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迷宮のデバッグ:脆弱性(トラウマ)と「逆鱗」

 学園の地下深くに建造された、巨大な試験用人工ダンジョン――『魔導迷宮』。

 ここは地脈を強引に引き込み、管理側の意図通りに魔物を生成させるよう設計された、いわばアカデミー公認の巨大なテストベンチだ。入り口に立つと、鼻につくのは人工的に高められた魔素の循環臭。フィルターを通したような、ひどく無機質な空気だ。


「さーて、みんな! 準備はいいかなー? 迷宮の中は外とはルールが違うからね。危なくなったらすぐにお姉さんが割り込むけど、それまではしっかり自力で頑張るんだよー?」


 引率のリナが、腰の短剣を弄びながら軽快に笑う。その明るい声とは裏腹に、彼女の視線は俺たち……「クレアハート」という、とびきりのイレギュラーの内側を、スキャンするように舐め回していた。


(クーリア。プラネの『魔法分解』の閾値を下げておいた。レオのガバガバな魔法が暴発しても、お前の周囲数センチは無風地帯になるはずだ)

(はい、ミコトさん。……でも、レオくん、さっきから凄く強張ってますよ?)


 レオは、騎士の家系に伝わるという重厚な魔導剣を握りしめ、青白い顔で迷宮の奥を見つめていた。


「レオくん、前に突っかかってきた時の威勢で行こう? 大丈夫だよ、リラックスリラックス」

「……ふんっ。分かってるよ。先頭はボクがやるんだ。クレアハート、後ろから邪魔だけはしないでよね!」


 強がりながら足を踏み入れた第一層。管理された清潔な石造りの回廊を進むと、前方から生成されたばかりの魔力反応が押し寄せてきた。


「来るよ! 『ロック・スコーピオン』の群れだわ!」


 リリィの警告。人工的に凝縮された魔素が実体化し、岩石のような甲殻を持つ巨大な蠍が這い出してくる。


(さて……デバッグ開始だ。ストラトス、エアレイド・モード、1ユニットをマニュアルで起動。レオに追随させる)


 俺はクーリアの意識の端を借りて、腕輪から分裂させた極小の魔力針を一本、レオの影の中に滑り込ませた。レオという不安定な変数の挙動に合わせるには、マニュアル操作によるリアルタイム補正が一番確実だ。


「はっ! 雑魚が、ボクの魔力に震えなよ! 『爆炎刃バースト・エッジ』!」


 レオが剣を振り抜き、火属性の魔力を叩きつける。

 ……相変わらずのクソコードだ。出力の半分以上が熱量として無駄に散り、残りの魔力も拡散して目標に届いていない。おまけに周辺の人工魔素を不必要に煽って、環境の『攻撃性アクティブ』を無意味に上げやがった。


(ったく、リソースの無駄遣いだ。プラネでレオの余剰魔力を吸収。そのままストラトスの推進剤に変換する。……よし、ターゲット、ロック)


 レオの背後、岩影からもう一匹の蠍が飛びかかった。レオは気づいていない。リナはあえて手を出さず、どこか楽しそうに……だが、獲物を待つ獣のような鋭さでこちらを凝視している。

 俺はレオの影に潜ませていたストラトスのユニットを、彼の剣振りに合わせて「射出」した。


(ストラトス、今の爆炎の熱波に波形を同期。……貫け)


 マニュアル操作で操る魔力槍が、レオが撒き散らした火花の残光に紛れ、蠍の急所を正確に貫いた。傍目には、レオが放った派手な炎の余波が、たまたま死角の敵を焼き払ったようにしか見えないはずだ。


「え……? 今、何が……?」


 振り向いたレオの目には、既に霧散し始めた蠍の残滓しか映っていない。


「レオ君、凄い! 今の、剣を振った衝撃波で後ろの敵まで倒したの?」

「え……? あ、ああ! もちろんさ! ボクの『爆炎刃』は、全方位に衝撃が飛ぶように調整してあるんだから!」


 レオが鼻の下を擦りながら自慢げに笑う。……ハッ、めでたい奴だ。あいつの脳内コンパイルでは、今の不可解な戦果が「ボクの才能」として正しく(?)処理されたらしい。

 だが、リナだけは違った。


「おっ、今のすごいねー。……でも、レオ君の魔力波形にしては、ちょっと『切れ』が良すぎたような気もするなー?」


(……おい、監視役がログを確認しに来てるぞ。クーリア、少し肩を震わせて『怖がってるフリ』でもしておけ。プラネの隠蔽出力をもう2%上げる)

(は、はいっ……ミコトさん、リナさん……絶対何か気づいてますよね? どうしましょう)

(気にするな。決定的な証拠は残していない。……いいか、レオは最高の『フロントエンド』だ。あいつが派手に暴れれば暴れるほど、俺たちの不審なパケットは紛れやすくなる。さあ、次のバグを取りに行くぞ)


 俺たちは、誇らしげに進むレオという名の「囮」の後ろで、管理された迷宮という名のスパゲッティコードを解きほぐすべく、さらに階層の奥へと足を踏み入れた。


 第一層の最深部。石造りの壁面が歪にひび割れ、そこから漏れ出す濃密な魔素が形を成していく。管理システムが規定した「試験用のエネミー」が生成されるプロセスだが、その光景を目にした瞬間、クーリアの呼吸が止まった。


(あ、が、……ぁ……っ)

(ぐ、ぅ……?! これ、は……っ!)


 脳内に響く、クーリアの声無き悲鳴。それと共に彼女の凍りついた記憶がノイズとなって奔流のように流れ込んでくる。

 雪混じりの冷たい空気。泥の匂い。そして、自分の喉元を見下ろす、あの飢えた獣たちの赤い瞳。

 脳裏に過ったのは、かつて見た光景。十数頭の『魔狼』の群れだった。

 目の前にいるのは、人工迷宮が用意した只の擬似生物。だが、クーリアにとっては、奴隷商人にさえ捨てられ、追い詰められた自分を喰い千切り、あの日の絶望そのものだった。


「ひっ、……あ、あぁぁ……っ!」


 クーリアの膝がガクガクと震え、手にした杖が床に音を立てて落ちる。

 視界が白濁し、意識の主導権が急速に剥離していく。パニックを起こした彼女の精神は、自らを保護するために内側へと引きこもろうとしていた。


「お、おい! クレアハート、どうしたんだよ? 狼くらいで……」


 レオが当惑した声を上げる。リリィも駆け寄ろうとするが、狼たちの波状攻撃がそれを阻んだ。


(……クーリア! クソッ、このタイミングでフラッシュバックか!)


 俺は即座に意識の深度を上げ、崩れ落ちる彼女の肉体のコントロール権を強制的に引き継いだ。


 だが、今の俺たちは「運命共同体」だ。彼女が抱く心臓を握り潰されるような恐怖、傷口が熱く焼けるような幻肢痛が、俺の思考回路にまで凄まじいノイズとしてフィードバックしてくる。


「……あ、……ぁぁぁ……っ!!」


 脳が焼けるようだ。彼女をここまで追い詰めた過去の残像が、俺の論理ロジックを汚染していく。


 ――怒りが、沸騰した。


 安全を担保された人工ダンジョン?

 成長を促すための試験?

 ふざけるな。


 たかだか学園のシステム風情が、俺の半身を、この健気に生きようとしている少女を、あの日と同じ絶望に叩き落とそうというのか。


(プラネ、魔力波隠蔽システム起動、最大出力で周囲の全観測波を相殺キャンセリングし、俺たちの痕跡は一滴も漏らさん)


 瞬間、クレアハートの周囲から「気配」が消えた。

 それはステルスという生易しいものではない。プラネの『星霜の蒼』が、周囲の魔素と光を完全に屈折・吸収し、俺たちの存在を迷宮というシステム上の「空白(Null)」へと書き換えたのだ。


「え、クレアちゃん……? どこ……?」


 数メートル後ろにいるリナが、困惑の声を上げる。彼女の直感ですら、目の前に立っているはずの俺を捉えられない。


(ストラトスで魔素に直接干渉、ターゲットの周囲に限定的な魔素嵐マナ・ストームを発生させる。座標固定。……ズタズタにしてやる)


 俺は腕を振るうことさえしない。

 ただ、内に眠るストラトスを介して、魔狼たちが立っている空間の「魔素の密度」を強引にねじれさせた。

 

 ――ガリッ、という、空間そのものが軋む音が響く。

 魔狼たちの周囲で、高密度の魔素がまるで雑巾を絞るかのように目に見えない刃となって荒れ狂った。それは魔法というよりは、局所的な空間のバグだ。

 鳴き声一つ上げる暇もなかった。

 狼たちの肉体は、牙を剥く直前のポーズのまま、数千、数万の魔素の断片に細切れにされ、文字通り「消滅」した。

 後に残ったのは、狼の毛一本、血の一滴すら存在しない、奇妙なほど静まり返った石床だけだ。

 俺はプラネの出力を通常に戻し、ゆっくりと、その場に崩れ落ちる「フリ」をした。


「……ッ、今の、何が起きたの!?」


 視界が戻った瞬間、レオが悲鳴のような声を上げた。

 そこには、震えながら床に手をつくクレアハートと、跡形もなく消え去った魔物の群れがあるだけだ。


「……わ、分からない。……怖くて、目を閉じたら……急に、凄い風が……」


 俺はクーリアの声を借りて、力なく呟いた。

 隠蔽能力の最大稼働。これなら、リナの鋭い直感ですら「何かが起きたのは分かるが、誰がやったかまでは断定できない」はずだ。せいぜい、迷宮の管理システムが一時的なエラー(魔素嵐)を起こして、魔物を自滅させたようにしか見えない。


「……魔素嵐? いや、迷宮の自浄作用にしては、あまりにタイミングが……」


 リナが眉根を寄せて、消滅した空間を凝視する。だが、そこには俺が「掃除」した後の完璧な空白しかない。

 訝しげな表情を浮かべたまま、こちらに歩み寄ってくる。俺は、意識の深層で震えているクーリアの「恐怖」をシミュレートし、肉体の震えを維持した。


「……大丈夫? クレアちゃん、顔色が最悪だよ」

「……すみません。少し、システムダウン……いえ、体調が悪くて」


 俺はリナの手を借りて立ち上がる。一人称は「私」を維持しているが、その瞳の奥に宿る光は、既にクーリアのそれではない。俺はレオとリリィの当惑した視線を、合理的な説明で封じ込めることにした。

「……さっきの魔狼。あれは、私のトラウマなんです」

「トラウマ? クレアちゃん……」

「……これは過去の経験から来る、極度のストレス反応だ。特定の外部入力――つまり、あの狼の姿を見た瞬間、私の脳内回路はオーバーフローを起こして、肉体の制御権を一時的に放棄してしまうことがあるんだ」


 俺は淡々と、しかし拒絶の色を隠さずに告げた。


「心拍数の急上昇、魔力回路の逆流、それらに伴う意識の混濁。……要するに、今の私は極めて不安定な状態ステータスにある。……悪いけど、しばらく口数は減るし、愛想も振りまけない。……これ以上のノイズは、今の私には有害だ」


 レオが「あ、ああ……分かったよ」と、俺の気圧されるような物言いに一歩後退る。


「……おーおー。随分と理屈っぽい説明だねぇ、クレアちゃん。まるで別の誰かが喋ってるみたいだよ?」


 リナの目が細められる。彼女の直感という名のファイアウォールが、俺の「口調」というパケットの異常を検知している。だが、俺はそれを無視した。


「……ショック状態で語彙が乱れているだけです。……それより、リナ先輩。いつまでここでスタックしているつもりですか。早く次の階層セグメントを処理して、この不快な空間から私を連れ出してください」


 俺の冷徹な物言いに、リナは一瞬呆気にとられたようだったが、すぐにいつもの「軽いお姉さん」の仮面を被り直した。


「……了解了解。主役がそう言うなら、さっさと進んじゃおうか。……レオ君、リリィちゃん、リード頼んだよ。クレアちゃんは私が見てるから」


 俺はリナに肩を貸されながら、内心で舌打ちをした。

 クーリアが再起動するまで、このガワ(肉体)は俺が預かる。これ以上の「イレギュラー」は許さない。


(クーリア、今頃最悪の夢の渦に囚われているのか……。だが、お前を怖がらせたこの迷宮の仕様データ、俺が全部ハックして書き換えてやるからな)

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