夢の中で逢った人
不思議な夢だった。
もう何年も前に見た夢を未だに覚えている。
暗い部屋だった。
いつも通り、夢が夢だとわかる。実際、ここには現実味がなかった。
だって、ああ、だってこんなにも暗く古い部屋なのに、自分の居場所だってわかってしまうのだから。
夢の中で逢った人は自分のことを想っている人だと言われることがある。
そんな迷信を信じているわけではないが、その日、初めて、会ったことがない人と夢の中で逢ったのだ。
その部屋で僕は、ある人と出逢った。
まるで山小屋のような木造の小さな部屋。電気さえもなかった。部屋の中央にある同じ木造のテーブルの上にろうそくが立っているだけ。部屋の中にあるものもそのテーブルと備え付けの長椅子が2つ。2人がけなのか、長椅子には座っても痛くないように茣蓙地の座布団が2枚しかれている。
なんでこの部屋に来たのかはわからない。ただ、その部屋は妙に居心地が良く、本当に長年使っている自分の部屋のようだった。窓の外も暗く、部屋の中も暗い。夜の闇だ。けれども優しい空間だった。
その日は確かいつも通り、夜中の2時半過ぎまで作業をして、それから寝たはずだ。こういう夢を見る時は大抵寝入りがいい。いつのまにか寝ている時だ。しかも毎日が調子良くて気分の良い疲れ方をしている時だ。
何もない部屋で、何をすれば良いのかわからなかった。だからただ椅子に座っていただけだった。
音はしなかった。本当にただ、いつのまにか、隣にいる人がいた。白い服に長い黒髪。普通ならホラーだ。
季節はいつだったろうか。
そうだ、秋だ。10月の中頃、夜が寒くなってきて、掛布団の存在が嬉しく感じはじめた時期だったはずだ。
その寒さに、僕自身少し人肌が恋しいと感じていた時期だったのだと思いたい。
僕は全く驚かなかった。あまりにも自然で、その部屋と同じ空気を持っていたから。ただ、その部屋はあくまでも僕の居場所だという認識は変わらなかった。けれども、そこは紛うことなき彼女の部屋だった。
その時期に付き合っていた人がいたはずだ。確か付き合っていた人の中でも特殊で、ほとんど電話やメールをしたがらなかった人と付き合っていた時期だ。それをその人らしさとして受け入れていたのは惚れた弱みだったんだろうな、と今では思っている。
彼女に一目惚れをした。顔の特徴も何も覚えてはいない。けれども、一目惚れをした。その人の部屋が自分の居場所だと思うように、その人の隣が、自分の居場所なんだと思った。
夢で逢ったその人は、絶対にその当時付き合っていた人とは違う。目を覚ました時に、違う人の夢を見るなんて、と後悔したんだから。今は少し違うことを思っているんだけども。
初対面なのに、こんなに好きだと思うのは、僕の無意識の女性像を作っているのだろうか。いや、彼女は僕が作り出した空想ではない、と思う。だって、僕には、彼女が何を考えているのか、そのあとどうなるのか、全くわからなかったんだから。
当時の彼女とは現実で会わない代わりに夢の中で会っていたような感覚があった。僕の無意識が彼女を夢に見せているのなら彼女の姿は最後に会った時のままのはずだが、夢の中で会っていた間、彼女は僕の知らない姿に変わり続けていた。
彼女と椅子に隣同士で座って話をした。静かな空間で静かに話す人だが、笑顔は明るい。年は同じか少し下だろうか。それでもその中にある大人びた雰囲気は隠しきれない。何の話をしたのかは忘れてしまった。
夢の中で誰かに逢う時、自分の空想ではない人に逢う時は、少し質が違うように思う。空想の時には突飛なことが起こるし、時系列もよくわからない。ところどころで時間が飛ぶため、夢の中で経過した時間に比べ、体感時間が短い。けれども、自分以外の人に逢う場合、ちゃんと夢の中での時間と体感時間が一致している。大きく場所が変わることもない。
しばらく話をして楽しい時間を過ごした。本当に話しただけで、何もなかった。けれども暗い部屋に少し風が通っているような気がした。何の気なしに僕は彼女に寄り添っていた。彼女は一瞬驚いた様子で固くなったが、すぐに受け入れてくれた。
夢の中では決まりごとが多い。
よく知られているのが、夢の中で出された食事に口をつけてはいけないことだ。他にもさしだされた手を取ってはいけなかったり名前を呼んではいけない、という決まりごとがある場合もある。
しばらく寄り添った後、彼女は一歩だけ離れて、僕の頭を膝に乗せた。その時、初めて彼女の顔をちゃんと見たと思う。輪郭は整っているが目鼻や口の印象も全く覚えていない。現実では会ったことがない人なのに、初めて会った気がしなかった。どこかで会ったことがあるはずだと、思ってはいても、会ったことがないのだから思い出せるはずもない。
彼女は優しく微笑んでいた。
そこで夢は覚めた。
まだ暗い時間だった。
お互いに名前の知らない人。だけど、一緒にいて居心地の良い人だった。
その夢を見てからもう何年も経つが、その人と逢ったのはその一回きりである。
僕の夢はまだ覚めていないのかもしれない。
見た夢を現実にしようと頑張ってみようかな、と。