狂者の愉悦
その状況を、その光景を、ウェズリー・レッドグレイヴは喝采を以て迎え入れた。
「ええ、まったく以て素晴らしいですネー! 完璧ですネー! さすがは私ですネー!」
自画自賛を繰り返しながら、それでもその目は異様なほど冷静にその光景を追っている。
一瞬足りとも逃してはならぬと、ウェズリーの本能も理性も訴えかけているからだ。
何せ、意味が分からない。
魔王軍の中でも最高の頭脳を持っていると自負し、その実績も十分にあるウェズリーが、その光景の意味を理解出来ないのだ。
その事実だけで、それを見逃してはならない理由には十分すぎた。
「んっんー……それにしても本当に意味が分かりませんネー。何をどうすればあんなことが可能になるんでしょうかネー」
虚空から無数の人骨が現れる、というところまではまだ分かる。
転移の魔導具でも使えば可能だろう。
個人利用可能な転移の魔導具などというものは未だ発見されていない上に、あれだけの物を転移させるのにどれだけの魔力を使うのかは想像がつかないほどではあるが、少なくとも理論上は可能だ。
つまりそれは、理解出来るということである。
だが。
「骨を動かしているのではなく、骨自身がまるで意思を持っているかのように動いてますネー。そしてそれによって、一つの巨大な何かを形作ろうとしている……んっんー、理解出来ないし意味も分からないですネー」
まず骨が勝手に動いているというのが理解不能だ。
スケルトン系の魔物が似たようなことを可能とすると言えばそうだが、あれらは生者への恨みだけで動いているものである。
身体をバラバラにされようと気にすまいが、あくまでもその恨みはその固体固有のもの。
他の何かと協調するなどということが、起こりえるわけがない。
「そういう意味では、地面から這い出てきたのも不可解ですネー」
地面から這い出てくるのは構わない。
スケルトン系の魔物はそもそもそのようにして生まれるものだ。
しかし先に述べたようにそれらは、生者への恨みだけで動く。
あんなに無数とも呼べるほどの数がいたら、それぞれが恨みを晴らそうと勝手に動き、大混乱が生じるはずだ。
だというのに、実際にはそんなことは起こっていない。
まるで順番待ちをするようにあの少年のことを取り囲み、順々に攻撃を加えていっているのだ。
まあその全てが届いておらず、逆に倒されることとなっているが、アレに関してはとうに理解を放棄している。
考えるだけ無駄な存在だという結論は出ているので、やはり今最も不可解なのはアッチだ。
そもそも、分からないのは方法もであるが、目的もであり――
「んん? もしやあの規格外にあの少女を盗られまいと巨大な檻でも作っているのかと思っていたのですがネー……これはこっちから見ると全容が分かりますネー。なるほどこれは、龍ですかネー?」
まだ全身が出来上がってはいないので断言は出来ないが、おそらくはそうだろう。
推定ではあるも、全長五十メートルというところか。
龍だとしても大きいにも程があるが、アレに対抗するにはそれほどの大きさが必要だとでも判断したのかもしれない。
「それにしても、龍とはまた随分なものを選んだものですネー。まあ、アレを相手にするには確かにそんなものを持ってくるしかないでしょうがネー。もっとも、本物の方は未だ現存しているのかは定かではないのですがネー」
最後の龍にして最強の龍。
神ですら喰らいその身の糧としたという、神喰らいの龍王。
その姿が最後に確認されたのも、今から十年以上は前のことである。
もっとも、それを確認したのは魔王ではあるが。
「……そういえば、聞いた話によれば、龍王は他の龍と比べて遥かに巨大だとかいう話でしたかネー。もう少し詳しく聞いておくべきでしたかネー。盟約だかを結んだせいで互いに不可侵になったと聞いて不貞腐れてましたからネー」
龍とか、ウェズリーが最も調べたいと思っていたものの一つだ。
それを調べることはおろか近付くことすらも禁止だと言われてしまえば、不貞腐れるのも当然である。
そもそも近づくどころか居場所すら掴めてはいなかったのだが、それはまた別の問題だ。
「まあそれはともかくとして、ということは、もしかしてアレは龍王を真似たりしてるのですかネー。ふむん……一般的には龍王の姿などは知られていないはずなのですが、もしや彼が知っていたりするのですかネー。音も聞くことが出来れば色々と興味深いことも知れたかもしれないのに……無念ですネー。先日も一度見れなくなったことがありましたし、一度調整し直したいものですネー」
あれを取り付けた時には、ここまで興味深いことが起こるとは思っていなかったのだ。
あくまでも念のためだったため、仕方ないと言えば仕方ないのだろうが、どれほどの取りこぼしがあったのだろうと考えると無念でならない。
と、そんなことを考えていると、向こうでさらなる動きがあったようだ。
少年が腕を振るうと数百はあっただろう骨共がまとめて吹き飛び、そこで骨共が動きを止めたのである。
包囲することは変わっていないが、襲い掛かることはなく、まるで様子を窺うように佇むそれらの姿を眺め、ウェズリーは首を傾げた。
「んっんー……やはり明らかに不自然ですネー。となれば、彼女が何かをしていると考えるべきでしょうネー。ですが、こんなことは魔導具にも不可能なはずですしネー。少なくとも私は聞いたことがないですネー」
だがだとすると……と考えた時、ふとウェズリーに閃くものがあった。
それは魔王達が使う力のことである。
「しかしアレは魔王様達しか使えないとか言っていましたからネー。実際少し調べさせてもらえましたが、アレは確かに無理ですネー。身体の根本的な構造が違うようですからネー」
話を聞いたところによれば、彼らはこの世界の人類にはない別の臓器を身体の中に持っているらしい。
それで作り出した力を使って、奇跡の力を用いているのだとか。
こちらの人類には根本的に再現不可能なものである。
だからウェズリーが思いついたのはそれではない。
それを発想の元として至ったものであり――
「魔法……ということになるんですかネー」
魔法。
かつて存在した神秘。
神秘でありながら人に宿ることになった、奇跡の力。
人のままで神の領域にまで手を伸ばすことも可能なため、神々によって直々に破棄されたとも言われる曰く付きの代物だ。
昔のことを語ろうとしない神が、再三注意をしたという時点でそれがどれほどのものであったのかが分かるというものである。
それでいて、現存している資料は余りにも少ない。
明らかに後世の創作だと分かるものもあり、中には魔法などというものは元から存在しなかったのではないか、とまで言う者までいるほどだ。
あくまでも、神が人を諭すための創作なのではないかと。
だがウェズリーはそうではないと思っている。
確かに人が過ぎたる力を手にした場合の末路の提示としては、千年前の古代文明の崩壊の話と合わさって効果的ではあるが、それにしては現存している資料び幾つかが詳細過ぎるのだ。
わざわざあそこまでの手間をかける必要は、そこにはない。
「彼女が使っているのが本当に魔法なのだとしたら、もう証明とかはどうでもいいことになるのですがネー」
しかしそこでふと、ウェズリー思う。
もしもあれが本当に魔法であるならば、神々が直接何かをしてくるということも有り得るのだろうか、と。
それは……とても興味深いものであった。
魔法が失われてしまうのは惜しいが、その光景を見たくもある。
神々が直接手を下すことなど、神がこの世界を去る以前にもあまりなかったという話だ。
そんなものを見逃せるはずもない。
「とはいえ、その可能性は低いですかネー」
そんなことが出来るならば、それこそ魔王はとっくの昔に滅ぼされているだろう。
稀に現れる破滅論者が、この世界は神に見捨てられたのだとか言いだすこともあるが、そんなことはない。
「もしもそうであるならば、勇者なんて存在が現れるわけがありませんからネー」
勇者。
神の啓示を受けた神の使徒。
要するに、人類側の魔王だ。
そんなものが現れているという時点で、神が見捨てたはずはないのだ。
もっとも、だからといって救われるかどうかはまた別の話ではあるが。
「まあ、勇者に関しては私の管轄外ですからネー。そっちは彼らが好きにすればいいですネー」
そんなことを呟きながら、ウェズリーはずれていった思考を元に戻す。
その目は変わらずに壁に映し出された光景を捉え続けているが、そろそろ次の動きがありそうだった。
「彼は彼女に何を言っているんでしょうかネー。聞きたいですネー。知りたいですネー。彼女はそれをどう思ってるんでしょうかネー。いえ、そもそもの話――彼女に一体何が起こってるんでしょうかネー」
ウェズリーが彼女に、あの翠色の球体に細工を仕掛けたのは確かだ。
このタイミングでそれを起動させたのも間違いがない。
だが、何故それが成功したのか、それによって何が起こっているのかを、ウェズリーは何一つ理解してはいないのである。
理解していないながらも、狙った通りの結果を引き起こしているからこそ、ウェズリーは自らを褒め称えているのだが、それはそれとしてどうしてああなっているのかに関しては非常に興味があった。
そもそもウェズリーが出来たことなど僅かなもので、彼女に関して分かっていることも数少ない。
おそらくはアレ自体は一種の魔導具であろうとは分かったものの、アレそのものに関しては分かっているのは本当にその程度だ。
あとは、ウェズリーではあの球体に傷一つ付けることは出来ない、ということぐらいか。
とはいえだからこそ、様々な実験がろくに出来ず、ほぼ何も分からないということになってしまったわけだが。
それは物体的な強度の話ではなく、もっと概念的な話だ。
それはおそらく、ウェズリーでは魔王達に傷一つ負わせることは出来ない、ということに似ている。
素材なのか製法に理由があるのかは分からないが、実験結果から導き出された事実は一つのみ。
アレは、実質的にはこの世界よりも一つ上の次元に存在している、ということだ。
あるいは、アレを直接ぶつければ、魔王にすら傷を負わせることが出来るかもしれない。
壊れそうだから試しはしなかったものの、その可能性は十分にある。
なのでウェズリーはアレそのものにはほぼ手を加えていない。
さらなる研究をしようとした時に魔王から止められてしまったのもあり、出来たことと言えば、精々がこの映像を届けられるようにしただけだ。
ウェズリーが細工を仕掛けたのは、彼女そのものである。
もっとも、彼女に関しても実際に分かったことがほぼないのは同じだ。
彼女の魂はこの世界の人類とほぼ同じであることと、それが酷く激しく損傷しているということぐらいである。
そして損傷が激しかったからこそ、ウェズリーが手を加えることも出来たのだ。
大した刺激は必要ない。
必要なのは的確さだ。
的確に、最小限の刺激で以て――彼女を狂わせてやればいい。
「惜しいのは、具体的にそれがどういったものであったのかが私にも分からないということですネー。まったく、我ながら天才すぎるのも困ったものですネー。まさか自分では理解していないのに実現可能だなんて……まあ、さすがは私といったところですがネー」
彼女は今何を思っているのだろうか。
彼女の目には今、世界はどう映っているのだろうか。
彼女の見るものをそのままこちらへと映すはずだったこの光景は、今では若干俯瞰したものとなっている。
彼女が狂ったことでこうなってしまったのか、それとも今の彼女は世界をこう見ているということなのか。
「……本当に、興味深いですネー」
それに、彼女が本当に魔法が使えるのだとすれば、彼女は千年以上昔の存在ということになる。
となれば、あの少女もまたそういうことになるのではないだろうか?
「人の魂を宿した何かに、古代文明の生き残りかもしれない少女、それに魔王様をも倒しかねない規格外の少年とは……まったく以て興味深いですネー」
これが果たしてどんな結末を迎えるのか、ということも含めて。
「とりあえずは、これ以上の手出しは無粋ですネー。まあやろうと思っても出来ないんですがネー。ですがだからこそ、一部始終を見せてもらいますネー。……私をもっと、楽しませるがいいですネー」
そう言って、ウェズリーは眼前の光景からは目を離さぬまま、その口元を笑みの形に歪めるのであった。




