魔王軍の驚愕
馬鹿な、と誰かが呻き声のような声を上げた。
それが誰なのかは分からないが、それが切欠だったかのごとく、場が一気に騒然としだす。
しかし先の声と同じように、馬鹿な、有り得ない、などと言っている者達はまだいいのだが、謀るようなものを見せて何のつもりだ、などと頭から偽の映像だと決め付けてこちらを糾弾するものまでいるのだから困ったものである。
もっとも、いつも通りのことではあるのだが。
「アレを……破壊の化身であり、破壊の使徒でもあるアレを、児戯の如く倒してみせる、だと? 俄かには信じられんが……」
そこにふと紛れたのは、威圧感をすら覚えるほどの重く響く声だ。
本人がそれを意図していたのかは不明だが、結果的にそれによって猥雑な声は止む。
さすが、といったところか。
周囲の者共とは貫禄が違う。
この場の支配者が誰なのか、自然と思い知らせるような形だ。
だが直後、それに追従するように、こちらの神経を逆なでするような声が上がった。
「ええ、まったくですな……! まったく、卑しき人間如きが、我らを謀ろうなどと……!」
先ほど似たようなことを言った相手と同じ者だが、まったく困ったものだと、溜息が漏れる。
アレを目にしての感想がこれだなどと、愚かにも程があるだろう。
それがそんな態度を取るのに心当たりは幾つかあるものの、やはり愚かだとしか思えないし、何よりも醜い。
「……そこまでにしておけ。男の嫉妬ほど醜いものはない」
と、どうやら同じような感想を抱いた者がいたようであった。
あまり見ない顔だが、姿形から察するに武よりの者なのだろう。
接点が少ないことを考えれば、あまり見ないのは道理だ。
しかしやはりというか、そんな者から見てもアレは無様のようである。
「なっ……!? 貴様、言うに事欠いて、魔王様のお言葉を嫉妬だと……!?」
「俺が言ったのは、お前に関してだけだ。そもそも、魔王様の言葉を途中で遮ったのはお前だろうに」
「貴様……!」
「……そこまでにしておけ。オレはお前達が戯れる姿を見ているのも嫌いではないが、今は他にすべきことがある」
加熱していく一方かと思えた言葉の応酬だったが、再び支配者の声が放たれたことにより、一気に沈静していく。
両者の口がほぼ同時に閉じ、無骨な武人めいた男が真っ先に頭を下げた。
「はっ……魔王様の御心のままに」
「ちっ……はっ、魔王様の御心のままに」
それが面白くなかったらしく、神経質そうな男はそちらに向けて舌打ちをしてみせるが、すぐにその男もまた頭を下げる。
そして二人から頭を下げられたそれは、満足そうに頷いた。
それもまた、男ではあった。
周囲に比べ、頭一つ高い位置に座っているが、それに文句を抱く様子を見せる者は誰もいない。
自然体なのではあろうが、それでいて自然と周囲を威圧するような雰囲気を持つものだ。
人間ではないのは、その頭部から生えている二本の角を見れば分かる通り。
そこだけを見れば、東の果ての島に存在している、鬼という名の魔物と似ているが、あるいは同種だったりするのかもしれない。
だが、蛮族を相手に腕を振るうことしか能がないそれらと男との間には、形容しがたいほど大きな差が存在している。
鬼は結局のところ、支配されるモノ達でしかないが、目の前の男は支配するモノであり、さらにはその頂点に立つ存在なのだ。
差があって当然である。
魔王であった。
今更過ぎて、改めて確認するまでもないことを思い浮かべながら、ウェズリーは何とはなしにその場を見渡す。
頭を下げている二人や魔王、それに自身を含め、この場には合計で十人ほどがいる。
その種族は全てバラバラであり、性別も同様。
しかしその全ては魔王には傅きながらも、同時に上に立つモノ達でもある。
俗に魔王軍と呼ばれるモノ達の一員、その中で幹部とも呼ばれるようなモノ達であった。
今ここを襲撃されたとしたら大混乱ですネー、などとウェズリーは思うが、そもそもここに襲撃をかける時点でほぼ不可能である。
周囲を険しい山脈に覆われているという天然の要塞であり、さらには魔王の瘴気が四六時中ばら撒かれているのだ。
魔王軍にでも属し、魔王からの加護を受けていなければ、まともな存在どころか、魔物ですら一たまりもあるまい。
そして繰り返すことになるが、ここにいるのは魔王軍の幹部だ。
誰か一人だけを倒す事が出来ただけでも大金星であろうが、ウェズリーを例外とすれば他は皆強大な戦闘力を有している。
研究者寄りである神経質そうな男でさえも同様なのだ。
全てを乗り越え襲撃をかけられたところで、相手が一方的に嬲り殺しにされるだけであろう。
……先ほどの少年であれば、どうなるかは分からないが。
「さて、ウェズリー……先ほどのはどういうことだ?」
と、考え事をしていたら、不意に魔王から話しかけられた。
眼光鋭く、それだけで気の弱いものであれば死に至ってもおかしくはないだろうが、ウェズリーは何処吹く風だ。
約一名からの鬱陶しい視線を感じながらも、いつも通りに肩をすくめてみせる。
「どういうことだと言われましても、見たまま以外に言うことはありませんネー。と言いますか、正直私自身もかなり驚いていますネー」
「ほぅ……? 面白い物が見れるかもしれないと、オレ達をわざわざこんな場所に集めときながら、か?」
「そうですネー」
頷きながら、ウェズリーは前方へと視線を向ける。
そこにあるのはただの壁だが、つい先ほどまでは、ウェズリーがほんの少し前に出会ったあの少年と、この城……否、魔王軍の中でも最大戦力を誇るだろう男との戦いが映し出されていたのだ。
いや、あれは戦いというよりは、少年による一方的な戯れであったようにも思えるが、その一部始終がそこには映し出され、この場にいる全員で見ていたのは確かである。
ウェズリーの発明品によるものであった。
そういったものを作り出すことが出来るからこそ、ウェズリーは魔王軍に、それも幹部などという席に座ることを許されているのだ。
ちなみにその結果、あの少年達の存在は魔王に知られることとなったわけだが、ウェズリーは何一つとして嘘は言っていない。
あっちの道を進めば、それだけでは魔王が気付かなかっただろうことは事実だ。
ただし教えてしまえばその限りではないし、安全だとも言ってはいない。
それだけのことであった。
もっとも、今回彼らをここ――一応作戦参謀室などと名付けられている場所へと呼びつけたのは、こうなることを予見したからではない。
ぶっちゃけた話、この発明品を披露すると共に自慢するためであった。
これがどれだけ有用なのかは、多くを語るまでもないだろう。
音まで拾えれば完璧なのだが、それは今後の課題と言ったところか。
既に事ここに至れば必要ないものかもしれないが、まだ終わったわけでもない。
それに今後のことを考えれば、使い道などは幾らでもあるはずだ。
そんなことを考えていただけであり、あの少年達のことはついででしかなかったのである。
都合がいいから利用したに過ぎなかった……はずなのだが――
「まあ確かに、面白い少年だと思ったのは事実ですがネー。ですが私としては完璧にこれは予想外のことでしたネー。何かあるにしても、あの少女の方かと思ったんですがネー」
「はっ、そ、そうだ……! あの女……貴様、どういうつもりだ……!? むざむざと逃がしてしまったではないか……! しかも貴様の口ぶりからするに、下手をしたら死んでいたではないか……!」
「下手をしたらというか、十中八九死ぬと思っていましたネー。アレを相手にするのですから、当然ですネー。母体として利用するならそれはそれで面白そうだと思ったのですが、どうにもアレは性欲とかなさそうですしネー」
「貴様……ということは、情報は引き出せたのだろうな……?」
「全然ですネー。と言いますか、私が見てる限りではずっとあの少女へ寝てましたからネー。動いてるのを見たのもさっきが初めてですネー。そんな状態で情報を引き出すなんて、さすがの私でも無理ですネー」
「貴様……!?」
まあ、怒るのは当然ですよネー、などと思いながら、ウェズリーは大人しくその声を聞いていた。
結論だけを見てしまえば、魔王が自ら発見し持ち帰ってきたものを、勝手に逃がしてしまった形となるのだ。
自分以外の誰かが同じことをやれば、ウェズリーとして同じ態度を示しただろう。
とはいえ、あくまでも他の誰かがやったのならば、である。
自分がやったことな以上、気にする道理はなかった。
しかし。
「まあ、それに関しては構わん。そもそもオレとしては諦めてもいたからな。全てをウェズリーに委任していたのだ。今更どう扱おうと何かを言うつもりはない。だがそれはつまり、貴様が調査に費やした時間は全て無駄だった、ということか?」
その言葉に、さすがには魔王だと思った。
どうすればこちらをその気にさせる事が出来るのか、ということを実によく理解している。
そんなことを言われてしまえば、黙っていられるわけがあるまい。
「いえいえ、無駄ではありませんでしたネー。あの少女からは確かに何も聞けませんでしたが、調査の結果得られたものはありましたからネー。まあ本当はそれについてあの少女に聞こうとしていたのですがネー。無理でしたからネー。無念ですネー」
「……何? 貴様、そんな報告は受けていないぞ……!?」
「何故貴方に報告せねばならんのですかネー。という本音はともかく、そもそも報告をしていないのですから当然ですネー」
「貴様……!?」
「そもそも魔王様には既に報告しているのですから問題はないですネー」
「ふむ……それは貴様が五ヶ月前に報告してきたあのことか?」
魔王からの質問に、ウェズリーは頷きを以て答える。
具体的な言葉が出ないから、あそこで怒り狂っている男がさらに加熱しそうだが正直どうでもいいことだ。
大体それをこちらに向けるのは間違いである。
その言葉を口にしないのは魔王自身の意思であり、ウェズリーは別に隠すよう言ったわけではないのだ。
ならば敢えてそれを口にしないのは、何らかの思惑あってのことなのだろうことは推測に容易い。
――七つの秘蹟。
――勇者。
調査の結果分かったのはその二つの単語だけではあったが、特に後者があったが故に魔王は黙っているのだろう。
何せあそこはそもそも勇者を探しに行くついでに見つけたものなのだ。
勇者に関わりがあった場所なのは明白であり、しかしそれを知らせないのは念のためか。
裏切り者がいる可能性と、情報漏洩の可能性。
それを懸念してのことであり、人類への勝利が間近に迫っているこの期に及んでさえ、魔王は何一つ油断していないのだ。
まったく以て相変わらず用心深い相手である。
「ああ、そうですネー。何も聞けなかったのは事実ですが、一つだけ分かった事がそういえばありましたネー」
「ほぅ……それは何だ?」
「彼女達はどうやら私達に敵対する者達らしい、ということですネー。まあこれは予測出来ていたことではあるんですがネー」
「貴様……敵対者だと分かっていながら見逃したというのか……!?」
「ですから、そんなことは最初から予測出来ていたというか、出来ていない者がいるんですかネー? それを承知の上で魔王様は放置しておいたのですから、こうなることも予想していたはずですネー」
「確かに、予想はしていた。貴様が報告してきたことに関しても、既にそれを前提の上で動かしているからな。これで各地で調査を行なわせていたのも無駄にはならずに済んだということか」
「なんと……さすがは魔王様……! 素晴らしい先見の明です……!」
何のこともかも分かっていないだろうに、ここまで来ると逆に見事ではある。
見事すぎて溜息が出てくるほどには。
「まあというわけで、私の研究はきちんと意味があったということですネー」
「ふっ……そのようだな。しかしそうなると……やはり逃がすべきではなかったか? わざわざ調査などさせずとも、直接口を割らせた方が早かっただろうに」
「いいえ、魔王様に間違いなどがあるはずありません……! 全ては、そこの浅ましき者のせいでありますれば……!」
だからそれは魔王が許可したことだと言っているのだが、都合よくあれの頭からは抜け落ちているようだ。
あの程度で魔王軍の幹部の中では文寄りを名乗れているのだから、相変わらず魔王軍は人材が豊富なようである。
「なに、ただの戯言よ。今更やつらがどう足掻こうとも、オレ達の勝利は揺るがぬのだからな。少し手間ではあるが……まあ、このまま終わるよりは退屈しのぎ程度にはなるだろう。……ああ、ウェズリー、別に貴様の責を問うつもりはないが、そういえばただ一つだけ気になる事があった。アレは結局、どうやって開けた? それを成したのは、やはりあの男なのか?」
「その通りですネー。そしてどうやったかですが、多分アレは斬った、んでしょうネー」
「斬った……!? 馬鹿な、魔王様ですら傷一つ付けられなかったのだぞ……!?」
「ふむ……だがあの力を見せられては、それも頷ける話か。正直色々な意味で興味深くはあるが……同時に、脅威でもあるな」
「魔王様……!?」
悲鳴のような声が上がったのは、魔王が脅威などという言葉を使ったからだろう。
あの神経質そうな男は、魔王を絶対視している。
その魔王が脅威に感じるようなものがあってはならない、などと考えているのではないだろうか。
ただ、無骨な男の方は、何処となく楽しげな様子であった。
魔王にそこまで言わしめる相手と戦ってみたい、などと考えている風だ。
他にも様々な反応をそれぞれが示すが、そこに統一感はない。
魔王軍などと言いつつも、結局人間の組織と大して違いはないのだ。
ともあれ。
「と言いますか、ですネー。先ほどからまるで私が何もせずに逃がしたと思われているようなのですが、正直心外なのですがネー」
「ほぅ……? ということは、何か仕掛けでもした、ということか?」
「そもそも、今の映像をどうやって見せていたと思っているのですかネー? あんな場所に行ったら、さすがの私でも死にますネー」
「……言われてみれば、妙に視点が低いような気もしたな。男の方ははっきりと映ったにも関わらず、女の方はろくに映ってもいなかった、というのもそうか」
「この私がただで見逃しただなんて、そんなことあるわけないのですネー。ちゃんと仕込みはしておいた、ということですネー」
確かにウェズリーは、小細工を好みはしない。
解剖が一番だと思っているのも事実だ。
だがそれが最大限に効果を発揮出来るのならば、やらないとも言ってはいないのである。
そして小細工というものは、使い時を見極めてこそ意味があるのだ。
故に今は、全てを開帳はしない。
その時のことを思い、さて彼らはどんな顔をしてくれるんですかネー、などと呟きながら、ウェズリーは口元を歪めのであった。




