目覚めた先は見知らぬ場所
雄大な空の中に、一つの黒点が存在していた。
否、それはあまりのスケールの違いに、そう見えてしまったに過ぎない。
もちろん空が大きすぎただけのことであり、本来はその黒点も十分過ぎる大きさを持っている。
全長五十メートル。
この世界に存在している生物の中では間違いなく最大である。
漆黒の皮膚を持つをそれは、龍。
世界最強の一角であった。
しかし世界最強であるが故に、龍は普段空を飛ぶことすらない。
ただその姿を見せるだけで、世界へと与える影響が大きすぎるからだ。
天災の一部とまで呼ばれているのは伊達ではないのである。
龍現れしところに、破滅あり。
それは多少の誇張を含んではいるが、概ね間違ってもいない。
龍とは破滅と絶望の象徴なのだ。
龍が姿をあまり見せようとしないのは、それを好んでいないから……と言ってしまうと語弊が生じるか。
龍は決して、善に属するモノでは有り得ない。
少なくとも破壊を望むというのは事実だ。
ただし、一方的な破壊というものも龍は望まない。
あくまでも自身への抗いと、その果てにある破壊をこそ好むのだ。
だからこそ、龍は英雄を好み、それが自身の前へと現れることを望むのである。
そして今龍が空を飛んでいるのは、まさにそのためであった。
右の前足に掴んでいる、小さき存在。
未だ少年と呼ぶべき面影を残しているそれを、運ぶためだ。
龍を足として使うなど、本来であれば有り得ないことだが、少年は龍の出した試練を果たしてしまったのだから仕方がない。
それにこれは少年が頼んだことではなく、龍が自身の意思で行っていることであった。
とはいえ、少年のためではないが。
それは、龍自身のためだ。
少年が寝ている間に運んでいるのもそう。
目覚めた少年を目に前にすれば、龍は我慢する自信がなかったのである。
自身の化した試練の果てに、少年は間違いなく自身にとっての好敵手と呼ぶべき存在へと至った。
それは喜ばしいことだが、やはり決着つけるには相応の状況というものが必要だ。
それに、少年は未だ途上でもある。
既に自身へと迫りつつあるが、間違いなくまだまだ伸びる。
それを見届けないなど、勿体無いにも程があろう。
その結果、自分は少年に敗れるかもしれない。
だがそれもまた一興であった。
そもそも、倒されることのない怪物になど何の価値があるというのか。
人々へと恐怖と絶望を与えた怪物は、やがて人の中から生まれた英雄によって打倒される。
それが様式美というものだ。
と、そんな普段ならばあまりしない思考をしていたせいだろうか。
気が付けば龍は普段ならば決して近寄らないだろう場所に来てしまっていることに気付いた。
眼下にあるのは、険しい山々だ。
人間ならば決してその奥へは辿り着けないだろう場所であり、だがその中央部分には不自然なほどに人工的なものが存在している。
城であった。
人類の間では、現在魔王城などと呼ばれている場所である。
――魔王。
それは龍と同様、あるいはそれ以上に人類へと絶望と恐怖を与えている存在だ。
とはいえ魔王はどうやら別の世界からやってきたらしく、魔王がこの世界に現れてから十数年しか経ってはいない。
遥か昔からこの世界に存在していた龍からすれば、完全な新参ものだ。
しかし龍は魔王と事を構えるつもりはなかった。
戦ったところで負ける気はしないものの、魔王は所詮魔王だ。
英雄でなければ人類ですらない。
要するに、単純に気分が乗らず戦う気が起こらないということであった。
故に、刺激するのも馬鹿らしいため、普段は敢えてこの周辺には近寄らないのだが……まあ、わざとではないのだから仕方があるまい。
それにこんなところへと来てしまったのは、普段はしないような思考をしていたせいでもあるが、この少年を送り届ける先を探すためでもあったのだ。
龍が少年を見つけたのはほんの五年前である。
龍からすれば五年などつい最近の出来事ではあるが、だからこそその見つけた場所が何処であったのかをよく覚えていないのだ。
そう、故にこんな場所へとつい迷い込んでしまっても仕方ないのである。
だがそれはそれとして、面倒なことになっても面白くない。
それを避けるため、龍はそこを離れることを優先した。
『――む?』
そのせいだろう。
ついうっかり、右の前足の力が緩んでしまったのだ。
掴んでいた少年の身体が足から零れ落ち、当然のように地面への落下を始めた。
『ふむ……これは迂闊であったな』
そんな言葉を呟きながら、それでも龍が追いかけて拾おうとしないのは、場所が場所だからだ。
現在の位置でもギリギリなのである。
これ以上近づいてしまえば、本当に魔王を刺激することになってしまうだろう。
だから追いかけないのはわざとではない。
仕方がなく、なのだ。
『ああ、まったく以て、仕方のないことだ』
抑揚のない調子でそう言うと、龍は踵を返し始めた。
少年を落としてしまった以上、少年の故郷を探す必要はもうなくなってしまったからだ。
ならばあとはもう、巣へと戻るだけである。
そうして小さくなっていく少年を横目に眺めながら、龍はその場を後にし……口角を吊り上げた。
独り言のように呟く。
『冒険を望んだ男よ。貴様に落ち度があるとすれば、それは二つだ。自身が我が好敵手へと至ったことを自覚していないこと。そして、貴様が望みを語った相手が、この我だったことよ』
せめて龍に冒険を望めばどうなるかぐらい、気付きべきだったのだ。
拒否をしたところで、意味がないことにも。
だが全ては今更のことである。
それに気付き後悔したところで、手遅れだ。
『だが安心するがいい。その分、これでもかというほどの冒険を味わうことが出来るだろうからな』
そう嘯きつつ、どことなく楽しげな様子を携えながら、龍は彼方へと去っていくのであった。
全身に激しい衝撃を受けた瞬間、カイルは跳ね起きていた。
「ってえ~~~~!? 今度は何だ!?」
そこで混乱することなく咄嗟に警戒しながら周囲を見渡すことが出来たのは、以前にも似たようなことをされた記憶があるからだ。
日の出と共に龍から問答無用で攻撃されたことがある、というのは以前にも語った通りだが、そのバリエーションは幾つか存在している。
気をつけてはいたのだが、疲労が溜まりどうしても起きれなかったこともあり、その時に食らってしまったのだ。
寝床ごと消滅させられたというのは実はまだマシな方で、一度は生き埋めにされたことなどもある。
そして今カイルが咄嗟に思い出したのはそのうちの一回であり、寝たまま上空へと運ばれた時のものだ。
あまりの寒さに途中で目が覚めたのだが、覚めたからといってどうなるものでもない。
そのまま離され、自由落下に身を任せたカイルは、当然の如くミンチと化した。
今思い返してみても、よく寝ることが嫌にならなかったというか、我ながら随分と図太い神経を持っているものだが――
「っと、ん? ああ、いや、そうか……」
と、そこでようやく気付く……あるいは、思い出した。
あの日々は、不本意ながらも終わってしまったのだ、と。
しかし同時に、疑問が浮かぶ。
視界に映し出された光景が、見覚えのないものであったからだ。
この五年毎日寝起きを繰り返したあそこではないのは、まあ納得がいく。
元いた場所に連れて行くと言っていたので、寝ている間にあの龍が運んだのだろう。
その間目覚めなかったのは不覚ではあるものの、問題はそこではない。
カイルがあの時いた場所は森の中であって、こんな薄暗くも周囲に石造りの壁が広がっている場所ではなかったのだ。
明らかにここはカイルがいた場所ではない。
そもそも今の衝撃はなんだったんだと思い、見上げてみれば、天井には穴が空いていた。
視線を下に移動してみれば、そこには陥没した地面がある。
間違いなくカイルがここに叩き落された証拠であった。
よく生きていたな、とは思ったが、よくよく全身の状態を確認してみると、怪我すらしていない。
あの瞬間には痛みがあったものの、怪我には至らない程度だったようだ。
確かに、空から落とされる、という経験はここ最近まったくしていなかったが……我ながら随分と頑丈になれたものである。
あるいはこれもこの防具のおかげだろうか。
それでもまったくあの龍に感謝する気にはなれないが。
ともあれ、自分の身体の無事は確認出来たため、現状把握のための思考を再開する。
本来いるのはずのないだろう場所に、何故いるのか。
ふと思い浮かんだのは、龍が下ろすのが面倒になって投げ捨てた結果、軌道がずれて近くにあった建物か何かにぶつかった、というものであった。
だがその思考は、即座に却下する。
有り得ないことであった。
投げ捨てるということ自体は有り得るが、あの龍が目測を誤るということが有り得ない。
元の場所に戻すと口にした以上は、確実にそうしようとするだろう。
それ以上の利をあの龍が見出さなければ、だが。
しかし逆に言うならば、ここがあの森ではないということは、龍がここに何らかの利を見出したということである。
「とはいえ、ここが何処かなんて分かりようがないしな……」
現在地から分かるのは、おそらくはここが石造りの建物だということ。
カイルがいるのはそのうちの部屋の一つか何かであり、ぶち抜いてきた床や天井の数を見る限りでは、ここは四階建て以上、あるいは三階建て以下で地下のある建物だということだ。
ついでに言うならば、薄っすらと見える範囲から判断するに、どうにもここは相当に古そうだということであり、天井までの距離を考えればかなりの大きさの建物だということ。
おそらくは、城とかそんな場所だ。
「……この状況から判断出来るのは、これぐらいのことか? だがさすがにこれだけじゃ何とも言えんか。古くてでかい城っていうか、真っ先に思い浮かぶのは魔王城だが……」
異世界らしくと言うべきか、この世界に魔王というものが存在しているということをカイルは知っている。
人類の敵対者であり、人類の手が届かぬ大陸の奥地で城を構えているという話も。
イメージとしてはまさに、今カイルが思い描いたようなものだ。
だが、まさかな、と思い……背中を冷や汗が流れ落ちる。
いやいや、あの龍だとはいえそんなことは――
「……まずいな、凄いやりそうだ。しかもアレ、俺が冒険を望んでたこと覚えてたしな」
魔王城へと単身突撃する。
なるほどこれ以上ないぐらいの冒険だ。
冒険をしたいと言ってそれを提示されたら、馬鹿かな? と言うだろうが。
「あー……考えれば考えるほど、そうとしか思えんなぁ。はぁ……まあとりあえずは、それ前提で動いてみるか」
魔王城よりも条件の悪い場所など、そうそうないだろう。
最悪を想定しておけば、いざ違ったとしても悪いことにはならないはずだ。
そんなことを考えながら、溜息を吐き出す。
まったく――
「冒険って言えば、まずは出会いから始まるもんだろうに」
そんなぼやきとも戯言ともつかない言葉を呟き、視線を前方へと向ける。
――瞬間。
「っ!?」
反射的にその場を飛び退き、構えていた。
視界の中で僅かに光ったものを見つけたからだ。
これだけ派手にやったのだ、魔王城だろう何だろうと、何かが住んでいれば襲撃かと思うのは当然であり――
「……ん? いや……これ、は?」
だが落ち着いてよく見てみれば、それは刃物の照り返しとかではなかった。
視線の先にあったものは、ガラスのようなものであり、その形状は試験管に近い。
しかし試験管とは比べ物にならないほど大きく、人が一人ぐらいならばすっぽりと入れてしまうほどのものである。
――否。
その言い方は正しくはないか。
何故ならば……そこには実際に、人が一人入っているのだから。
何らかの液体で満たされているらしいその中には、裸の少女が一人、浮かんでいた。
「……確かに、まずは出会いとは言ったがなぁ」
その姿を眺めながら、カイルは色々な思いを込めて、一つ息を吐き出したのであった。




