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青空の下で

「これが……空、なんですね……」


 その場で空を見上げながら、ティナはそう呆然と呟いた。

 それはまるで初めて空を見たような姿であり、カイルはふと首を傾げる。


「ん? もしかして、ティナは空を見た事がなかったのか?」


 その言葉に、ティナからの返答はなかった。

 呆然としたまま、ジッと蒼い空を眺め続けている。

 代わりとばかりに聞こえたのは、脳内に響いた声だ。


『厳密に言えば見たことはあるはずですが、こうして空の下に出た、というのはおそらく初めてだと思われます』

「……そうか」


 何となく分かっていたことではあるが、色々と事情持ちであるらしい。

 だがそんなことは、今更である。


『事情持ちと言うのであれば、カイル様も相当かと思われますが。まさか龍と戦い、鍛えられていたとは。納得出来る部分も多いですが』

「鍛えられてた、って言っていいのかは分からんけどな」


 知恵も授けてくれたあたり、そのつもりがまったくなかったとは思わないまでも、どこまで本気だったのかは割と疑問だ。

 そんなことを考えながら、カイルは肩をすくめてみせる。


 あの男を倒し、部屋を後にしてから、二時間ほどが経っていた。

 もちろん時間を計るものはないので感覚でしかないのだが、それほど間違ってもいないはずだ。


 その間カイル達は、ひたすらに薄暗い通路を進み続けた。

 あれ以来誰とも遭遇することはなく、安全という意味ではよかったのだが、さすがに暇を持て余してくる。

 警戒を続けるといっても、限度というものがあるのだ。


 そこでカイルは、彼女達にある程度自分のことを話すことにしたのだが、彼女達から自分の力がおかしいという指摘を受けたのもその道中のことであった。

 というか、それを受けたからこそ、そうだろうかと思い、自分のことを話すようになったと言うべきか。


 特に面白い話ではなかったとは思うものの、必要なものではあっただろう。

 さすがに一方的に相手の話だけを聞くというわけにはいくまい。


 それに、ちょうどいい暇潰しにもなかった。


「さて……ともあれ、どうしたもんかね」


 一先ずティナのことは置いておくと、カイルはそう呟きながら周囲を見渡した。


 そこにあるのは、薄暗い通路ではない。

 確かな地面が広がっており、視線を上に向ければ、視界に映し出されるのはティナも目にしている蒼い空。

 外に出たのであった。


 だがそれをカイルがいまいち喜ぶ事が出来ないのは、外に出たのはいいが、これから何処に行けばいいのかがまるで分からないからだ。

 一面に広がっているのは地平線であり、そうでないのは後方ぐらいか。

 土地勘がない以上はどうしようもないのである。


「空が晴れてるのが、幸いっちゃあ幸いだがなぁ……」

『そうですね。ティナ様が初めて空の下に出るというのに青空でないというのは、納得がいきませんから』

「俺が言ってるのはそういう意味じゃないんだが……まあ、そういう意味でも幸いではあったか」


 曇り空の下を延々と歩くとか憂鬱になりそうだし、雨なんて最悪だ、という意味でカイルは言ったのだが、未だにジッと空を眺め続けているティナの姿を見れば、確かに青空でよかったとも思う。

 曇り空でも雨空でも変わらなかったのかもしれないが、やはり空は晴れ渡っているのが一番だろう。


 しかしそれはともかくとして――


「ところで、そうやってティナのこととかを普通に話していいのか? さっきまでは色々と口を濁していたはずだが」

『……カイル様も察しているとは思いますが、私が今まであまり語る事がなかったのは、他の目と耳を警戒してのことでしたので。あそこを出た以上はさすがに問題ないと判断しました』

「そうか……」


 言いながら、視線を後方に向ける。

 そこにはむき出しの岩肌と共に、険しい山があった。

 魔王城は険しい山々に囲まれた先にある、という話を聞いた事があったので、今いるのはその一角なのだろう。


 ここからでは既に分からなくなっているが、そこに隠れるようにして……否、実際に隠された通路があった。

 そこからカイル達は出てきたわけだが、ここは未だ魔王の勢力圏内ではあっても、魔王城の中ではない。

 そう考えれば、確かにもうそれほど気にする必要はないのかもしれなかった。


 そしてやはりと言うべきか、あまり話そうとしなかったのは、盗聴されることを恐れてのことだったようだ。

 この分ならば、以後は聞けば普通に答えてくれそうである。


『あ、ちなみに今のうちに言っておきますが、おそらく私はカイルさんの抱く疑問の全てに答えることは出来ません』

「いや、まあそれはそうだろう。最初から全部分かるなんてことはさすがに思ってないぞ? 知らないこともあるだろうしな」

『いえ、そういうことではなくてですね……まあ、一先ずはいいでしょう。とりあえずは、私が今言った言葉を覚えておいていただけますと幸いです。詳しい意味に関しては、そのうち分かると思いますから』

「ふーむ、何やら気になる言い回しだが……とりあえずはいいか。どうせここで色々聞くつもりもないしな」


 魔王城の目と鼻の先ということもあるが、焦って聞く必要もないのだ。

 ティナがあの培養槽のようなものの中に入っていたのは、何らかの理由あってのことだということはさすがに察している。

 それは気になるし、必要とあらば手助けをするつもりもあるが、この場で知らなければならない理由はないのだ。

 ここを離れ、ゆっくり腰を下ろしてからでも問題はない。


 ただ――


「それでも先に一つだけ確認しておきたいんだが、どっちに何があったりとかは、知ってたりしないよな?」

『さすがにそれは分かりませんね。この時代の世界に対する知識は、おそらくはティナ様と大差ないでしょうし。そもそも現在地もよく分かっていませんから。分かるとすれば、精々が方角ぐらいでしょうか』

「お、方角分かるのか? ならそれで十分だぞ。とりあえず行くべき方向の目安にはなるからな」

『方角だけで分かるということで、カイル様はこの周辺の地理を知っている、ということなのですか? 先ほど土地勘がないなどと言っていたような気がしますが』

「いや、それは事実だぞ? 実際細かいことは分からんしな。ただ、それでも魔王城がどの辺に位置しててどっちにいけば何があるか、ぐらいは分かる」


 カイルの知っている限り、魔王城の存在している大陸は、南の端に位置している。

 その大陸の全てが魔王の主な勢力範囲だと言われており、魔王城があるのは大陸のさらに南端に近い場所だ。


 しかも、北を除いた全ての方角から、この大陸は孤立したように離れている。

 船を使って真っ直ぐに進めばそのうち他の大陸に辿り着くことは出来るものの、数ヶ月かかることを考えれば現実的ではない。


 つまりこの大陸から脱出するには、北以外に道はないのだ。

 それでも最寄の大陸までは船を使う必要があるものの、今言ったように魔王の主な勢力圏内はこの大陸だけである。

 大陸の北付近では小競り合いが発生することも多いと聞くし、上手くいけば救助を望めるかもしれない。

 まあ何にせよ、北に進むしかないということだ。


 ちなみにそれを知っていたのにカイルが困っていたのは、単純に方角など知りようがないからである。

 だから逆に言えば、方角さえ分かるのならばどうとでもなるのだ。


『……カイル様はもしかして、偉い立場だったりしたのでしょうか?』

「いや、そんなことはないが、どうしてだ?」

『地図を見た事があるということは、そういうことなのでは?』

「うん……?」

『ああ……なるほど。私達の時代は地図というものは軍事機密でしたが、今の時代は違う、ということでしょうか? 詳細なものはもちろんのこと、大雑把な世界地図もそうでしたし、その閲覧には将校クラスの権限が必要だったはずですが』

「あー、なるほど、そういうことか。いや、俺も詳しいことは分からないが、今も大して変わってないんじゃないか? 少なくとも以前は俺も地図とか見たことなかったしな。世界地図を知ってるのは龍のところで見たからだ」

『なるほど……そういうことですか。それにしても、世界地図を眺める龍、ですか……あまりぞっとしない話ですね』

「確かにな」


 その絵面を想像してみると、次は何処を襲撃しようか考えているようにしか見えない。

 そんなことを考え、苦笑を浮かべる。


「ま、でもそのおかげでこうして俺達は進むべき先が分かったってわけだ」

『そうですね、そういう意味では感謝すべきなのでしょう。……ところで、そろそろティナ様を正気に戻らせた方がよろしいのではないでしょうか?』

「言い方を少し考えたらどうだ、お前? まあ間違っちゃいないんだろうが。おーい、ティナ、そろそろいいか?」

「――ひゃっ!?」


 名前を呼びながら肩に触れた瞬間、ティナは軽くその場に飛び上がった。

 その様子から分かってはいたが、完璧に空に意識を取られていたらしい。


「あ、カイルさん……えっと、その……すみません」

「いや、別に謝るようなことじゃないだろ」


 苦笑を浮かべながら、肩をすくめた。

 気持ちが分かるとは言えないが、想像するぐらいのことは出来る。

 本人が自覚出来ているのかは定かではないが、きっと憧れだったのだろう。


「ま、どうせこれから幾らでも空は見れるんだ。とりあえずはここら辺でいいだろ?」

「……はい、そうですね」


 そう言って笑った顔が、どことなく泣き笑いのようなものであったことに、ティナは気付いているのだろうか。

 だがカイルは何も言わず、北へと視線を向ける。


「一先ず、話し合いの結果行くべき方向は分かった。この場で右往左往する必要はなさそうだ」

「そうなんですか……本当にすみません、わたしだけ何もせず」

「だから気にする必要はないっての」

『そうですね、話していたことなど、どこへ向かえばいいのかと、龍に遭遇したならば感謝の意を伝えるべきだということぐらいですから』

「前半はともかく、後半は何故そんな話になったんですか……? そもそも龍に遭遇してしまうということは、普通に危険なのでは……?」

『確かに……言われてみましたら、向こうからすればこちらなど見知らぬ相手でしょうし、見ただけでその方なのかと判別が付くのかも疑問ですか』

「まあ、別の龍に礼言ったところで意味不明なことになるし、そのまま食い殺されそうだな。いや、下手をすればアイツ相手でも同じことか? 連れ去られるんじゃなければ、だが」

「それはカイルさんがいれば何とかなるのではないでしょうか?」

『なるほど、それならば判別が付く上に、カイル様が連れ去れる間に感謝の意を伝えることも出来ますね。確かに完璧です』

「俺が連れ去れるのを前提で話を進めるのをやめろ。いや確かにその話をしだしたのは俺だが。ま、ともあれ……んじゃ、行くか」


 そんなことを言いながら、カイル達は歩き出した。


 現在地は魔王の勢力圏内。

 すぐ傍には魔王城。

 その割にはあまりに気楽な様子であったが……そのぐらいがきっと、ちょうどいいのだろう。


 深刻になったところで、現状が好転するわけでもないのだ。

 もちろん適度な緊張や警戒は必要だが、そんなことは今更言うまでもない。

 必要最低限のそれらを残しながら、彼らは先へと進みだす。


 向かう先は、一先ず北。

 何があるのかは分からぬまま、それでもそこへと向かい、青空の下を歩いていくのであった。

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