ミコトと「ミコト」
少し長くなっちった。
リナの刺すような視線を受け流しながら、俺は次の演算へと意識を割く。
今のクーリアを包んでいるこの学園指定の制服――その実体である可変式ドレス『星霜の蒼』は、周囲の魔素を吸着・変換し、彼女から漏れ出る「異常」を完璧に隠蔽し続けていた。
(……このドレスの遮蔽を突き破って、中身(俺)をスキャンしようなんて、この程度の迷宮には荷が重すぎたな)
俺たちはさらに奥へと進む。四層の環境は、進むほどにその「ミラーマッチ」の精度を上げていった。
再び現れたクリスタルの群れ。だが、今度は一体ではない。レオとリリィ、それぞれの目の前に、より明確に「自分たちの弱点」を突く動きをする鏡像が形成される。
「また来たわね! ……でも、今度はこっちから行くわよ! ――『水刃・双連』!」
リリィが長杖を振るう。先ほどまでは単発だった術式を、彼女は強引な魔力制御で二重に重ねた。ミラークリスタルは即座にそれを模倣しようとするが、リリィの動きは止まらない。
「遅いっ! 今の私は、もうさっきの私じゃないんだから!」
リリィは、自らの術式が相殺される瞬間のわずかな「魔素の澱み」を利用し、さらに鋭い三発目を叩き込む。反射速度の限界を超えた連撃。それが、リリィがこの短時間で編み出した、コピーを置き去りにする「速度」の答えだった。
一方、レオもまた、自らの「慢心」という弱点と向き合っていた。これまでの彼は、強力な一撃を放つことだけに執着していたが、目の前の鏡像は、その大振りの隙を的確に突いてくる。
「……ふん。ボクの欠点は、ボク自身が一番よく知っている。……なら、こうすればどうだ!」
レオは放とうとした大火力の術式を、発動直前で「あえて」霧散させた。鏡像がその偽動作に反応し、反射の構えを取った瞬間。レオは長杖を地面に突き立て、熱力学的な「対流」を利用した局所的な熱風を足元に発生させる。
「『陽炎の歩法』。……捕まえられるかな?」
加速したレオが鏡像の背後へと回り込む。コピー元のステータスが固定されている以上、こうした「戦術的な飛躍」にシステムは対応できない。レオの渾身の一撃が、クリスタルの背面にある核を粉砕した。
「……なるほど。二人とも、なかなかの適応力じゃない」
リナが満足そうに頷く。彼女は解説役として二人の成長を見守りつつも、その意識の数割は常に、最後尾で杖を抱えて立ち尽くす俺に向けられていた。
「……それで? クレアちゃん。君の前の『鏡』は、また壊れちゃったみたいだけど。今度のは、戦う気すら起きなかったのかな?」
リナが指差す先。俺の前に出現したはずのクリスタルは、具現化の途中で『星霜の蒼』が放つ不可視の干渉波に触れ、コピー対象を見失ったまま、ひび割れて沈黙していた。
(……やれやれ。ドレスが過保護すぎるのも考えものだな)
俺は、震えるフリを続けるクーリアの意識を支えながら、内心で毒づく。
レオとリリィが「自分自身」を超えていく姿。それは確かに美しいが、俺にとってのこの実習は、依然として「いかに目立たず、この箱庭の整合性を維持するか」という退屈なデバッグ作業に過ぎなかった。
(……流石に、このまま一体も倒さないのは不自然すぎるか)
俺は、クーリアの体を包む『星霜の蒼』の遮蔽出力を思考の端で微調整する。存在そのものを消すような極端な隠蔽から、標準的な「15歳程度の魔力量」と、年相応の「魔力制御能力」に読み取れるよう情報のパッチを当てた。
目の前で、新たなクリスタルが明滅し、俺の偽装データに基づいた鏡像を形成し始める。
(数ヶ月前までのクーリアなら、生活魔法で小さな火種を灯すだけで、回路が焼き切れて失神寸前だったのにな)
かつてのクーリア――貧弱な魔力回路に喘いでいた彼女の記憶を想起し、俺は内心で苦笑した。今のクレアハートが持っているのは、白い少女から力を吸い取った俺というバックアップによる無尽蔵な魔力と、科学的解釈に基づいた精密極まるコントロール力だ。
本来、生活魔法とは歩くために足を踏み出すのを意識しないように、火を起こすのにいちいち詠唱を必要としない「無詠唱」という最大の強みがある。だが、一般人のそれが「ホースから水を垂れ流す程度」なら、俺の振るうそれは、圧倒的な圧力による「ウォーターカッター」や「高圧洗浄機」に相当する。
「……あ、……来ます……っ!」
クーリアの怯える声を演じつつ、俺は『蒼の憧憬』を構えた。
対峙するクリスタルが、俺の「偽装された弱点」を突くべく光弾を放ってくる。欠伸が出そうなほど鈍重なロジックだが、俺はあえて紙一重で回避し、足元をふらつかせて見せた。
「……えいっ!」
無詠唱で放つ、極小の『火種』。だが、その中身は空気中の魔素を一次生産的なエネルギーとして最適化した「熱変換効率の塊」だ。
ボシュッ、と。
生活魔法という皮を被った高圧の熱線が、クリスタルの鏡面を一点突破で穿つ。
「……あ、……当たりました……?」
大袈裟に肩を上下させ、息を切らして見せる。
レオとリリィが必死に新技を繰り出す横で、俺は「生活魔法しか使えない少女」という設定の整合性を保ちつつ、泥臭い勝利を演出して見せた。
「……生活魔法の無詠唱連射、か。燃費の良さと手数を活かした、必死な戦い方だね」
リナの独り言が耳に届く。彼女の目には、今の攻撃が「魔力は低いが、効率だけで食らいついている健気な努力」に見えているはずだ。
(……良し。これなら『異常な装備に助けられている少女』というガワは崩れない)
俺は内心で毒づきながら、四層のさらに深部、歪な魔力の拍動が聞こえてくる方向へと視線を向けた。
四層の最深部。空間のバグから這い出してきた「俺」を見て、俺の思考回路はフリーズ寸前に陥った。
(……馬鹿なっ?! 何故、あいつがこの迷宮に存在している?!)
そこに立っていたのは、17歳の「俺」――ミコトだった。無機質で、一切の感情を排した瞳。それは生前の俺が到達しようとしていた「完璧な観測者」の姿そのものだ。
「……え、誰……? リナ先輩、これ、誰ですか……?」
クーリアの怯える声。リリィも目を丸くし、レオは引きつった笑いを浮かべて杖を構え直した。
「ふん……。姿だけは強そうだが、魔力反応は……え? スカスカじゃないか。こんなの、ボクの適当な火種でも一撃だね」
「待ちなさい、レオくん! ……こいつ、何かおかしいわ」
リナの声には、かつてない緊張が混じっている。
俺たちの視線の先で、コピー・ミコトが右手の杖……『蒼の憧憬』を解体した。銀の杖が細分化され、数十の端末機へと姿を変える。それらは意志を持つように空間に散り、俺たちを包囲する幾何学的な陣形を形成した。
(――来るぞっ!!)
俺が深層で警告を発した瞬間、端末機から「魔法」ではない「現象」が解き放たれた。
「――っ?!」
無詠唱。術式構成のラグさえ皆無。生活魔法の理論を極限までブーストさせた水の槍が、迎撃しようとしたリリィの足元を正確に撃ち抜いた。
「うわあああぁっ?! 速い、速すぎるよぉ!」
「火属性じゃない?! これは単なる『熱交換』……?! こいつ、魔法の正規ルートを無視してるわ!」
リナが魔法剣で迫り来る不可視の熱風を切り裂くが、その表情は戦慄に染まっている。
コピー・ミコトは一歩も動かない。ただ端末機を遠隔操作し、熱力学の法則に従って、レオの炎を「酸素の遮断」で打ち消し、リリィの水を「気化熱による凍結」で無力化していく。
「くっ、ボクの術式が、発動する前に消されていく……?! ふざけるな、ボクはエリートなんだぞ!」
レオが顔を真っ赤にして叫ぶが、コピーの無機質な猛攻は止まらない。
端末機から放たれるのは、ただの「生活魔法」の延長にある物理現象。しかし、それがミコトの科学的アプローチによって制御されると、この世界のどんな大魔法よりもえげつない暴力へと変貌する。
(……俺のロジックが、俺たちをデバッグしようとしている。……クソ、効率化の極致がこれほど不愉快なものだったとはな!)
俺はクーリアの体の震えを抑えながら、深層で反撃のパッチを組み上げる。
三人がかりでも互角以上に追い詰められるこの状況。この「出来の悪いコピー」を止めるには、俺自身が「さらに非効率で、予測不能なバグ」になるしかない。
(……不愉快だ。自分の理論で、自分たちがデバッグされる側になるとはな)
俺は深層で、コピー・ミコトの冷徹な挙動を観測し続ける。奴は一切の無駄なく、分散させた端末機を空間に固定し、熱力学の法則のみで三人の術式を無効化し続けていた。
「ハァッ、……『炎の槍』!!」
「無駄よレオくん、下がって! そいつは発動の瞬間に空気を遮断して燃焼反応を止めてるわ!」
リナの叫び通り、レオの放った炎は、コピーが指先一つ動かすまでもなく霧散した。
科学的アプローチによる最適解の連続。手加減を続けていれば、いずれこの「迷宮のシステム」に俺たちは食いつぶされる。だが、ここで俺が本来の力を行使すれば、正体バレという致命的なエラーに直結しかねない。
(……なら、装備への理解度の差を見せつけてやるまでだ)
俺は、震えるクーリアの指先に意識を沈め、彼女の纏う学生服――『星霜の蒼』の抵抗値を、内側から限界まで励起させた。
(いいか、クーリア。そのまま前へ出ろ。……怖がる必要はない。その服は、俺の全力を持ってしても貫けない、この世界で最強の『盾』だ)
(えっ、……で、でも、あんなに凄い攻撃が……!)
(信じろ。……例えあいつがストラトスを用いようとも、今の俺たちを傷つけることは不可能だ。……行くぞ!)
俺はクーリアの体のバランスを制御し、一歩、また一歩と、コピー・ミコトの弾幕の中へと踏み込ませた。
「ちょっと、クレアちゃん!? 危ない、戻って!!」
リリィの悲鳴のような制止を背に、俺たちは前進する。コピー・ミコトが無機質な瞳をこちらに向け、空中に浮遊する端末機を一斉に同調させた。
シュボボボッ!!
高圧の流体と、超効率の火花が、一点に凝縮されてクーリアを襲う。
――だが。
「……え?」
リナが、信じられないものを見るように目を見開いた。
直撃したはずの現象は、クーリアの体を包む『星霜の蒼』の表面で、青い火花を散らして完全に霧散したのだ。
衝撃波すら通さない。物理的エネルギー、魔法的干渉、そのすべてをドレスの圧倒的な魔力抵抗値が、文字通り「なかったこと」へと書き換えていく。
(当然だ。このドレスの防御ロジックを組んだのは俺自身だ。いかに生前の俺のコピーだろうと、この鉄壁の『解』は覆せない)
俺は唖然とする仲間たちの視線を浴びながら、無言で、けれど圧倒的な「装備への習熟度」を演じる。
「……おじいちゃんが、言ってたんです。……この服を着ている限り、悪い魔法は届かないから、前を向いて歩きなさいって」
クーリアの唇を借りて、俺はもっともらしい「設定」を吐き出す。
コピー・ミコトの計算が、初めて狂った。相手を倒すための最適解を導き出そうとしても、目の前の存在が「破壊不能なオブジェクト」と化している以上、プログラムは無限ループ(フリーズ)に陥るしかない。
「……生活魔法で……絶対防壁……? そんなの、あり得ない……」
リナの呟きは、もはや戦慄に染まっていた。
俺は、動きの止まった自分自身の幻影に向け、右手の『蒼の憧憬』を静かに突き出した。
(……ああ、そうか。ようやく分かったぞ)
俺は弾幕の中を悠然と歩みながら、目の前の「自分」を観察し、一つの違和感の正体に辿り着いた。
コピー・ミコトは、俺の杖『蒼の憧憬』の模造品を使いこなし、俺のロジックを完璧にトレースしている。だが――あいつは、俺が今纏っているドレス『星霜の蒼』だけは、複製できていなかった。
(……『プラネ』は、俺がクーリアの魂と肉体に馴染むために、あの子専用にビルドしたオーダーメイドのパッチだからな。迷宮のシステムが、俺のデータだけを抽出して再現しようとしても、このドレスだけは「クーリアという基盤」がなければ出力できないわけだ)
つまり、あいつにはこの「絶対防壁」が存在しない。
自分自身の攻撃でさえ貫けない最強の盾。それを持たないコピーなど、俺に言わせれば、デバッグ作業中に現れた「中途半端な未完成オブジェクト」に過ぎない。
「……すご、い……。クレアちゃんの服、光ってる……?」
背後でリリィが呆然と声を漏らす。レオも、飛んできた水の槍がクーリアの数センチ手前で霧散する光景を見て、杖を握る手が震えていた。
「バカな……。ボクたちの魔法を紙クズみたいに扱ったあいつの攻撃が、ただの『制服』に弾かれてるなんて……」
「……あれは、ただの服じゃないわね」
リナの視線は、コピーの猛攻を無効化し続ける『星霜の蒼』の青い燐光に釘付けになっていた。
(……さあ、終わりだ。自分自身の鏡像と戦って「弱点を克服する」のがこの階層のルールなら――俺の見つけたお前の弱点は、その『守りの薄さ』だ)
俺はクーリアの体を通して、右手の『蒼の憧憬』を前方に掲げた。コピー・ミコトは、自らの演算が通用しない対象を前に、端末機をさらに高速回転させ、空間の熱量を一箇所に凝縮しようとする。
「――無駄だ」
俺はあえて、声に出してそう告げた。それはクーリアの怯える声ではなく、かつて数多の事象を最適化してきた、俺本来の冷徹な声だった。
俺は『蒼の憧憬』のマスター権限を、深層から強制行使した。コピーが操る模造品の端末機に、本物である俺の杖から、強力な「強制終了」のシグナルを送り込む。
「……あ。……えいっ!」
クーリアが慌てて杖を振る動作に合わせて、コピーの周囲を飛んでいた数十の端末機が、一斉に機能を停止して床に転がった。
「な……ッ?!」
レオの驚愕の声と同時に、コピー・ミコトの姿が砂嵐のように乱れ始める。演算の要である端末機を封じられ、さらに『プラネ』という攻略不能な壁を前にしたシステムは、ついにその処理能力の限界を迎え――。
パリンッ!
結晶が砕けるような乾いた音と共に、生前の俺の姿をした幻影は、光の塵となって四層の闇に消えていった。
静寂が戻る。結晶の洞窟には、肩を上下させて「必死に戦ったフリ」をするクーリアと、そのあまりに異常な「勝利」を目の当たりにした三人の、重苦しい沈黙だけが残された。
「……クレアちゃん」
リナが、一歩、歩み寄る。その魔法剣は、もはや敵に向けられるものではなく、目の前の「理解不能な少女」を測るための天秤のように、静かに下ろされていた。




