千年の歳月
眼前の光景を眺めながら、カイルは感嘆したように息を吐き出した。
「ほぅ……? この大陸に、まだこんな場所が残されてたんだな……」
「そうですね……岩場のようになっているところはありましたが、これまで歩いてきた場所は大半が荒野でしたし。ここでこれほど見事な緑を見れるとは、正直思ってもいませんでした」
ティナもまた感心したように呟きつつ、周囲を見回している。
だがそれも仕方のないことだろう。
理由としては、ティナの口にした通りだ。
この一月の間、カイル達が歩いてきた場所はその大半が荒野で、僅かに岩場のような場所があった程度。
緑など慰み程度にしかなかったのだ。
しかし同時に、そんなものだろうとも思っていたのである。
何せカイル達がいるのは、魔王達の住む大陸――俗に死の大陸などとも呼ばれる場所なのだ。
むしろ緑がほんの少しでも残っているだけで驚きではある。
だからこそ、あの村の残骸を見つけた時には、非常に驚いたのだ。
北端に行くまでこんなもの光景が続いているのだろうと思い、覚悟していたが故に。
だが今、目の前にあるのは、その時の驚きを遥かに越えていくようなものだ。
何せそこにあったのは一面の緑。
そう、森であった。
『まあ、正直に言いますと、これには私も驚いているのですが。まさか森になっているとは』
「……おい。お前が驚くから楽しみにしてろとか言ってたんだろうが」
『いえ、その通りではあるのですが、私が知っている限りではここは森ではないはずなのです』
「え、そうなのですか? でも見事な森ですよね?」
一瞬幻覚とでも疑ったのか、適当な木を恐る恐るとティナが触れてみるが、確かな感触が返るのを確認してからはペタリペタリと触れては首を傾げている。
やはりどう見ても森だし、ナナの言っていることの意味が分からないのだろう。
だがカイルは、何となくではあるが理解した。
つまり――
「ここは千年の間に、こんな森になったってことか?」
「……なるほど。確かに、千年ですもんね。森ではなかったところが森になったところで、不思議ではありませんか」
『はい、そういうことなようです。特にここは、場所が場所ですから』
「ふむ……結局ここが何処なのかは気になるが、まあどうせあと少しの辛抱か」
試練の間を後にしてから、三日目の昼。
カイル達は、ナナの言っていた目的の場所へと辿り着いていた。
ただし、具体的にそこがどういう場所なのかは、聞いてはいない。
聞いてもナナが教えてくれなかったのだ。
その時のお楽しみだ、と言って。
まあ、正直に言ってしまえば、ある程度の予測は付いている。
船を利用しない大陸間の移動方法など、そう幾つもあるまい。
しかし楽しみにしていろと言われた以上は、それを口にするのは無粋というものだ。
それに予想通りであるならば、それでも楽しめるはずだし、違うのであれば、それはそれでよし。
何の問題もなかった。
そうして期待してみたら、森である。
さすがにそれは予想外であり、どうやらそれはナナにとっても同じであったようだが、なればこそより期待も高まるというものだ。
ここの大陸は、元は緑豊かな場所だったという話である。
それが荒野だらけとなったのは、魔王達が破壊の限りを尽くしたからだ。
そんな中でここにだけ緑が残っているということは、ここは魔王の手が伸びていないということである。
最悪荒らされたり壊されたりしている可能性もあっただけに、一安心だ。
そして同時に、一つの納得を覚える。
「俺が壊されたりしている心配をした時にお前が妙に自信満々だったのも、こういうことか」
『まあ、そういうことですね。気付いているでしょうから言ってしまいますが、ここは要するに大陸間移動をするための場所です。しかしそれは私達が作りましたが、ここは私達の国ではありませんでした。その意味するところが分かりますか?』
「ふむ……お前達の国の文明は、他の国のそれと比べて優れていたんだよな?」
『そうですね……客観的に言いまして、頭一つ抜けているどころか、数世代先の技術を独占していたといってでしょう。魔導具などはその筆頭です』
「そんなんで当時他の国との関係はどうなってたのかとか気にはなるが……なるほど。つまりは、ここもまた他の国々にとっては数世代先の技術が存在している場所。それが得られるならばってことで、襲われない理由がないな」
言い訳など幾らでも捏造できるだろうし、それで国同士の関係が悪化しようとも問題はない。
何せ数世代先の技術だ。
そんなものを持たれている時点で万に一つの勝ち目もないし、その一端でも手に入れる事が出来るのであれば、安いものだろう。
『まあ実際には関係の悪化どころでは済まないのですが、少なくともそう考える国はあったでしょう。ですがそれを理解している以上は、わざわざさせてあげる理由もありません。私達も無駄に他国と喧嘩をしたかったわけではありませんから』
「つまりは、襲えなくした、ということですか?」
「そういうことだろうな。最初は単純に相応の武力でも置いといたのかと思ったが、それだと今もここが平和な理由にならない。ってことは……結界とかそこら辺か?」
結界は魔物だけではなく、人を相手にも作用する。
具体的にどんな相手に作用するのかは設定次第だという話だが――
『はい。悪意を持つ者をその場に入れなくさせ、同時に存在の認識すらもさせないという広域結界です。まあそのせいで、嫌いな相手と旅行をすることになったら、ここの場所を認識出来ずに相手に嫌っていることを知られてしまったとか、出発直前に喧嘩をしたら双方共が弾き飛ばされ結果強制的に即座に仲直りをせざるを得なくなったとか、そういう笑い話に溢れていましたが』
「似たような話を、わたしも聞いた事がある気がしますね」
「つまり本当に溢れてたのか……まあ、確かに笑い話って言えば笑い話か。しかしこの光景を見る限りでは、今でもそれは生きてるってことだろ?」
『そうですね。厳密にはその結界を張るための魔導具が設置されていた、ということなのですが……龍脈を利用していたため、千年後も稼動を続けられたようです』
「結界を張るタイプの魔導具ってのは俺も幾つか聞いたことはあるが、それらとは色々な意味で次元が違いそうだな」
結界を張るタイプの魔導具というのは、魔導具の中では割とポピュラーである。
魔導具という時点で十分珍しいのだが、それぞれの国で必ず一つは持っているものなのだ。
何故ならば、王都で使っているからである。
結界は結界でも、それは魔物避けの結界だ。
ここで使われているというものと似ており、魔物が近寄れず、そもそも認識すら出来ないというものである。
普通の街などは、傭兵や冒険者、あるいは衛兵が周囲の治安を守り、また時には城壁で覆っているし、そのおかげで魔物が街に侵入するということはほぼない。
だが王都である以上は、それは絶対でなければならないのだ。
そのため、この世界では王となるのに必要なのは、その魔導具を起動させるための才能であったりする。
もちろん、最低でも王族の血を引いている必要はあるが、どれだけ施政者として優れた才能を持っていたところで、その魔導具を起動出来なければ王とはなれないのだ。
しかしここの魔導具は使うのに人すら必要としないというのだから……千年前に栄えていたというナナ達の住んでいた国の凄さが垣間見えるようであった。
『ちなみにですが、大陸間を移動するための手段も魔導具であり、それも龍脈を利用するものです。結界が稼動し続けている以上、そちらも問題なく起動するでしょう』
「そりゃよかった。これでまた一つ心配が減ったってわけだ」
「あとはそこに向かうだけ、ですか……結構この森深そうですが、大丈夫なんですよね?」
『……正直に言いますと、それに関しては少し自信がありません』
「おい」
『いえ、言い訳をさせてもらいますと、私も来た事はないのです。情報として知ってはいるのですが……ここまで周辺地理が変わってしまいますと、それも役に立ちませんので』
「それは……まあ、仕方がないですね。それに、ナナさんがいれば少なくとも迷うことはないでしょうし」
『そうですね、それに関してはお任せください』
そんなことを言いつつ、ナナの先導で森を進んでいく。
詳しい場所が分かっていない以上は、厳密にはそれは先導ではないのかもしれないが、この森の中ではカイルやティナでは今歩いている場所が一度歩いた場所かも分からないのだ。
ナナは正確な方角が分かることで、大体のそれを予測出来るらしく、ならばナナに任せるのが最も安全である。
そんなことを自然と考えるあたり、随分とナナのことを信頼するようになったものだ。
ただ歩いているだけというのもあれなので、何となく周囲の森を眺めながら、ふとそう思い――
『……あ。お二人とも、お待たせいたしました。どうやらようやく、見つける事が出来たようです』
不意に森が途切れたのは、その時であった。
そして。
『アレが、私達の目的地。大陸間の移動――大規模転移を可能とする魔導具の存在している場所となります』
そこにあるモノを視界に収める中、ナナがそう告げてきたのであった。




