコトさん。
その目は、もはや白金の冒険者としての冷静さを失い、意地になった子供のようにギラついています。
(ミコトさん! 氷漬けにしても無駄ですよ! それにその顔、鏡で見せてあげたいくらい怖いですから!!)
(離せ、クーリア。こいつの耐性設定をぶち抜いてフリーズさせてやる。……俺の処理能力にかけて、このバグを屈服させてやるんだよ……!)
(サプリの飲み過ぎで、ミコトさんの性格が攻撃的になってる気がします……!!)
春休みの静かな女子寮の自室で、最強の魔導師と「煽りスキルの高い紙切れ」による、不毛極まりない全属性検証が幕を開けようとしていました。
氷の魔力を練り上げたミコトさんの手から、極低温の冷気が放たれました。
一瞬で部屋の空気が凍りつき、私の吐く息も白くなります。でも、床に転がるあの紙切れは、氷の結晶をパキパキと弾き飛ばしながら、またしても新しい文字を浮かび上がらせました。
『さむいよ』
(………………ッ!!)
ミコトさんのこめかみに、青筋が浮かぶのが手に取るように分かります。
(ミコトさん! ほら、やっぱり効かないじゃないですか。もう諦めて寝ましょう? 明日もエミリオ先生の個別指導があるんですよ?)
(……黙れ。この不確定要素を放置したままスリープモードに入れるか。……次は雷だ。電圧で回路を焼き切ってやる)
(いや、紙ですから! 回路とかないですから!)
パチパチと紫色の電光が私の指先を駆け巡ります。
端から見れば、パジャマ姿の美少女が、床に置かれた一枚の紙に向けて必死に電撃を浴びせているという、かなりシュールで不気味な光景です。
ひとしきり放電を終えたあと、依頼書にはのんびりとした筆致でこう書かれていました。
『しびれるね』
「……こ、の……っ!」
(あーっ! ミコトさん、ついに言葉にならない声を出しちゃってます! 落ち着いて! それ、多分こちらが反応すればするほど喜ぶタイプですよ!)
(……そうか。物理攻撃が効かないなら、精神干渉……いや、呪いだ。この紙の存在確率そのものを書き換えして、存在しなかったことにしてやる……!)
(それはもう世界のルール違反ですってば!!)
結局、ミコトさんは全属性の魔法を順番に叩き込み、最終的に「無属性の斥力弾」で依頼書を壁に叩きつけるまで暴れ続けました。
一方の依頼書は、壁にめり込みながらも『明日もがんばれ』という一言を追記して、静かに沈黙。
戦いに敗れたのは、間違いなく私たちの方でした。
(……くそ。……馬鹿馬鹿しい、寝る。……明日はあの狸を、石鹸の泡で窒息させてやる……)
(ミコトさん、八つ当たりはやめてください……)
(だが、これではっきりしたな。コイツは任意、或いは特定条件に対応してこちらに対応するAIの様なものだろう。コイツ自体が古代文明の技術で作られてるってことだ。だったら煽りスキルを覚えるより、翻訳くらい手伝えってんだ)
私は、壁にめり込んだままの「がんばれ」を恨めしそうに見つめながら、重い足取りでベッドへと潜り込むのでした。




