時を止めた者、取り戻す者
銀の星屑亭が少しずつ遠ざかっていく。
振り返ると、店主さんがまだ入り口に立って、こちらに手を振っているのが見えた。
(ミコトさん。私、店主さんにもらったこの服、絶対ボロボロにしないように大切に着ますね)
(ああ。まあ、汚れに関しては俺が風魔法で常に防塵バリアを張っておいてやる。だが……)
俺は言い掛けた言葉を飲み込んだ。
(……?)
(いや……なんでもない。……おい、クーリア。お前、さっき賄いのパンを三つも食べたよな? なのにもうお腹が鳴ってるのか?)
(ふぇっ?! は、恥ずかしい……。でも、なんだか凄くお腹が空くんです。歩いているだけで、体の芯から熱がどんどん湧いてくるみたいで)
そう。
あの日、森で死にかけていた頃とは、違う。
俺と融合してからのクーリアの体は、乾いた大地が雨を吸い込むみたいに、食べても食べても「エネルギー」を欲しがっているのだ。
ふと、袖口に目をやる。ほんの少しだけ手首が露出していることにクーリアが気づく。
(あれ? 店主さん、サイズを直してないって言ってたのに……。なんだか、朝よりも袖が短くなってる気がします。ミコトさん、魔法で服を縮めたりしました?)
(そんなわけあるか。逆だ。お前の成長速度が、異常に上がってるんだよ。アイツの力の影響か、体内の魔力循環が通常の数十倍高まっている。そのせいで細胞が対応しようとものすごい勢いで活性化しているんだ。店主の奥さんは、この服を着たまま『時を止めて』しまったが、お前は……)
(私は?)
(お前は『止まっていた時間を一気に取り戻そうと』しているんだから当然だ。今の計算だと来月にはお前の背はもっと……そうだな、12歳くらいにまで伸びるだろう。この服を着ていられる時間は、そう長くはないぞ)
俺の言葉に、クーリアは自分の手のひらを見つめる。でも、それは分かっていたことだ。気付かない振りをしていただけで。
かつて病的なまでに、細くて白かった指。それが今は、力強く、健康的な色を宿して、確かな熱を持って動いている。
店主さんの大切な奥さんの服。いつか着られなくなってしまうのは、悲しい、そんな感情が魂を通じて伝わって来るのがわかった。
(でも、それはお前が「生きている」証拠なんだ)
(……そっか。……じゃあ、着られなくなる前に、この服にたくさんの思い出を詰め込まなきゃいけませんね!)
(ポジティブだな、お前は。……ほら、目的地も見えてきたさ、っさと行くぞ。あれが学園都市グリランドールの心臓部――国立魔術学園に併設された、国立図書館だ)
街道の先、巨大なドーム状の建物がそびえ立っていた。
世界で最も知識が集まると言われる、静寂の神殿。
【国立図書館・エントランス】
街道を抜け、ついに俺たちはその「知識の集積地」へと足を踏み入れた。
学園都市グリランドール。その中央に鎮座する国立図書館は、建物というよりはひとつの「山」だった。
白亜の巨柱が並び、見上げるほど高い天井には天体の運行を模した魔導回路が淡い光を放っている。
(す、すごい。ミコトさん、見渡す限り本ですよ!)
(ああ、壮観だな。だが、見惚れている暇はないぞ)
一歩踏み込んだ瞬間、魂の奥底で体験したことのない感情が過った。
郷愁? 懐かしい? 何が……いや、これは俺の感情じゃない。
俺の中に溶け込んだ「白い少女」の欠片が、この巨大な書架のどこかに眠る「何か」に、狂ったように共鳴し始めている。
(ミコトさん!? 大丈夫ですか?)
(……問題ない。ただ、少々うるさいだけだ。行くぞ)
俺たちはホールの中心、幾層にも重なる巨大なカウンターへと向かった。
そこには、図書館の職員だけでなく、併設されたアカデミーの学生たちも実習やバイトを兼ねて受付に立っている。
「……はい、次の方。閲覧希望の資料は何でしょうか?」
カウンターの端、少し空いている席へ向かうと、そこにいたのはどこかふんわりとした空気感を纏った学生だった。
アカデミーの女子制服を着こなし、肩にかかる柔らかそうな髪を揺らして、小首を傾げながらこちらを見ている。
線の細い、儚げな美少女……と言ったところか。
「ええと……はい。調べ物をしに来ました」
クーリアが緊張した面持ちで、その学生司書に向き合う。
その司書は、俺たちが纏っている「銀の星屑亭」のウェイトレス服を一瞥し、それから不思議そうに瞬きをした。
「……あれ。その服、とっても懐かしい匂いがするね」
鈴を転がすような、穏やかな声。だがその言葉に、俺は思わず眉をひそめた。
懐かしい匂い? ……俺が感じたものと同じように、コイツも?
「あ、これは、ある方から頂いた大切な服なんです。それより、あの。特定の資料を探しているのですが」
「うん、いいよ。どんな分野かな? 歴史、魔導工学、それとも……あはは、お嬢さんの格好からすると、お料理のレシピかな?」
司書の少女は、おっとりとした笑みを浮かべた。
だが、その余裕を維持できたのはそこまでだった。
(クーリア、例のを見せてやれ。手続きを簡略化するぞ)
(はい!)
クーリアが左手の甲を差し出した瞬間。
普段は不可視化されている『白金』の紋様が、魔力反応により呼応して、冷たく、静かに浮かび上がった。
「それはっ?! 嘘、白金……? その年で……?」
司書の顔から、のんびりした表情が消え失せた。
線の細い指先が、カウンターの上でピクリと震える。
「あはは。これでも15歳なんですけどね……」
「15歳?! それもそれで驚きなんですけど……失礼いたしました。白金ランク冒険者、確かに確認しました。資料の閲覧制限は、ほぼ全て解除されます。……それで、何をお探しですか」
すかさず俺が答える。
「『魂の二重構造』、それと『魔力循環のオーバーブーストによる肉体変異の抑制』。それに関する原典を出せ。……一般区にはないはずだ」
学生司書は、一瞬だけ雰囲気が変わった俺の様子には気付かず、少しの間、思案するように目を伏せた。
「……なるほど。専門の『禁書区』になりますね。……分かりました。私がお供しましょう。あそこは迷路みたいに複雑ですから」
俺たちは学生司書の案内に従い、メインホールの喧騒を離れ、深く、静かな地下へと続く螺旋階段へと足を踏み入れた。 石造りの螺旋階段を下りるにつれ、上層の喧騒は嘘のように遠のいていった。
カツン、カツンと、クーリアの履く靴音が、不自然なほど高い天井に反響しては闇に吸い込まれていく。
案内する学生司書の背中は、どこか現実味に欠けていた。
歩みに合わせて揺れるアカデミーの女子制服、絹のように長い髪。一見すれば、知識の海に迷い込んだ可憐な海月。だが、先ほど俺が敢えて専門用語を叩きつけた瞬間の、あの僅かな反応――。
普通の学生なら、単語の重みだけで思考が止まるはずだ。それなのに、コイツは一瞬で「禁書区」という判断を下した。
(ミコトさん。この階段、とっても長いですね。それに、空気が冷たくて、なんだかチクチクします)
(ああ。魔力濃度が高いようだ。保存魔法を多重展開してるんだろう。本が風化しないように、時をの流れを限り無く遅くしている。俺のダウンクロックとは別の理論で構築されているようだが、効果としては似たようなものだろう。重ね掛けしてようやく、といったところみたいだが)
さっきから、俺の中に溶け込んだ「白い少女」の欠片が、その存在を主張してくるようにざわめく。
何かが近い。
この階段の突き当たり。あるいは、この厚い石壁の向こう。
俺の魂が「郷愁」なんていう、似つかわしくない感情に震えているのは、この図書館にあの少女の――あるいは、俺たちの『宇宙』の残滓が眠っているからなのか。
「……そろそろですよ。ここが、選ばれた者と、選ばれた知識しか存在を許されない『零階層』です」
学生司書が立ち止まり、錆び付いた巨大な鉄の扉に手をかけた。
その瞬間、クーリアが着ている「奥さんの服」が、一瞬だけ青白く発光したのを俺は見逃さなかった。
(……っ!)
(ミコトさん! 今、服が……!)
(大丈夫だ。……まだ、何も始まってない)
重厚な扉が、大蛇が這いずるような音を立てて開く。
そこには、上層の整然とした書架とは全く異なる光景が広がっていた。
書棚そのものが魔力を持った巨木の根のようにうねり、浮遊する魔導書が鳥のように静かに旋回している。
空気自体が知識の重みで粘り気を持ち、吸い込むだけで脳が焼けるような錯覚。
そして、その中央。
まるで祭壇のように設えられた机の上に、一冊の「古びた魔導書」が置かれていた。
俺の魂の中の『欠片』が、悲鳴にも似た歓喜の声を上げる。
「どうぞ。白金の冒険者様。貴方が求めている答えは、おそらくその中に。……ただ、気を付けて。その本は、読み手を選ぶだけじゃない。読み手の『魂』を書き換えてしまうこともあるから」
(魂を書き換えるだと? ハッ、こちとら既に訳の分からん力を取り込んでいる上に二人分だぞ、今更何を恐れる必要がある?)
(えぇ……私は普通に怖いですよぅ……)
おっとりと微笑む司書の背後で、扉が音もなく閉ざされる。
暗がりのなか、クーリアの着ている「奥さんの服」が、まるで共鳴を抑えきれないかのように熱を帯び、布地の一枚一枚が異質な鼓動を刻み始めていた。
(おい、クーリア。やっぱりこの服は普通じゃない。覚悟はいいか。ここからは、ただの読書の時間じゃ済まないぞ)
(はい、ミコトさん。……行きましょう)
俺たちは、吸い寄せられるように、その「禁忌」へと手を伸ばした。
視界を焼き切るような光の奔流の中で、俺はクーリアの感覚を共有しながら、その劇的な「書き換え」を特等席で目撃していた。
まず崩壊したのは、ついさっきまで着ていたウェイトレス服だ。店主の奥さんが遺したその布地は、糸の一本一本が高度な魔導演算を司る「神経」へと姿を変え、クーリアの肌に直接溶け込んでいく。
続いて、内側から弾け飛ぶように顕現したのは、あの「蒼のドレス」だった。
(ミコトさん! 何かが、体の中を……いえ、外側を編み上げていくみたいで……っ!)
(耐えろ、クーリア! これは単なる着替えじゃない。お前の魔力を核にした『再構築』だ!)
蒼と白。二つの色が、混濁することなく幾何学的な紋様を描きながら編み合わされていく。
かつての清楚な令嬢風のシルエットは、より実戦的、かつ機能的なデザインへと削ぎ落とされ、同時に爆発的な華やかさを纏った。
深い海を思わせる蒼のシルクは、光の加減で星屑のような燐光を放つ魔導繊維へと変質。その裾や袖口には、ウェイトレス服から引き継がれた純白のレースが、まるで氷の結晶が成長するように緻密な層をなして広がっていく。
肩周りは動きを阻害しないようタイトに絞られ、そこから流れるように広がるスカートのラインは、舞うたびに魔力の残光を撒き散らす「翼」のようにも見えた。
(……おいおい、とんでもねえな。今まで俺が抑えてないと暴走しかねなかった魔力が完全に『固定』されたぞ)
俺が驚愕したのは、その外見の変化以上に、クーリアから漏れ出していた無差別な魔力放射がピタリと止まったことだ。
この新しいドレス――名を『星霜の蒼』というらしいーーは、クーリアの暴走気味な魔力循環を外部から強制的に制御する「外部魔力器官」として機能し始めていた。
(クーリア、落ち着いて感じてみろ。そのドレスには二つの位相があるみたいだ。今の状態は、余剰魔力を完全に遮断し、周囲への影響を最小限に抑える『普段着モード』だ。これなら街を歩いても魔力嵐を起こさずに済む)
(あ……本当だ。あんなに熱かった体が、すごく静かです。……でも、背中のあたりに、すごい力が溜まっている感じもします)
(それは『戦闘服モード』への切り替えを待機してるエネルギーだ。そのドレスが『貯蔵タンク』の役割も果たして、お前の魔力を漏らさず、常時貯めておくのさ。必要になれば一気に開放できるが……今はまだ、その時じゃない)
光が収まり、静寂が戻った。
目の前に立つのは、少しだけ背が伸び、より大人びた印象になった蒼と白の少女。
随分と派手になったなと毒づきたい気持ちもあったが、そのあまりにも完成された「美」と「強さ」の同居した姿に、俺は言葉を失った。




