光の先
自分が支離滅裂なことを考えているということに対し、自覚はあった。
だがそれでも、止めることは出来ないのだ。
だってこのままでは、きっとティナは死ぬことになる。
そうはさせないと彼は言ったけれど、その言葉はかつての自分も聞いた事のあるものだ。
ティナは千年後に送られるはずではなかった。
その役目はナナが果たすはずだったのだ。
けれどその役目を課されるばかりか、少女にはその果ての死までが贈られた。
最初は反対だった者達もやがては賛成に回り、最終的に自分の意見は無視された。
それと同じことが起こらないとどうして言えるだろうか。
他に方法がなくなってしまえばそれを選ぶことはないと、どうして。
そんなことはしないと思えた人達は、皆その意見を翻したのだ。
ならば……ならば。
彼女を殺される前に、自分がその他の者を殺す。
そうして、今度こそ約束を果たすのだ。
彼女を助けて、彼女と共に世界を回って、彼女以外の全てを殺して、彼女と共に世界中の人々を笑顔に――
「……くすっ。それ矛盾しちゃってるじゃないですか」
声が、ふと聞こえた。
苦笑交じりの声だ。
いや、声そのものはずっと聞こえていた。
この身体は自分の身体も同然だ。
その内側で呟かれる言葉を、聞き逃すはずがない。
だが今のは、それまでのものとは違っていた。
先ほど聞こえた、こちらの感情が伝わってしまったかのようなものとも違う。
完全に、こちらの考えていることが伝わっているがための言葉だ。
しかしそれは、有り得るはずのないことである。
幾らこの身体が自分の身体も同然とはいえ、こちらのことも外の様子も彼女には伝わらないようにしているのだ。
全てが終わるその時まで、彼女が心安らかでいられるように。
「……なるほど、状況の割に息苦しくなければ辛くもないのは、そのためなんですね。確かに、実は結構居心地がよかったりもします。ありがとうございます」
『――っ!?』
また、だ。
先ほど感情が漏れ伝わってしまったことについては、まだ分かる。
あの時は、予想外、あるいは予想以上のカイルの攻撃に焦ってしまい、つい漏れてしまったのだ。
だがカイルについては、既に上方修正がなされている。
その結果こちらの敗北は濃厚になってしまったが、それも最初から分かっていたことだ。
勝てる見込みなど、初めから微塵もなかったのである。
それでも正直途中までは、最初にこちらが立てた予測よりも大分カイルの攻撃は温かったため、もしかしたら、などと僅かに思ってしまってはいた。
しかしあの攻撃以後、カイルの勢いは完全に最初の予測すら軽く上回っている。
そういった甘い考えはとうに捨てていた。
だがそれでも、諦めるわけにはいかないのだ。
そうしなければ、ティナが……友達が――
「んー……そうなのだろうな、とは思っていましたが、やはりナナさん正気ではありませんよね? カイルさんに喧嘩を売るという時点で大概ですが、思考の方法が普段とは違う気がします。そもそも、勝てる見込みがないというのであれば、普段のナナさんなら別の手段を取ったでしょう。あなたがそういうことを可能とするということは、記憶が不十分なわたしにでも思い出せるほどです。――何をされたんですか?」
どうやら完全にこちらの思考は伝わってしまっているらしいが、それを何故と思うと同時に、今の質問について考える。
確かに、何かされたのは確実だろう。
でなければ、ずっと続くこの痛みは説明が付かない。
いつの間に、という疑問は無意味だ。
確かにナナはティナよりも先に目覚めたものの、それでも三年ほど前のことである。
その間に何かをされていた、ということなのだろう。
特にそういったことは感じられなかったために何も出来なかったのだろうと判断したのだが……甘かったようだ。
ともあれ、今のナナが痛みを覚えるということは、それは魂が痛みを覚えているということである。
実際に傷付いているわけではなく、幻痛などの可能性もあるが、魂がそれを痛みと捉えてしまっているのであれば大差はない。
そしてその時点で、何が起こっても不思議ではないだろう。
事は魂に関わることだ。
記憶や人格に多少の影響が出たところで、何もおかしくない。
ただ、冷静に今の自分の状況を省みてみる限り、特にそういった影響を受けているわけではなさそうだ。
そもそも普段の違いといえば、この痛みを除けば、死の瞬間が、何もかもが失われていくようなあの感覚が断続的に襲ってくることぐらいである。
「いえ、どう考えてもそれが原因と言いますか、その時点で明らかに普段とは違いすぎますよね? うーん……ですが、それが分かったからどうだという話でもありますね。結局それが具体的にどういう影響をナナさんに与えているのかは分からないままなわけですし。聞いておいてなんですが、やはりわたしはこういうことを考えるのには向いていないようです」
落胆するような気配を見せるティナに、そんなことはないと言ってやりたかったが、それが叶うことはなかった。
考えていることが分かってしまっても、何故だかティナに声をかけることは憚られたのと、何よりもその前にティナがニコリと笑みを浮かべたのが分かったからだ。
「ですがそんなわたしでも、今のナナさんに言える事は一つだけありますよ?」
何を、とナナは怪訝の視線を向けた。
本来ならば分かるはずもないものの、ティナはしっかりと視線を返してくる。
まるで自分が何処にいるのかを、理解しているかのように。
そんなティナが何を言おうとしているのかを、ナナはまるで分からない。
分からないからこそ、ナナもジッとティナの目を見つめ返した。
何を言われたところで、今の自分が止まるとは思わないが、友人の言葉はきちんと聞くべきだろう。
そう思って、ただその言葉を待った。
一筋の光も存在しない視界の中、それでもティナはナナへとはっきり視線を向けた。
何となく、そこにナナがいるのだろうと感じられたからだ。
ナナが本当は何を不安を思っているのか、何を怖がっているのかは分からない。
先ほどからずっと思考は伝わってきているものの、それはきっと表層的な部分だけだ。
心の奥底では何を思っているのかは分からないし、あるいはそれはナナ本人にも分かっていないのかもしれない。
それでも、自信を持って、胸を張って伝えられることがあった。
それは――
「大丈夫ですよ、ナナさん」
様々な意味と思いを込めて、告げる。
ふとティナが思い出すのは、彼に初めて出会った時のことだ。
実は最初ティナは、彼のことを勇者だと思っていた。
それは心の奥底で、無意識にで、今思い返せばの話ではあるのだけれど、ティナは彼のことをしばらくの間勇者だと思っていたのだ。
そうではないと分かったのは、思ったのは……さて、いつのことだったか。
全ては無意識でのことなので、はっきりと分かるわけではないのだけれど、それでも多分自然に理解していったのだと思う。
そう、彼は勇者ではない。
英雄でもない。
神に選ばれたものでなければ、世界に選ばれたものでもない。
時折自分でも口にしているように、どこにでもいるような普通の少年だ。
彼は、それらの存在には成り得ない。
だって彼は、犠牲を許容出来ないから。
それらの存在は、犠牲を許容出来なければならないのだ。
先にある大きな目標を掴むため、世界を救うために、犠牲が必要ならば、それが本意でなくとも許容しなければならないのである。
ティナも似たようなモノになろうとしていたからこそ、そのことがよく分かるのだ。
だが彼は、そうではない。
犠牲を許容出来ない。
それが必要だと理解できたところで、許容することはないのだ。
口では何だかんだ言うかもしれない。
けれど彼はきっと何処かで諦める。
諦めることを諦めるのだ。
そもそも彼は、世界を救うということに根本的に向いていないのである。
彼は色々と自分を騙そうとして、抑えようとしてはいるけれど、彼はそんな物分りのいい人ではないのだ。
彼は身勝手で、きっと独善的ですらある。
自分が気に入らなければ決して許容せず、最終的にはやりたいことしかやらないような人だ。
そうして、その果てに、結果的に世界を救ってしまう人である。
彼はいつだって自分勝手で、それでいて誠実で、だからこそ、出来もしないことを口にはしない。
故に。
「あの人は、約束してくれました。肯定してくれました。わたしが生きてあの人と共に歩むことを」
ならばこそ、彼は絶対にそれを守ってくれるだろう。
そこを疑うことに意味はない。
それは単純に、ティナが彼を信じると心の底から決めたからでもあるのかもしれないけれど――
「それと。あなたを助けてくれるとも。ですから――」
心配する必要はなく、心のままに助けを求めてもいいんですよ、と呟いた瞬間、視界が光で満ちた。
視界が光で満ちた瞬間、何故かナナはカイルに初めて名をつけてもらった時のことを思い出していた。
第七……七だから、ナナ。
安直とは言ったけれど、それでもとても嬉しかったことを覚えている。
色々と思うところがあったのは知ってはいるけれど、結局帝国の人達はそんなことをしようとはしなかったから。
唯一ティナだけは別ではあったけれど、それは自分から拒絶した。
自分は人ではないのに、そんなことをされてしまったら勘違いしてしまいそうだったから。
ああ、それが理由だったのかもしれないと、ナナは不意に思う。
あの時カイルは、ナナのことを人だとなんだとか考えていなかったように見えた。
ただナナのことをそういう存在だと、丸ごと受け止めてくれたように。
だから、素直に名前を受け取ってしまったのだろう。
カイルがそんなことを考えていたのかは、分からないけれど――
『……カイル様』
「ん? どうした?」
『私、第七秘蹟使いでよかったと思います。下手をすれば、イチ、などという名で呼ばれることになっていたかもしれないのですから』
「何のことなのかはさっぱり分からんが、ならよかったと言っておくか。で……すっきりしたか?」
その言葉で、気付く。
いつの間にか、あれほど強く感じていた痛みはなくなっていた。
綺麗さっぱりと消え失せ、その代わりとばかりに暖かで穏やかな風が吹いている。
『そうですね……あれほど暴れたのは初めてですから。大分すっきりしたようです』
「そりゃよかった。ちょっとばかり頑張った甲斐があったってもんだな」
そう言ってカイルは、ナナとティナと、それ以外の何もかもがなくなった伽藍堂の様な光景の中で、いつも通りに何でもないかの如く、肩をすくめてみせたのであった。




