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LOVE & LEARN ー教えてモブ先生ー  作者: さとみ・はやお
第一章
18/50

#18 ビッグウェーブの日

《前口上》


久しぶりの更新です。


しばらくの間、短編「マスク越しだから、キスじゃないよね?」の執筆に注力していたため、前回更新からだいぶん日が経ってしまいました。


第18話を楽しみに待っていらっしゃった皆さま、まことに申し訳ありません。


これからは「通常運転」に戻りますので、どうかご安心ください。


再スタート後のお話は、土曜日の朝から始まります。

では。

翌朝、僕は九時過ぎに目が覚めた。


昨日は居酒屋のアルバイトのシフト変更という大きな問題がひとつ片付き、安堵して眠りについたので、最近にしては珍しく八時間たっぷり、快適な睡眠を取れたのだった。


とは言え、問題はまだまだ残っていた。


きょうは、新たな家庭教師の依頼主である、辰巳たつみ家へ訪問するという、巨大なミッションが僕の前に立ちはだかっていた。


これは、けっこうな難物かもしれない。


が、とりあえずそれに取りかかる前に、やっておかなければならないことがある。


僕は十時までに洗顔やシャワーなどの身づくろい、そして朝食を済ませた。


すでに両親は起きていて、ふたりとも庭で趣味のガーデニングの作業を始めていた。


母に朝食の用意を頼むという手もあったのだが、こうして寝坊してしまうと、あまり彼女の手を煩わせるのも気がひけるので、僕は冷蔵庫の中に入っていたありあわせの食品類を腹の中にかきこんだ。


十時になったのを見計らって、僕は佳苗かなえ伯母おばさんに電話をかけた。


今回は単に報告だけでなく、確認したいこともあったし、またお礼もじかに言いたかったので、メールではなく電話にした。


「もしもし、伯母さん? ヨシトです。

おはようございます。今、大丈夫ですか?


新しいアルバイト先、見つけていただいて、ありがとうございます。


きょう午後、辰巳さんのお宅にうかがわせていただきます」


僕は続けて、昨日、居酒屋のアルバイトのシフト問題は大学の友人で金曜日の代役を引き受けてくれる人が見つかったので無事解決したことを報告した。


伯母さんはこう言ってくれた。


「それはよかったね、ヨシトくん。


ということは、おにしまさんのところは、先方のご希望通り、月水金で入ることが可能になったんだね」


「その通りです。いっぽう、居酒屋の火曜日のシフトは残しました。


そういうわけで、僕が家庭教師として新たに引き受けられるのは木曜、土曜、日曜の三日ということになるんですが、そのあたり、辰巳さんのご都合は大丈夫なんですかねぇ?」


「あぁ、大丈夫だよ。今回はわたしのほうから先に、月火水金以外の曜日になりますが、構いませんかって確認した上で話を進めてあるから、問題はない」


「それはどうも、お気遣いありがとうございます。


……ってことは、木曜と土曜あたりになるのでしょうか?」


「あぁ、そうだ。それで確定でいい。


さすがに日曜日は先方も完全オフにしたいとのことだし、きみだって週七日でアルバイトってのはいくらなんでも身体からだがもたないだろ?」


「確かにその通りですね。ご配慮、助かります」


「週六だってラクではないだろうが、まぁきみの若さならなんとかなるだろう」


伯母さんは軽く笑った。


だが、少し声のトーンを落としてこう続けた。


「ただ、あらかじめきみに言っておきたいことがひとつだけあるんだ。


きみは今回、学費として必要な金額を稼いだら、そこで家庭教師の仕事を降りようという心積もりかもしれない。


そりゃあ家庭教師を始めるにあたって、いついつまではやります、あるいはお願いします、なんて契約書を取り交わすケースは通常ない。


言って見れば、家庭教師としてきちんと軌道に乗るまでは仮採用、社員見習いみたいなもので、いつお払い箱になるともしれないし、無事に本採用になったところで、先方が未来の確たる保証をしてくれるわけでもない。


志望校合格、あるいは成績アップといった『結果』を出せなければ即クビという厳しいケースも珍しくない。


あくまでも、クライアントの都合が最優先という、いささか理不尽な雇用体系であり、その代償が法外に高い報酬なんだ。


だからといって、雇われている側がそれに対抗して、自分の都合を最大限主張していいというものではない。


学生とはいえ、仕事を請け負った以上、もう社会人であるも同然なんだ。


おたがいの信頼関係が壊れるような行動だけは謹んでほしい。


それを、肝に銘じておいて欲しいんだ」


その伯母さんの話を聞くうちに、僕も自分の過去の行動、すなわち女子中学生の教師役を降りてしまった事実を振り返って見ざるを得なくなった。


「そうでしたね。僕が以前家庭教師をお受けして、辞めるに至った経緯は、まさにそういうケースだったと思います。


ご迷惑をおかけして、本当にごめんなさい」


そう僕が謝ると、伯母さんはあわてて否定した。


「いやいや、前にも言ったけど、あれは不幸な事故みたいなものだ。


きみが特に悪いわけではないし、あの時はああいうやり方しか取りようがなかったと言える。


そのことで、自分を責めることはないよ」


「そうですか。だったらいいのですが」


「まぁ、そういう自罰的なところはきみの性分だからな。


それがきみの長所でもあるし、短所でもある。



ともかく、家庭教師だけでなくアルバイト全般に言えることだが、働いて報酬を得る以上、責任は生じる。


自分の都合だけで投げ出すことは、きみが築き上げてきた信頼関係、あるいはきみへの強い期待を自ら放棄することでもあり、きみ自身の将来のためにもならない、そういうことさ」


そう言って、伯母さんは軽く溜息をついた。


「分かりました。必要な金だけ稼いでサヨナラ、みたいなまねは絶対しません。


先方から『これからも引き続きお願いします』と頼まれた時に『もちろんです』と答えられるようになるつもりです」


「そうか。ありがとう。安心したよ」


ようやく、伯母さんはいつもの口調に戻った。


僕は途中から気づいていたが、伯母さんの話には決して「わたしのメンツを潰してくれるな」というような言葉は出てこなかった。


性分として、そういう恨みがましい、恩着せがましいことは絶対言いたくないひとなのだ。


あくまでも、僕のためにいろいろと気を遣ってくれている。


だが実際には、僕が勝手な行動をとって一番損失をこうむるのは、僕自身というよりは仕事の仲介をしてくれた伯母さんだろう。


僕のせいで、大切なクライアントを一人失うことにもなるのだから。


だから、僕は彼女のそんな「心意気」に応えるためにも、身勝手な理由で仕事を降りることだけはすまい、そう心に決めた。


「ところで、昨日、僕の働いている居酒屋に深雪みゆきさんが突然来てくださいましたよ。


本当に嬉しかったです」


「あぁ、そう言えば深雪、昨日夜遅くご機嫌に酔って帰って来て『久しぶりにヨシトに会ったよ〜』とか言ってたわ」


「そうですか。昨日は大学からのお友達の篠山しのやまさんとご一緒でした」


「編集者って仕事柄、普段は友達とアフターシックスを過ごすこともままならないからね。


深雪、えらくテンションが高かったよ」


「お店でもそんな感じでした」


伯母さんも僕も、そこで軽く笑った。


「そう言えば深雪、こんなことも言ってたな。


詩乃しのちゃんのこと、ヨシトによろしく頼んで来た』って」


「はい。深雪さんと詩乃さん、幼なじみだったんですね。

昨日初めて知りました」


「そういえば、鬼ヶ島さんを紹介するにあたって、きみにその話をするのを忘れていたね。


今回の話があまりに急に決まったので、つい言い忘れたんだ。他意はないよ」


「もちろん、そういうことだと思っていました」


「そうか。深雪と詩乃ちゃんは、性格はかなり違うように見えるけれど、根っこのところはわりと似ているんだよ、実は。


ともに独立心が強くて、他人に頼らずになんとか自分の力だけでやろうとするところがある。


ただ、表現のしかたはだいぶん違う。


深雪は怖いもの知らずで誰にでも絡んでいくけど、詩乃ちゃんは自分と波長の合った人にしか関わりを持たない。


そういう違いがあるんだと思っているよ。


詩乃ちゃんにとってみれば、歳の離れている深雪は友達というよりはメンター、あるいは手本みたいなものかもしれないね」


「そうですか。伯母さんの観察眼は、実に鋭いですね。


それで対照的なおふたりが意外と仲がいいことも、納得がいきました」


「そういうわけで、鬼ヶ島家とわたしたちは家族ぐるみの付き合いなのさ。


詩乃ちゃんのこと、くれぐれもよろしく頼むよ」


「はい。もちろん」


僕は少し緊張して、そう返事した。


こういう状況下、鬼ヶ島家では間違っても妙な行動を取るわけにはいかないな。


僕が詩乃にうっかりハラスメント的な言動をしたら、深雪(ねぇ)や伯母さんには筒抜けになることが、よく分かった。クワバラ、クワバラ。


すっかり話が横道に入ってしまい、肝心のことを聞き忘れていたことに僕は気がついた。


さっそく、伯母さんに尋ねることにする。


「きょうの午後三時、辰巳さんのお宅にうかがうのですが、昨日伯母さんにお願いしました辰巳さんの娘さん、あるいはご家庭についての情報って、お聞かせいただけませんか?


まだ、メールとかいただいてないようですので」


それを聞いて、伯母さんは、不意に思い出したかのようにこう反応した。


「あっ、そっか。ごめん。それ頼まれていたんだよね。


昨日午後は、教務課との打ち合わせがやたらと忙しくてすっかり忘れてた。申し訳ない」


「いえ、お気になさらぬよう。ご多忙なのは、存じ上げております」


「うーんとね、まだ文書にまとめていないんで、後でメールにして送るよ。


その前に口頭で、簡単に言っておくとだね、辰巳さんのひとり娘、姫子ひめこちゃんは、そうだね、詩乃ちゃんとはかなり違うタイプだ。


オープンで人懐っこく、社交的。

どちらかと言えば、深雪に近い。


詩乃ちゃんほど、扱いに苦労はしないと思うよ」


そこで伯母さんはクスッと笑い声を上げた。僕もつられて笑う。


「とはいえ、エッと驚くような思い切った発言をすることもあるけどね。


まぁ、それもご愛嬌というか、彼女のチャームポイントと言えなくもない、そんな子だ。


せいぜい、うまくやってくれ」


「分かりました。ご家庭の方については、いかがですか?」


「うーん、辰巳さんとは最近お近づきになったばかりであまり詳しくは知らないんだ。


家庭教師を依頼して来られたのは、姫子ちゃんのお父さまだ。


なんでも奥様が早くに亡くなられて、父と娘のふたり暮らしが長く続いて来たようだが、最近お父さまが再婚されたとか言っていたなぁ。


分かっているのは、それぐらいかな」


「承知しました。他に何かありましたら、メールでお教えください。


よろしくお願いします」


僕はそう言って、電話を切った。



これで本日なすべき案件が、ひとつは片付いた。


とは言え一番メインの案件の、下準備が出来たに過ぎない。


本当に大きな仕事ヤマは、四時間あまり後に控えている。


その来たるべき大波ビッグウェーブに備えて、いまはとにかくリラックスしておこう。


僕は庭に向かい、思い切り背を伸ばして深呼吸をしたのだった。(続く)

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