勝手にライバル認定しないでください
冬合宿から戻ったアカデミーは、少しずつ春の足音を待ちわびる穏やかな空気に包まれていました。しかし、今日の訓練場には、その穏やかさを打ち消すような、生意気で高い声が響き渡っています。
「おい、お前が噂の『15歳で初等部に転入してきた』っていうクレアハートだな!」
振り返ると、そこには腰に手を当て、ふんぞり返った10歳ほどの少年が立っていました。豪華な装飾が施された練習用の杖を手に、いかにも名門貴族の令息といった風貌です。
(……クーリア、なんだこの小生意気な豆粒は)
(ミコトさん、豆粒なんて言っちゃダメですよ! 彼は確か、トップ成績で入学してきた天才児のレオ君です)
レオ君は、私の返事も待たずに杖を突きつけました。
「ボクはレオ・フォン・アストラル。10歳にして高等部の魔法理論をマスターした天才だ。ボクの魔力構築とお前の技術……どっちが上か、今ここでハッキリさせようじゃないか!」
「えっ、でも私、そんな争いごとは……」
(おいクーリア、逃げるな。こういう手合いは一度鼻をへし折っておかないと、一生付きまとわれるぞ。……高等部の魔法理論をマスター?! ふん、ちょうどいい。このまま高等部まで進級すべきか迷ってたところだ、本当にマスターしてるなら良い当て馬になる)
ミコトさんの声には、少しいたずらっぽい響きが含まれています。
「……わかりました。お手合わせ、お願いします」
「ふん、潔くてよろしい! 行くぞ、風系術式・展開!」
レオ君が杖を振ると、鋭い風の刃が私に向かって放たれました。その速度は、確かに10歳とは思えないほど鋭いものでした。
(甘いな。大気の圧縮率がバラバラだ。左に三歩、そこから右斜め前に踏み込め。……その生意気な杖の先を、指で『コン』と弾いてやれ)
ミコトさんの指示は、いつものように冷静で、それでいて驚くほど正確でした。私はミコトさんの感覚に身を委ねるようにして、流れるような動作で風の刃を回避します。腰まで届く艶やかな黒髪ロングが、その動きに合わせて重力を無視するように美しく翻りました。
「なっ、ボクの魔法を避けた?! じゃあ、これならどうだ!」
レオ君は顔を真っ赤にして次々と術式を起動しますが、私の体はまるで見えない糸で操られているかのように、最小限の動きですべてをかわしていきます。そして、ミコトさんの指示通り、一瞬の隙を突いてレオ君の懐に飛び込みました。
「あ……」
私の指先が、レオ君の杖の先端を軽く弾きます。その瞬間、レオ君の術式展開における魔力循環が物理的に阻害され、集中が途切れたことで構築中だった魔法が霧散してしまいました。
「応用理論ばっかりで基礎が全然なっちゃいない。お勉強が足りないんだ。初等部からやり直せ」
ミコトさんが追い打ちを掛けるように冷たく言い放ちます。
「くっ、屈辱だ……! ボクが、こんな歳が上なだけの……生活魔法しか使えないような相手に……!」
レオ君は杖を握りしめ、ガタガタと震えています。私は慌ててフォローしようと手を差し伸べました。
「あの、レオ君。今の術式、すごかったです! 避けるのが精一杯で……」
(嘘をつけ。あんなもの、あくびが出るほどスローだったぞ。構築式に無駄が多すぎる、オカルトなイメージに頼るから計算が狂うんだ)
ミコトさんの毒舌は幸いレオ君には聞こえていませんが、レオ君は差し出された手をパシッと跳ね除けました。
「うるさい! ボクを憐れむな! 今日はボクのコンディションが悪かっただけだ! 次は……次は絶対に負けないからな! 覚えてろよ、クレアハート!」
レオ君はそう叫ぶと、脱兎のごとく走り去っていきました。私は琥珀色の瞳で少し困ったようにその背中を見送り、小さく息を吐きました。
食堂で山盛りパスタの炭水化物と、洗面器のようなサラダボウルの食物繊維、そして仕上げに流し込んだバケツパフェの糖分。その暴力的なまでのカロリー爆弾が胃の中で渦を巻き、全身に重い倦怠感を引き起こしています。普通の学生なら、このまま深い眠りに落ちて午後の講義を棒に振るところでしょう。
しかし、私の脳内には「処理落ち」を許さない冷徹なエンジニアが常駐しています。
(おいクーリア。これだけの高カロリー燃料を摂取したんだ、脳へのエネルギー供給をケチるなよ。睡魔という名のシステムダウンは俺が許さない。エミリオの講義を全てバイナリデータとして記録しろ)
(ミコトさん……。言うのは簡単ですけど、さすがにお腹が幸せすぎますよ……)
琥珀色の瞳をしばたたかせ、私は睡魔と格闘しながら講義室の硬い椅子に深く腰掛けました。艶やかな黒髪ロングが椅子の背もたれに広がり、窓から差し込む午後の陽光を吸い込んでいます。
教壇に現れたのは、午前中の厳格な雰囲気とは打って変わって、シャツのボタンを一つ外し、チョークを軽快に弄ぶエミリオさんでした。彼は図書館の司書バイトで見せる「頼れる先輩」の顔を少しだけ崩し、フランクな微笑みを浮かべて学生たちを見渡します。
「やあ、みんな。お腹いっぱいで一番きつい時間だよね。私もさっき学食で特大カレーを食べてきたところだから、今の君たちの気持ちは痛いくらいによくわかるよ。でも、残念なが授業の時間は容赦なくやってくるんだ。今日はこの大陸に住む『隣人たち』……つまり多種族の多様性と、その分布についての話をしようか。退屈かもしれないけど、テストの配点は高いから、寝ている友達がいたら優しくペン先で突いてあげてね」
エミリオさんはそう言って笑うと、黒板に迷いのない筆致で大陸の全図を描き始めました。流石は魔法学の講師、その手際は魔法のように正確で迅速です。
「まず、私たちの住む場所から北に目を向けてみようか。険しいエルニット山脈。ここに君臨しているのが『翼人族』だ。彼らの特徴は一言で言えば……うーん、『空飛ぶ傲慢』かな。彼らは自分たち以外の種族を、地上を這いずり回るだけの劣等種だと本気で見下している。外交交渉に赴いた私の知人は、彼らから『羽のない欠陥品が、よくここまで這ってこれたな』と冷たくあしらわれたらしい。排他的で、プライドの塊。彼らと話すときは、首を痛めるのを覚悟して見上げる必要があるね」
(航空優位性に裏打ちされた選民思想か。視野は広いだろうが、結局のところ、自分たちが『高い場所にいる』という事実だけに固執している。高度を稼ぐことに進化のパラメータを振りすぎて、知性の深度が浅くなっている典型だな)
ミコトさんの声が、私の脳内で冷徹な分析を走らせます。
「次に東。そこには深い霧に包まれたミレニア大森林がある。ここに潜むのが『稀人族』だ。エルフなんて呼ばれ方もしているね。神と人の血が混ざり合ったなんて伝説もあるくらいで、とにかく人前には滅多に現れない。でもね、彼らの持つ魔力量は私たち人間を断然凌駕しているんだ。しかも、私たちが使っている共通言語の術式とは根本から異なる、独自の魔法体系を持っていると言われている。……ああ、魔法学を志す者として、一度でいいから彼らの生きた術式をじっくり解析してみたい。それが私の密かな夢なんだ」
(独自の魔法体系?! 興味深い。OSのカーネル……いや、言語仕様そのものから異なっている可能性がある。共通規格を拒絶する閉鎖的なシステムほど、ハックしがいがあるというものだ。……クーリア、あの大森林の座標は後で記録しておけ。いつか仕様変更が必要になるかもしれないからな)
「そして西。美しい水を湛えるツェルスバニア湖。ここには『魚人族』が湖底に幻想的な都市を築いて暮らしているよ。ネレイドとも呼ばれている彼らは翼人族とは正反対で、只人の私達に対してすごく友好的なんだ。船の運用や水難事故の救助なんかを、当たり前のように手伝ってくれる。ちなみに南の運河から大海に出た先には、彼らの親戚である『海の魚人族』もいて、独自の交易網を持っている。海運において、彼ら以上に心強い味方はいないね」
エミリオさんは一度チョークを置き、窓の外に広がる学園の景色を眺めました。そこには人間と一緒に歩く、獣の耳や尾を持つ学生たちの姿がありました。
「そして、私たちの社会に一番深く溶け込んでいるのが『獣人族』だ。彼らは只人に非常に友好的で、見た目以外は私たちとほとんど変わらない。ただ、一つだけ決定的な違いがあるんだ。……彼らの寿命は、人類の平均よりずっと短い。およそ半分ほどと言われている。その代わり、成熟が異常に早くて、繁殖力も高い。まさにバイタリティの化身だね」
(寿命……か)
ミコトさんの声が、ふと静かになりました。
(クーリア。エミリオの言う『進化の結果』としての寿命の差異……俺にはそれが、生命の最適化の結果だとはどうしても思えない。獣人族は短期間で個体数を増やし、環境に適応するために寿命というリソースを削っている。一方、長命な種族は停滞の中で変化を拒む。……ただの、システム設計上の逃げだ)
(ミコトさんは、寿命に興味はないって……前におっしゃってませんでしたっけ?)
(ああ、興味はない。だが、設計ミス(バグ)には興味がある。一つの種族が百年生きて到達する知見を、別の種族が五十年の死という壁で遮断される。データの蓄積という観点から見れば、これほど非効率な仕様はない。進化という名のランダム調整が生み出した、致命的なエラーだ)
教壇のエミリオさんは、少しだけ寂しげな微笑みを浮かべて話を続けます。
「寿命が短いことは、決して劣っているということではないんだよ。彼らはその短い時間の中に、私たちの倍以上の密度で情熱を詰め込む。異なる種族間で子を成すことができるのも、多様性を守るための素晴らしい能力なんだ。……さて、最後は南。運河の終着点、大海の先にある別大陸についてだ」
エミリオさんが黒板の南端を力強く叩きます。
「そこには『巌人族』……君たちの知る言葉で言えばドワーフたちが住んでいる。彼らは本当に、本当に優秀な武具職人なんだ。私たちが今使っている魔法具の核となる部品も、多くは彼らとの交易で成り立っている。彼らは独自の『巌』のような頑強な技術を持っていて、それを惜しみなく私たちと分かち合ってくれる交流の深い種族だよ」
エミリオさんのフランクな語り口は、本来なら複雑で難解な多種族の関係性を、まるで身近な隣人の話のように感じさせてくれました。私は必死にペンを走らせ、ミコトさんが解析したがる「仕様」をノートに書き留めていきました。
「……はい、今日の講義はここまで。みんな、よく頑張ったね! 寿命の定義とそれぞれの種族の居住区については、次回の小テストで必ず出すから、今のうちにしっかりと頭の中の地図に書き込んでおいて。レポートは来週の月曜までに私の研究室へ。……ああ、バケツパフェを食べた君、後でちょっと感想を聞かせてほしいな。私もあれ、気になってたんだ」
エミリオさんは悪戯っぽく私にウィンクをして、軽い足取りで講義室を後にしました。
補習が終わり、夕暮れがアカデミーを琥珀色に染めています。長く艶やかな黒髪を揺らしながら、私は女子寮への道を歩いていました。
(クーリア。今の講義で確信した。この大陸の種族分布は、互いに牽制し合うように配置されている。それは多様性などという綺麗な言葉ではなく、単なるシステムの『分散処理』だ。……だが、南の巌人族、そして東の稀人族……そこに、この世界をデバッグするための『鍵』が隠されている気がする)
(鍵……ですか?)
(ああ。寿命の差異さえも、俺のインターフェースを通せば、ただの変数の書き換えに過ぎなくなる日が来るだろう。……さて、研究室に寄って補習を受けるぞ。勉強が後れを少しでも取り戻すには時間がいくらあっても足りないんだ、バシバシいくぞ)
はい、ミコトさん! よろしくお願いします!)
――デバッグ完了まで、あと、世界一つ分。




