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昔本で読んだことがあるんだよ

 身体は正直なもので、一度「生きている」と実感してしまうと、昨日までは麻痺していた生存本能――食欲が、波のように押し寄せてきました。

 お腹の虫がグーと鳴るたびに、私の中にいるミコトさんの苦笑いが伝わってくるようです。


(仕方ない、何か食べられそうな物を探そう。もうすぐ秋、これだけの森なら何かしら実りがあってもおかしくない。罠を張れば獲物も捕まえられるかも)


 私は岩穴から這い出し、朝露に濡れた森へと足を踏み入れました。

 まずは乾ききった喉を潤そうと、水を創るため指先に意識を集中します。

 瞬く間に掌の間に、水晶のような水球が溢れ出しました。もちろん清浄なもので、そのまま飲めます。

 火より負担は少ないとは言え水もまた無から生み出すのはそれなりに魔力を使います。

 かつての私なら、コップ一杯の水を創るだけで眩暈がして座り込んでいたのに、今はバケツ一杯分くらい創り出しても、鼻歌が歌えそうなくらい余裕があります。


「……ぷはっ。おいしい」


冷たい水が喉を通ると、意識が更に覚醒するのが分かります。ついでにもう一度水を創り、顔を洗いました。魔法の水をこんな贅沢に使うのは生まれて初めてです。

 それから私は一人、秋めいた森を歩き出します。


(木の実っぽいのは所々に見掛ける……でも、ずいぶん高い所に生ってる、届かないや……)


 いつもなら、ここで諦めていたでしょう。でも今は、試したい事がありました。


(普通なら髪を切る位にしか使えない、風の生活魔法の一つ、散髪の魔法。今の私なら?)


 私は手を振りかざし、木の枝に向けて念じます。

 すると、予想以上に大きく、鋭い風の刃が、枝はおろか幹ごと切り落としてしまいました。その断面は恐ろしいほど滑らかな切り口で。


(ひえぇ……これ、もう散髪に使えないよ……)


 ドスン、と大きな音を立てて落ちてきた太い幹を見下ろしながら、私は自分の手を見て震えてしまいました。

 散髪用の魔法といえば、本来はそよ風が髪をなでる程度のもの。失敗しても「ちょっと切りすぎちゃった」で済むはずの可愛らしい魔法だったのに。

 今の私の放った風は、まるで目に見えない巨人の剣でした。

 あ、いけない。せっかく採った実が、衝撃で地面に散らばってしまいました。

 私は慌てて、折れた枝から赤く熟した実を拾い集めます。


(でも……これなら、もう高いところにある食べ物を諦めなくていい。遠くにいる獲物だって、もしかしたら……)


 ふと、自分が怖くなります。

 役立たずだった私が、こんなに簡単に「奪う力」を手に入れてしまったこと。

 でも、その恐怖を打ち消したのは、不思議なことに、私の中で眠っているミコトさんの穏やかな気配でした。


(不思議な人だなぁ……人かなぁ? この力は、ミコトさんと融合したから、なのかな。ミコトさんは魔法を知らなかったみたいだけど、もしかしたらすごい素質を持ってる人なのかも……ホントに人かなぁ?)


 私は、集めた実を自分のスカートの裾に包み、大切に抱えました。

 瑞々しい実を一つ口に含むと、甘酸っぱい果汁が広がります。

 これを、ミコトさんが起きた時に分けてあげたい。

 そう思った時、ふと、地面に妙な揺れを感じました。


(……え? 地震……?)


いえ、違います。あれは野生の猪でしょう、ただそのサイズがちょっとおかしいだけで。


(魔物では無さそう、だけど、成長し過ぎじゃない? ……仕留められるかな)


 私は何の根拠もなく「出来る」イメージがありました。

 まず、土の生活魔法で地面を限りなく柔らかくして、その上に先ほどの木の実を幾つか、割って匂いが出るようにして、風に乗せて猪をおびき寄せます。匂いに釣られた猪は柔らかくなった地面に脚を踏み入れ、


(――ここ!)


 瞬間、土に水を混ぜて泥沼状態にします。

 驚いた猪は慌てて抜け出そうとしますが、もがけばもがくほどにその体は沈んで行きます。

 やがて体も半分程沈んだ所で、


(苦しませないであげるからね)


 風の刃でその首を落としました。


ーーーーーーーーーーーー


 ゆっくりと浮上する意識の途中、白いだけの空間。


(あ? 俺は今起きてるのか? まだ寝てんのか?)


 誰にともなく口をつくと、背後から応える声。


《どちらかしらね。貴方にとって夢と現実の境目はどこにあるのかしら?》


 見なくてもわかる、あの白い少女だろう。


(禅問答をする気はねえよ。俺に何か用か?)


《あら、用があるのは貴方のほうだと思うけれど?  私に訊きたいこと、沢山あるんじゃない?》


 白い少女は、俺の隣に並ぶようにしてふわりと現れた。

 相変わらず、神々しいというよりは「システムの一部」のような、血の通わない美しさだ。


(あんたは俺に適合しやすい環境を探して連れてきたって言った。確かにほとんど変わらないと思うよ。ただ、何だあの魔法とやらは。こちとら一切馴染みがねぇぞ。あんな物理法則を無視したデバッグモードみたいな力が「当たり前」の世界なんて、俺には異物以外の何物でもないんだよ)


 俺の不満げな言葉に、白い少女はくすくすと、鈴を転がすような無機質な声で笑った。


《そうね。貴方の世界では、熱を得るために燃料を燃やし、重力に抗うために莫大な推力を必要とした。けれど、この世界では「意志」がそのショートカットになる。それだけの違いよ》



 彼女は透き通った指先で、空間に円を描いた。そこには、クーリアが猪を仕留めた時の、風の刃の軌跡が黄金のラインとなって残っている。


(説明になってないな。もう少し噛み砕いてくれ)


《貴方は魔法力学を知らない。そして、この星は物理学を知らない。けれど、貴方は「物のことわり」を知っている。鋭く切るために必要な角度、重いものを動かすための支点、効率的にエネルギーを変換するプロセス……。あの子の無垢な魔力に、貴方の「知識」という刃を付けた。それが今の結果よ》


(……知識が刃、か。つまり俺の頭の中にある「常識」が、この世界の「魔法」ってやつと化学反応を起こしたってことか?)


 俺は白い空間に浮かぶ、あの風の刃の残像を見つめた。

 クーリアが放ったのは単なる「風」だった。けれど、俺が「切る」という概念を無意識に定義したことで、それは流体力学に基づいた超高圧の真空波ソニック・スラッシュへと変質してしまった。

 クーリアにとって風が起こるのは当たり前、そして俺にとっては風で物が切れる現象は当たり前。

 二つの当たり前が重なった結果と言うことらしい。


(……要するに、俺の『常識』が、あの子の『魔法(常識)』にとっての最強の設計図エンジンになっちまったってことか。

あの子が「吹け」と願ったエネルギーに、俺が「音速を超えろ、気圧差を作れ」という無意識の指向性を与えた……。恐ろしいな。この世界じゃ、俺の想像力そのものが凶器になるわけだ)


 白い少女は、俺のその戦慄すら楽しむように、霧の中に消えていった。


《期待しているわよ、ミコト。貴方がその『知識』と、彼女の『心』をどう混ぜ合わせて、新しいレシピ(人生)を作るのかを》


 人の命で暇潰しすんじゃねぇ。


(ったく、勝手なもんだ……)


 毒づきながら意識を浮上させると、現実の感覚が濁流のように流れ込んでくる。

 鼻をつく猪の血の匂い、湿った土の冷たさ。

 そして、何より――俺の隣(内側)で、驚きと興奮で胸を高鳴らせているクーリアの純粋な鼓動。


(ミコトさん! 見てください、倒せました! 私、本当に……!)

(……ああ、おはよう、見てたよ。凄かったな、クーリア)


 俺は共有する視界を動かす。クーリアに抵抗の意思は無く、体もスムーズに動かせる。……なるほど、お互いの息が合うほど違和感が無くなる……そのための共感覚か。

 無残に首を落とされた巨体を見つめる。その切り口が綺麗すぎる。生活魔法の延長線上にあるはずの力が、俺の「切断」への理解――真空、圧力、摩擦、速度、剪断応力――という理屈ロジックを介しただけで、戦場の兵器も同然の代物に変質してしまった。


(クーリア。今の『風』は、他の奴には絶対に見せるな。いいな?)

(……え? あ、はい。……やっぱり、これ、普通じゃないんですよね……?)

(ああ、今はな。普通どころか、デバッグモード……いや、反則チートだ。こんなもん振り回してたら、助かる前に別の連中に目をつけられちまう)


 俺は彼女の身体を使い、周囲を警戒しながら猪の死骸に近寄る。

 空腹は限界だが、このままでは捌くことすらままならない。

(俺が『やり方』をイメージする。お前はそれをなぞるだけでいい。いいか、今度は『切る』んじゃなくて、皮を肉から『剥がす』んだ。……風の出力を今の百分の一に絞れ。蛇口をほんの少しだけひねる感じだ……。よし、やるぞ)


ーーーーーーーーーーーー


(ひゃ、百分の一……!? それって、瞬きするよりもっとずっと、静かにってことですよね……?)


 ミコトさんの言葉に、私は息を呑みました。

 さっきまでの、巨木の幹を断ち切るような奔流を、絹糸一本の細さにまで研ぎ澄ます。

 一人だったら、絶対に無理だと泣き言を言っていたはずです。

 でも、今の私にはミコトさんがいます。

 私の内側で、彼が「剥離」という工程を細かく分解していくのが伝わってきました。

 組織を傷つけず、結合だけを断つ角度。指先から流れる魔力の「厚み」が、彼が引く設計図に沿って、驚くほど正確に形を変えていきます。


(……あ。剥がれた……)


 指先を滑らせると、あれほど固かった猪の皮が、まるで熟した果実の皮を剥くように、するりと身から離れていきました。


(すごい……。力を込めるより、ずっとずっと難しいけれど……。でも、ミコトさんの言う通りにすると、世界が、お料理の材料みたいに優しくなっていくみたいです)

(よし、いい筋だ、クーリア。そのまま皮下に薄い空気の層を維持しろ。

力まかせにやるのが魔法だと思ってたら大間違いだ。

……『物の理』なんて知らなくていい。ただ、この刃の先で『何が起きているか』だけを俺たちで共有し続けようぜ)

(はい、ミコトさん。……不思議です。風が指の延長になったみたい……)


 私の指先から流れる魔力は、ミコトさんの精密なイメージに従って、猪の熱を帯びた皮膚と筋肉のわずかな隙間に滑り込んでいきます。

 かつて、魔法を使おうとするたびに感じていた「自分の内側を無理やり掻き出されるような不快感」は、もうありません。

 代わりに、薄い膜を一枚ずつ剥がしていくような、繊細で確かな手応えだけが意識に伝わってきます。


(……あ、剥がれた。綺麗……)


 自分の力なのに、自分じゃないみたい。

 でも、ミコトさんと繋がっているこの感覚だけは、何よりもリアルで、温かい。


(……よし、一皮剥けたな。次は内臓を傷つけないようにバラしていくぞ。いいかクーリア、ここから先は『切る』んじゃなくて、肉の繊維に沿って『ほどく』イメージだ。お前の魔力の粒を、もっと細かく……そう、砂粒よりも小さく、霧みたいに配置してみろ)

(……霧……こう、ですか?)

(そうだ、完璧だ。……なあクーリア、お前、実は魔法の天才なんじゃないか? 俺が理屈を並べても、それを出力するのはお前なんだ。或いは頭が柔らかいのかもな)


 ミコトさんの声に、少しだけ自慢げな、そして私を誇りに思ってくれているような響きが混じって、私の頬が少し熱くなりました。


(……ミコトさんの教え方が、上手なんです。私、こんなに自分が役に立てるなんて、思っていませんでしたから)


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