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10万と59回の死 1

 ――甲高い音が響いた。


 だがそれは剣戟によるものではない。

 硬質な何かを叩いたかのごとき音であり、甲高い中にも鈍い音が混ざっていた。

 さらにそれは一度のみでなく、二度、三度と繰り返され、重なっていく。


 そんな音を思考の片隅で意識しながら、我ながら雑な音だな、とカイルは思う。

 これが音楽であったならば、おそらくは耳にしたもの全員が顔をしかめ、ブーイングの嵐となることだろう。

 雑音の集合体でしかないものに、誰が歓声を上げるかという話である。


 なんて、そんなくだらない思考がふと頭を過るのは、余裕があるからではなかった。

 逆である。

 考えるよりも先に身体を動かさなければならないからこそ、思考だけが置き去りにされているのだ。


 まるで自動化された肉体、あるいはパターン化された行動であった。

 そこに思考の挟まる余地はなく、故に思考だけは無駄にから回る。


 そして。

 それでもやはり、身体は勝手に動く。


「――しっ!」


 鋭く息を吐き出すと共に、一歩を踏み込み、右腕が振るわれた。


 再び音が響き、右腕が痺れるも、関係ないとばかりに右腕はそのまま動き続ける。

 否、実際に関係はないのだ。

 それを証明するかのように、痺れはすぐに引いていく。


 薙ぎ払いからの逆袈裟。

 激突の瞬間に一際力を込め、今までで最も大きな音がその場に響き渡った。


 眼前にあるのは、まるで大迫力の映画でも見ているかの如き光景だ。

 身体は思考とは関係なく動き、ただし意思の通りではある。


 だからこそ、連続した音はそこで一瞬途切れたのだ。


「……っ」


 瞬間目の前を横切ったのは、鋭い何かであった。

 ほんの僅かな風圧だけを顔に感じ、前髪が数本千切れ飛ぶ。

 それが何だったのかは捉えることは出来ず、だが何なのかは知っていた。


 それは、爪だ。

 視認不可能なほどの速度で放たれたそれは、鋼鉄でもバターのように斬り裂くだろう。


 連撃を一瞬止めたのは、そのためだ。

 そこに一撃を合わせてしまえば、先の比ではない痺れが腕に来るということを知っていたから。

 しかもそれはすぐには引かず、攻撃の手が緩んだところをそのままやられてしまうのである。


 忘れるわけもない。

 ついに十万の大台を超えてしまい、今度こそと張り切っていたところに叩き込まれた一撃だ。

 忘れられるわけもない。


 ついでに言えば、ここで凌げたと一瞬でも安堵してしまえば、やはり結果は変わらないということも知っている。

 その次の挑戦の時にやられたことだ。

 故に身体の動きが止まったのは本当に一瞬だけのことである。


 再び腕が振り抜かれ、甲高い音が響いた。


 ――何故こんなことをやっているのだろうか。


 不意にそんな思考に至ったのは、あるいは漠然とではあるが、終わりというものを意識してしまったからなのかもしれない。

 今までも終わらせるという意思こそあったものの、心の底からそれが可能になると信じてはいなかった。

 だが今回こそは、いけるような気がするのだ。


 理由はないし、根拠もない。

 敢えて言うならば、10万と58回も繰り返してきた、己の死そのものか。

 そこから得られた経験という名の何かが、今回はいけると脳裏に囁いてきているのだ。


 それだけと言ってしまえばそれだけではあるが、それだけで十分でもあった。

 何せ他の誰でもない、自分自身の死だ。

 それを信じられずして何を信じられるのかと、カイルはそう思うのである。


 ――カイル・ハーグリーヴズは辺境の村で育った、何の変哲もない村人だ。

 生まれてすぐに捨てられたらしく、両親の顔も知らない孤児院育ちでもある。


 何か特別な力を使えるわけでなければ、特別に賢いというわけでもない。

 本当にただの、村人の子供だ。

 少なくとも孤児院にいた時は、そうであった。


 カイルに出来たことと言えば、多くはない。

 他の孤児仲間――弟妹の面倒を見ながら、昼間は村の外に出て一日に数体魔物を倒すことぐらいだ。

 魔物の肉を持ち帰るおかげで、食料事情は多少改善されたものの、本当に出来たのはそれぐらいだったのである。


 しかしそんなカイルにも、ある時転機が訪れた。

 十歳の誕生日を迎えた日のことだ。

 村近くの森でいつものように魔物を倒していたら、唐突に頭痛と吐き気が襲ってきたのである。

 幸いにも魔物は倒し終えたところだったため、その場に座り休憩をし……そこで、不意に思い出したのだ。


 自分はこことは異なる世界で生まれ、死に、そしてこうして生まれ変わったのだ、と。

 カイルが自分のことを初めて転生者だと認識したのは、その時のことであった。


 だが転機とは、そのことではない。

 カイルの転機は、その直後のことだ。


 全てを思い出したカイルの元に、それが姿を見せたのである。


 それは、龍であった。

 生態系の頂点にして、世界最強の生物。

 龍などそれまでの人生で見たことはなかったものの、見間違えるわけもない。


 何せ、文字通りの意味で生まれる前から憧れていた存在だ。

 見間違えるわけがなかった。


 とはいえ、故に当然の流れとして、カイルは二度目の死を覚悟したわけだが……それが訪れることはなかった。

 龍はカイルを殺すことなく、カイルの身体を掴むとそのままいずこかへと飛び去っていったからである。


 あまりの超展開さにカイルの思考は吹っ飛び、冷静さを取り戻したのは、龍が何処かに降り立ってからだ。

 というか、無理やりにでも冷静さを取り戻さなくてはならなくなったとも言うが。


 龍は無造作にカイルをその場に放り投げると、次のように告げたのだ。


『貴様に与えられた選択肢は三つだ。我と戦って一日を生き延びるか、我が満足に足る一撃を食らわせるか、あるいは諦めて死ぬかだ。ああ、我との戦いの中で貴様が死ぬことはない。それだけは安心しておくが良い』


 言葉を挟む暇はなかった。

 そして思考している余裕もなかった。


 次の瞬間、今度こそカイルは殺されたからである。


 何をされたのかは分からず、それでも死んだということだけは分かった。

 一度死んだ経験から、それだけは何となく分かったのである。


 しかし今度は転生することはなかった。

 その前に、生き返ったからである。

 不思議と龍が蘇らせてくれたのだということが分かり、だがそこに何かを感じることはなかった。

 直後に、再び龍に殺されたからである。


 それが尻尾での攻撃だったということに気付いたのは、百回目の死を迎えた時のことだ。

 ついでに言えば、その時が現状をようやく把握した時でもある。

 戦いの中で死ぬことはないとは、殺しても蘇らせるから、という意味だったのだ、ということを理解したのもその時だ。


 遅いと言うなかれ。

 把握しようにも、復活したと思った次の瞬間には死ぬので、ほとんど思考していられる時間がなかったのだ。

 百回目にしてそれが可能になったのは、その時にしてようやく復活の直後に後方へと飛び退く事が出来たからである。


 とはいえ、それで攻撃が回避出来たのではない。

 中途半端に身体が浮いたために後方へと吹き飛ばされ、結果的に復活した場所がかなり後ろの方へとなったのである。

 それでようやく思考出来る程度の時間は得られ、先ほどの攻撃の正体と現状を把握する事が可能になり……もっともその直後に、やはり瞬殺されたわけだが。


 そしてその日はそれで終わった。

 次が来ないことを不思議に思っていると、唐突に終わりを告げられたのだ。


 ただし当然と言うべきか、開放されることはなかった。

 あくまでもその日は終わりということであり、ふと気が付けば日が暮れている。

 どうやらそれが終わりの合図ということらしかった。


 そのまま案内された、というか連れて行かれたのは、簡素な小屋のような場所だ。

 そこで伝えられたのは、三つ。

 再開は日の出と共に、それまではここで何をしようとも自由、何か欲しいものがあれば言え。


 最後のは、それが入手可能なものであるならば与えてくれるらしい。

 随分と太っ腹だと思ったが、その意図を察したのは随分と後の方になってからだったと思う。


 そうしてカイルが望んだものは、知識だ。

 前世の知識があるとはいえ、辺境の村で育ったカイルは圧倒的に知識が足りていないという自覚があった。

 母代わりであった孤児院長からは色々と教わったものの、それでも足りないのは明らかであり、特にこの状況を打破するためのものとなれば尚更だ。


 そう、カイルはその状況でも心が折れるようなことはなかったし、むしろ積極的に打破へと向けて動くつもりであった。

 逃げるわけではない。

 龍が最初に告げてきた通りだ。


 龍が満足する一撃を食らわせる。

 そのためであった。


 それは死にたくないからではない。

 生きたいからでもない。

 ただ単純に、そうしたいからだ。


 ずっと憧れていた龍に勝ちたいからこそ、そう思ったのであった。


 さすがにすぐには用意できないらしく、仕方なく横になったが、その頭を巡っていたのはどうやったら龍に一撃を与える事が出来るのか、ということのみだ。

 孤児院のことは気にはなったものの、気にしたところでどうにかなるものでもない。


 それにあそこには、カイルよりも余程頼りになる者達がいた。

 だから申し訳なく思うも、孤児院のことは彼女達に任せ、カイルはひたすらに龍のことだけを考えていく。


 そうしているうちに、思っている以上に疲れていたのか、自然と瞼が重くなり、カイルにとって全ての始まりとなったその日は過ぎていったのであった。

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