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魔術師に優しくない挑戦

 石の扉が閉ざされた瞬間、退路という概念は消滅した。

 視界を埋め尽くすのは、地下数百メートルの暗影を嘲笑うかのような、果てしないまでの「青」と「緑」。ここが地下であることを忘れさせる、開放的な空間。

 しかし、その一見平穏で清浄な風にはどことなく悪意のような物を感じる。恐らく緻密に計算された「死」を想起させるようなギミックがあるのだろう。


「ひっろーい、何よこれ。どこまで続いてるの……?」


 リリィの呆然とした呟きが、どこまでも澄み渡る蒼穹へと吸い込まれていく。

 地平線の彼方まで続く草原。その広大さは、迷宮という閉鎖空間の定義を根底から覆していた。一日での踏破など到底不可能に思わせるには十分なほどの視覚情報だ。ここは時間と体力を等価交換して進むことを強いる、巨大な「摩耗」の装置と考えてもいいのかもしれない。。

 俺は、これまで俺を支えていたリナの肩から、静かにその身を引き剥がした。


「……あ。クレアちゃん、もう大丈夫なの?」

「……はい。ごめんなさい、リナさん。少し、落ち着きました。もう、自分で歩けます」


 掠れた声で礼を言い、俺は「クレアハート」として地面に立つ。

 正直、まだ意識の深層で眠るクーリアは心配だが、いつまでも引率に支えられている姿を見せるのは得策ではない。この試験において、過度な補助の継続は「自立能力の欠如」という致命的な減点対象になりかねないからだ。

 中身が俺である以上、肉体の制御に支障はない。問題は、この階層が孕む「性質」の方だ。

 歩を進めるごとに、違和感が澱のように積もっていく。

 それは痛みですらない、ただの「軽さ」だった。

 改めて解析してみると原因はすぐに分かった。魔素濃度が極端に低い。

 これでは水に投じられた塩の結晶が、自らの輪郭を保てずに溶け出していくように、この空間では人間という高濃度の魔力容器は、ただ立っているだけでも外気へと自身の魔力がゆっくりと抜けていく。

 あまりにも僅かな漏れ出し。それゆえに、自覚したときには既に致命的な損失となっている。そんな、悪辣な設計思想だ。


「……っ、なんか、だんだん身体が重いんだけど。リリィ、君もか?」

「ええ……。足が上がらない。魔力酔いとは逆の、中身が空っぽになっていくみたいな感覚……」


 レオとリリィの顔色から、徐々に赤みが引いていく。

 彼らは魔術師としての「殻」を持たない未熟な魔術師だ。その魂は、あまりにも無防備に曝されている。それではこの剥奪の風に対してあまりに無力だ。

 対して、隣を歩くリナは、依然として涼しい顔で草原を闊歩している。彼女の周囲だけ、魔素の揺らぎが不自然に固定されている。自らの周囲を魔力で薄くコーティングし、透過圧を強制的に遮断しているのだろう。熟練の魔術師ならではの、生存のための最適化だ。


(……俺は、問題ない。この程度の流出、蛇口から水が数滴漏れるようなものだ)


 俺の保持する魔力量は、この迷宮の設計者が想定する限界値を遥かに逸脱している。だが、問題はそこではない。

 レオとリリィの損耗率が、予測曲線の限界を越えようとしている。

 いざとなればリナがフォローを入れるだろうが、それは恐らく減点対象となるだろう。


(……チッ。ギリギリまで手は貸したくないが、あいつらがここでリタイアすれば、俺の隠れ蓑が消える。それはそれで非効率だ)


 刻一刻と、仮想の太陽が地平の向こう側へと沈み、空が群青色に塗り潰されていく中、俺達の行進は続く。

 この階層において、夜の訪れは単なる光量の喪失ではない。それは、大気による魔力の吸い上げが加速し、肉体の熱さえも「情報の欠損」として剥奪される地獄の始まりを意味していた。


「……っ、う。寒い。なんで、火が点かないんだよ……っ」


 夜営地として選んだ岩陰。レオが震える指先で何度も生活魔法の着火を試みる。だが、彼らが指先に灯そうとする微かな火花は、生成される端から飢えた大気へと吸い込まれて霧散する。リリィもまた、自らの肩を抱いて震えていた。二人の魔力は、もはや漕ぎ出すための最初の踏み込みさえ維持できていない。


(……チッ、見てられないな。このままリナが動けば、あいつらの評価はがた落ちだ)


 傍らで静かにこちらを伺っているリナが、懐の魔導コンロへ手を伸ばそうとする。熟練の彼女が手を貸せば、この場は凌げるだろう。だが、それは彼らにとっての減点を意味する。

 俺は、リナが動くよりも僅かに早く、周囲に落ちていた乾燥した枝を寄せ集めた。


「あの、レオくん。火種くらいなら、私がやります。私、さっきまでずっと休んでたから、まだ、少しだけ魔力残ってますし」

「え……? でも、クレアハート、君だって……」


 レオが言いかけるのを無視し、俺は集めた枝に指先を向けた。

 実際、二層での戦闘を全て彼らに押し付けた「クレアハート」の魔力残量は、ログ上ではパーティー内で最も余裕があるはずだ。ここで僅かな生活魔法を行使する事は、計算上、最も合理的な投資と言える。


「……ほら、火だよ」


 俺が放った魔力は、大気への流出を最小限に抑えるよう、高密度に圧縮された一点の火種となって枝の隙間に定着した。パチリ、と爆ぜる音と共に、小さな赤色が闇を照らし出す。


「……点いた。……凄いよ、クレアちゃん。この環境で一発なんて、よっぽど魔力を丁寧に練らないとできないはずなのに」


 リナが、感心したように目を細める。


「昔取った杵柄です。村にいた頃は必死に、それこそ必死に……毎日絞り出すように、火を出してましたから」

 俺は慌てて「過去」を強調し、火の粉に当たるように身を縮めた。

 火が熾り、地熱のある場所に身を寄せ合えば、ようやく死の予感は遠のく。レオとリリィは、俺が作った小さな温もりに縋るようにして、泥のように深い眠りへと落ちていった。


 静寂が訪れる。


 俺は、隣で寝息を立てる二人と、暗闇の中でじっとこちらを見つめているリナの視線を背中に感じながら、意識の端を影の中へと飛ばした。

 

(……不便ゆえの創意工夫。俺と融合する前のクーリアは、火を起こすのも失神仕掛けていたらしいからな。だが、不便だからこそ、一滴の魔力の使い道にまで気を配る。……皮肉なもんだな。魔法が存在しない世界で育った俺の方が、この世界の連中より魔法を『大切に』扱っているなんて)


 俺は、深い眠りの中で依然として震えているクーリアの意識を、静かにその腕の中に抱きしめた。


 朝を迎え、仮想の太陽が再び天頂へと昇っても、ただ果てのない緑の海が続いている。休息で僅かばかりに回復したはずの魔力も、正午を過ぎる頃には再び底を突きかけていた。


「……おかしいよ。もう何時間歩いてるの……? 全然、景色が変わらない」


 リリィの声には、疲労よりも深い「恐怖」が混じり始めていた。

 この階層には、距離という概念を狂わせる論理的な罠が仕掛けられているのではないか。そんな疑心暗鬼が、彼女たちの精神を内側から食い荒らしていく。


「……くそ、ボクの……ボクの魔法さえ、まともに使えれば……っ」


 レオの足取りはもはや幽霊のように覚束ない。俺は限界を装い、膝をつきそうになりながら、内心でマップデータを再計算していた。

 

(……だだっ広いだけで、フラグが立たない。先の見えない、非効率の極みだな。このままじゃ、こいつらの精神が先に焼き切れる)


 その時。風の匂いが変わった。

 

「……あ。……見て」


 俺が指し示した、揺れる草叢の向こう側。

 そこにいたのは、人工迷宮という「装置」の中には到底存在し得ないはずの、生命の躍動だった。

 鹿に似た、だがその角が水晶のように透き通った生き物の群れ。

 彼らは迷宮の防衛システムとも、魔導生命体とも違う、確かな「生態系」の体温を纏ってそこに佇んでいた。


「……動物? うそ、迷宮の中に、本物の生き物がいるの……?!」


 驚きに目を見開く三人。だが、引役のリナだけは、まるで飼い猫でも眺めるような平然とした顔で事も無げに告げる。


「あー、やっぱり驚くよね? ここは『環境の再現』がテーマだからね。あの子たちもまた、このシステムの歯車の一つだよ」


 水晶の角を持つ鹿たちは、俺たちの存在を気にする様子もなく、悠然と北の方角へと歩き始めた。その足取りには、迷いの欠片もない。


「ついて行ってましょう。あの子達、どこかに向かってる」


 俺の声に、縋るような思いで二人が頷く。

 どうせ出口の座標も、進むべき指針も失われているのだ。ならば、この「迷宮の住人」たちのアルゴリズムに便乗するのが、現時点での最適解と言える。

 鹿たちの群れを追って、さらに一刻ほど歩いただろうか。

 地平線の向こう側に、陽炎ではない、確かな「垂直の線」が見え始めた。

 それは草原の終わりを告げる、深く鬱蒼とした『森』の輪郭だった。


(……ようやくフェーズが変わるか。あの森の中に、三層の出口か、もしくはヒントがあるはずだ)


 俺は髪を撫でながら内心で溜息を吐く。

 自然の導きを借りるという、魔導師にあるまじき「泥臭い」選択肢が、俺たちを次のデバッグへと誘っているのを肌で感じながら。


 森の境界線を越えた瞬間、世界の「論理」が反転した。

 一歩踏み入れば、そこは草原の「欠乏」とは正反対の、粘りつくような魔素の芳香に満ちている。


「……ぁ。あぁ……。身体が、軽い。魔力が、戻ってくる……」


 リリィが陶酔したような声を漏らし、その場にへたり込む。

 スカスカのスポンジが大気中の水分を貪るように、枯渇しきっていた彼女たちの魔術回路は、森に満ちる高濃度の魔素を無防備に吸い上げ始めているのだろう。

 レオもまた、だらしなく虚脱したような笑みを浮かべて呼吸を繰り返す。失われた「才能」が再び血管を満たしていく感覚。それは魔術師にとって、あらゆる劇薬を凌駕する甘美な救済に思えるのかもしれない。


(……救済、だと? ふん、おめでたい奴らだ)


 一方、俺は『星霜のアズール・プラネ』の吸入ログを冷徹に監視していた。

 確かに、魔力は回復している。だが、この森の魔素濃度は異常だ。

 例えるなら、飢え死に寸前の人間に、高カロリーの流動食を無理やり高圧ポンプで流し込んでいるようなもの。今はまだ「欠乏」を埋めているに過ぎないが、この調子で摂取を続ければ、やがては個の「許容量キャパシティ」を越える。


 待っているのは、魔力中毒。


 回路のオーバーヒート、精神の混濁、そして最悪の場合は、術者自身の肉体が魔素の圧力に耐えきれず、内側から「現象」として崩壊する。


「リナさん。ここ、空気が少し……濃すぎませんか。……胸が、熱いです」


 俺は、熱に浮かされたような演技を交えつつ、リナへと視線を投げた。

 案の定、彼女は浮かれる二人の傍らで、依然として「絶縁」を解いていなかった。それどころか、コーティングの強度をさらに上げ、外部からの魔素流入を厳密にフィルタリングしている。

 ベテランの彼女は知っているのだ。この豊穣が、甘い毒であることを。


「ふむふむ、察しがいいね、クレアちゃん。そう、ここは草原あっちよりずっと危険だよ。……自分の『器』を忘れた魔術師から、中身が腐っていくステージなんだよねー」


 リナが警告を含んだ視線でレオたちを射抜くが、快楽に溺れ始めた彼らにどこまで届くかは疑わしい。


(……やれやれ。俺はプラネの吸入リミッターを最適化してあるから問題ないが、この二人は放っておけば数時間で『バグ』を起こして自壊するな)


 効率的な引率という名のデバッグ。

 俺は、意図的に魔力を放出させるよう、軽い魔法の行使を勧めてみる。

 リナの介入を最小限に抑えつつ、かつ彼らが「中毒」で使い物にならなくならない程度に生かし続ける。そのためには、少しずつでも魔力を消費させなければ。


「あそこに川があります。水があれば、少しは……落ち着くかも、しれません」


 俺は、過剰な魔素を中和し、物理的な冷却を促すための「水辺」へと彼らを導く。

 今度は、溢れかえる力から身を守るための、後ろ向きな最適化が始まった。

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