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もう一度、君と会いたい

私がずっと書きたかったお話を頑張って書きました。拙い文ですが、是非お楽しみください。

そしてこの作品の答えはとても簡単です。ですのでどうか、「俺」になったつもりで読んでみてください。この世界の呪いを是非解いてあげてください。


最後に、簡単な決着を。

「……まだ、帰れそうにないな」


 放課後、俺は特に何もする気が起きず、ただ窓から見える景色だけをじっと見つめていた。


 最近、奇妙な事故が増えているらしい。


 心臓はしっかり動いているのに、目を開けず昏睡状態に陥っている。という人間がこの1ヶ月の中で十七人いるというニュースを耳にした。


 原因は不明、ただ一つの共通点として、この昏睡者が全て雨の日に生まれている、ということがある。


 だから今の日本の雨の日は、『呪いの日』であると、SNSでよく騒がれている。


 俺の友達二人も、その被害にあった。


 どちらもあまりいい人間とは言えない存在だったけど、居なくなるって言うのは少し悲しいものだ。


 そしてなんと今、俺が見ている景色もまた雨の景色なのだ、しかも豪雨。


 今は五時といった綺麗な夕焼けが見える時間帯だというのに、今ある景色は黒を基準とした雷雲が渦巻き、明るさを包み込んでいる。


 屋根を弾く雨音が耳に響く。継続して流され続ける雨音に、雷鳴は不規則なタイミングで吠える。心臓に悪い、俺はこんなもので趣を感じていた昔の日本人の気持ちが未だによくわからない。言い換えてしまえば「時代遅れ」だ。日本語って怖い。


 さっさと帰ってしまえばよかった、と俺は頭を抱えて後悔した。迎えを呼ぼうにも両親は図ってたかのように仕事で一日中いない。そして自転車はこの状況を楽しんでるかのようにパンクしており、傘は当然のようにパクられてる。


 この状況で残る選択肢は二つ。


 突然豪雨、ここに泊まるか? 徒歩で帰るか?


「……止まるっていう選択肢もないわな」


 家だってそこまで遠い訳では無い、走って帰れば十五分かそこらで着くことが出来る。


 十五分間雨に濡れて、風邪を引く覚悟が出来たら行こう。


 そう思いまた視線を外へ移す。そのタイミングで落雷が俺の視界に映る。


 一瞬の光を見つめ、苦笑い。泊まろうかなと一瞬考えてしまう。


 雷が、ドゴン、と響き渡った。心臓とともに、覚悟も揺らぐ轟音だった。




 ─────────────────

 ─────────




 走れば十五分、というのはどうやら間違いだったようだ。


 訂正しよう、走ることが出来れば、十五分で家に着く。


 昇降口のドアを開けるとそこはまさに異世界。窓から見る景色とはまるで違うこの世の終わりのような豪雨が見える。


 雨は斜めに吹き荒れ、ポリ袋は宙に浮き、ビニール傘が空を飛ぶ。多分下手したら俺も飛ぶ。


 現実から目を逸らしたくなった。逸らした、逸らした先に、傘が見えた。


「こんな雨の日に、傘なんて忘れる奴がいたのか」


 いや、でもよく考えれば普通にありえる。今日は本来普通の晴れの日。俺が学校に残ってるだけで、放課後真面目に帰ったやつは雨に当たらない。


 雨に当たらないとなれば、傘を持ち帰らないことも不思議じゃない。


 もしかしたら俺より遅く帰ろうとしている奴もいるかもしれない。部活動の練習とかしてる人もいるだろうし。


「……どうしよう」


 決まった覚悟とは別の思いが揺れる。この傘、俺が使ってしまおうか?


 今なら誰も見てないし、誰も来てない。


 借りるなら今だ、今借りて行けば誰にもバレない。この傘は最初からなかったと考えろ。つまり悪行ですらない。


 正義の心がぐらぐら揺らぐ。傘を盗めとこの状況が言っている。恨むなら俺の傘を盗った奴を恨めよと、そう俺が思ってる。


「……許してくれよ」


 その傘を手に取る。よく見ると赤色の油性ペンで名前とは思えない文字が書かれていた。




『使うな』




「な、なんだ、これ」


 ただの真っ赤な四文字。シンプルだからこそ心に響いた。


 文字を見た時、俺はドクンと心臓が跳ねた。まるで誰かに見られているような思いを抱いた。


 恐怖を感じるとともに、疑いが深まる。


 なるほど、これはフェイクだ、多分明日この傘を持っている人を探させるトラップだ。珍しく強く働いた俺が警戒心が「持っていくな」と囁いた。


 俺は犯罪者になるかびしょ濡れになるか、で選択を余儀なくされるなら絶対にびしょ濡れを選ぶ人間だ。というかそれ以外の選択をする人間なんて多分人間じゃない。水に濡れるのを嫌がる飛蝗バッタだ。


 濡れたものは乾く、ただ犯罪は乾いてくれない。それは一生、濡れたまま。


 そう思い直すと揺れていた何かは止まっていた。正義心が勝ったのだろう。


 傘に向けていた目を再び外の景色に移す。


 そこに見える雨は滝のように降り注いでいた、それはまるで雲の下にあるものをすべて粉微塵にするかのような弾幕のようであった。


 俺はそれを見て、再び怯む。



「……くっ」



 初期微動は終わった。なら次は主要動だ。さっきより激しく心が揺れる。


 落雷に紛れ込みグラグラと音を立てて俺の心が揺らいでいく。そんな俺の視線は既に傘の方に移っていた。





 ─────俺は、傘を手に取った。






 ×××






 雨雲の闇がこの街を包み込んでいる。その闇を切り裂くかような雷光と、水溜りを切り飛ばしながら突き進む車のヘッドライトがこの街に光をともしてる。


 尋常じゃないほど強い嵐。傘を盗った俺は特に急ぐことなく、ゆっくりと歩みを進めていた。


 走ると危険だ、前だって傘があるからなんとかなっているものの、視界が良好とは言えない。視界の先に靄がかかっているような錯覚を覚える。


 そんな中、俺はひとつの事を考えていた。


「この傘、頑丈だな」


 ビニール傘のような形はしているが、強度が別物だ。風も雨も強いこの状態で骨組みがまだ一つもイカれていない。骨組みをさすり、何で出来ているのだろうと疑問に思う。


 この傘を手に取った時、俺は自分が嫌になった。自分を正当化させて犯罪を犯した自分が醜く思えた。


 更に、今そのことをそこまで悔やんでおらず、いつも通りでいる自分が、俺は恐ろしい。


 いくら表面で行いが間違っていると熱弁しても、行動に移した時点で俺の心の中は傘を盗ることを了承している。悪くない悪くないと心の中で自己暗示が渦巻いている。


 でも、悪いことはここで終わりにしようとは思っていた。もう今後一切こんな真似はしない。傘に書かれた赤文字の『使うな』を見て、そう強く心に刻み込んだ。


 だから、今回だけは許して欲しい。俺だってこんな雨の中帰ってしまえば教科書とかもグショグショになってしまうんだから。


 本当に申し訳ないと思いつつ、足取りが速くなる。急ぎな訳では無いのに脚が逸ってしまう。


「うわっ!?」


 そんな急かす足に何かが当たった。無警戒だったため、バランスを崩してしまう。倒れるとまでは行かなかったが、少しよろけた。


 足を引っ掛けた場所を確認する。水たまりに波紋が広がっている。そこには四角い箱のようなものがあった。


「……なんだ、これ?」


 その箱の中が見えるようにしゃがみこんだ、その中にいたのは仔猫がいた。


 凍えて震えている、体は細く、息も絶え絶えに見える。捨てられたのだろう、見るだけで可愛そうな猫がいた。


「ニャ……ン」


「……っ」


 弱々しく、俺に向かって縋るような声が、激しい雨音の中でも透き通って耳に届く。


 せめて雨が当たらない場所まで持っていけばこの猫も少しは楽になるはず。そう思った俺は屋根のある建物が近くにないか辺りを見渡した。


「ぜ、全部屋根の意味をなしていない……?」


 雨と風の強さが尋常じゃないおかげで、どこの屋根の下も雨が当たってしまう。


 遠くまで持っていくにしても、恐らくここら一帯で雨に濡れない場所は存在しない。


「……あっ」


 猫を助けることが出来ない、と思い強く傘を握りしめた時、最も簡単な答えが閃いた。


 濡れない場所があるじゃないか、今俺は濡れていないだろう。


 猫をどこか屋根の下に置いて、傘を置いておけば雨に当たらないはず。


「……」


 傘を首と肩の間に挟み、両手を開ける。猫の入っている箱を持ち、とりあえず屋根の大きな所にまで歩いていった。


 雨がさっきより弱くなっている気がする。爆音のように響き渡っていた雨音が今では少し潜んでいる。


「……よし、この辺だな」


 とりあえずここら屋根が大きい所に猫の箱を置いた。さっきの場所に比べれば雨も十分に防げるはず。そしてこの傘を与えれば……。


「あっ」


 まて、俺は何を考えているんだ。


 この傘は他人のものだろう。俺は今盗品を……悪く言えば道端に捨てようとしているのか?


 考え直せ、確かにこの猫の命はこの傘にかかってるかもしれない、でも、悪いことももう出来ない。


 こちらを見て嬉しそうに鳴いている猫がまたもや俺の心を揺らす。


「……ごめん、な」


 俺は俺をじっと見ている猫に、視線を合わせることをやめた。おそらくそれは罪悪感からだ。




 ……ここに傘を置いていっても、傘が飛ばされてしまうかもしれない。


 返す盗品をそんなふうに扱ってはいけない。




 ……あぁ、今ここに、『猫を見殺しにする理由』を作ることに成功してしまった。


 俺は傘を強く強く握りしめて、再び帰路につく。


 無力な自分を噛み締める。


 いや、無力じゃなかった。


 どうにでもなった。


 俺はあの猫の命を伸ばすことが出来ていたはずだ。


 それをただ、濡れたくないという自分勝手な甘い心によって棄てた。


 惨めだ、惨めすぎる。自分がとことん嫌いになっていく。


 雨が少し、強まった気がする。





「ピッチピッチチャップチャップランランラン……」


 小さいことを気にしすぎだと思うことにした。猫一匹の死に直面した、と言うだけで人生が変わるはずが無い。この体験に意味などない。そう思うことにした。


 家はもうすぐそこだ。強すぎる雨で視界が悪いが、目に見える位置まできた。なんかこう、とても疲れてしまった。


 猫の死骸も、烏の死骸も、俺は何度か通学途中に見てきた。死ぬ寸前のミミズに出会った事もある。


 じゃあ何故、ミミズには同情を一切せずに心が痛まないのか。猫だとどうしてこうも心が痛くなってしまうのか。


「ダメだダメだ、そんなこと考えても答えなんてどうせ出てこない」


 俺の思考を無理やり止める。これ以上考えてしまうとキリがない。どっちにしろ猫の命を救えなかったとして、俺が罪に問われる訳では無いのだ。


 アスファルトにたまる水たまりを見つめながら、答えはないと答えを出した。その時既に俺は家の目の前に着いていた。


 今日はもうダメだ、早く風呂に入って眠ってしまおう、そして今日を忘れる努力をしよう。


 ドアに向かってまっすぐ歩き出す。俺の気配を感じ取り、暗闇のための家のライトが灯る。


 しかし、このライト明る過ぎ─────────。














「愚か者」




















「……あれ?」


 暗闇に目が慣れていたとはいえ、あまりに異常なライトの光が俺の眼球に突き刺さり、一度俺は目を閉じた。


 しっかりと覚えている。夢ですらなかったはず。スニーカーに染み込む水たまりの冷たさも、傘では防ぎ切れなかった大粒の雨の感触も、決して夢では感じられないものだった。現実だったはずだ。


 しかし、今の光景がその全てを否定する。





 俺は『校舎の中から、外の景色を見ていた。』





 この光景は前に見た。この学校を出る数分前の光景だ。雨に怯え、傘を盗り、家に向かう直前の俺が見た景色だった。


「どういう事だ、これ……」


 他にも言いたい言葉はあった、口にしなければ納得出来ないような言葉があった。でもこれしか出てこない。語彙力がないわけじゃない、ただ純粋に驚きのせいで頭が回ってくれないのだ。



「……どこまでも、愚か者」



 思考がこんがらがっている人間が不意に最も弱いタイミングで、背中から声が聞こえた。


 体がビクリと反応する。涼し気な雨の日には似つかない、塩辛い汗が体から吹き出した。


「だ、誰だ!」


 声のする後ろを振り向く。そこに居たのは、白。


 透明感のある白色の髪をまるで幽霊のように果てしなく長く伸ばし、白い肌で白の服を着ている。


 言葉で表すと、まさに白。


 ボロボロでロングの白のスカートから少し覗ける足。まるで、失礼だが俺の盗んだ傘のようだった。



「……愚か者」



「あなたは……あの、誰ですか?」


 俺のこの質問に対して、白の女性は無反応を貫き。そしてゆっくりとした足取りで俺に近づいてくる。


「ひっ……!」


 怖い。


 逃げようと思ったが足がすくんで動かない。


 ただ俺は足をがたがた震わせながら彼女近づくさまを瞬きもせずに見続けた。視線を外すと殺されるような気がしたのだ。


 彼女がどんどんと、ひたひたと、素足のまま俺に近づく。電気がついていない真っ暗な校舎の背景を彼女の白で埋め尽くされかける。


「……これは、呪い」


「の、ろい?」


 目と鼻の先までに近づいてきた『呪い』は動けない俺の顔をじろりと見つめる。長い髪の毛で目は見えないけど、分かる。睨まれている。



「……愚か、愚か」



「な、何が……?」


 震える唇で必死に言葉を発していく。『呪い』は変わらず僕を睨みつけたままだ。動けない、動いたら不味い。


『呪い』は、俺の心臓に手を当てた。金属のような冷たさが、生気を感じさせない。人はこんなに冷たくはなれない、改めて彼女がこの世のものではないと実感する。


「……あなたは、帰れない」


「帰れない……?」


 もはや端的に喋ることしか出来ない。呼吸も荒く、気を失わないのが不思議なほどだ。


 そんな俺の危機的状況を無視しながら、『呪い』の語りは続く。


「あなたの行いのせいで、あなたは元の世界にも、貴方の家にも、そして、あなたにも、帰ることが出来ない」


 残った腕を俺の顔に向ける。目を隠すように被せてくる。もう立っているのがやっとだ。恐怖で俺はもう何も出来ない。


 真っ暗に一つの白があった視界が、何も見えない本当の黒に染まる。白のあった恐怖を、新たな恐怖の色に上塗りされた。




「……ここは、呪いの世界、帰りたければ、あなたは、呪いを消さなければならない」





 その言葉を耳元で囁かれた、その瞬間、視界は元に戻った。圧倒的な黒ではない、そんな黒が視界に広がる。白は、消えている。


 二色しかない世界は、単色となった。雨の地を弾く音だけが無情に響く。


 少しの時間を有して、足の震えと竦みが止まってくれた。そして俺は、溜まった恐怖が爆発し、全速力で玄関の扉に走った。


 扉を押して開けて逃げよう、混乱した脳内でそれだけをただ決めて、ドアを押す。


 その時にふと、彼女の言葉を思い出した。


 この世界は、『呪い』だと言っていた。


 そして、『帰りたければ呪いを消さなければならない』とも言っていた。


 つまり、ここで逃げたところでおそらくまたここに戻されるのみ。それなら、少し考えていた方がいいのではないか?


 俺は一度外に出ることをやめた。すると心に落ち着きが戻って来た気がする。


 さて、落ち着いたところで少し考えてみよう。





 ✕✕✕





 さっき言ったように、俺がこの雨から帰るためには呪いを解かなければいけないらしい。


 詳しい話が聞きたいな……呪いって言われても何の事だかわからない。心当たりは少なからずあるけど、具体的に絞り込んでいった方がいいのかもしれない。


「おーい、まだいるか?」


 真っ暗な空間に名前すら知らない『呪い』に向けて声をかける。閉鎖空間だからか、それとも雨の音しか聞こえないぐらいの無音だったからか、あんまり大声ではないのにとても俺の声は通った。


 すると、暗闇に一つ、白い炎のような光が点った。その光から呪いの彼女が現れた。


「……なにか、用ですか?」


「き、来てくれるのか……君に頼っても無駄だと思うけど、俺はここから抜け出したい! 協力してくれないか?」


 頭を下げて頼み込む。彼女はここの住人だ、幽霊っていうのは大体自分の世界に生きた存在を連れ込むことを生きがい……生きがい? にしているものだ。受け入れてくれる可能性は低い。


「……本当に?」


 だからこそ、彼女の聞き返すという反応に驚いてしまった。心做しか、彼女自身も驚いているようにも見えた。


「ほ、本当だけど?」


「……あ、ありがとう!」


 え?


 自称呪いは意外とフレンドリーだった……? 俺に感謝して、両手をぎゅっと握ってきてくれた。


 初めて触れた彼女の掌は、本当に冷たい金属のようだった。でも、いざまた触れてみると、それは間違いだったことに気がついた。


 ただ冷えていただけだった。強く強く握りしめる彼女の掌からは、確かな生気と、温もりを感じられた。俺自身も、少し顔が熱くなってしまった。


 この人は、幽霊じゃない、死んでない。


 その名の通り、彼女は『呪い』だった。






 ×××






 明かり一つ灯らない暗闇のような昇降口の扉の前に、俺はどかりと座り込む。床は冷たい。


 その隣に、白い髪に白い服に白い肌の白単色の幽霊のような『呪い』が座る。


 顔すら長い髪に覆われていて、表情をまるで読み取ることが出来ない。それでも、最初にあった無尽蔵の恐怖は無くなっている。それは隣の彼女がとてもフレンドリーだったからだ。手を握ってくれたからだ。


「……まず、私を頼ってくれてありがとうございます。この呪いを受けてなお、私を頼ったのはあなたが初めてでした」


「そ、そうでしたか……」


 つい改まってしまう。フレンドリーだったと言っても、目の前にいる彼女は幽霊じゃない、と言っても、見た目からしてとても怖い。


 頼ったのは俺だけ、そう聞くと本当に人は追い詰められた時に冷静な考えができなくなるんだろうな。と思った。俺だって一度考え直さなければダッシュで外に出ていたところだ。


 そう考えれたのは、思い出したくもないことが原因なのかもしれない。


「……しかし、私はこの世界のルールに従わなければなりません。この世界のルールは『私が答えを与えることが出来ない』というものです」


「答えっていうのは……つまりあれか、ここから出るための手段」


 彼女はこくりと頷いた。そしてまた続ける。


「でも、私自身もここから早く出たいの。こんな暗い世界、こっちからお断りしたいわ」


 怒りを噛み殺すような彼女のその言葉は、俺の心臓を大きく揺るがした。信念、とでも言うのだろうか。強い思いが流れ込んでくる。


「じゃあつまり、こういう事か? 君はここから出るための方法を知ってるけど、教えることが出来ない。でもここから出たいと」


「……そういうことです」


 口に出して言ってみて、ふと疑問に思うことがあった。


「じゃあ、自分でその行動は出来ないのか? ここから帰るための行動を」


「……それは出来ません」


「そっか……」


 答えが言えないのなら実行してもらおうという俺の甘い考えは叩き潰されてしまった。


 でも、他に聞きたいことはまだまだある。疑問を無くしてこの世界と立ち向かっていきたい。なぜなら、彼女は私を頼ったのは初めてと言った。これは他にも何人かがこの世界に訪れているということだ。


「さっきの言い方からして、他にも何人か来てるんだろ?」


「……はい、あなたが18人目です」


「結構いるな、その人たちは帰ることが出来たのか?」


 俺のその質問に、彼女は少し時間をおいて首を横に降った。そして、がくりと強く項垂れた。


 俺もそんな気分だった。俺は今から、17人が成し得なかったことを成さなければならない。そう思うと『無理だろ』という思いが強くなっていく。


 でも、俺は彼らとは違う行動をとった。彼女との会話に成功したのだ。彼らは外見に囚われていたのか分からないけど、『呪い』に頼ることをしなかった。俺はそれをした。これは大きなメリットになりうるはず。


 それだけで大きな希望だ、彼等との一歩目がまるで違う。


「ん……? その17人ってまだこの世界にいるのか?」


「……いない、彼らはもう心が折れたから、無駄だって分かったから、死んだ」


 その言葉で、俺はようやく今流行りのニュースとこの呪いが結びついていることを理解した。背筋が凍る。俺もその犠牲者になってしまうのかと思うと足が震えて心臓が逸る。吐きそう。


 ……なるほど、つまり俺は死を乗り越えなければならないということか。


 手に汗握らない、冷や汗ばかりが滲み出る。少し消えた恐怖が蘇り始めた。


「……もう、いい?」


 顔をこちらに向けて、『呪い』は俺に問いを投げかけてきた。


「……今はもういいか、また呼べば来てくれるか?」


「う、うんっ!」


 とても嬉しそうな声を上げた。それは『呪い』と呼ばれるには程遠い、ただの普通の女の子のそれだ。そのギャップに思わず俺の口元が歪んだ。


「それでは、頑張ってくださいね……人として、すべきことを」


 そう言って、この空間からまた白が一つ消えた。


 下駄箱と傘立ての中に、俺がひとり残される。傘立てにある傘を握りしめて、俺もまた昇降口の扉を開き、外に出た。


 一度目と同じ風景が広がる。大地に降り注ぐ矢のような雨、時折見せる激しいいかづち。外の方があの校舎よりかは明るいが、外も外でまたおぞましい。


 傘を握る力を強める、やるべきことが決まっているからか、不思議と心は落ち着いていた。


「人として、すべきことを」


 俺は雨の中、傘を差して走り出す。あの時果たせなかった思いを、俺の『呪い』を消しに行くんだ。





 ✕✕✕





 雨の中、歩きながら思う。


『呪い』のこと、そして、その呪いに何回挑めるのか、ということ。


 この呪いの正確な解除方法は彼女だけが知っている。呪いにかかった俺には、自分が何をするべきかということをちゃんと理解しているつもりだ。


 ただ、もし俺が今やろうとしていることが間違っていたのなら。


 そうなってしまえば、心当たりが無くなる。


 何も出来ないより、何も出来なくなることの方が辛いに決まっている。


 はじめから無いものなら人はそれを探す希望を持つ。それか無いものだと割り切って諦める決心をつけることが出来る。


 だが、あったものが無くなった時、人は絶望する。あったものだから、諦めることは難しい。そして何より手間がかかってめんどくさいのだ。


 同じことを二度したくない、例を挙げるとするならば宿題を全力で徹夜で終わらせ、いざ確認してみればやったのは別のページ。本来の課題じゃなかった、みたいな感じ。そんなのやる気なんて一切湧いてこない。


 でもそれは元を返すと原因は自分にある。失敗は悔やんでも取り戻せないから、その原因を見つめ直して次同じ失敗をしなければいいのだ。


 過去を振り返るから後悔する。なら希望を見つめて未来に活かせば後悔なんかない。


 それが人間としてのあるべき姿。俺も人間。だからこそ、一度した後悔は二度と味わいたくはない。


 恐らく、その想いが俺の『呪い』。


 だから後悔しない道を今度こそ歩もう。


 雨の音に紛れて、近くで猫の声がした。聞き覚えのある、助けを求める声だった。


 足元に視線を向ける。水溜まりだらけの歩道に一つ、四角い箱があった。


 中身は分かってる。そしてそれを助けにここまで来たんだ。


 びしょびしょの箱を脇に抱えて、この豪雨を少しでも遮ることのできる屋根を探す。


 その際に、最初に見た屋根よりも遥かに雨を凌げる屋根を見つけられた。


 心が少し苦しくなった。それを見つけるのに対して時間がかからなかったから。


 つまり俺は最初から本気で探していなかったのだ、猫の命を大したことではないと判断し、探す屋根を適当にしてしまっていた。


「……いや、後悔はしちゃいけない」


 逸る心臓を押さえ込み、大きな屋根の下に箱を置く。そして、飛ばされないように、傘を置いて俺はその場を立ち去った。


 猫の鳴き声は聞こえない、当然だ、目を合わせていないし、何より猫からしてみれば少し揺れただけに過ぎない。感謝される立場に今回は立っていない。


 でも、少しだけ心が安らいだ。未来に進めた気がする。



 ✕✕✕



 屋根から出ると豪雨が俺の体を襲う。目を開けることすら難しい。風に乗って勢いを増した雨粒がここまで痛いものだとは思わなかった。


 しかしそれももうこれで終わり。俺の心にもう呪いは無い。清々しい気分だ。雨に濡れて、教科書が濡れて、明日一体どうすればいいのか。という考えは無い。人としてすべきことをしたからか、心が弾んでる。


 家まで後少しだ。ヒントを得られたからかあっさり終わらせることが出来たと思う。


 この体験はきっと大切なものになる。今日からは誠実に生きよう、弱さを出さず、強く生きよう。人として、誰かのために生きる人生を遂げよう。


 救急車の音が鳴り響く。車道では水溜まりを大きくはねとばす姿が見られた。夜に近い暗闇に映るその水しぶきはやや黒ずんでいる。


「……?」


 その光景を見て、聞いて、なにか心につっかかりを覚えた。……何だろう、このもやもや。


 でも、今はそのもやもやを考えるより帰ってこられたことを喜ぼう。


 家に着いた。雨は少しずつ強さを増している。雷も頻繁に落ちている気がする。


 ドアノブに手をかける。


 これから俺の成長が人生に




















「愚か者」


















「……」


 鏡はない、自分の顔なんて分からない。ただ一つ言えることがある。今の俺は心底怯えた表情をしているということだ。


「戻された……?」


 ドアノブに手をかけて、まずは俺の視界がホワイトアウトした。今回はそれに加えて、何か体に激痛が走った。


「うぎぃやぁぁぁぁぁ!!??」


 俺は悶えたこの世にこんな痛みがあるのかと思うほどの衝撃。骨が軋んでクッキーのように砕けた様な気がした。


 何か、重い鈍器をぶつけられたような痛みに襲われた。気温は低いのに油っこい汗が流れ出る。


 激痛も特筆すべきまずい点だけど、それ以上にまずい事がある。単純に、ここを抜け出すことが出来なかった。


 いちばん自信のある回答を潰された。俺の『呪い』の解除は猫を助けることじゃなかったのだ。


 じゃあ、何だ?


 俺は廊下に大の字になって倒れた。黒い天井を見上げて、頭を回す。


 俺にかかってる呪いに、もはや心当たりはない。あの雨のなか他にあった出来事なんて……。


「……残念でした、ね」


 考え事をしている時に、またも彼女はにゅっと俺の視界に入り、不意に声を掛けてきた。

 

「うおう、びっくりした」


 でも前回よりは驚かない。2度目だということもあるが、彼女の声だったから。


 彼女が離れた、俺は身を起こして彼女の方を見る、少しオドオドとしていて、申し訳なさそうな雰囲気を出していた。


「……ごめんなさい」


「い、いやいや、そこまでならなくても」


 まさかそこまで悲しむとは思わなかった。俺の方も少し慌ててしまう。


 実際、彼女がいてくれるのは有難い。話し相手がちゃんといる、というのは本当に気が楽になる。


 生と死の狭間のようなこの世界で、もし彼女がフレンドリーでなく本当の悪霊のような存在だったなら、俺はもう心が壊れそうだったと思う。


 俺はそこまでメンタルが強い人間じゃない、先生に逆らうことも出来ないし、自分の意見を貫くことの出来る人間ですらない。


 だから、この気持ちを聞いてくれるような存在がいてくれて俺はとても嬉しい。


 口には出さないけど、彼女には感謝している。


『呪い』なんかじゃない、彼女はここではなくてはならない存在になった。


 ここにいてくれるから、俺は次に行こうとすることが出来る。


「なぁ、質問いいか?」


「……なんでしょう」


「さっきここに戻ってくる前にすごい痛みが走ったんだけどさ……あれなに?」


「……あれも『呪い』の一部……だと思います」


 思います? ここの住人らしいのに曖昧な表現だな。


「もしかして、何度も失敗するたびにあの痛みが?」


 俺のこの質問に対して、彼女は無言で頷いた。


 人間恐怖を超えると笑うと言うが、今はまさにそんな感じだった、口端が歪み、乾いた笑いが漏れ出す。


「……ごめんなさい」


 そんな俺を見てか、彼女はまた申し訳なさそうに謝ってくる。


「いやいや、君が謝ることじゃないでしょ。こんな呪いを背負った俺が悪いんだ」


 彼女のためにも、安心させる振る舞いをしなくてはならない。申し訳なさそうにしている彼女を見てると、なぜか少し心が苦しくなってしまうから。


「……それじゃあ、次行ってみるか」


 俺はゆっくりと立ち上がった。恐らく、次の一回は試しの一回になる。情報収集にあてるからだ。


 ただ純粋に帰り道を歩くのではなく、回り道をして色々なものを見て回るべきだと思ったのだ。


 そして、自分の『呪い』に決着をつける。


 しかし、心配なことがある。俺はあの激痛を思い返した。


 まるでトラックに正面から衝突したような激痛。俺の体に損傷はないけれど、心が、記憶が、その痛みを覚えている。


 何度もあの痛みを味わえば本当に死ぬ。心が死ぬ。


 だから今回で『呪い』の答えを見つけてみせる。そう考えてた。


 傘を手に取り、呪いの始まりを告げる思い昇降口の扉を開く。もはや聞き飽きた雨と雷の轟音が耳障りだ、同じく見飽きた色気のない景色がもう気持ち悪い。


 この感情は俺の原動力の一つになった、早くここから逃げ出したい。その思いを強く心に刻み込んだ。

 

 後ろを振り返る、顔が見えない彼女がまだそこに居た。服を強く握りしめている。足指が強く丸まってる。


 不安、心配、恐怖の表れであると国語の授業で教わった。ブルターニュの二少女の片割れ。そして恐らく、片方は俺。


 彼女が抱いているものが何に対しての不安なのかは分からない、何を考えているかなんて俺には理解できない。


 ただ彼女を知るより先に、俺は世界を知ってここから出たい。これまた理解はできないが彼女もまたここを出たがっている。


『人として、すべきことを。』


 今すべきことは両者の利害が一致している『脱出』なはず。


 互いの不安を打ち明けず、俺はまた雨の中に身を投じた。






 ×××






 恐怖はわからないから訪れる。


 わからないから希望が生まれる。


 どちらも未知からくるものだ。


 知らないことを恐怖と取るか希望と取るかは人次第だ。でも大抵取った方とは逆の展開になる。


 それを『フラグ』と人は言う。恐怖しているものに限って大したことのないものであったり、希望的で楽観的な考えが身を滅ぼすことだってある。


 あの『呪い』と言っていた白い彼女でさえ、外見が恐ろしいだけだった。話してみればただの女の子だった。


 ここから出られると希望を持って進んだ一回目の挑戦は、呆気なく粉々にされた。与えられたのは大きな絶望。


 三度目の帰宅の中、そんなことを思いながら歩いていた。


 だからこそ、俺は未知に恐怖しよう、怯えながら進もう。大胆に死んで評価される時代は既に終わっている。神風特攻隊のことを悪くは言わないが、今の日本にそんな大胆さは第一では無い。


 大切なのは慎重さだ、常に最高品質の製品を作る日本の技術。それを可能にする慎重さが必要なんだ。


 俺は死にたくないし、痛い思いなんてしたくない。


 だから慎重になるんだ。周りを見て、最小限の痛みで済むように、脳を回し、知識を巡らせ、思考を止めずに、答えを探す。


 瞬きを忘れるほど、俺は警戒して周りを見た。


 そうしていると、屋根の一件のように、自分が今まで何も見てこなかったことを理解した。


 この帰り道に、俺は誰一人として人に会っていないのだ。


 すれ違うこともなく、孤独に歩き続けていた。人間ここまで盲目になれるのかと心から驚いている。


 でもここに生きている人がいないとなると、何故車は走っているのだろう。何故猫が鳴いているのだろう。見直したこの夢のような現実は、ただ俺に疑問を残していっただけだった。




 ×××





 宣言通り、今回は調査に時間を当てる。


 人がいないということがわかって、話を聞くことが出来ないとわかると本当に何をしたらいいのかわからなくなった。


 この傘を使って、なにをすれば人として正しい事なのか。はじめにあった自信は崩れていた。


 でも、今回はあくまで調査。答えを出す必要は無い、最小限の回数で『呪い』の正体を掴めばいい。


 少々歩いてみて気がつくことはいくらでもあった。それは人がいないということであったり、この世界の家には上がれないようになっていることや、ドアは引いても押してもスライドしてもびくともしないこと、コンビニの自動ドアは開かないことなどが分かった。


 情報収集、調査と言っても、聞く人や集める情報の源がなければ結局は意味をなさない。最終的にはあの痛みを味合わなければならないんだ。


 そう思うと怖くて仕方ない。


 そんな状況、失意の中俺の目に何かが映った。


 霧がかったこの街に、水を跳ねながら突き進む車のフロントライトの先に、人間のような姿が見えた。何メートルか先を歩いているのが見えた。


 本当に薄らとしか見ることができなかったけれど、あれは確かに人だった。


 追おう、そう思った時には、すでにその人間は見えなくなっていた。


 見えなくなったとは行っても、瞬間移動が出来る筈も無い。ここら辺の近くに、さっき見えた人間がいる筈。


「人間じゃないかもな……」


 見えた影がもしかしたら人間では無いかもしれない。俺の生んだ幻想かもしれない。呪いの一種の即死ルートかもしれない。


「でも」


 それでも、前を向くには十分すぎる。


 初めて見た『呪い』以外の人影。その見えた先をめがけて俺は雨の中を駆け出す。


 足首が、やけに冷たい。




 ×××




「人であってくれ」


 水たまりを弾き、走りながら探しているうちに、どんどんと期待が強くなっていく。心の底から焦っているからか、心臓がやけに速い、呼吸の乱れも尋常じゃない。


 いつもより全然走ることが出来ない、激しい雨のせいで前に進んでいるのかすらわからない。遂に力尽きてしまい膝に手をついた。前を向いていたのは結局ほんの一瞬、暗い景色に光るライトで水溜まりに映る俺の顔が見える。


 これもまたあの人影のように一瞬しか見れなかったが、少し老けたように俺は見えた。


 ルックスに自信がある訳では無い、ただ自分の顔がこの世界で受けた精神的ストレスによって崩れていくのだと考えると、また気分が悪くなってくる。


 でも今は俯いてる場合じゃ無い、そんなことで沈んでる場合でも無い。


 初めて見た希望の人影、これを逃せば精神的にも俺が参ってしまう。


 呼吸はまだ整っていない、それでも歯を食いしばって前を見る。すると、また人が見えた。


「ひ、人だ……」


 人影は女性だった。この土砂降りの中傘すら持たずにぽつんと突っ立っていた。学生服のような黒地の服はびしょびしょ、彼女の長い黒髪が雨に打たれて艶めいている、本当に身体中真っ黒で、『呪い』とはまた別の恐怖を感じるような雰囲気を漂わせている。


 少しの間、彼女に目を奪われた。


 人ということで、とりあえず一安心した俺は、まず呼吸を整えるべく、深呼吸をする。、彼女はどうやらこちらに気がついていない。名も知らぬ男性が荒れた呼吸のまま話しかけてきたら流石に怖い。この世界に警察がいるかは分からないけども、下手したら逮捕だ。まずは落ち着こう。


 しかし好都合だ、この世界に来てようやく運がいいと思う出来事だ。食べ慣れてないおせち料理の中に唯一食べられるエビフライが入っていたような幸運。


 変なことを考えられるぐらいに意識は呼吸とともに整い始めた。彼女に近づく。その時、同時に彼女もまた歩き出した。





 一瞬、思考がまとまらなくなった。


 ここに来てから当分聞いていないクラクションが鳴り響き、骨が軋むような鈍い音が俺の脳を揺るがした。音で脳震盪になるところだった。


 次に聞こえたのは滑る音、


「……え?」


 目を見開いてその光景を見つめた。永遠に感じられるぐらい見つめた。彼女の進行先に四角くて赤い光が、ぼんやりと浮かんでいる。


 暗い世界に、ブレーキしきれなかった車のライトが足元を照らす。


 明かりがなければ理解すらできない、雨に紛れた紅の水流が、放心した俺の理解とともに、すり抜けて行った。


 理解したことは一つ、彼女にはもうこの時間軸では会えないということだった。




 ×××




 希望を与えられ、それを奪われたのはこれで2回目。人とは存外学ばぬ生き物だ。


 だが俺の心には一つの希望が見えていた。この世界から脱出するための手段。呪いの解除法。「傘を正しく使う」ということ。


 この世界を回らずとも、轢かれた彼女を超えるような悲しい事件は恐らく無い。


 彼女は歩き出す直前に俯きがちになっていた、それは恐らく傘をさしていなかったからだ。


 傘がなければあの大雨の中で前を向いて帰るなんて出来るはずがない。俯かなくては目が開けられない。


 彼女が死んだ理由は、不注意はもちろんだが、視界が悪いというのと、その原因を作った傘が無いということ。


 これだ、これしか無い。


 希望を持って進もう、それさえあれば痛みを一回超えるだけだ。


 血生臭い人身事故現場を離れて俺は家に帰る道まで戻った。


 その時に一瞬だけ、また何か見えた。人影じゃない、このくらい世界で最も光り輝いていた存在。


「……どういうことだ?」


 さっき、俺はこの世界に来て気がついたことして人と会っていないということと、なぜか猫がいるということと、ドアが開かないことなどを述べた。


 あと一つ、暗さや比較対象がなかったからということもあり、それを見るまで気がつくことが出来なかったのだが、今俺が目にしている一つのものを見て、疑問はさらに深まった。


 コンビニが見えた。そしてそのコンビニは今まで見て来たこの世界のものとは違う、強い光を放っていた。


 いや。多分今まで見て来た光が弱かったのだろう、いつも俺はこれぐらいの光を見て来た気がする。


 気になった。


 早くこの世界から出なければならない、そうしなければ俺の心がイカれてしまう。分かっているのだ。


 でも、何故か足がそちらに向かってしまう。吸引力があるかの如く、俺はその光の先に吸い込まれていった。


 好奇心じゃない、この力は強制力に近かった。嫌な言い回しだが、世界がここに来いといっている。




 ×××




 自動ドアの前に立つと、今までのコンビニとは本当に違っていた、自動でドアが開いたのだ。


 だから自動ドアって言うんだろ。なんてツッコミが俺の頭によぎる。我ながら哀しい男だと心より思う。


 しかし驚いたのは事実だ、これまで情報収集の際に入ろうとした家やコンビニ、スーパーなどの扉や窓は一切開いていなかったから。


 本来奇妙でないことが、この世界では奇妙なこととして扱われる。本当にこの世界は一体なんなのだろうか。


 傘を閉じて、中に入った。


 店内は明るい、外から見ても明るかったから当然だ、しかし店員はいない。あまりに奇妙だ、ここまで人がいないとなると、やはりさっき車に轢かれた彼女は只者じゃない。そう思った。


 しかし、この明るさは少し落ち着く。


 今までずっと暗くて寒い雨に濡れて来たからだろうか、こう暖かな色を出す光を浴びていると安心感が出て来る。


 それが人の作り出した光でも、俺にはそれが今は暖かい。人と居られるということだからだろうか。


 少しの間ここにいよう。そう思って人がいないのをいいことに、コンビニの中で堂々と俺は座り込んだ。きゅっと音がする。相当濡れてきたのだと実感した。


「あの人は……傘をさしていなかったから、こんなもんじゃなかったよな」


 目を瞑り、落ち着いた心と瞼の裏に目の前で車に轢かれた彼女が映り込む。


 あれほど音を立てて吹っ飛ばされたのだ骨や体はぼろぼろ……?


「……くる、ま? 轢かれて、飛ばされて……衝撃?」


 その時、俺の脳内に残る嫌なもの二つが結びついた気がした。そしてそれはとても俺自身が納得してしまうものだった。


 俺がこの世界のスタートライン、学校に戻される際に起きるあの衝撃と、彼女が受けたであろうあの衝撃は、似ているのではないか?


 俺は車に轢かれたことは無い、でもなんとなくその衝撃と痛みは想像できる。それは恐らく()()()()()()()()()()()()()()()()()様な衝撃で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()痛みが襲うのだろう。


 それは、俺が味わったもの。


 つまり少なくとも、彼女は既に二回は車に轢かれたということになる。


 その結論が出た瞬間、暖かな電気の明かりが、急に冷たくなったのを感じた。居心地の悪さが背筋を走り、ぞくりと俺の体を震わせた。


 呼吸が荒くなるのを実感する。吐き気がするのも分かる。


 だって、今俺が出した結論が正しいのなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 俺は立ち上がって、すぐさま家に向かって駆け出した。


 早く、この呪いを解かなければ。その思いで心は埋め尽くされていた。


 そうか、これが本当の呪い……。


 自分のことしか考えず、他人の傘を盗み、挙げ句の果てにそれを正しいことに使わなかった呪いか。


 自己責任で、自分だけに迷惑がかかるなら分かる。全て俺が悪いのだから。


 でも、俺のせいで声も名前も知らない女性すら巻き込んでしまっている。


 心臓が締め付けられる。怖くて怖くてたまらない。


 早く。この世界から出なければ。




 ×××




 ぐるぐる回る混乱の中、遂に家に着いてしまった。あぁ、またあの痛みが襲いかかって来るのか。


 ……嫌だ。


 嫌だ嫌だ嫌だ!


 だって、あの痛みは車との接触事故の痛み!


 つまり、本当に人が死ぬレベルの衝撃!


 理解したからこそ生まれる恐怖。起こりうることが全て理解して生まれる恐怖。


 分からない事への希望は、潰えた。あの痛みは俺があの学校に戻されて、そこが空中で、落ちた時の衝撃かもしれない、そんな軽々しい考えは俺が出した答えに、見てしまった光景に塗り潰された。


 ドアノブに手を伸ばす、分かっているのだ。これに触れなければ世界は戻らない。彼女を救うことが出来ない、呪いを助けることもできない、自分を救うことも出来ない。


 でも、それ以上に、死ぬほどの痛みが怖い。


 結局のところ、俺には覚悟がなかったのだ。とりあえず深呼吸して落ち着こう……。


 そう思って、伸ばした手を下ろそうとした時。ドゴンと、背後に雷鳴が響き渡った。


 久しぶりに聞いた轟音に俺はほぼ無警戒だったため、びくりと体が跳ねてしまう。


 その時、指先がドアノブに触れた。


「ひっ……!!」

























「愚か者」
















 目が覚める。これが、3度目の景色。


「あぁぁぁああぁぁぁあぁああぁぁぁぁ!!!!」


 そしてその目覚めは激痛とともに。


 理解はしていた、ただ慣れない。


 人が死ねるのは1回だ、もしあの事故であの女性が死ぬとしたら、俺もまた3回死んでる。


 そしてその死ぬ痛みを2回味わってる。


「うっ……ぐっ……うえっ……い、いたいぃ……」


 もう泣いてしまいたい。泣いて泣いて泣き喚いて、それで全部なかったことにしたい。


 何でだ、なんで傘を盗んだ程度でこんなことにならなくちゃいけないんだよ!


 俺だって傘を盗まれたことぐらいはある。それならそれを盗んだやつにだってバツがあってもいいじゃないか!


 何で俺なんだよ!


「くそっ!!」


 ありったけの怒りと行き場のない憎しみを込めて、これは床に全力で拳を叩き込んだ。


 ただ自分が痛いだけの行為、無意味で無駄で無価値な一撃。理解した上での馬鹿げた行動だった。


「……大丈夫……ですか?」


「……お前か」


 そんな俺を見て、声をかけてくれたのは『呪い』の少女。俺が雨の中見た彼女とはまるで逆の外見をした白い少女だ。


「……頑張って、頑張って」


 ただ彼女は俯いて、俺を応援するだけだった。


 馬鹿らしい、俺は思った。


「うるさいなぁ……分かってるよ」


 イライラを『呪い』にぶつけてしまう。最低だ、最低な男だ。自分でもわかるぐらいに最低だ。


「……ごめんなさい」


 しかし、彼女は何も言い返してこなかった。悪いのは俺なのに、彼女はただ俯いて謝るだけだった。


 自分の弱さに、本当に嫌気がさしてきた。こんな人間、本当に生きてていいのだろうか……。


 こんなんで、俺の『呪い』を打ち倒せるのかな。


 いや、今回は前回の調査で答えと思われるものを見つけることが出来た。そもそも前回から失敗するとわかっていたんだ。布石だ、だから大丈夫だ!


「……あっ……ま、待って!」


「ん?」


 傘に手をかけて、行くぞ。という俺の勢いに『呪い』がストップをかけた。


 心に余裕が無いせいか、俺は無性に腹が立った。早く行かせろよ、と思った。早く行かなければ彼女がまた事故で死ぬところまで間に合わなくなってしまう。


「何!? 早く行きたいんだけど!」


「す、すみません……すみません……」


 ああもう! 謝るなら言うな! 言うなら早く言えよ!



「……もっと、もっと周りを見て!」



 プチンと、キレた。


 この女は何を知っているんだ?


 俺の痛みすら知らないで、彼女の痛みを知らないで。


 周りを見ろ? 見てないのはお前の方だろうが!


「……チッ!」


 もうイライラして何も返せなくなった。傘を乱暴に抜き去り、俺は雨の音が響く世界にまた足を踏み入れる。


 じゃあな『呪い』、お前とはもう合わないと思うよ。





 ×××





 最早耳障りになってきたこの雨音。


 小さい頃に、『今日が何回も続けばいいのに』と思ったことがあることを思い出した。


 今この状況にいる俺なら、その首を叩き切ってるところだ。


 代わり映えのない景色に、変わらない目標。


 つまらないし、本当に辛いだけだ。


 だから早く抜け出したい。本当に俺が壊れてしまう。


 全速力であの歩道へ向かう、大丈夫だ、きっと間に合う。


 走りながら、思う。


 これが間違っていたら、人としてすべきことがこれでは無かったら、そう思うと怖くて仕方ない。足が止まりそうになる。


 でも、止めた足でどこに向かう、どこに行ける。地面が腐って脆くなって落ちるまで耐えるのか。


 違う、まずは動くんだ。例え、この先が閉ざされていても。


 恐怖に体が引っ張られる。後ろに引っ張られる。


 俺は、傘を広げることすら忘れていた。





 ×××





 一度来た道のり、忘れてはいけない道のり。


 俺は今彼女が事故にあった現場、いや、事故が起こる現場にたどり着いた。


 彼女は、まだ来ていないようだ。


 呼吸をくる前に整えておこうと早い段階で深呼吸をする。雨でびしょびしょになって下に落ちた髪の毛をかきあげて、落ち着こうと努力する。


 早く来すぎたのかもしれない、彼女が来る気配は一向に無かった。


 ただそれでも、俺は傘をささないで彼女を待ち続けた。それが責めてもの償いになると信じたかった。変な理由のこじつけでも構わない、自分を助けたかったのだ。


 寒い、冷たい。


 歯がカチカチと震え、雨とともに吹き荒れる寒風が体温を奪う。彼女はこの苦しみを既に三回味わっている。死をも想像させる衝撃も、三回叩き込まれてる。


 俺はまだ二回だ、俺の方が辛くない。だからこれぐらい、耐えてみせたい。


 でも早く来て欲しい。その思いはちゃんとある。


 それは自分の為だと分かっているから、なおさら自分が嫌になって来る。


 この世界に来てから、俺はどうも自分の弱さに直面している気がする。弱いところを、ウィークポイントのみを突かれているような。そんな面接試験で自分が練習していないところしか言われなかった的な気持ち悪さを覚えた。


 雨が強い、雷も定期的に落ちている。早く、早くこの雨から抜け出したい。


 でも、この自分勝手な思いは他人を救うことにつながる。これからここに来る彼女に痛みを与えずに済むし、『呪い』をここから解放させることが出来る。一石三鳥である。


 自分勝手を正当化できた事で落ち着きを少しだけ取り戻すことが出来た。この精神状態をキープしたいと思う。


 ……しかし、来ない。


 ふと、今は何時か、と調べるべく無意識に俺はポケットに入れていたケータイに手を伸ばした。


 ホームボタンを押す直前に、開かないだろ普通。と思った。


「あれ、ついた?」


 しかし、俺のケータイは光を放った。この呪いの世界でこんなものが動いていいのかなんて思ってしまった。ホラーゲームじゃ絶対にありえない、タブーみたいなものだ。


 それはさておき今の時刻を調べる。画面は19時と示されてあった。特にもう見るものもないので即刻画面を閉じる。充電はできる限り取っておきたい。


「……あ」


 ケータイに向けていた視線を、今度はさっき来た道に戻す。強い雨で視界がぼやけるが、そこにはうっすらと人影がちゃんと見えた。


 やっと来た。俺はこれを待っていた。


 彼女が近づいてくる、俺は傘をさして準備をし、ゆっくりと歩く彼女の到着をまだかまだかと待ち続けた。


 これほど長い秒単位の世界は初めて経験したと思う。


 歩く彼女を待ちながら、最初に『呪い』の言っていた言葉を思い出していた。





『人として、すべきことを』


 



 はじめは脱出だと思ってた。でも今は違う、人とし

 て、見過ごすなという意味だと、俺は思った。





「……」


「え、えっと……」


 彼女が目の前に来た、睨みつけるように俺を見る。


 やはり、彼女は傘をさしておらずびしょ濡れで。前の時間軸のように長い黒い髪が悪魔のように艶めいてた。黒の制服に、黒の髪。真っ黒な彼女を見ていると飲み込まれてしまいそうな、そんな雰囲気が漂っている。


 なんて話をすればいいかわからない、彼女の目を見るとまるで石になってしまったかのように動けなくなる。恐怖にも似た感情が込み上がる、いっぽ後ずさった。


 いや、怯むな。彼女が怖いからなんだというんだ。その怖い彼女ですら車の正面衝突には耐えられない。そして俺はそれを止めるためにここに来たんだ。


「……はい」


「……」


 俺は傘を彼女に差し出した。彼女の視線が俺から傘に移る。


 これで、ようやく出れる。そう思った。


 そしてそこから、彼女は動かなかった。


 俺が手を伸ばして彼女に傘を差し出して、彼女がそれをじっと見つめるといった、そしてすぐにまた視線が俺に戻される。そこからよく分からない時間が流れていった。


 しかしその間も、彼女はまっすぐ俺を見てくる。俺はどうすればいいのか分からなくなって、視線が泳ぐ。目を合わせることが出来ない。


 なにか喋った方がいいのだろうか、なんて分かれる寸前のカップルみたいなことを思っていた。


「や、やるよ。これ」


 必死に絞り出したこの声。雨でかき消されないことを望む。


「……!」


 声が通じたのか、彼女は目を見開いて、俯いた。


 頭を下げて肯定……という訳では無いみたいだ。よく見てみると彼女の体は震えていた。


 当たり前だ、俺だって寒いのに、彼女が寒くないはずが無い俺は彼女の了承を待たず、雨から逃れられるように開いた傘を近づけた。


「違うの」


「え?」


 彼女が初めて口を開いた。俺のさっきひねり出した小さい声よりも更に小さい。なんで聞き取れたのか不思議な程に小さな声は俺の動きを止めさせた。


「ち、違う、違うの、違うの!」


「ど、どうした!?」


「違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!!」


 急に彼女が半狂乱になった。違う違うと騒ぎ始め、叫び続けた。


「な、なんなんだ一体……」


 俺はただ彼女が頭を抱えながら狂乱する様を、ほぼ放心した状態で見つめていた。


 ただ一つわかったことがある。違う違うとこれまで言うのであれば、また間違えたのだということだ。


 傘を彼女が受け取らなかったから、暗い雨の中、俺たち二人は雨に濡れ、失意と狂乱は静かに立ち尽くしていた。






 ×××






「違う……違うの……」


 彼女はずっとそれだけしか言わなかった。


 雨で濡れていて、しかも顔を下げられているからよくわからないけれど、泣いているような声の出し方だった。


 でも、俺は少し気分を悪くしていた。


 違う、分からないの一点張りじゃあ、俺もなんなのか分からない。だから何が違うのか言って欲しいのだ。


「違う違うって言ってるけど、いったい何が違うんだ?」


 少し怒り気味の口調でそう吐き捨てた。あちらが違う違う言って泣き出してるから向こうが被害者みたいな感じになってるけど、本来は俺の方が被害を被ってるところがある。だから俺は絶対に謝らない。


 すると、喚いていた彼女がぴたりと動きを止めた。騒ぐのもやめた。そして俺の方を涙顔で見て、こう言った。


「……なんで、ここまで来て……気づかないの?」


「は?」


「あぁ、もう、時間」


「え? ま、待って、何処に行く!」


 ふらふらと、また彼女は歩き始めた。


 記憶が蘇る。


 あの音が蘇る


 あの光景が目に浮かぶ。


「待て!!」


 力いっぱい叫んだ、赤の信号を無視して渡ろうとする彼女に向かって、静止の声を荒らげて叫んだ。


 声は届いた、筈なのに。


 彼女は止まらず、横断歩道を渡ってしまった。


 そして、聞きたくもない音が、光景が、また俺の五感に打ち込まれる。




 ドゴン、と。




 ×××






 そこからの俺は、もう放心状態で、自分でも何回死んだのか覚えていない。


 思いつきから何度も何度もチャレンジしたが、何にもならなかった、なんの成果も挙げられなかった。


 ドアノブに触れることが怖くて仕方なかった。


 何度も何度も、俺は激痛を味わった。


 そして戻されるたびに、俺の足は重くなっていった。


 何度もだ、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、俺と彼女は、死に続けた。


 もはや、回数など覚えていない。感情すら、消えかけていた。生きることも、半分諦めかけていた。







 ×××







 轟音とともに、また彼女が死んだ。


 今回は彼女の前に立ちふさがる戦法をとったが、無理やり死にに交差点に飛び出して、死んだ。


 そこまで、なぜ死にたいんだ。


 そこまで死にたいなら、もう何もしてやれねぇよ……。


 足取りが重い。靴が濡れて重い、というのはもちろんだが、何より、俺自身が前に進もうとしていないのだ。


 自分でも、もう分かっている。


 終わりだ。


 もう何も分からない。


 猫を救うことでも、人を救うことでもない。人としてすべきことがまるで分からない。


 俺は、この傘をどう使えばいいんだ。


 頭が考えることを止め始めている。無駄だ無駄だと心が囁く。


 そんな胸中、俺は遂に足を止めた。


 帰り道を歩いていたその足はもう動かなくなっていた。


 先に進めば激しい痛みが俺を襲い、また意味のわからないこの世界を歩かされ、失意の中、それを繰り返すはめになる。


 それならいっそ、前に進まなければ、ずっとここに住めれば─────。


「もう……無理だ」


 来た道を振り返る。前に進む気力すら消え失せた。


 先に進むしかないと分かっているのに、体が、脳が、神経が、それを拒む。


 今行おうとしている行為に何の意味もないことを知っている。でも、俺は今()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 流れに抗う鮭の如く、俺は来た道を戻る。


 大して意味なんてない、ただ前に進むのが怖くなって、ここにいるのが嫌になったからだ。そうなったらもう後ろに戻るしかない。


 もうここから出ることを、俺は諦めかけていた。いや、諦めていた。





 ×××






 分からないから希望や絶望が生まれるのだと、俺は言った。


 それに付け足すと、全てを理解した時、そうなればもうこの世の中なんてつまらないものになるだろう。


 未知という言葉、存在があるからこそ世界には希望と絶望が溢れ、活気が生まれている。


 その考えは間違ってはいない、でも俺はそれにさらに付け足す。


 分からないことだらけなのが一番つまらないし、怖いんだ。


 理解したくてもできない。


 答えを探しても見つからない。


 希望すら見当たらなくなって、その時人は空っぽになるんだ。


 浮遊霊の如くふわふわと、考えることをやめてゆらゆらと、今の俺のように歩くことになるのだ。


「そして……意味の無いのことを繰り返す」


 まだ二十歳にすらなってもないのに、こんな悟っていいのかと思う。でもここから出られないんじゃ年も悟りも関係ない。全ては無駄なのだ。


 もう何も考える気が起きない。勝手に希望を抱いて、砕かれて、空っぽになった。


「あれ?」


 一瞬、何か考えがよぎった。


 見落とし、思いつきがよぎった……気がした?


 でも、それを探す気もなくなってる。


 思いつきはスルーして、またふらふらと学校に向かう。


「着いた……」


 いつかのループ以降、で俺は『呪い』と「周りを見てと言われてから」話しておらず、悪い印象を持っている。『呪い』もまた俺のことを悪く思っていると思う。


 居づらい、でもそこしか帰る場所がない。


 少し躊躇いつつも、俺は正面玄関の扉を開けた。





「……え?」





 中に入って、雨の音が少々収まったが、視界はあいも変わらず暗闇。


 そして本来ならその暗闇に一つだけ白い存在があるはずなのだ。



 その白い存在。『呪い』が、白い服を何かで赤く染め上げて倒れていた。



「お、おい!! 大丈夫か!?」


 久しぶりに、大きな声を出した。喉が痛い。いや、そう言ってる場合じゃない!!


 俺は急いで駆け寄った。それは服の一部分だけが赤くなっているのであれば、『呪い』が倒れている理由がつかないから。


 一部分だけが赤い服、そして倒れている『呪い』ここまで来れば誰にだってひとつの答えに辿り着ける。


 血を流している。


「……げほっ! ごほっ!!」


「や、やばい……!」


 まさか、呼吸が出来ていないのか?


 思考がパニック状態だ。こういう時、いったい何をすればいいんだ。


 血を止める? それとも人工呼吸?


 頼りたい救急車はきっとこの世界には存在しない。


「どうすれば……」


 額から滲むように汗が出る。俺の呼吸も乱れ始める。


 このままでは、彼女が死んでしまう!!


 呪いだから死ぬはずがないと思ったけどここまで苦しそうにしているんだ。何とかしないと!


「げほっ! ……な、なんで……ここに……?」


「喋るな! 畜生、嫌だぞ……目の前でまた人を死ぬのを見るなんて!!」


 俺はもう泣きそうになっていた。自分の無力さが嫌で嫌で気持ちが悪い。


 何も出来ないじゃないか、変にクールぶって、変な思考重ねて、それも無駄で、なんの役にも立ちはしない。


「くそっ……畜生!!」


 床に拳を叩きつけた。


「無力だ……結局、俺は君も彼女も、助けられない……!」


 俺がしたことなんて、『呪い』と話したぐらいだ。


 結局、俺はあの車に轢かれる女性を数え切れないほど殺して、今こうして苦しんでる心の支えになってくれた人の応急処置すらできない。


 冷たい体がどんどん冷たくなっていく。


 泣けばどうにかなる問題じゃない、でも、悔しい。


 どうにかしたかった、どうにかしたかったけど、俺じゃどうにもならない。


「……ごめん……ごめん!!」


 絞り出した謝罪は、俺の本心だ。


 どんどん弱っていく彼女を抱えながら、俺は何度も謝罪した。


 お前がいたから頑張れたんだ。ここに戻されても、お前がいるという安心感があったから無意識に次こそはと意気込めたんだ。


 ここに戻ってきたのだって、きっと、お前と話が出来ると無意識に思ってたからだ。


 でも、それすら今叶わなくなってしまう。


「うあぁぁぁぁ……!!」


 これから、俺一人でどうしたらいいんだ。


 この世界で孤独に生きるなんて、俺には出来ない。俺は君のように強くない。


 絶望して、ただ泣き、ただ涙を流す。


 その時、ふと俺の頬に何かが触れた。


 何かと思い目を開ける。なんと、彼女が俺の涙を指で拭いていたのだ。


 瀕死の体で、何をしているんだ。


「お、おい……」


「な、なか、ないで……?」


「うぅ……ご、ごめん……」


 謝罪しか言葉が浮かばない。こうして死を待つことしか出来ないこと、そして防げなかったことに対して、謝罪の念しか出てこない。


「……ちがう、よ。わたし、は、うれしかった、の。ほんとうに、はじめて、わたしに、はなしかけて、くれ、た、から」


「……そんなの、誰だってできる!」


 そして、俺は彼女を突き放そうとした。初めて話してくれた人を見つけたのに、それが何の因果か俺というクズ人間だったんだ。


「……俺は、クズだ……!」


「……うぅん、ちがう。クズなら、こんなに泣いてくれないもん」


「お前……でも、俺は、何も救えない……!」


「……でも、救おうと、がんばってる」


「え?」


 俺は彼女の顔を見た。


 長くて美しい白い髪が覆いかぶさっていて、一度も見たことのない彼女の顔。


 そして、改めて彼女の声を聴くと。注意深く聞いてみると、どこかで聞いたことがある声だった。


 いや、俺が勝手に否定していただけなのかもしれない。


 最初から気がついていたんだ。


 背丈も、声も、似ていた。


 ただ髪の色が違うというだけで、否定した。


 肯定すべき点の方が明らかに多いというのに、だ。


 俺は『呪い』の顔にかかっている長い前髪をかきあげた。


「……お前、だったんだな」


「……君なら、気がつくと、思ってたよ……」


 今にも消えてしまいそうなか細い声で、『呪い』はそう言った。


 かつて、俺をじっと見つめた人がいた。


 もう何回前だかわからないけど、その視線だけは覚えていた。


 脳裏に焼き付いた、俺が何度も殺した彼女の顔がそこにあった。



 やっと納得がいった。


 遠い昔になぜ彼女が「周りを見て」と言ったのか。


 それはこの世界のルールの一つ、『呪い』はこの世界から脱出するための情報を与えてはいけない。それを乗り越えるための手段だったんだ。


 きっと、ヒントはそこにあったんだ。いや、俺はもうそれを見ている。ヒントはあった。


 直接関係はないけど、脱出するためのキーになるものを俺に見せるために。


 そのキーというのは、恐らく黒い髪の車に轢かれる彼女。()()()()だ。


 しかし、周りを見て、これだけじゃ伝えようにも伝わらない。


 例えばなんの話もしていない人からそんなことを言われたら、そんなの怖くて耳も貸さないだろう。


 でも、俺と『呪い』は会話をした。そしてそれは『呪い』にとって初めての出来事だったんだ。


 彼女は確信していたんだ、俺なら、この世界から出してくれると。


「でも、そっちが倒れちゃ意味無いだろう……」


 真っ暗な昇降口で血だまりの上に折れるように膝をついた。


 期待されて、結果これだ。


 せめて、俺じゃなければ。


 俺以外の、もっとちゃんとした人間なら。人としてすべきことなんて、呼吸のように出来る人間なら。『呪い』はすぐにでもここから出られたはず。


 後悔を超えて後悔、そしてまた突き刺さる後悔。しないと誓ったはずなのに、重く俺にのしかかる。


「だい、じょうぶ……わた、しは、消えない……」


「大丈夫なのか……?」


 いや、大丈夫なはずがない、車に轢かれた彼女と同一人物であるならば、車の衝突をモロに受けているのだ。


 俺は感覚だけだが、彼女はリアルでもらってる。


 そして彼女はこの痛みを俺の何倍もの回数繰り返している。


 一人で、冷たい雨に濡れながらだ。


「……」


 消えかけていた俺の心に、少し篝火が灯された気がした。


 どうにかしなければいけないという思いが燃え上がってきた。


「なぁ、お前をどうすれば楽にさせてやれるんだ?」


「……どういう、意味?」


「お前のその怪我、どうすれば治る?」


「……それは」


 とても苦しそうに、途切れ途切れ話す。痛々しい。本当なら会話なんかしてる場合じゃない。でも手段が限られているのなら、この世界に医者や病院がないのなら、この世界に長くいる彼女に聞くしかないのだ。


 彼女の視線が泳いだ。言いにくそうに口を開いた。


「……時間を、戻すこと」


「時間を戻す?」


 無理難題を言われた気がした。


 時間逆行となると、タイムマシンを作るところから始めなければならない。


 つまりは、起きたことをなかったことにすればいいということなのだろうか。


 過去に行って、今を変えろということなのだろうか。


 無理だ。


「どうすりゃいいんだ……」


 満ち溢れたやる気が、一歩目の落とし穴に落とされた。まさかこんなことをしてほしいなんて言われるとは思わなかった。


 歯ぎしりをした、ただ絶望はしない。無力なのはもう何度も実感している。下を向いても始まらない、悲観に暮れる時期は終わってる。


 どうすればいいか頭を回せ、考えろ……!!


「あっ」


 閃いた。一つの考えが脳裏を電流の如く走る。答えはとても簡単で、辛いものだったのだ。


 冷や汗がたらりと落ちた。


「……周りは、見ましたか?」


 少し怯えていた俺に、『呪い』は優しい声で俺に問いかけてきた。


「……その周りを見るって言うのが、お前を見つけるってことなら、ちゃんと見て回ったよ」


「そうですか……なら、次は、()()()()()()()()()()()()


 そしてにこりと笑って、意味ありげにそう言った。


「ど、どういう意味だ!?」


 慌てて聞き返す。今回の意味がわかれば、またこの世界から出るチャンスが広がるかもしれない。


「……」


「あ、あれ、どうした……」


 何もしなくなった。力なく、だらんと、首が座らない、眠気に負けた赤子のように、彼女はプツリと何かが切れたように動かなくなった。


 慌てて心音を確かめる。


 しっかりと動いているのを確認できた。ほっと胸をなでおろす。


「……死んでは、いない……」


 なんとも不思議な状態だ。死んでいてもおかしくはない。いや、死ねないと言った方がいいのだろうか。


 彼女は『呪い』ではあるが、呪う側ではなかったのかもしれない。彼女自身もまた呪われていたのだ。





 ×××





 

 俺は、今歩いている。


 傘もささずに、雨に打たれて、一つの場所を目指し歩いている。


 おかしい所について考えなきゃいけないのだが、それより先に、体がぐちゃぐちゃになって、それでもなお痛みを堪えている彼女を救うことの方が先決だ。


 彼女が、車に轢かれた彼女と同一人物だとしたら。


 死にかけていない彼女に何回も出会っている俺の視覚に問題がある。


 周りも大して見れなかった俺だけど、そこまで目が悪いわけじゃなかった。


 だとしたら、今回死にかけている彼女を見た状況と、今まで見てこなかった状況を比較すれば、答えは簡単に出てくる。


「俺が、ドアノブに触れればいい」


 この至極簡単な答えを見つけ出して、次に考えたのは俺に襲いかかる激痛のことだった。


 この後に及んで、いったい何へたれてるんだ。と俺でも思う。でも、辛いものは、辛いのだ。


「……ただ」


 その痛みよりも。


「俺のせいで、希望を与えてしまった」


 人が死ぬ痛みよりも


「それを、絶望になんて、させたくない」


 俺の恩人を、この世界で唯一俺と話してくれる彼女を苦しめることの方が、ずっと辛い!!


 これまで、俺は俺がこの世界から出ることで全てが解決すると思っていた。


 だから何をするにも俺が出るためを最優先に、自分勝手な行動をしていた。


 それは正しい、きっと正しいんだけど。これは数学のような、答えがひとつしか存在しない問題じゃない。


 正しさは複数ある。


 俺が出ることと、『呪い』を救うことは。


 きっと、同意義なのだ。


『呪い』は、俺が話しかけてくれたから、希望がもてたと言っていた。


 なら俺もそうだった。彼女が、昇降口にずっといてくれたから。帰る場所があったから、頑張れた。


 その恩に報いることすらできないで、人としてすべきことなんて、出来るはずがない。


 家に着いた。痛みはすぐそこにある。


 それでも決意は揺るがない。


 手を伸ばす。


 震えない。


 心は安定している。


 恐怖はある。


 でもやらなきゃいけないんだ。


 触れた。


















「……」




















 ×××






「うっぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぃぁぁぁぁぁ!!!!!?」


 何回と繰り返してきたこの激痛。


 やはり……慣れない。暗い暗い天井を見ながらため息をついた。


 いや、自分が死ぬ痛みに慣れたら、それはそれで怖い。猫じゃあるまいし。


「そ、そうだ! 彼女は……うわっ!?」


 俺の考えが正しければ壊れた体が元に戻っているはずの『呪い』を探そうと、倒れて痛みを起こそうとしたら、いきなり俺の体に誰かが飛びかかってきた。


 そして、抱きついてきた。力いっぱい、抱きつかれた。


 あぁ。良かった。間違ってなどいなかった。


「……よかった」


「ありがとう、ございます。分かった上で助けてくれて」


 途切れ途切れ、『呪い』は俺に感謝を伝えてくれた白い服に、赤色はなかった。


 ひんやりとした彼女の肌が俺に触れる。でも、初めて彼女に手を握られた時のように、しっかりとした温もりが感じられる。


 この世界に来て、ようやく何かを成し遂げられた。


 痛みの代価としては、十分だ。


「……お前は、あんな痛い思いを何度も繰り返してきたんだな」


「はい」


「辛く、無いわけないよな」


「……はい。私も、心が壊れそうでした」


 信じて、信じた人はみんな勝手に絶望して消えていった。


 信じた人に希望を抱いていた彼女が貰った絶望は、俺の比じゃない。


 そう思うと、自然と言葉は出てきた。


 抱きついてる彼女を引き離して、顔を合わせる。涙でぐしゃぐしゃになった顔をじっと見つめて。


「俺が、絶対にこの世界からお前を救ってみせる」


 そう言った。こんなクサイセリフ、人生で一度も言ったことがない。それでも言わなきゃいけない気がした。己を奮い立たせるために、この死に続ける彼女の運命を変えるために。


「……はい!」


 彼女は、笑って答えてくれた。


 いい笑顔だった。





 ×××





 少しばかりの幸せな時間は終わり。この世界から出るために真剣に色々考える時間になった。


 実は女性から抱きつかれるの初めてで、結構今でも胸がドキドキしてる。ちなみに俺から抱きついたことも無い。


 いい匂いもした。でもこれ以上語るともう思考が色々追いつかなくなるのでここらでやめておきたい。


「どう、しました?」


「い、いや何でも!?」


 考え事をしている最中に、にゅっと顔を覗かせる。


 不意に視界に入られると、いろんな意味でドキッとしてしまう。しかも顔とか見ると普通に可愛いし。もしかしてこれが恋なのでしょうか?


 何言ってんだ俺、落ち着け。おかしくなってきてる。名前も知らない人だぞ? 


 とりあえず、顔が熱い。


「そ、そうだ、君が元に戻ったら色々聞きたいことがあったんだ」


「は、はい。何でしょう。答えられる範囲でなら、お答えします」


 この世界のルール。彼女からこの世界の脱出方法を伝えることが出来ない。


 それに、疑問を持った。


「何で、君は俺に脱出方法を教えてくれないんだい?」


「……それは」


 目を逸らされた。答えにくい問題だったのかもしれない。でも、この答えは知っておきたい。この世界から脱出するための情報を少しでも知っておきたいから。


「私が、そう望んでいるからです」


「……は?」


 少し意味がわからない。


 彼女はこの世界から出たいと思っているのに、出る手段を知っているのに、それを人に伝えない。


 そんなの矛盾も甚だしい。


 彼女が本当に望んでいることが、イマイチ理解出来なくなってしまった。


「じゃあ、君は何を望んでいるんだ? 君の望みは何なんだ?」


「……私の望みは、この世界から出ることです!」


 よ、余計分からなくなってきた……これほど噛み合いのない話も珍しい。


 いや待てよ。分からないで否定してばっかじゃ何も分からないままになる。


 彼女の話を全部肯定してみよう。


 つまり彼女が望んでいることは……。


「……多分だが、脱出方法をヒント無しで見つけてほしいんだな」


「……」


 何も言わなくなった。ビンゴだろうか。


 そうなると、まるで試されているみたいだ。一種の試練のようにも感じる。


 そして極めつけには『人としてすべきこと』という訳だ。あの傘立てにある傘を使って人としてすべきことをしろと言っている。


 結局すべてはここに帰結するのか、『この傘で何をすればいいのかわからない』ということだ。


 車に轢かれる彼女とこの『呪い』の彼女は何度も言うが同一人物。彼女に傘を渡すことですらない。


 俺が心にダメージをおった最初の出来事、猫の救出ですらない。


 そしてこの世界の周りには、助ける人影すら見えないのだ。


「分からねぇ……人としてすべきことって、何だ? 人助けじゃないのか?」


 助けたいけど助けられる人がいないとは、あまりにもおかしな状況だ。もしかしてまだ何かあるのか? この傘を使って助けられる存在がまだ残っているのか?


「……傘は、人助けの道具ですか?」


「え?」


 少し不機嫌そうな口調で彼女がボソリと呟いたので、反射的に聞き返してしまった。


 顔を見せてくれるようになったので、表情がわかる。不機嫌だ。むすくれてる。


「傘はそもそもそんな大層な物事に使うものじゃないですよね?」


「まぁ、確かに……」


 彼女がこう言ってくれてるということは、この話脱出に関係がないのだろうと思う。


 でも、なにか聴き逃してはいけない気がした。


「雨を遮るために使うのが、傘なんですよ」


「雨を遮るため……か」


 そう思ってみると。やはり俺のしてきた行動というのはどこかずれていたのだと実感する。


 猫の命を救うための傘じゃないはず、人の命を救うために傘なんて使わないはず。


 全ては雨に濡れないためだ。


 ちゃんと傘をさして家に帰ることが傘に課せられた使命なのだとしたら、俺はとんだ思い違いをしていた。


 大層なことなんてしなくていいのだ。そもそも傘がそんなこと出来るはずない。


「この傘で、俺自身が雨に濡れなければいい……とか?」


 ここまでの考えの流れで、俺はこの考えに収まってしまった。


 あまりにも酷い結論だけど、このビニール傘らしい薄っぺらい考え、実にお似合いだと思う。


「……私も、何度も痛い思いしたくないです」


「ち、違うんだな……」


 一刀両断された。まぁ、なんとなくは分かってたよ。


「はぁ……」


 ため息をつかれてしまった。本当に申し訳ない。でも真面目に考えてはいるんです。


「何で……そこまで来て、分からないんですか?」


「結構いい線いってるのこの考え!?」


「……それは言えないですけど」


 言ってるようなものだと気がつくのに、何分かかるか楽しみだ。


 互いにちょっと緩い会話が出来るぐらい、心の糸が緩まった。このくらい世界の中で、この俺たち二人の空間だけ、確かに暖かい光に包まれていた。


「ふふ、私、今……嬉しいです」


「なにが? 間違ったことしか言ってないのに」


 いきなり嬉しいと言われても、俺自身なんて返せばいいのかわからない。文脈もなんかおかしいし。


 問い返した俺に、彼女はまるで慈愛の女神のような柔らかな微笑みを浮かべて、語り出した。


「……私は、ある出来事が原因で、人が嫌いになってこの世界を生み出しました。人間の弱さや、卑怯さが、憎くて憎くてたまらなくなって、この世界を作り出してしまいました。

 ……この世界に来る人間も、また弱くて卑怯で、私が嫌いな人種ばかり集まって来たのです。

 頭のおかしい人なんて、それはもう沢山。殺されそうになったことも、殺されたことも。逃げ出して永遠の痛みを味わったことも、終いには、レイプされてしまうことも、ありました」


 ……どんな態度で、この話を聞けばいいのかわからない。


 笑いながら、こんな悲しいことを話せるのか。俺にはとても難しい。


「そして誰一人答えに辿り着かないまま、勝手に死んでいきました」


「何で……」


「? どうしました?」


「なんで、そこまで出来るんだ? そこまでして、君は何がしたい?」


 俺には分からない。俺なんかより遥かに絶望を受けてきて、一度も諦めることなく立ち向かっていく彼女の心境が分からない。鋼のメンタルでも説明がつかない彼女に、俺は震えた声でそう言った。


「私も、何度かすべて諦めようとしたことはありました。でも、私はきっと、()()()()()()()()()。人間を」


「人間を……信じる?」


 聞き返しに、こくりと頷いた。話は長く、まだ続く。


「はい、私は人間が憎くて憎くてたまらなくない。と言いましたが、それでも、人を好きになりたかったんです。私の見た弱い人間以外にも、きっと勇気に溢れた人間だっているはずだと。弱さは本質じゃなくて、一側面だと」


 涙が出そうになってくる。


 彼女は、彼女は、一体。


 どこまで、強いのだろう。


「だから、そんな希望がもてたから、信じられたから、希望をもって私はこの呪いを理解してくれる人が来るまで待ちました。

 でも、この世界に来る人間は、至って同じ人ばかり。自分の行動を無理やり正当化させて、それ以外を極力認めない、自己の塊」


「ううっ」


 心にチクリと刺さった。どこかで見たことのある人間そっくりだったからだろう。


 間抜けな声を出した俺に彼女はまた微笑みかけてくれた。その表情に、俺の頬が熱くなるのをまた感じる。


「もう、ダメだ。そう思いました。……あなたが、話しかけてくれるまでは」


 俺を指さして、彼女はニコリと笑った。でも、俺はそんな綺麗に笑えない。


「……そんな、大層なもんじゃないよ。俺だって、今まで君が見てきた人間と一緒だ。弱くて、卑怯で、厄介事からすぐ逃げそうとする愚か者だ。自己承認欲求の塊、エゴイストさ」


 優しい言葉をかけられれば、それは嬉しい。俺の行動が無駄じゃないのだと言ってくれるのは素直に嬉しい。


 でも、過去の俺の所業を変えることなんて出来ない。過去を消すことは出来ない。彼女を深く傷つけてしまったことに変わりはないのだ。


 だから、彼女の優しい言葉は、傷口に染みる。


「……はい。私もそう思います。あなたと他の人間に、そんな大層な差はないと思います」


「え?」


 いきなりの発言に、流石にびっくりした。そこまで構ってちゃんになった記憶はないけど、やっぱりすぐさま悲観を肯定されるというのはなかなか心にくるものなのだと身に染みて理解した。


「だって、それは私が望んだことなんです! どの人間にも、やっぱり優しさと勇気はあるんだって、分かったんですから! だからとても嬉しかったんです……あなたが、私を頼ってくれたことが」


「……」

 

 凄い、なんか照れる。


 一人の人間に、ここまで言ってもらえるのは、結構嬉しいものだ。しかも、かわいい女の子に、だ。


「……だから、もう、実は満足してるんです。勇気は全ての人が持っていて、希望は捨てない限り、叶うものだと知ることが出来ました。そして……あなたに会うことが出来た」


「俺は、他の人間と同じなんじゃなかったのか?」


「それは、人の本質は同じ、ということです。私は、あなたという個人の存在に出会えたことがとても嬉しいんです。私にとって……ち、違う意味で……特別……というか……」


「ッ!?」


 顔がボンッと爆発するほど暑くなった。隣に座る彼女もまた、顔を赤らめてる。


 え、何これ、どういう事?


 告られてるの? 俺?


 テンパる俺を横目に、彼女はおかしげに笑う。


 少し前まで、絶望しあってた二人とは思えない会話。お互いがお互いを救いあっていた。そして……好いていた。


 嬉しさと同時に、俺も彼女が好きになってしまったのだと、確信した。


「……初めて、人を好きになれました。名前も、住所も、年齢も、何も知らないですけど、私は、あなたという人を好きになれました。だからもう、十分です」


「……じゅ、十分ってどういう意味だ」


 また笑った。笑顔が似合う彼女が見せた今度の笑みは、少しさみしげに見えた。





「あなたを、この世界から出してあげます」





 ×××







「だ、出してあげるって……」


「言葉通りの意味です」


 喜んで、喜んでいいのだろうか。いや素直に喜ぶべきだろう。この暗い世界からようやく出れるんだ。嬉しいことこの上ない。喜ばざるしてなんとする。


「やった……やったぞ!!」


「はい……ありがとうございます、あなたのおかげでいい記憶が残りました。これからも、頑張っていけそうです」


 ……ん? いい記憶が残る? 頑張っていけそう?


 何を言っているんだ、まるで、まるでここに残るような言い草を。


「おいおい、君は何を言ってるんだ、二人でここから出られるんだろ? ……出られるんだろ?」


「……いいえ、私は、呪いが消えない限り、この世界からは出られません」


「そ、そんな……」


 一瞬でも舞い上がった自分を殺してやりたい。燃え上がった気持ちは一気に虚無へと押しやられた。


「そんな顔しないでください、これは感謝の気持ちなんです。人間は皆同じだって、知ることが出来た。それで十分なんです」


 嘘だ。


 と、声に出せなかった。


 こんな辛い思い、何度もしたくない。人として当然の思いが彼女にだってあるはずだ。


「だからこれは私の恩返しです。好きな人に、これ以上苦しんで欲しくなんか……無いですから」


 そう言い切って、彼女は笑った。無理をしている。それが恐ろしくわかってしまう。


 でも、出られるという甘美な提案は捨てがたい。この世界から出られないなら、本当に受けてしまいそうな提案だ。


 でも。


「……」


 少し……少しだけ。


「イラッときた」


「え?」


 キョトンとした顔をした。今まで表情が見えなかった分、意外と表情豊かだなと思った。だがそれは別の話。今の俺は少し怒っている!


「お前の発言も自己中心的なんだよ!」


「え? えぇ?」


「勝手に決めやがって……私が好きな人を傷つけたくない? ふざけるな! 恩返しだと? 誰が望んだそんなこと!

 俺の意見はどうした! この世界の一番偉い奴はお前かもしれないけどな俺はこの世界の挑戦者、プレイヤーだ! 製作者の一存でプレイを止めるなんてことはしない。やめるかやめないかなんて、決めるのはどっちかといえば俺だろうが!

 最後!! 好きな人に苦しい思いをして欲しくない……? そ、そんなの俺だって同じだ!!」


「……え? えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!???」


 激しく驚いて、俺のように顔を真っ赤にしてヤカンの如く沸騰してくれた。少し嬉しい。いや超嬉しい。


 というかここ閉鎖空間みたいなところだから、凄い声が響く。俺の告白にエコーがかかる。


「で、でもでも!! あなたは、まだ『人としてすべきこと』が分かってない!」


「分からないから、お前を置いていけというのか?」


「……そ、そうです! 何度も言いますが辛い思いなんてさせたくないんです!」


 それは俺もだ、といえばもうイタチごっこになる。


 だから、こう言う。


「……そんなの、『人としてすべきこと』じゃないだろ」


「……!!」


 彼女は黙った。口ごもり、視線を外し、下唇を噛み締めてした。


 俺は、折れる気は無い。俺が好きになった人と一緒にこの世界から出なければ、彼女を救ったことにはならないから。


 もしかしたら、俺以外の人がこの世界に来て、彼女を助けてくれるかもしれない。


 それでも、俺は俺が彼女を救いたいんだ。


 この恋愛感情という最強のエゴは、絶対に人が貫く決心だ。


 だから俺は、絶対に折れない!


「……じゃあ、あと一回」


 彼女が、俺に人差し指を向けた。


「あと一回、チャレンジを許します。失敗したら、問答無用で退出させます……いいですか」


「……おう、分かった」


 俺の願いを聞き入れてくれた。彼女自身が出たいと望んでいるからこそ生まれたこのラストチャンス。


 彼女のためにも、そして俺のためにも。


 逃す訳にはいかない。


「……見せてやるよ、人として、すべきことを」






 ×××






 答えは、分かっていた。


 ずっと前に、俺はもう答えにたどり着いていたんだ。


 彼女が言った、この世界での生い立ち。


 それが、全てを表していた。


 彼女は嘘をついていた。


 ヒントを出さないと言っておきながら、ヒントになりうるものを()()()()()()()()()()()()()


 まず一つ。それはコンビニ。


 あの他のコンビニとは明るさが段違いだったコンビニの近くで起きた事故、あれを見なければ答えにたどり着くことは無い。


 俺は事故、コンビニの順番で見つけたからこんがらがったけども、本来見るべき順番は全くの逆。


 コンビニの光を追い、たどり着くことが出来れば、あの事件に立ち会うことも出来る。


 あのコンビニは、目印だった。


 そして二つ目、ケータイだ。


 俺が早く着きすぎて、彼女を雨の中待っていた時に、俺はケータイを偶然開いた。


 その時俺は時間しか見ていなかった、精神的にも結構追い詰められていたから、おかしな点に気がつくことが出来なかった。


 これこそが、彼女の言っていた『おかしな点』だ。


 当時の時間は、大体19時。つまりは夜の七時。


 でもそれはおかしい。


 彼女がぐちゃぐちゃになって倒れていた時、俺がドアノブに触れて戻ったのは、この世界の時間なはず。


 なら俺が下校を始めた瞬間に戻ってないとおかしい。


 俺の家は、走れば十五分で着くことができる正確な体内時計は持ってないにしても、流石に一時間以上時間の感覚がズレることはまず無い。


 下校の時が午後五時、そしてケータイで時刻を見た時が七時。


 あまりにもおかしな数値だった。


 確認すべく、俺はケータイの画面を立ちあげた。


 時刻は……午後六時。


 つまり、この世界と俺がいた世界は一時間のズレが絶対にある。ということ。


 このズレの謎を解いたのは、彼女の発言。


 その発言から、『この世界が生まれたのは、現実でなにか彼女にマイナスなことがあったから』というのが分かった。


 更にケータイが表示するのは、時刻以外にもある。それは、日付。


 日付は、今日をさしてはいなかった。今からちょうど一ヶ月前をさしている。


 ……ここまで来れば、もう誰でも分かる。


 この世界は、呪いの世界であると同時に、過去の世界なんだ。


 恐らく、彼女が呪いを生み出す原因となった事故。『コンビニ前の交差点での車と人との接触事故』。を元にした世界。


 被害者は、『呪い』と同一人物の彼女。そうして過去にあった出来事を、何度も何度も、彼女はループする。


 そのループを解けというのが、『呪いの解除』なのだ。


 そして、その手段は─────。



 あぁ、なんて、なんて簡単な物語だ。


 こんな、こんな答えにまみれた回答、なぜ誰も気が付かなかったんだ。


 答えは、最初から彼女が言っていた。


 そして、三つ目のヒントは、それ自体が答えだった。


 彼女は『この傘を正しく使え』と言っていた。


 この傘には……通常の傘と違う点があった。





 ×××





「希望も絶望も、どちらも未知から現れるもの……」


 傘を握って、俺はある場所へ足を運ぶ。その短い時間の中、俺が昔言った言葉を自分で思い返してみた。


 この俺の考え、正しいのか間違っているのか、それは分からない。未知だ。


 俺は今、この未知に恐怖も興奮も希望も絶望も抱かない。


 あるのは……。


 間違っていたらなんて考えない。合ってますようになんて思わない。


 あるのはただ、彼女を思う、強い思い! 俺が絶対に助けるという揺るがぬ決心だ!


「これが……答え!」


 俺は……傘を。






 元の場所へ、突き立てた。





 

 ×××






 元はと言えば、俺の最初の罪は猫を見捨てたことからじゃなくて、ここからだった。


 人の傘を盗み、自分のモノのように扱っていた。


 そんなの、人としてすべきことじゃない。


 そして何より……その傘には、文字が書かれていた。




 そう、『使うな』と。



「この世界が……五時からスタートする物語として、今の時刻は六時十分。そして、お前が車に轢かれる時刻は、七時を何分か過ぎてからだ。ここからあの位置までかかる時間は約十五分、つまり……六時四十五分まで、この傘が、ここにあればいい……どうだ?」


 一ヶ月前、この世界の今日は、凄まじい雨と霧で、前がほぼ見えない状態だった。


 傘を持たない彼女は、俯きがちに歩いていた。


 だから、彼女は車に轢かれた。赤信号を見れずに。


 そして多分、この傘は……。


「お前の、だろ?」


「……はい」


 スカートの端をぎゅっと握りしめ、ふるふると小鹿のように彼女は震えていた。


 これが、真相だ。


 盗んだ傘を渡すことなんて、それは人のすべきことじゃない。


 盗んだ傘で人を救うなんて、犯罪をかき消したいがためだけの偽善に過ぎない。


 それでも救いたい、どうにかして救いたい。その思いを貫いた先に見えた答えが、これだ。


 持ち主に、委ねる。


「これは、お前に渡したわけじゃないし、お前に返したわけじゃない。戻しただけだ」


「……」


「……時間は、まだたっぷりある。この俺の考えが全部あっているのなら、もうここから出られることは確定した。だから……お前さえよければ、聞かせてくれないか? お前に、何があったのかを。大体わかるけど、お前の口から聞きたい、真実を」


 無言で、こくりと頷いた。




 ─────────────────

 ─────────



 あの日、私は今日雨が降ることを知っていた。


 今日はカラカラの晴れ模様、雨なんて降らないだろうと誰もが思うその日、天気予報にちゃんと目を通しておいたからだ。


 だから、今日の夜六時半頃から急激な豪雨が押し寄せてくることも知っていた。


「……傘、盗まれないといいな」


 私はこれまで、自分の傘を何度か多くの人に盗まれてきた。傘を持ってきた回数が、持ち帰れた回数に3をかけてようやく同じ数値になるぐらいに。そしてその回数分、私はずぶ濡れになりながら家に帰っていた。


 よく親に叱られる。傘ぐらい持っていきなさい。と何度も言われる。そのたびに私は「傘が盗まれている」と反論するのだが、「何度も何度も、お前ばかり取られるはずがないだろう」と真っ向から全否定された。至って正論だと思う。


 名前はしっかり記入してるのに、問答無用で持ち去る輩が私の学校にいるせいで、もう何度ビニール傘を買ったか分からない。


「でも、今回は違うよ」


 赤文字で『使うな』と書いておいた。


 私はクラスの中で日陰者に位置する存在。名前を見てしまえばクラスの人は盗みやすい人間だと考えるに違いない。


 それを踏まえて、今回は名前をあえて記入せずに、使うなと脅迫文を据えておいた。


 流石に、これなら大丈夫だろうと確信した。これまでは『私』だから盗まれていたんだと、そう思っていたから。


 放課後になって、部活動の時間になった。


 私は、どの部活にも所属していない、言わば帰宅部という存在。でも、今日は早く帰ることの出来ない理由があった。


 なんと、家の鍵を家の中に忘れてきてしまったのだ。


 致命的なミスだった。今日親が帰ってくるのは夜の七時頃、それまで時間を潰すしかない。


 傘を持ってきたとは言っても、雨が降らない間に帰ることに越したことは無い。寒いし。


「でも、傘はあるし……」


 妙な自信が、今日は雨に濡れることはないと思わせる。嫌な予感を圧迫して潰し、ちゃんと帰れることだけを思い、私は教室の中一人でケータイをいじっていた。


 その時に、変な自信さえ持たないで、手元に傘を置いておけばよかったと。私は後悔することになる。





「……!!」


 時間は過ぎ、六時半。


 一つの落雷をピストルとして、空から雨が一斉に駆け出した。


 暗雲もかかり。夕焼けが綺麗な時刻だというのに、まるで外は深夜のように暗くなった。


 教室の窓から見える、校庭にいる外部活の人達は、パニックに陥っていた。テニス部や野球部はすぐさま用具を片付けて、サッカー部はその中でも全力で走り込みをしていた。


 運動部ってすごいなぁ、私にはとてもできない。


 ちょっと引きながら、私は、今から帰ればちょうど家に着くな。と思って教室から出た。


 3階の教室からゆっくりと階段で降りる。この時間帯だとかみんな帰ったか部活に行ったかのどちらかなので、一人くらい階段をコツコツと音を立てて歩くのは、少々恐ろしい。


 階段を降りきり、昇降口までたどり着いた。そこで、私は野球部の部員達が、傘立てにぞろぞろと集まっているのを目撃した。


 概ね、帰宅準備のために傘を取りに来たとか、用具を雨から遮るために自分の傘を取りに来たとかそんなものだろう。


 でもあれだけ人がいると、少し行きにくい。私はあの野球部の人達が昇降口からいなくなるまで彼らに見られないところで待つことにした。


 彼らの会話が、聞こえた。







「やべぇな、今日俺傘持ってきて無かった」


「はぁ? 何やってんだよお前。あるって言った以上、お前が持ってこないわけには行かねぇからな」


「なっ!? 家まで帰れってか!?」


「そんなことしてたら用具がいかれちまう。雨に濡れながら反対側にあるブルーシートを体育教師に借りりゃいいんだよ」


「ええー……めんどくせぇ……」


「お前が傘を持ってこなかったのが悪いんだよグラウンド整備担当男」


「……ん? おいここにビニール傘あるじゃねぇか、これ少し借りれればいいんじゃね?」


「おいおい……お前正気かよ。盗みだぞ、犯罪だぞ?」


「バレなきゃいいんだよ、バレなきゃな!」


「俺にバレてんだよなぁ」


「お前がバラさなきゃいい。ブルーシート取りに行く雨もガード出来て一石二鳥だろ?」


「一石二鳥とは言わねぇよ、そんなこと。……でもまぁ、バレなきゃいいって言うのは、納得だ」


「よし、じゃあ借りてくぜ、えっと……って、ん? なんだこの傘、名前じゃなくて変な文字書かれてんぞ?」


「ん? おいおい……使うなって書かれてんじゃねぇか」


「で、でもよう……仕方ねぇだろ? この傘を使わねぇと、俺すげぇ怒られちまうんだよ!」


「最低だな……でも俺も同じ状況なら同じことするだろうし……いいだろう、俺は今日何も見なかった!」


「さすが親友! じゃあブルーシート取りに行くか!」









「……」


 信じられなかった。


 まさか、犯罪と知った上で、自分を無理やり正当化させて傘を盗んでくるなんて思わなかった。


「これが……人のすることなの……?」


 呆れを通り越して、怒りがふつふつと煮えたぎってくる。


 怒られる、ただそれだけが嫌で、その傘の持ち主のことも考えずに、盗みを働くのか。


 怒りのまま、握りこぶしに力が入る。ポタリ、と血が一滴廊下に垂れた。


 そのまま放心状態のまま、私は俯いて、ゆらゆらと雨に打たれながら家に向かった。


 俯いていたから、周りの人間なんて目に映らなかった、でもその代わり、地面に落ちてたダンボールのような四角い箱が目に写った。


 私は捨てられた猫に出くわしたのだ。


 この豪雨の中じゃ雨を凌ぐ方法がない。屋根のある場所でも、凌げるかはわからない。


「……傘が、傘があれば」


 憎しみだけが募る。ちっぽけな憎しみかもしれない。でも私にとっては人間を嫌いになるには十分すぎる出来事だった。


 私はその猫をとりあえず屋根が広くて雨宿りに最適な場所へ運んだ。どうか、強く生きてほしい。


「……酷い」


 猫一匹救えない無力を呪うより先に、私は私の傘を盗んでいった輩を呪った。


 幽霊のように、黒い制服を身にまとって、びしょ濡れになりながら家を目指した。


 ケータイを開いた。もう七時になってる。親はもう家にいるから、家に着いたら暖かい部屋の中にすぐさま入れる。


 そんな嬉しいことを考えてしまったからだろうか、私はいつもの帰り道を通ってきたはずなのに、交差点の存在を忘れてしまっていた。


 気がついた頃には、もう遅かった。


 クラクションが鳴り響き、雷のような眩しすぎる!二つの光が、私めがけて襲いかかってきた。


「あ……」


 声も、出せなかった。


 次の瞬間、私の肉体に、これまで体験したことのないような激痛が襲いかかってきた。


 その時、私は色々なことを思い出してしまった。走馬灯のようなものを見た。


 この事故は、言ってしまえば私の不注意が招いた、単なる事故……でも。


 彼らに、私の使うなと書いた傘を盗んだ彼らに、罪がないなんて言わせない。


 これで私が死んで、車の運転手さんだけ裁かれるのは、ありえない。


 もっと裁かれるべき存在がいる。


 でも、繋がりが残されていない。私と彼らに接点なんてないから、そして、罪を着せることも出来ない……。


 悔しい、憎い。私は気を失う直前、強く、強く祈った。




「どうか、あの愚か者に……呪いを」





 あぁ、世界は、おぞましいほど……邪悪だった。





 ───────────────

 ─────────






「そして、私が目を開けたら、怯えた二人の、傘を盗んだ少年が、私の目の前にいました」


「……」


 これが、彼女に起こった真実。


 隣に座って、ずっと話していた彼女は絞りきって話を最後まで続けてくれた。そのお陰で、ようやく全てを理解できた。


 呪いは、こうして生まれたんだ。


「でも、私は最初から心のどこかで人間を信じたいという思いはありました。だから、脱出方法も、彼らがした罪を償う。という簡単な形にしたんです」


「でも、彼らは解くことが出来なかった。そして、お前と話すこともしなかった」


「はい、最後は自殺で終わりました。私は今も尚向こうの世界で目を閉じたままだと思いますが、きっとあなたの世界で謎の現象によって目を開けない人とか、大勢いるんじゃないですか?」


「そういうニュースは聞いたことがあるな……」


 そして恐らく、その二人というのは……俺の知り合いだ。


 彼らが、第一犠牲者だったんだな……。


「これで、私の話は終わりです。……そして、そして」


 彼女の足元にに、何かが垂れた。


「本当に……ありがとう、ございますっ……!! 信じて、信じてよかったですっ……!!」


 そう言って、彼女は大きな声で泣き出した。


 鎖から解き放たれたかのように、大きな声で涙した。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁあぁああぁぁぁん!!」




 ───暗い廊下の行き着く先、昇降口。


 嬉し涙を流して、叫ぶように泣き叫び続ける女性がいた。


 彼女は多くの人間に絶望を与え、希望を与え、希望を抱いていた。


 でも、帰ってくるのは絶望のみ。


 何年もそれに苦しんだ彼女がようやく今、救われた。


 この世界を壊してしまうほどの声で、思いで、彼女は泣き叫ぶ。


 こうして、呪いは救われた。





 ×××





「ぐすっ……はしたないところを見られてしまいましたね……ごめんなさい。そろそろ、お別れですね」


 彼女が泣き止んで、一気にこの世界が静かになった。雨の音すら静かに思える彼女の泣き声は、俺の耳に一生残るだろう。


 そして静かになった世界で、、俺がこれまで聞いたことのない、何かがひび割れるような音が聞こえてくる。


「この世界とも、お別れなんだな」


「えぇ……清々する、と思いたいですけど、ここの暗さ、結構好きだったんですよね」


「その意見には全く同意できないな」


 ケータイを開いて時計を見る。


 18時41分。もうあと少しで、この世界は消滅する。


「あの……消える前に、私のお願いをひとつ、聞いてはくれないでしょうか」


 そんな状況だというのに、一体この後に及んで何を望むのかと思い、俺は呆れた表情をする。でも、実は俺も、一つだけ彼女に聞いてほしい願いは、あった。


「奇遇だな、俺もひとつ、あるんだ」


「……じゃあ、一緒に言いませんか?」


「……一緒だと、俺も嬉しい。」


 息を吸う。しっかりとした声で、この言葉を伝えたい。







「「もう一度、君と会いたい」」








 世界が、音を立てて崩れ落ちた。


 久しく忘れていた光が俺たちを包み込む。


 まるで祝福の光、その中で俺たちは笑った。


 もう、呪いなんてない。誰も恨むことなんてないんだ。


 人はみんな、同じなんだから。









 ×××






「……」


 目を覚ますと、天井を見上げていた。


 黒くないちゃんと白い、天井。


 周りががやがやと騒ぎ立てる。


 涙してる人も垣間見える。


 ()は……どうやら呪いの世界から戻ってこれたらしい。





 あちこちの骨折、そして車に轢かれた時あまりにも強い衝撃を頭が受けたため、お医者さんが言うにはずっと意識がなかったらしい。


 いろんな人が見舞いに来ていたと言っていた。家族の他にも、私の見舞いに来てくれる人がいるということに驚きだ。


 先生は最近流行っている謎の昏睡状態とは違う現象だ、とも言っていた。


 その原因が私にあると思うと、とても辛い思いになる。


 でも、私を救い出してくれた人のことを思うと、不思議と心が安らいでいく。


 あの人に会いたい、彼は何処にいるのだろう。いつか絶対に彼を見つけてみせる。その思いだけで、リハビリは充分がんばれた。


「……あなたは、今何処に、いますか?」


 夜に星を見上げながら、思うのは常に彼のことだった。






 世間では、謎の昏睡患者全員が目を覚ましたというニュースが報道された。


 私の呪いにかかってしまった全ての人がみんな救われたということを知って、泣きそうなぐらい嬉しかった。そしてそれと同時に、彼への感謝の思いが止まらなかった。






 私はついに、病院から出られるようになった。家に帰って、生活できる権利を得るまで復活した。


 まだある気はぎこちないけど、十分だ。これで私は、彼を探しに行くことが出来る。


 調子に乗った私はお母さんに、今日は歩いて帰る。と伝えた。お母さんは私の身を案じた上で、了承してくれた。


「辛かったら、連絡入れなさい」


 そう言って、お母さんは一人で帰ってくれた。


 でも、予想外なことは起こるものだ。


 天気予報士の存在意義を見失うレベルの大雨が、ちょうどお母さんが家に着いた頃辺りに降り始めたのだ。そしてそれは私が病院を出ようとした直前の出来事だった。


 病院の出入口で、私はお母さんを呼び出した。流石に、これは無理だ。傘も……無いし……。








 お母さんの車に乗って、家に帰る中で、私は久しぶりに家に戻れる喜びを噛み締めていた。


 あのくらい昇降口自体が嫌いなわけじゃないけれど……明るくて、家族がいる空間の方が私は好きだから。


 そして、その空間に、彼を呼べるようになったら、それほどまでに嬉しいことなんて、多分ない。


 私は知っている。私と彼は、もうすぐ会えるということを。


 ……向こうは、知らないと思うけどね。


「ところで、あんた友達できたのね」


 心ウキウキワクワクな中、お母さんが私に失礼なことを話しかけてきた。


「す、すごい失礼なこと言うねお母さん……よく傘は盗まれてたけど友達の一人や二人、ちゃんといるからね?」


「ん、違う違う、間違えた。男の友達よ、男性。しかもちょっと変な人」


「え? 男の……友達?」


 誰だろう、そんな人、心当たりは……!


 もしかして、いや、ひょっとすると。


「本当に変な人だったわよ? その人、あなたの名前も知らないのに、合わせて欲しいって言うんですもの。受付の人も私も困っちゃったわ。

 だからね、私その子に聞いたのよ、私の娘とどういう関係なの? って、そしたらなんて言ったと思う?」


 嬉しさが込み上げてくる。彼も、気づいていた、気づいてくれていたんだ。


 車に轢かれる私の学校の制服と、彼の着ていた制服が、一緒だったことに。


 私はずっと彼の制服姿を見てたから分かって当然だけど、彼はその姿の彼女に少ししか会ってない。気づいていないとばかり思っていた。


 学校が同じなら、起きた事件を調べるまでもない。私の担任に当たるまで学校の先生の話を聞けばいい。


 そして彼は、多分そうして、私の病院にたどり着いた。私の呪いの答えにたどり着いた時のように、全力で。


 私が、まだ眠っている間に。



「その人ねー……」


「お母さん……その人は、私の好きな人なの!」


「え?」



 お母さんがすっとんきょうな声を上げた。私がこんなことを言うなんて、想像してなかったからだろう。


 でも、本心だ。


「私も、その人の名前知らないけど、好きなの。ずっとずっと、今まで一緒に頑張ってきたから!」


「へ、変な事言うようになったわねあなた……頭打っておかしくなったんじゃない?

 ……でも、あの子も同じこと、言ってたわよ」


 あぁ、楽しみだ。


 私は、もう少しで学校に行けるまで回復する。


 どのクラスで、どの学年かすらわからないけど。大丈夫、会える。


 だって私は彼の口から聞いた。もう一度君に会いたいと。


 でも私も同じことを言った以上、待つだけじゃダメ。私もあなたを見つけてみせる。


 そして、今度は一緒に、帰り道を二人で歩きたい。


「……ふふっ」


 あぁ、やっぱり彼の言っていた通りだ。


 私も、所詮はエゴの塊。自分勝手な人間代表で、私が嫌っていた人間そのもの。


 でも、私はその人間を好きになれた。


 だからきっと、これからも呪わない。


 だって、もし傘が盗まれても、私が困っても、助けてくれる人が、いるのだから。


 暗い暗い、雨の降る夜。今の私には、輝いているように見える。一つ一つの雨が、星のように煌めいている。


 あぁ、世界はこんなにも、明るかった。






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― 新着の感想 ―
[一言] 人間味のあるキャラの行動、心情、そして何よりテーマを活かしたストーリー性。久々に心が踊りました(*^^*) 最後の最後で病院に颯爽と駆けつけて、そして目的の少女に会うことなく帰っていく主人公…
[良い点] 「呪い」という、オカルトチックかつ、今の世界では起こることなどないと考えられている非現実的なものと、「傘の無断使用」という、するほうも、されるほうも誰もが一度は経験したであろう日常で起こり…
[良い点] ストーリーが重厚かつ緻密、でも内容はサクサク進み決して無理はしないスタイル、素晴らしかったです。 所謂一般的なオカルトや現実世界と別世界をモチーフにした物語でしたが、掛けた時間と努力が全面…
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