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想いを背負って

 ふと、目が覚めた。


 瞬間視界に広がった光景へと僅かに戸惑いを覚えるも、すぐに状況を思い出す。

 起き上がり周囲を見渡せば、見覚えのある石造りの部屋が壁から生み出された光によって照らされている。

 試練の間と呼ばれている場所であった。


 ざっと身体を見渡し確認してみるも、特に異常などは感じられない。

 どうやら二重の意味で問題はないようだ。


 となればあとは――


「さて……何時間ぐらい寝てたんだ? さすがにここだと確かめようがないな」

『そうですね……丸一日には届かない程度でしょうか。とうに陽は昇っていますが、昼というにはまだ早い。そんな時刻です』

「おぅ……?」


 完全に独り言のつもりだったので、返ってきた言葉に軽く驚いた。

 そもそも周囲を見渡したばかりである。

 人影がないことは確認済みであり、当然のようにティナの姿もない。


 何処に……と思ったところで、思い出した。


「ああ……そういやティナに返してなかったか」


 呟きながらポケットを漁れば、指先に硬い感触が返る。

 取り出し、何となく掌に載せながら、その翠色の球体を眺めた。


『カイル様、あまり乙女の柔肌を視姦しないでいただきたいのですが?』

「……少し前に俺が似たようなことを言ったら、お前に頭がおかしくなったような扱いを受けた記憶があるんだが? そもそもどこに柔肌があるんだ」

『カイル様はデリカシーという言葉を覚えた方がよろしいかと思います。そんな様子ではティナ様に嫌われてしまいますよ?』

「ティナ相手にはそんなこと言わんから心配すんな」

『……それは即ち、私には嫌われても構わない、ということでしょうか?』

「生憎と人に嫌われて喜ぶ趣味はないな。そいつが気に食わないやつだったりすれば話は別だが」


 そんな軽口を叩きながら、もう一度視線を巡らす。

 向ける先は、この部屋唯一の出入り口。

 その先にはここと同じような部屋があるはずだ。


「ところで、ティナはもう起きたのか? いや、ほぼ一日ってことは、普通に考えれば起きてるか」

『いえ、ティナ様も先ほど起きられたばかりです。カイル様とほぼ同時でした。そんなところでまで仲のよさが感じられるようで何よりですね』

「……なんかお前微妙に怒ってるっていうか拗ねてないか?」

『気のせいでしょう。私は繊細さなどが必要ない女ですから』


 明らかに拗ねている口調に、カイルは苦笑を浮かべる。

 後で機嫌を取る必要がありそうだが……これはどうすれば機嫌を取れるのだろうか。


 そんなことを考えつつも、その場から歩き出す。

 起きているというのならば、早く合流した方がいいだろう。


 封印が解かれた直後は多少情緒が不安定になる可能性がある、という言葉を思い出しながら少し足早に歩を進める。


「そういえば、さっき起きたばっかだとか言ってたが、よくそんなことまで分かるな? 魔法でそんなことまで分かるのか?」

『いえ、私はティナ様の位置を把握することが出来ますから、単純にそこからの判断です。多少の寝返り等で動くことはあっても、起きた際のそれとは明らかに違いますから』

「なるほど……って、それってずっと把握し続ける必要があるってことじゃないのか?」

『カイル様達が眠ってしまえば、私は暇ですから。特に今回は周囲の警戒をする必要もありませんでしたし』

「あー……それは悪かったな。そういや俺達が揃って寝たらお前は暇になるだけなんだよな……」

『いえ、お気になさらずに。待つのは慣れていますから』


 慣れているからといって、やりたいものではないだろう。

 もしかすると先ほど拗ねてみせたのは、その辺のことも関係あるのかもしれない。


 今の口調からは既にそういったことは感じられなかったが、これは多少本気で何か考えなければならないかもしれないと、そんなことを思い……腹部に衝撃を受けたのは、その時であった。


「うおっ……一瞬何かと思ったが、ティナか。どうし……ティナ?」


 自身の腹のあたりを眺めてみれば、そこにはティナの頭があった。

 状況から考えると抱きついてきたようにも見えるが、どちらかと言えばしがみついてきたという方が近いだろう。

 細かく震え続けている肩が、その証だ。


「カイルさん、ですよね……? これって、夢とかじゃないんですよね……?」


 その言葉に、カイルは一瞬どう答えたものか迷ったものの、ふっと息を吐き出した。

 孤児院にいた頃、夜中に怖い夢を見たとかで泣いていた幼い妹がこうやってしがみついてきたことがあったなと思い出しながら、その時にしてやったようにティナの頭を優しく撫でていく。


「夢の中の登場人物かもしれない俺が言ったところで説得力はないかもしれないが、安心しろ。これは現実だし、俺はここにいる。どうした、嫌なことでも思い出したのか?」

「……そういうことでは、ないんですが……」


 上手く言葉に出来ないのか、その代わりとばかりにしがみついてきている腕に力がこもった。

 その様子にカイルも、これは落ち着くのを待った方がよさそうだなと、ひたすらに頭を撫で続ける。


 そしてそうしながら、確かにこれはここで休んで正解だったなと、そんなことを思う。


 試練を終えたカイル達が未だこの試練の間にいるのは、ティナの封印を解くためであった。

 厳密には、それを馴染ませるため、といったところか。

 封印を解くことそのものは一瞬で終わるのだが、その結果が現れるにはティナが眠る必要があるということだったのだ。


 それで、ついでだからここでそれも済ませていったらどうかしらと提案を受けたのである。

 時間がかかる可能性があるし、初めて封印を解くということで情緒が一時的に不安定になるかのせいがあるから、と。


 もっとも、提案をした側は、役目は終わったからと言ってとっとと姿を消してしまったのだが。

 正直やりづらさはまだあったため、ある意味では助かったとも言えるのだが……ともあれ、どうするかを話し合った結果お言葉に甘えさせてもらうことにしたのである。


 で、カイルも寝ていたのは、それもついでだからだ。

 ここは安全であり、カイルは丸一日以上寝ておらず、何よりもここ一月の間一度も熟睡出来ていなければそもそもの睡眠時間も足りていない。

 だから寝ておけとティナとナナの二人がかりで言われてしまえば、逆らう気も起きなかった。


 それに実際のところ、カイルも少しずつ腹の底に溜まっていくような疲れを覚えていたのも事実だ。

 すぐにどうこうなることはないものの、何処かで一度ゆっくり休む必要があるとは感じていたのである。

 次にこんな機会がいつ訪れるかも分からない以上は、ここで休んでおくべきであった。


 さすがに一日近く寝てしまうとは思っていなかったものの、想像以上に疲れは溜まっていたというところか。

 そういう意味でも休んでおいて正解だったらしい。


 と、現状に至ることになった理由を思い出していると、ティナも何とか落ち着きを取り戻したようである。

 不意に自分がどんな状況にあるのかに気付いたのか、頬を染め上げるとパッとその場から離れた。


「……すみません、ご迷惑をおかけしました」

「もう大丈夫なのか? 駄目そうなら、まだ引っ付いててもらっても構わないんだぞ? 役得だしな」

「い、いえっ……本当に大丈夫ですから……」


 そう言って俯くティナの様子を眺めながら、カイルは僅かに目を細める。

 情緒が不安定な様子は見られなくなったが、若干無理はしているようであり、要観察といったところか。

 それでも本人が言うように大丈夫ではあるので、そっと安堵の息を吐き出す。


『それで、イチャつきの時間は終わりましたか? 終わったのでしたら、念のため封印がきちんと解除されたかの確認を行いたいのですが』

「い、イチャっ……!? そ、そういうのじゃありません……!」

「お前実はまだ拗ねてるだろ。それとも再発したか? ティナをからかってストレス発散代わりにするんじゃない」

『ですから、拗ねてなどいないと言っているではありませんか』

「……? 何かあったんですか?」

「ま、ちょっとな」


 苦笑を浮かべ、肩をすくめる。

 そこでふと、そういえば、ナナの機嫌の取り方をどうすればいいのかはティナに聞くのが一番か、とは思ったものの、問題は聞くタイミングだ。

 本人に聞かれては意味がないが、どうすればそんな状況を作り出せるのか。


 それはそれで難題だな、などと思いつつ、一先ず話を先に進める。

 封印のことは封印のことで、確かにしっかりと確認しなければならないことだ。


「で、封印の方は確かにどうなんだ? 不手際がありそうなら文句言う必要があるしな」

「あ、えっと……そうですね。大丈夫、だと思います」

「ここで解かれる封印は、人類を滅ぼす敵に関しての記憶、だったか?」

「はい。厳密には、それを話された時の記憶、といったところでしょうか」

『私の方も確認が取れました。確かに解除されているようです』


 その言葉で、そういえばナナの方にも封印はかかっているんだったか、と思い出した。

 ティナのことしか話題に出なかったので、半ば忘れかけていたのである。


「ちなみに聞いた話と何か齟齬とかはありそうか?」

「いえ……ないと思います」

『同じく、ですね』

「ふむ……」


 つまりは、人類のことを滅ぼす相手が魔王だ、ということか。

 元々状況などを考えるにそうだろうと思っていたことではあるものの、情報の裏取りが出来たことでよしとすべきだろう。


 あとは、ちゃんと封印は解け、ティナの記憶が戻ることが分かったことが収穫ではある。


「そういえば、さっき抱きついてきたっていうか、しがみついてきたのは一体どんな状況だったからなんだ?」

「え? え、っと……その……」

「ああ、別にからかおうとしてるんじゃなくて、純粋に気になってな。思い出して嫌な記憶なようなら、やっぱ他の試練は無視した方がいいのかもしれんしな」

「なるほど……ですが、大丈夫です。そういうものじゃありませんでしたから。ただ、そうですね……少し混乱してしまった、というところでしょうか。実感がなかったものに、突如実感が与えられてしまったからかもしれません」

「実感、か……そういえば、死にたくないと思ったのは過去の記憶の実感が薄いからかもしれない、とか言ってたな。その一部が実感持てるようになったわけだが……どうだ、何か気持ちに変化はあったか?」

「……いえ。人類を救いたいという想いが変わっていないのと同じです。わたしは変わらず、あなたと共に生きていたいと思っています」


 目を見つめられながら、そんなことを言われ……つい、カイルはティナから視線を外した。

 真正面からのその台詞は、さすがにまずいだろう。

 思わず変な場面が頭の中に浮かんでしまった。


 それを打ち消すように、肩をすくめながら軽口のような言葉を返す。


「そうか、そりゃ何よりだ。死のうとするティナを、無理やり担いだりする必要はなさそうだしな」

「くすっ……何ですかそれは」


 そう言ってティナは笑みを浮かべたものの、カイルとしては半ば本気の言葉ではあった。

 もしもティナがその選択をしようとするのならば、カイルは強引にでもティナを引っ張っていくだろう。


 どうやらその必要はなさそうだし、ずっと変わらぬそうであることを願うばかりではあるが。


「ところで……先ほどから気になっていたのですが」

「ん? どうした?」

「どうしてカイルさんはナナさんを掌の上に載せているのですか?」


 それでカイルは、思い出した。

 そう、先ほどポケットの中から取り出してから、ずっと掌の上に載せたままだったのだ。


 何となくそうしたままでいたため、それが当たり前のように感じ始めてきてしまっていたのである。


「ああ……そういや忘れてたな」

『忘れないでいただきたいのですが……?』


 ナナの抗議を無視しながら、それをそのままティナの方へと差し出した。

 しかし翠色の球体を眺めつつ、ティナは首を傾げる。


「えっと……?」

「いや、返そうと思ってな」

「返すと言われましても……ずっとわたしが預かっていたのは、最初にナナさんがこのローブの中に入っていたから、何となくそのままだったというだけですし。ナナさんとしましては、カイルさんが持っていた方が安全ではありませんか?」

『……確かに。カイル様の最も近くにいるということですし、それは即ち最も安全な場所ということになります』

「いや、そう言ってくれるのは悪い気はしないんだが、近くにあるとうっかり壊しそうでな。こう、コイツがくだらないことを言った時に、反射的にバキッ、とな」

『ティナ様大変です。私は今、命の危機に陥っております。救出をお願い致します』

「こういう時に握り潰しそうになったりとかな」


 そう言いながら拳を握り締めるようにしてみると、慌てるようなナナの声に応えるように、ティナが苦笑しながら掌をこちらへと向けてきた。

 その上に翠色の球体を載せてやり、そっと溜息を吐き出す。


 ふとした拍子で壊しそうだというのは、嘘ではなかったのだ。

 これで一安心だと思いながら、さてと呟く。


「んじゃまあ、そろそろここから出るか。ここでの用事はこれで本当に終わったわけだしな」

「そうですね……あ、ですが、これから何処へ向かうのですか? ここが何処なのかもよく分かっていませんし……聞いておけばよかったですね?」

「まあ、別にどこだって構わんだろ。結局北に向かうだけだしな」


 ここに来たのは完全な予想外ではあったが、目的は変わっていないのだ。

 世界を巡るかどうかに関しては結局決まることはなかったが、そこは臨機応変に、というところまでは決まっている。

 まずは適当なところへと行って、それから決めるのだ。


 しかしそのためにもまずは北端へと向かい、この大陸から脱出しなければならない。

 まあそこに辿り着いたところで、ここから脱出出来るかはまた別の話ではあるのだが――


「ああいや、その前にあの村に戻った方がいいか? あの『鍵』を戻すために」

『いえ、それはそのままティナ様が持っていた方がいい、とのことでした。ここの役目は終わったため、またそれに触れたところでここに転移することはありませんが、何かの役に立つかもしれない、とのことでしたので』

「いつの間にそんなこと聞いてたんだ……? まあいい。そういうことなら、その方がよさそうだな」

「……分かりました。いつの日か、全てが終わった時に、あそこに返しに行きたいと思います。その時が来るまで、預かっておきます」

「……そうだな、そうするといい」


 それはティナの、死ぬつもりはない、という思いの証左でもある。

 そういったことが積み重なることで、ティナは死から遠のいていくのだろう。


『ああ、それと目的地なのですが、北端にまで行く必要はありませんよ』

「ん? どういうことだ?」

『この試練の間のおかげで、現在地を把握することが出来ましたから。周辺の地理は多少変わっているかもしれませんが、ここがしっかりと残っていた以上、私達が目的とすべき場所も変わらず残されているでしょう』

「目的とすべき場所、ですか……?」

『はい。そこに辿り着くことが出来れば、この大陸から脱出することも叶うでしょう』

「ほぅ……? 船以外の方法で、か?」

『そうなります。詳細はそこへと向かいながら説明しますが……おそらくは今も可能なはずです』


 それがどんなものなのかは気になるが、ここまで自信たっぷりに言っているのだから、何か勝算があるのだろう。

 北端に向かったところで、何か船を捕まえるための具体的な方法があるわけではないのだ。

 ならば、一先ずナナの言葉に従ったところで問題はあるまい。


 駄目だったら駄目だったで、その時は改めて北端へと向かえばいいだけなのだから。


「分かった。じゃ、そこに行くとするか」

「そうですね、問題ないと思います」

『お任せください。この私がお二人を見事この大陸から脱出させてみませしょう』


 そんな大仰な言い方に笑いつつ、カイル達はその場から歩き出した。

 そうと決まれば、ここに長居する必要はない。


 十分な休息は取った。

 必要であった方針と、情報も得た。

 次に向かうべき目的地も決まり――


 ――あとは任せたわよ。


 最後に耳にした、聞き慣れた声を思い出しながら、カイルは前を向き、歩を進めていくのであった。

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