裏切り
ふと頭上を見上げながら、カイルは溜息を吐き出した。
視線の果ては遠く、手を伸ばしても届かないどころか、全力で跳んだところで届くかは怪しい。
推定ではあるが、百メートルほどはあるだろうか。
それでも果ての色がはっきりと目に映っているのは、それ自身が発光しているからだ。
まるで先日訪れたばかりの試練の間を彷彿とさせるが、それも当然である。
ここはあそこと同じ時代に作られた、古代遺跡なのだから。
そうして視線を下ろせば、そこに広がっているのはその天井に相応しい空間だ。
どれほどの広さがあるのかは測りきれない。
数百メートルは優にあるのだろうことだけは間違いがなく、往時はここが人で溢れていたとか。
その光景を想像するだけで、カイルは期待で胸がいっぱいになった。
何せこれから、その人達と同じ体験をするのだ。
新大陸。
向かう先を想い、胸が高鳴るのは、もしかしたら当時の子供達と同じだったのかもしれない。
子供と同じだなどと、本来であれば恥ずべきことなのかもしれないが、少なくともカイルはそうは思わなかった。
未知のものに対し期待を覚えるのは、当然のことだろう。
それを子供だなんだと言う方が無粋というものである。
楽しいものは楽しいし、心のままに楽しめばいいのだ。
不安に思うことは何一つとしてない。
方針があって、情報もあって……目的はまだ決まっていないけれど、それもまた楽しみの一つだ。
これから未知の中で、目的を決めることが出来る。
もちろん不安がないと言ってしまえば嘘になるけれど、それすらも期待感を高めるスパイスにしかならない。
ああ、ひたすらに楽しみで仕方がなく――
「……なのに、どうしてこんなことになったんだろうな」
呟きに、声は返ってこない。
虚しく響き、だが代わりとばかりに届くのは、不快な音である。
ここに見るだけで壮大さを感じさせるような空間が広がっていたのは、つい先ほどまでの話であった。
今では見る限りの場所を、別のものが埋めている。
それらは人ではない。
人ではないが……だからこそ、それらはここを徹底的なまでに貶めていた。
「というか、ふと思ったんだが、もしかしてそれはアレか? 巨大だって言うんなら、せめて龍と同じぐらいのものを持ってこいって言ったからそれなのか? いや、確かに言いはしたがな……」
思い出すのは、五メートルほどの巨身だ。
視線の先にあるソレは、確かにあの時のようなアレと比べてすら遥かに巨大であった。
何せカイルの言ったように、全長で五十メートルほどは……カイルのよく知る龍と同じ程度の大きさはあるのだ。
さすがのカイルも、それならば巨大だと言わざるを得ない。
さらに、それだけではないのである。
大きさだけではないのだ。
ソレは、姿もまた、カイルのよく知るモノによく似ていたのである。
ただし……だからこそ、カイルの胸には酷く不愉快なものしか浮かんでこなかった。
「……それは、幾ら何でも喧嘩を売りすぎだろう。人骨で作り出された龍とか、不愉快でしかない」
そう、それは確かに龍であった。
だが、龍を模しただけの贋作だ。
しかもただ模しただけではなく、その全身は無数の人骨から出来ていた。
どこにあるのがどの骨かなどはさすがに分からないが、頭蓋骨だけならば嫌でも分かる。
空洞の眼窩が、無数に虚空を眺め、まるで無念さを表しているかのようだ。
あるいは、ただ嘲笑っているのか。
どちらにせよ、色々なものを汚されたような思いであった。
「だがまあ、それだけならばまだいい。不愉快ではあるが、その人達が穏やかに眠れるよう祈りながら、丸ごと消し飛ばせばいいだけだしな。それだけならばまだ、許容範囲内だ」
そこにあるのは、魂のない死者である。
魂のない死者に対して何かを思うのは、生者の勝手な想像で、妄想でしかない。
たとえ蔑んでみせたところで、その人達の魂が穢れるわけではないのだ。
だからといって不愉快な思いが消えるわけではないが、それだけならばまだ許容範囲内である。
龍を模したところで、アレがどうこうなるものでもない。
むしろ予行演習とばかりに、諸共消し飛ばすだけだ。
「だけど、それだけは駄目だろう。それらは死者だ。生者と混ざり合っていいわけがない。なあ、だから――さっさとティナを放せ」
それに取り込まれたティナを解放するよう告げるも、返ってくるのはやはり言葉が返ってくることはない。
カタカタカタカタと、不愉快の音が――周囲を取り囲む骨共が鳴らす音だけが、その場に響く。
「はぁ……いい加減反応がないのにも、飽きてきたんだが? せめて何らかの反応を示してくれんかね? 聞こえてるんだろう? なあ……応えろよ――ナナ」
この場に到達し、まさにこれから転移装置で以て別の大陸へと移動しようとした瞬間に裏切ったナナへと呼びかけるも、相変わらず反応はないままであった。
いい加減にして欲しいという気持ちを隠さずに溜息を漏らすも、反応がなければ何の意味もない。
仕方なく周囲へと視線を向けると、そちらでは僅かに反応があった。
カイルの視界に映し出されているのは、その場の空間を埋め尽くすほどのスケルトンとゴーストの群れだ。
カイルの周囲を包囲しているそれらが、しかし視線を向けた瞬間、ほんの少しだけ後ずさる。
まるでこちらに、怯えるように。
実際に怯えているのかは分からない。
その大部分を消し飛ばしてみせたとはいえ、未だにカイルは包囲されたままだ。
それらが退く様子を見せないことも考えれば、怯えていたとしてもそれほどのものではないのだろう。
そのことに、小さく息を吐き出す。
出来ればさっさと退くなり何なりしてくれないだろうかと思いつつ。
別にそれらを忌避しているわけないし、倒すことを忌避しているわけでもない。
単にろくな手応えもないくせに無駄に数が多いから、鬱陶しいと思っているだけだ。
確かにスケルトンなどは地面から這い出てくるように現れたし、ゴーストもこの場で実体化したように見えたので、あるいはこの場やこの周辺で死んだ人達が魔物化してしまったものなのかもしれない。
だが出現と同時に襲い掛かってきたそれらを何の躊躇いもなく消し飛ばしたことからも分かる通り、それを理解したところでカイルが手を抜くということはないのだ。
黙祷ぐらいは捧げよう。
安らかに眠ってくれるよう祈りもする。
しかし襲い掛かってくるのならば、邪魔をするというのならば、微塵も加減する気はないのだ。
「ふむ……さて、しかしどうしたもんかね」
とはいえそれも、襲い掛かってくればの話である。
先ほどまではひっきりなしに襲い掛かってきていたというのに、先ほど纏めて吹き飛ばしてから、それらは一定の距離を開けたままピタリと足を止めていた。
だがそれでいて、先ほどの述べたように包囲したままでもあるのだ。
纏めて吹き飛ばしたのは三度であり、周囲のスケルトンの姿がゴッソリとなくなったのも三度目であることを考えれば、それに臆した可能性もあるが、そうなるとやはりそれが解せない。
小康状態のようなもの、というか、相手がこちらの様子を探っているという可能性もなくはないが、果たしてそんな必要はあるのだろうか。
スケルトン共は見ての通り、無数なのではないかと思えるほどの数がいる。
少なくともカイルにはその数を数えることは出来ないし、幾ら倒しても、消し飛ばしたところで、全体的な数が減っているようには見えないほどなのだ。
探るにしても、襲い掛かりながら探った方が効率的だろう。
そう思いはすれども、カイルから動こうとしないのは、現状の大半を把握できていないからだ。
とりあえず確定で分かっているのは、ナナが裏切ったことと、あの骨で出来た龍の模型の中にティナが囚われているということだけ。
分かるのは事実だけで、理由やら目的やらは何一つ分かってはいないのだ。
相手が何一つ反応を示さない以上、当然のことではあるが。
分からないのならばとりあえず周囲のスケルトン共を倒せばいいのかもしれないが、下手をすればそれが相手の目的に利する可能性もある。
ティナを人質に取られているも同然な状況な以上、むやみやたらに動くわけにはいかないのだ。
だからこそ、こちらの言葉に少しでも反応してくれるとありがたいのだが――
「って、またいきなりだな……!」
言葉と同時、思い切り後方へと飛び退く。
つまりそのままではスケルトン共の密集地帯に飛び込むことになるわけだが、それも仕方あるまい。
あの龍を模したモノが、唐突に動き出したのだから。
それはまるで、様子見は終わったとでも言うかのような動きであった。
振り上げられた腕が、カイルのいた場所を周囲のスケルトンごと纏めて押し潰す。
速度としては、大したことはない。
だが巨体故の範囲と、何よりも地を揺らした衝撃が、その威力の程を物語っている。
さすがのカイルでも、直撃すればどうなるかは分からないだろう。
「……ったく……急にやる気になりやがって。だがまあ、そっちがそのつもりだってんなら、話が早いか」
相手になるだけだと嘯きながら、眼下にいたスケルトン共を纏めて消し飛ばす。
着地と同時に、睨みつけるようにそれを見つめる。
ティナが何処に取り込まれているのかは分からないが、それでも気配を辿ればある程度の範囲に絞ることは可能だ。
ならば。
「さて……やるってんならそれで構わないが、一応言っておくぞ。笑って済ませられるのはここまでだ。これ以上やるってんなら……もう、容赦はしない」
言葉に、それは腕を振り上げることで応えた。
そうかと溜息を吐き出すと、カイルも構える。
振り下ろされるのに合わせて踏み込み、振り上げた刃で、叩きつけられた腕を消し飛ばした。




