暴食の魔女 vs 食堂のおばちゃんとお風呂場の悪魔
あとがきに暴食の魔女がいます
国立魔術学園の女子寮「アイリス館」。ここは、うら若き乙女たちが明日の大魔導師を目指して切磋琢磨する聖域……のはずなのですが、今の私にとっては、ただ一つの「戦場」でしかありません。
(……ミコトさん、準備はいいですか?)
(ああ。腹の虫の鳴き声は、もはや開戦の角笛にしか聞こえねえな。クーリア、突撃だ!)
夕食のチャイムが鳴り響くと同時に、私は食堂へと駆け込みました。
私の体は今、急激な「成長」を取り戻そうとする本能と、内側に宿るミコトさんの膨大な演算負荷によって、常に深刻なエネルギー不足に陥っているのです。
「おばちゃん! 今日も『クレアハート盛り』でお願いします!」
カウンターの向こう側、この寮の絶対権力者である食堂の主――通称「マダム・ボルケーノ」が、お玉を武器のように構えて私を睨みました。
「またあんたかい、クレアハートちゃん! 昨日も五人前を平らげて、うちの在庫を半分空にしたのはどこのどいつだい!?」
「だ、だって、足りないんですぅ……!」
私は泣きべそをかきながら食らいつきます。今日のメニューは、分厚いポークソテーに、山盛りのバターライス、そして溢れんばかりのクリームシチュー。どれもこれも五人前はあります。
(クーリア、怯むな! 右斜め後方からリナが狙ってるぞ!)
(えっ!?)
「あーっ! クレアちゃん発見! 今日も豪快にいくねぇ、混ぜて混ぜて!」
リナさんがひょいっと私のトレイに自分のサラダを載せてきました。
「ちょっとリナさん! 私のご飯が狭くなっちゃいます!」
「いいじゃんいいじゃん、お姉さんがお肉を切り分けてあげるからさ!」
周囲を見渡せば、初等部の幼い子たちが「お姉ちゃん、そんなに食べて大丈夫?」と目を丸くし、高等部の先輩たちは「あの美少女、またやってるわ……」と遠巻きにひそひそ話。
でも、今の私には恥じらっている余裕なんてありません。
(来たぞ! 追加の『クレアハート盛り』だ!)
マダムが溜息をつきながら、山のようなポークソテーをドカドカと皿に積み上げました。その量、実に通常の十倍。
「……食いな。その代わり、一粒でも残したら明日は塩むすび一個だからね!」
「ありがとうございますっ!!」
私は着丼するや否や、フォークとスナイフを猛速で動かしました。
(おいクーリア、左のシチューの粘度からして、これはパンを浸して食うのが最適解だ!)
(了解です、ミコトさん! はふっ、あふっ……おいひいっ!!)
肉の旨味、脂の甘み、バターの芳醇な香り。五感を共有しているミコトさんのテンションも最高潮です。
しかし、幸せな時間は長くは続きませんでした。
「……おや。随分と賑やかだね」
聞き慣れた、おっとりとした声。
振り返ると、そこにはなぜか女子寮の食堂に、今日は司書ローブ姿で佇むエミリオ先生がいました。
「エ、エミリオ先生!?」
私が口いっぱいに肉を頬張ったまま叫ぶと、エミリオ先生は困ったように眉を下げて、とんでもないことを口にしました。
「ああ、うん、まあ、本来なら私はここには入れないんだ。こう見えて男だからね。」
「………………は?」
私の手が止まりました。ミコトさんの意識も、あまりの衝撃にフリーズしたのが分かります。
「え、えええええっ!? お、男!? エミリオ先生が!?」
「うん。別に女だなんて一言も言ってないよ? ああ、この格好? 私はね、女子高生が好きなのさ。」
エミリオ先生は、事も無げに、まるで「今日はいい天気だね」とでも言うようなトーンで続けました。
「あまりに好きすぎてね、若さを固定する魔法と、容姿を変化させる魔法を独自に編み出したのさ。まあ、私用にチューニングされてるから、誰にでも使える魔法ではないし、寿命が延びるわけじゃないから普通に老衰で死んじゃうけどね。今、60歳だから……あと10年はこの姿でいられるかな?」
(…………ろ、ろくじゅっ……!?)
(…………お、男の娘、どころか、ジジイの変装だったのかよ……っ!?)
ミコトさんの絶叫が頭の中に響き渡ります。
エミリオ先生は、凍りついた私をよそに、私の皿の上のポークソテーをひょいとつまみ食いしました。
「うん、マダムの料理は相変わらず美味しいね。……さて、クレアハートちゃん。男だと分かって、何か態度は変わるかな? 私は君のことが、研究対象としても、『可愛い女の子』としても、とっても気に入っているんだけど」
おっとりと、毒を吐くような微笑み。
私は、口の中に残った肉を飲み込むタイミング・掴めず、ただただ心の中で「ひゃわわわわ……」と情けない声を出すことしかできませんでした。
「あ、それとマダム。彼女の食費の追加分は、私の研究費から落としておいて。……未来の『最高の相手』への投資としては、安いものだからね」
そう言って、自称60歳の魔法学者は、ひらひらと手を振って、規則違反の女子寮を優雅に去っていきました。
(……クーリア。……食え。食って忘れろ。……俺たちは、とんでもない変態の弟子になっちまったらしい……)
(……うう、ミコトさん。……おかわり、お願いします……)
その夜、私はショックを打ち消すように、さらに三人前のデザートを平らげました。
「暴食の魔女」の伝説は、こうして歪な師弟愛(?)と共に、女子寮に刻まれていったのです。
エミリオ先生(自称60歳・魔法変態紳士)の衝撃的なカミングアウトから数時間。私の脳内は、まだポークソテーの脂身と「男だからね」という言葉がシェイクされたような、ひどい胸焼けに襲われていました。
(クーリア、まだ落ち込んでるのか? 飯はあんなに食っただろうが)
(ミコトさん……。だって、昨日一緒にお風呂に入ったリナさんは女性でしたけど、エミリオ先生も女性だと思ってたから、私、なんだか色々と無防備に……!)
(それを言うなら、中身が男の俺が宿ってる時点でお前は既に詰んでるんだがな。まあ、あいつがガチの『変装ジジイ』だったのは俺も計算外だ。だが、今は忘れろ。湯船に浸かって、その……精神的な汚れを落としてくるんだ)
ミコトさんに促され、私は重い足取りでアイリス館が誇る巨大魔導浴場へと向かいました。
【女子寮大浴場・入り口】
扉を開けると、そこは視界を遮るほどの湯気と、少女たちの華やいだ声で溢れていました。
初等部の子たちが石鹸の泡で遊んでいたり、高等部の先輩たちが美容魔法の効果について真剣に議論していたり。ここだけは、エミリオ先生の魔の手(?)が届かない乙女の聖域――。
「あーっ! クレアちゃん! こっちこっち!」
湯気の向こうから、聞き慣れた元気な声が響きました。リナさんです。
彼女は大きな湯船の縁に腰掛け、長い足をパシャパシャとさせていました。開放感溢れると言いますか、それはもう……立派な物を惜しげもなく晒しています。
(……げっ。またリナか。クーリア、あいつを見るな、一番目に毒なんだよ! それと、気をつけろよ。エミリオの正体を知ってて黙ってた節があるからな)
(は、はい……。でも、お風呂で一人なのも寂しいですし……)
私はおずおずと服を脱ぎ(視覚を共有しているミコトさんが「もうしらん! 俺は寝てる!」と宣言して意識を隅に追いやるのを感じながら)、お湯に浸かりました。
「ねえ、クレアちゃん。……聞いた? あの変態おじいちゃん先生の話」
リナさんがニヤニヤしながら、私の隣に滑り込んできました。
「き、聞きました。男の方だったんですね……」
「あはは! びっくりしたでしょ? でも安心して、あの人の変身魔法は完璧だから。精神まで『女子高生』になりきってる時があるから、ある意味、そこらの男よりよっぽど女子力が高いのよ。……まあ、中身は知識欲の塊の化け物だけどね」
(……精神までなりきってるだと? 余計に質が悪いだろうが)
意識を遮断しているはずのミコトさんの突っ込みが、念話で飛んできました。全然寝てないじゃないですか。
「それよりさぁ、クレアちゃん。君、エミリオ先生にブローチ貰ったでしょ? ちょっと見せてよ」
「えっ、でも今は裸ですし、脱衣所のカゴに置いてきちゃいました」
「ちぇー、残念。……じゃあ代わりに、君の『成長』っぷりを確認させてもらおうかな!」
「ひゃうんっ!?」
リナさんの手が、お湯の中で私の脇腹をくすぐりました。
昨日の「確認」以上の執拗な動きに、私はお湯の中でバタバタと暴れるしかありません。
「ちょっと、リナさん! やめてくださいっ! あはは、くすぐったい!」
「ダメだよー。君はエミリオ先生のお気になんだから、コンディションチェックは大事なんだからねっ!」
(……おい。おいリナ! やめろと言ってるだろうが! クーリア、代われ! 俺がその暴挙を止めてやる!)
(ミ、ミコトさん、ダメです! 今代わったら、ミコトさんがリナさんと密着することになっちゃいます!)
(ぐっ……! そ、それはそれで……いや、違う! 倫理的な問題だ!!)
お湯の中で、私とリナさんの追いかけっこ(という名のセクハラ防衛戦)が始まってしまいました。
周囲の初等部の子たちが「わあ、お姉ちゃんたちが踊ってるー!」と拍手を送り始め、大浴場はさながらドタバタ喜劇の舞台です。
そんな中、浴場の入り口の扉がガラリと開きました。
「――おや。随分と楽しそうだね。混ざってもいいかな?」
その、おっとりとした、けれど背筋が凍るような声。
湯気の向こうに立っていたのは、女子寮指定の湯浴み着(?)を完璧に着こなした、エミリオ先生でした。
「「…………ええええええええっ?!?!?!?!?!?!?!?!?!」」
私とリナさんの絶叫が、高い天井に反響しました。
「え、エミリオ先生! 男だって言ったじゃないですか!! なんで女子寮のお風呂にいるんですか!!」
「さあ、クレアハートちゃん。背中を流してあげよう。これも『助手』の大切な仕事だよ。……ああ、リナ。君も手伝ってくれるかな?」
「……もう、勝手にしてよね、変態ジジイ!」
「おじいちゃんと呼びなさい。これでも君の祖父と同い年なんだから」
結局、私は美少女の皮を被った60歳の魔導師に背中を流され、隣でリナさんが「おじいちゃんのテクニック、相変わらず凄いね」と感心するという、地獄のような、あるいは天国のような(?)カオスな時間を過ごすことになったのでした。
アイリス館の夜は、まだまだ更けそうにありません。




