先生、そこ授業で習ってませんけど!
第一層を抜け、石造りの階段を下りた先が第二層だ。 幾何学的な意匠が刻まれた壁面は、ここが管理されたテストベンチであることを主張している。俺は「ショックで足元が覚束ない少女」を演じながら、リナの肩を借りて通路を進む。意識の深層では依然としてクーリアが震えており、俺が肉体の全スレッドを占有してバイタルを安定させていた。
「……ッ、何これ。急に魔素の流れが凝った……?」
リリィが杖を握り直し、顔を顰める。通路の角から染み出してきたのは、不定形の粘液と霧を混ぜ合わせたような、形なき「何か」だった。生物的な脈動はなく、ただ淀んだ魔素の塊が、こちらの体温に反応して不気味に蠢いている。
「みんな、止まって! それは普通の魔物じゃない、『魔導生命体』だよ!」
リナの鋭い警告が飛ぶ。
リナの説明を要約すると、あれは自律型魔素滞留生命体、通称、魔素生命体。
魔物との違いは、まずその発生の仕方。魔導生命体は魔素の凝りその物が意志を持った存在。
個体数は魔物に比べて少ないものの、その凶悪さは魔物の比ではない。
最大の特徴は定まった肉体を持たないこと。
魔素その物の場合もあるし、生物や無機物などに取り付いていたり、あるいは生物その物を模したりする、システム上のメモリリークが実体化したような存在。 物理的な衝突判定が極めて曖昧な、厄介なバグだ。
「全く、今年はこんなのまで配置してくるなんてねー。ちょっと意地悪すぎない?」
リナが皮肉るように、しかし余裕は崩さず愚痴る。
「魔素生命体……? よく分からないけど、ボクの魔法で焼き尽くしてやるよ! 『爆炎陣』!」
レオが威勢よく踏み込み、火属性の魔力を放つサークル型の魔法陣を展開する。だが、手応えはない。 勢いよく飛び出した炎はは霧のような敵の体を舐めるだけで、とてもじゃないが効果的とは思えない。
「な、えっ……?! ボクの攻撃が効かない?!」
焦ったレオが闇雲に幾つもの属性魔法を連発するが、その度に敵は形を変えて受け流し、逆にレオの魔法から漏れ出す余剰魔力を吸い取って、その質量を増大させていく。
「ダメだよ、レオ君! そいつは未熟な術式は逆に餌になっちゃう! リリィちゃん、拘束魔法を!」
「は、はい! 『アース・バインド』!」
リリィが地面を叩き、石の鎖を生成させる。だが、魔導生命体は鎖が絡みつく直前に霧状へと解体し、拘束を容易にすり抜けた。それどころか、すり抜けざまに伸ばされた触手がリリィの肩を掠める。
「あうっ……?! 魔力が、吸い取られて……っ」
肩を抑えて膝をつくリリィ。レオはレオで、敵の不定形な体当たりを受けて壁に叩きつけられ、派手な音を立てて呻いている。
(……やれやれ、見てられないな。出力不足のフロントエンドと、最適化不足のバックアップ……。これじゃあ結合テストどころか、起動すら危ういぞ)
俺はリナの肩に置いた手に僅かに力を込め、俯いたまま指先を動かした。 リナがレオたちの救出に入ろうと腰を浮かせた、その一瞬の隙。 俺は『星霜の蒼』の吸入ポートを微解放し、周囲の迷宮魔素を強制的に引き込む。そのまま、影の中に待機させていた『蒼の憧憬』の一基を、思考プロセスの直結操作でスライドさせた。
(プラネで吸収した魔素をストラトスにバイパス。波形を敵の構成要素と逆位相に固定……実行)
レオが再び無謀な突撃を仕掛けようとした、その足元。俺が操作するストラトスの微細な針が、敵の核を正確に射抜いた。それは攻撃というよりは、プログラムの強制終了だ。逆位相の魔力パルスを打ち込まれた魔導生命体は、自身を繋ぎ止めていた論理構造を維持できなくなり、一瞬で「ただの霧」へと還元されて霧散した。
「え……? あれ……? 今、ボクが倒したのか……?」
空間を穿つ光を放った杖を構えたまま、レオが呆然と立ち尽くす。リリィも、消滅した影の残滓を見て目を丸くしていた。
「……ふぅ。レオ、くん……凄いです。 ……あんな、大きな魔物を……倒しちゃうなんて」
俺は掠れた声で、賞賛の皮を被った「処理完了」の報告を口にした。 頭の奥が、並列演算の負荷で僅かに熱い。
「おっ、……おう! そうだね、ボクの気合が通じたのかも! ボク、やっぱり才能あるのかな!」
単純な奴だ。レオはさっきまでの負傷も忘れて、鼻の下を擦りながら杖をしまった。だが、俺を支えるリナの視線だけは、消滅した魔導生命体の座標から動いていない。
「……ねぇ、クレアちゃん。今の、レオ君の攻撃……じゃなかったよねー? まるで、空間そのものが敵を拒絶したみたいだったけど?」
耳元で囁かれる、リナの疑惑。俺は「体調が悪い少女」の演技を維持し、力なく首を振った。
「……分かりません。頭痛が……酷くて。 ……早く、ここを抜けてください。……ノイズが、痛いんです」
嘘は言っていない。不便ゆえの創意工夫と言えば聞こえはいいが、こんな低スペックな仲間たち(デバイス)に合わせた偽装作業は、俺の精神にとって最悪のノイズでしかないのだから。
第二層の深部。幾何学的な意匠が刻まれた回廊を、俺たちは遅々とした歩みで進んでいた。
正直、もどかしくて頭痛がしそうだ。 俺が指先一つ動かせば一秒で片付く仕掛けや、数瞬で最適化できる敵の群れ。それらを前に、レオとリリィは絵に描いたような試行錯誤を繰り返している。
「くっ、この扉、また魔力錠かよ! リリィ、まだ開かないのかよ。 ボクをいつまで待たせるつもりさ!」
「ちょっと待ってよレオ! ボクボク言ってる暇があったら、少しは解析を手伝ってよね!」
二人のやり取りを見上げながら、俺はリナの肩にぐったりと体重を預けたままでいた。レオは小生意気に杖を振り回しているが、その術式構築は相変わらず冗長で隙だらけだ。
当初は最短クリアを目指そうとも考えたが、今の俺……いや、クーリアの状況では「有能さ」を見せること自体が致命的な脆弱性になりかねない。 特に隣にいるこの監視役の目は、隠蔽パッチを突き抜けて俺の正体を暴こうと血走っている。
(……やめだ。最短攻略なんてもはや無意味だ、切り捨てる。今は徹底して『役立たず』に徹し、レオたちの成長記録を稼がせることに専念するか)
俺は意識の深度を下げ、ストラトスの操作も必要最小限までカットした。
二層に入ってから数回の接敵。俺が手出しを控えたせいで、レオは魔導生命体の余波で服を焦がし、リリィは魔力切れ寸前まで追い込まれた。だが、その「グダグダな実戦」の反復が、図らずも二人の回路を研磨していた。無駄な魔力放出が削ぎ落とされ、生存本能が術式の短縮を強いている。システムで言えば、泥臭いデバッグ作業の末にようやく動作が安定し始めたというところか。
しばらくして、壁面に不自然な凹凸が見え隠れし始めた。
通常のルートからは外れた、袋小路の奥。 俺の観測網は、その奥に隠された「高密度なリソース」を既に捉えている。 本来なら無視して進むべき場所だが、ここで一つ「提出物」を拾わせておけば、レオたちのボーナス評価を稼ぎ、俺の出番をさらに減らせるはずだ。
「あの、あそこの、壁……。さっきから、変な音が……聞こえる、気がします」
俺は消え入りそうな声で、特定座標を指し示した。
レオが「えっ、音? ボクには何も聞こえないけど」と眉を寄せ、疑わしげに杖の石突で壁を叩き始める。 リリィも便乗して魔導書を広げ、数分もの時間をかけてようやく「隠し部屋」の存在を突き止めた。
「凄いよ、レオ! ここ、高度な隠蔽魔法が掛かってるわ!」
「ふん、ボクの杖が反応したんだ。当然の結果だね。 ……リリィ、さっさと開けなよ」
レオが偉そうに指示を出し、リリィが文句を言いながらも鍵を解除する。中には地脈の雫が結晶化した「魔導結晶」が鎮座していた。これは試験の提出物として最高評価に繋がる、言わば『ボーナス実績』だ。
「わあぁ……! これ、高評価確定の提出物じゃない! やったね、レオ君!」
「おうよ! ボクの才能のおかげだね。ほら、リリィ、しっかり回収しときなよ。 ボクの手を煩わせないでよね」
レオは小生意気な態度を崩さないが、その表情には先ほどまでの実戦で得た確かな手応えによる、歪な自信が宿っている。俺という裏方の干渉を極力抑えた結果、彼らは自分たちの力で壁を乗り越えたと確信しているらしい。
(……ほう。 少しはスループットがマシになったか。 これなら、次の階層でも俺が手を貸さずに済む時間が稼げるだろう)
俺は二人の浮かれた背中を見送りながら、内心で溜息を吐いた。
リナの視線が「偶然だねー」と俺の頬を突っついてくるが、俺は一切反応せず、ただ疲弊した少女のフリを貫く。
「……早く。……先に、行きましょう。……ここは、空気が重いんです」
俺は徹底して裏方に、いや、背景のテクスチャにまで成り下がる覚悟を決めた。
不便ゆえの創意工夫。 今の俺にとってのそれは、この生意気なフロントエンド二人をいかにして「主役」に見立て、自分の痕跡をゼロにするかという、極めて高度で後ろ向きなデバッグ作業に他ならなかった。
隠し部屋を後にした俺たちは、第二層のさらに深部、第三層への昇降機があるはずのエリアへと差し掛かっていた。だが、人工迷宮の「仕様」は、そう安安と特待生候補を通しはしないらしい。
通路の先から、重低音の唸りと共に、数多の「光の粒子」が編み上げられていく。生成されたのは、先ほどの魔導生命体をさらに硬質化させたような、半透明の多面体を持つ魔導構築体――『クリスタル・ガーディアン』の編隊だった。
「げっ、またあいつら……いや、さっきのよりデカくないか?!」
レオが魔導杖を構え、一歩後退る。 先ほどの小部屋での成功体験で膨らんだ自信が、強固な質量を伴う敵を前にして、早くもひび割れ始めていた。
「レオ、怖気付かないで! 今の私たちなら、さっきよりずっと早く術式を組めるはずよ!」
リリィが必死に声を張り上げる。 彼女の言う通り、数回の戦闘を経て、二人の魔力循環のラグは確実に短縮されていた。だが、それでも「正解」には程遠い。
戦闘が開始される。レオが杖を振り、火属性の弾丸を連射するが、敵の多面体に反射され、通路の壁を無意味に焦がす。リリィの拘束魔法も、敵の放つ魔素の斥力によって霧散させられた。
グダグダだ。見ていて反吐が出るほど効率が悪い。
レオが敵の突進を避けきれず、肩を掠めて派手に転がる。リリィの術式が乱れ、暴発した魔力が彼女の指先を赤く腫らしていく。
(……チッ。頭が痛い。今すぐストラトスを全基射出して、このエリアの敵データを一括消去してやりたい)
俺の指先が、無意識にクーリアのスカートの裾を握りしめる。あまりの低効率さに、エンジニアとしての本能が「今すぐ介入しろ」と脳内で警報を鳴らしていた。 だが、隣ではリナが、俺の呼吸一つの乱れも見逃さないと言わんばかりに、じっとこちらを観察している。
ここで俺が「奇跡」を起こせば、これまでの偽装は全て水の泡だ。
「……レオ、くん。……左。……リリィ、さん。……下」
俺は、意識が朦朧としているフリをしながら、断続的な単語を零した。 それはアドバイスですらない、ただの「うわ言」という体のナビゲーションだ。
「えっ、左?! ……うわっ!」
レオが反射的に左へ跳ぶ。その直後、彼がいた場所をクリスタル・ガーディアンの鋭い角が貫いた。
「下……? あ、足元に魔法陣が!」
リリィが俺の言葉に従って跳躍する 。直後、地面から魔素の噴流が噴き出し、滞空したリリィの杖が、偶然にも無防備になった敵の「核」の真上に位置した。
「……今だ、リリィ! やっちゃえ!」
「『ルクス・レイ』!」
リリィの最大火力が、剥き出しになった核を直撃する。多面体が砕け散り、魔導生命体の構成要素が霧散していく。レオも泥臭く地面を転がりながら、追撃の炎を別の個体へと叩き込んだ。
十数分の時間をかけ、満身創痍になりながらも、二人は自力で敵を殲滅せしめた。
「はぁ、はぁ……っ。見たかよ、ボクの……ボクの超反応! やっぱりボクは天才なんだ!」
肩で息をしながら、レオがボロボロの杖を掲げて吠える。リリィも、煤けた顔で満足げに頷いていた。
実際には、俺がプラネの干渉波で敵の攻撃予備動作を0.1秒だけ延長し、彼らの「勘」が間に合うように環境を微調整していたのだが、そんなことに気づく様子はない。
「……おーおー。ボロボロだねぇ。でも、今の回避と連携……正直、今の二人には出来すぎてる気がするなー?」
リナが、俺の顔を覗き込むようにして笑う。その瞳の奥には、確信に近い疑念が渦巻いていた。
二人の成長、そして「幸運」による突破。 第二層のログはこれで十分だ。
俺たちは、泥臭い勝利の余韻に浸る生意気なフロントエンド二人を連れて、ようやく第三層へと続く巨大な昇降機の前へと辿り着いた。
ここから先は、より複雑な環境ギミックが待ち受けているはずだ。
俺は、深層で未だ眠り続けるクーリアの意識を優しく撫でる。




