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補習の影で

あとがきに白い少女がいます。

多分、想像以上に白いです。

 放課後の静まり返ったアカデミー。琥珀色の夕日が差し込むエミリオさんの研究室は、昼間の講義室よりもずっと濃密な魔法の気配に満ちていました。

 壁際に並ぶ膨大な魔導書、棚で怪しく光る触媒の数々。それらすべてを金色の光が等しく照らし出し、埃の一粒一粒がまるで魔力の残滓のように美しく舞っています。

 私は、出された紅茶の湯気の向こうで、エミリオさんが黒板に向かう背中を眺めていました。


(……クーリア、気を引き締めろよ。この男、午後の講義で見せたフランクな顔は半分演技だ。残りの半分は、世界のソースコードを覗き見ようとする純粋な狂気でできている)

(ミコトさん、失礼ですよ! でも、確かに……今のエミリオさんは、図書館で会う時よりもずっと『魔法使い』って感じがしますね)


 ミコトさんの警告通り、エミリオさんの纏う空気はどこか鋭く、それでいて深い知性を湛えていました。彼はチョークを一本手に取ると、流れるような動作で黒板の中央に大きな円を描きました。


「さて、クレアハートさん。補習を始める前に、まずは一番大切な問いから始めようか。……君にとって、魔法とは何かな?」


 突然の問いかけに、私はカップを置く手が少しだけ震えました。


「えっ……と。不思議な力で、火を出したり、傷を治したりするもの……でしょうか?」


 エミリオさんは私の答えに満足したように頷きつつ、黒板に描いた円を二つの線で塗りつぶしました。


「半分正解だ。でも、魔法学の観点から言えば、それはもっと無機質で、もっと傲慢な行為なんだよ。……魔法とはね、『限定的に世界のルールへ強制介入し、一時的に事象の上書きを行う技術』の総称なんだ。この世界には、リンゴが木から落ちる、水は高いところから低いところへ流れる、といった不変のルール……物理法則がある。魔法は、そのルールを一時的に無視して、『空中にリンゴが留まる』という偽の真実を世界に認めさせる行為なんだよ」


(ほう……。事象の上書き、か。言い得て妙だな。要するに、世界という巨大なシステムの実行メモリを一時的に書き換えて、例外処理を強制実行させるわけだ。設計者の意図しないパッチを当てるようなものだな、これは)


 ミコトさんの声が、エミリオさんの言葉を瞬時に自分なりの概念へと変換していきます。


「事象を上書きするためには、当然ながら相応の『権限』が必要になる。その権限をどこから持ってくるか。それが君が学ぼうとしている、魔法の根源による三分類なんだ」


 エミリオさんは黒板に力強い文字で三つの言葉を書き記しました。


「一つ目は、神聖魔法。これは、この世界を管理しているとされる高次の存在……いわば『管理者』から限定的にアクセス権を付与してもらう方法だね。非常に強力で安定しているけれど、管理者の意向に反する上書きは決して許されない。ルールを守るための魔法、或いは奇跡と言ってもいい。まあ、割と融通は効くからそんなに気にしなくても大体は通るよ」


(管理者(Admin)による正式なプロトコル、というわけだ。お堅いが、システムのコア部分を修復するのには一番向いているな)


「二つ目は、自然魔法。これは世界に満ちている魔素というリソースを消費して、自らの魔力に通通し、或いは混ぜ合わせてルールに介入する方法。私たちが最も一般的に目にするのがこれだ。生活魔法はほとんどがここに含まれる。自然魔法は魔素を対価として払うことで、一時的なルールの変更を買い取るようなものかな」


(標準ライブラリとAPIの利用だな。汎用性は高いが、自らの魔力という仲介者を通す分、どうしても変換ロスが生じる。効率は使い手のセンス次第か)


「そして三つ目。……邪道魔法。これは、正規のルートを通さず、ルールの隙間やバグを突いて、強引に事象をねじ曲げる技術だ。管理者の許可も得ず、対価も正規のルートで払わない。だからこそ、その代償は生命力や精神力という、本来削ってはいけないリソースから徴収されることになる。術式次第では血や生贄を媒介とする事もあるね」


 エミリオさんの目が、一瞬だけ鋭く細められました。


「どの根源から世界のルールにアプローチするか。それが、魔法使いが最初に決めるべき『立ち位置』なんだよ。……さて、クレアハートさん。君は、自分の指先から放たれるあの一瞬の輝きが、どこから来ていると思う?」


 窓の外では、夕闇がいよいよ濃くなり、アカデミーの森が深い紺色に沈んでいこうとしていました。


 エミリオさんの問いかけに、私は言葉を詰まらせました。自分の指先から放たれる輝き。それは、いつも私の脳内で冷徹に、けれど誰よりも確実に世界を導き出してくれるミトコさんの声、そのものです。


 「……私、は。その、ただ一生懸命に組み立てているだけで」


 絞り出すように答えた私の言葉に、エミリオさんは追及するようなことはせず、ただ穏やかに微笑んでチョークを再び動かし始めました。その筆致はさらに熱を帯び、黒板に描かれた円の周りに、複雑な補助線と幾何学模様が展開されていきます。


 「いいんだよ、クレアハートさん。答えは一つじゃない。さて、根源の話の次は、その上書きされた事象が『どのような結果をもたらすか』という分類……つまり魔法の用途について掘り下げていこう。ここからは、より実践的な話になるよ」


 黒板には、大きく三つの項目が書き出されました。


 「まずは、攻撃魔法。これは世界のルールを『破壊』のために書き換える技術だ。ある一点の温度を急上昇させる、あるいは空気の密度を刃のように圧縮する。この魔法で最も重要なのは『効率』だ。どれだけ少ないマナで、どれだけ大きな事象の改変……つまり破壊力を生み出せるか。魔法学者は日夜、その数式の最適化に心血を注いでいるんだよ」


(ふん、破壊か。言い換えればシステムの強制終了、あるいはデータの物理的な抹消だな。効率、効率と口にするが、ここの連中の組む術式は無駄な『詠唱』という名のコメントアウトが多すぎる。本来、事象の書き換えに言葉など不要だ。ただ、最短ルートの論理回路を接続すればいい)


 ミコトさんの声には、いつものように周囲の技術レベルに対する苛立ちが含まれていました。しかし、その苛立ちこそが、私が絶体絶命の時にいつも救いとなってきた「真実」でもあります。


 「次に、回復魔法。これは破壊とは真逆の性質を持つ。損なわれた肉体、欠損した情報……つまり、本来あるべき姿の設計図を世界に再認識させ、時間を巻き戻すように事象を復元する技術だ。神聖魔法の根源と最も相性がいいと言われているね。なぜなら、神聖魔法こそが世界の『初期設定』を最も色濃く反映しているからだ。まあ、一部自然魔法で似たような効果を持つ物もあるけどね。自身の持つ治癒力を高める、とか、代謝を上げて毒を早く抜く、とか」


(リカバリとバックアップからのリストア、というわけか。興味深いのは、自然魔法は肉体の細胞を活性化させ、感覚としては早送りに近い。この体の急成長のカラクリはこれだな。しかし、興味深いのは神聖魔法による回復魔法が『現在』を否定し、『過去の正常な状態』を強制的に上書きする点だ。これは一時的なロールバックに近い。だが、魂という名の唯一無二のユニークIDが損なわれていれば、どんな魔法を以てしても完全な復元は不可能だろう。……クーリア、覚えておけ。肉体というハードウェアは替えが効くが、お前の意識というカーネルだけは、絶対に損なわせてはならない)

(……はい、ミコトさん。でも、肉体も大切にしたいです……!)


 脳内でのやり取りに私が密かに冷や汗をかいている間にも、エミリオさんの講義は深淵へと足を踏み入れていきます。


 「そして最後が、補助魔法。私が個人的に最も美しいと思っている分野だ。これは直接的な破壊も再生も行わない。代わりに、世界のルールに『条件付きの変数を代入』する。重力を少しだけ軽減する、視覚情報を歪めて透明化する、あるいは神経の伝達速度にブーストをかける、などだね」


 その時、ガタン、と窓の外で小さな音がしました。

 夕闇の帳が完全に下りた校庭。研究室の明かりが届かない影の底に、一瞬だけ、二つの「赤い光」が浮かび上がりました。


 「……おや、誰かいるのかな?」


 エミリオさんが窓際に歩み寄り、外を覗き込みます。しかし、そこにはただ風に揺れる木々の枝と、一面に広がる静寂があるだけでした。


 「……気のせいかな。さて、今日の補習はここまでにしよう。少し詰め込みすぎたね。残りの、より専門的な術式構造については、次回の小テストの結果を見てから考えようか」


 エミリオさんはいつものフランクな笑顔に戻り、私を送り出す準備を始めました。私は心臓の鼓動を抑えながら、重い足取りで椅子から立ち上がりました。


 「ありがとうございました、エミリオ先生。……失礼します」


 研究室の扉を閉め、誰もいない廊下に出た瞬間、冷たい空気が私の肌を刺しました。琥珀色の夕闇は消え、廊下は魔法灯の青白い光に照らされています。


(クーリア、止まるな。……今の視線、ただの学生じゃない。殺気というよりは、もっと粘着質な、システム全体を侵食しようとするウィルスのような悪意を感じた)

(ミコトさん……私も、さっきの赤い光……すごく怖かったです)


 私は艶やかな黒髪を揺らしながら、早足で女子寮への道を急ぎました。背後から、誰かがついてきているような感覚。けれど振り返っても、そこには規則正しく並ぶ彫像と、冷たい石造りの廊下が続いているだけです。

 曲がり角に差し掛かったその時。


「……見つけた」


 鈴を転がすような、けれど凍てつくほどに冷たい声が、私の耳元で囁かれました。

 驚いて飛び退いた私の視線の先にいたのは、純白の聖衣に身を包んだ、白髪の少女。

 この世のものとは思えないほど美しい、けれどその瞳は、深淵よりも深い赤色に染まっていました。

 心臓が口から飛び出しそうなほどの衝撃に、私は無我夢中でその場を離れました。背後で銀髪の少女がどのような表情を浮かべていたのか、確かめる余裕など一ミリもありません。青白い魔法灯に照らされた廊下を、ただひたすらに、肺が焼けるような思いで駆け抜けました。


(クーリア、そのまま止まるな! 寮の境界線ファイアウォールまで一気に駆け込め!)


 ミコトさんの鋭い声に背中を押され、私は女子寮の重厚な門を潜り抜けました。守衛の先生に怪訝な顔をされましたが、構わずに自室のあるフロアまで階段を駆け上がります。

 自室の扉を閉め、鍵をかけ、背中でその冷たい感触を確かめてようやく、私は崩れ落ちるように床へ座り込みました。


(……追跡は途絶えた。だが、あの個体……物理的な距離など意味を成さない権限を持っている可能性がある。警戒を解くなよ)

(はぁ、はぁ……。ミコトさん……あの人、一体……見つけたって……)


 喉の奥がヒリヒリと痛みます。彼女の言った「見つけた」という言葉が、呪いのように耳の奥に張り付いて離れませんでした。

 しかし、どれだけ恐怖に震えていても、お腹は空きますし、体は汚れます。それがこの世界の「仕様」なのだと、ミコトさんの合理的な思考が私の脳を強制的に日常へと引き戻そうとしていました。


 「……とにかく、何か食べないと。元気が出ませんよね」


 私は震える手で顔を洗い、身なりを整えてから、逃げるように寮の食堂へと向かいました。

 夕食のメニューは、鶏肉のクリーム煮と焼き立てのパン。合宿での賑やかなお鍋とは対照的に、一人で向き合う食事はどこか味気なく感じられましたが、温かいスープが喉を通るたびに、凍りついていた心地が少しずつ解けていくのがわかりました。


(おい、咀嚼回数が減っているぞ。栄養素の吸収効率を落とすな。今はとにかく良質なタンパク質と脂質を摂取して、脳の演算リソースを確保しろ。パニックはエネルギーの無駄遣いだ)

(わかってますけど……あんな綺麗な、でも怖い人に狙われて、ゆっくり味わえなんて無理ですよぅ)


 私はミコトさんに文句を言いながらも、言われるがままにクリーム煮を口に運びました。食堂の喧騒……周囲の学生たちの笑い声や食器の触れ合う音が、今は何よりも頼もしい盾のように感じられました。


白い少女

挿絵(By みてみん)

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