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看板持ちの一日

「・・・・・退屈すぎんだろ、この仕事」


 男はわずか一時間ちょっとで、すでに十回目となる愚痴を口にした。

 その男は、看板を持っていた。

 看板には「満ち足りた快適なくつろぎ空間を提供するモデルルーム、絶賛公開中!この先1キロ→」と記されている。

 看板持ち。

 それがこの男、大庭ケンジにあたえられたポジションだ。

 どういう仕事かと問われれば、まあこの格好から想像するであろうことと大差はないだろう。

 朝の仕事開始から看板を持って立つ。

 座ることは許されずひたすら立つ。

 立っているポジションは上からの指示であり、勝手に変更してはいけないので、ひたすら同じ位置に仁王立ちである。

 携帯をいじるのは禁止、読書も、音楽を聴くのも禁止。

 許されることは固定化された町の風景を眺めるだけ。

 要するにただひたすらデクノボーのように突っ立っているだけの簡単なお仕事なのだ。

 ケンジはこの仕事に就くのが初めてというわけではない。

 したがって、どういう業務内容かというのは始める前から理解している。

 数あるバイトの中で、好きではない部類に入る仕事だ。しかしケンジには、断るという選択肢はなかった。

 というのも彼は二つのこうした派遣アルバイトを兼務しており、時間がバッティングしない限りは出来る限り両方の仕事を請けることにしていた。

 いやな仕事は蹴ってしまえは子供の考えることだ。どんな仕事でも請けるという姿勢を見せることで、仕事を回してもらえる優先順位は高くなる。


「やれやれ、こんな苦労も前の会社がなあ・・・・」


 そもそも就職わずか2年目にして、勤務していた会社がいきなり倒産したのがケチのつきはじめだ、とケンジは思う。

 やむなくハローワークに通い、次の仕事を模索していたケンジだったが、毎回のように履歴書を書いて面接を受け、毎回のように断られつづけていた。さすがにメンタルに来た。

 ケンジは髪の色が普通の人より茶色がかっていて、ちょっと見ヤンキーに見える。

 それで学生時代――いや、今までの人生の大部分を損していた。


「ひでえよなあ、ずっと大人しく生きてたのに、ヤンキー扱いは・・・・」


 陰鬱な気分から脱却しようと、ひとまず人材派遣のバイトに応募。かくしてバイトまみれの生活でとりあえずの生活費を稼いでいるのだった。


「そもそも、こんな仕事を人間がやること自体まちがってる」


 ケンジはまた、この一時間だけで何度目かわからない独り言をつぶやいた。あまりの退屈さに、彼は独り言のくせがついてしまったようだった。


「看板をもってぼーっとして、日が暮れるまでただつったっているとか、これは無機物に任せるべきことで、万物の霊長である人間さまが行うことではないだろう」


 そういうことを言い出すとこのバイト自体がなくなってしまうのだが、そんなことはお構いナシだ。それに、ケンジはなぜ人間にこういう事を任せるのか、理由も知っている。

 要は、看板の設置するという方法をとると、野外広告物法や都道府県の条例により許可が必要になるというメンドクサイ問題が生じるせいである。

 人間が持っていれば規制もなにもないという、身も蓋もない理由でしかない。


 ぼんやりとケンジは目の前の、この町随一の交通量をほこる大通りを眺める。

 プラカード持ちは看板で車を誘導する仕事なのだから、人や車が数多く通過するような場所に配置されるのは当然である。

 最初の頃は通過する車のバックナンバーを見て「へーあんな遠くから来てるんだとか」つぶやいたり、同じ車種がとおるたびにカウントして暇つぶしをしていたものだが、そんなものはすぐに飽きる。

 徐々に日差しが強くなりはじめ、ケンジはズボンの尻ポケットにいれておいた500ミリリットルのペットボトルから、一口だけウーロン茶を含む。

 立っているだけでも喉は渇くものだ。

 しかし気をつけなければならないのは、水分を過剰摂取してトイレに行きたくなる場合である。自然現象だから仕方ないといえばそうなのだが、いつ見回りのイヤミが来るかわからないので、ケンジとしてはできるだけ避けたいところなのだ。


「イヤミのやつ、本当にムカつくしな・・・・」


 イヤミとはケンジが心の中で勝手につけた、このバイトの直属の上司のことだ。

 漫画のおそ松さんに出てくるイヤミにそっくりで、


「つったってるだけでお金をもらえるなんて、君たちは楽なもんだね」


 などと、本当にいやみったらしい言葉しか吐かないので、このバイトを受けた人間は、みな等しく不愉快な思いをしている。

 トイレなんて勝手に行ってもよさそうだが、たまたまイヤミ巡回中にトイレに行ってたバイト仲間が「サボった」と直接派遣先のバイト会社にクレームをいれられ、酷い目に遭ったという話を聞いていた。

 無用の騒動は避けるのが賢明というものだ。

 そんなときである。目の前で驚くべき事態が起こった。

 ウィンカーもつけずにいきなり左折した車に、後ろからきた車が追突したのだ。


「うわ、やった」


 思わずケンジがつぶやくと、ぶつけられた車から猛然とひとりの女性が現れ、ぶつけた車の運転席めがけて罵声の速射砲を撃ちこみだした。

 するとぶつけたほうも黙ってはいない。車のウィンドウを開くと、反論を開始した。

 が、遠くから見ていても、どちらも感情的になりすぎて、とても解決しそうにない。

 それのみならず、路上で二台の車が停止したあげく、わざわざ運転席側、つまり中央分離帯がわに回りこんで口論しているのだから、当然その背後は大渋滞である。


「ねーちゃんいい加減にしろ!」


 背後から当然の罵声が飛ぶ。

 だが、その女性の憤怒の眼光を浴びると、たちまち黙り込んでしまった。

 ケンジとしてはバイトの管轄外であるし、どこでイヤミが見てるか分からない。関わる気はなかった。


「でも、警察が来るまでこのまま放置してたら……」


 ケンジは決心し、看板を置いて口論の仲裁に入った。


「ちょっと、ふたりとも、おちついてください」


「なによ、関係ない人は口を挟まないで!!!」


 たちまち猛烈な口撃が襲いかかった。だが、ここでひるむわけにはいかない。


「うしろで多くの車が迷惑しています。せめて移動を……」


「あれ……あんたもしかして、ケンジ?」


 女性から意外な言葉が発せられ、ケンジは目をまるくした。


「え……おまえ、前川?」


「そうよ、高校以来ね、やだ久しぶりー!」


 意外なことに、彼女は高校時代のケンジのクラスメートだった。

 名は前川麗子。

 昔から気が強くて納得いかないことがあると、教師にも食ってかかるやつだった。


「元気そうだな……って挨拶はいいや、とりあえず移動……」


「ケンジ? おまえ、もしかして大庭か?」


 今度はぶつけた方の、たった今まで前川と口論していた男が驚きの声をあげた。


「俺だよ、前の会社の同僚だった……」


「えっ!? おまえ、ロッシーじゃないか?」


 驚きにつぐ驚きである。前のへこんだ車の運転席から現れたのは、倒産した前の会社の同僚であった露西マサオ、通称ロッシーだった。


「おまえ、こんなところでなにしてんの?」


「俺か、俺は会社が倒産したあと看板持ち……いや、それはどうでもいい!」


 どちらも顔見知りという、衝撃の展開に頭がクラクラしてきたケンジだったが、当初の目的を忘れてはいけないと思いなおし、二人に他の車の邪魔にならない場所に事故車を移動してもらう。

 そして警察に通報し、二人の感情を和らげるべく、色々と話をする。

 高校時代のこと、会社に就職したものの、倒産したこと。いまはバイト漬けの日々のこと。


「うそー。ケンジ、苦労したんだね」


「俺は次の就職先は決まったんだけどさ、ケンジは大変だな」


 ケンジが緩衝材となり、刺々しかった二人の会話もなごやかになり、警察が来る頃には談笑するまでになっていた。

 彼も目撃者として、警察からいろいろ事情聴取された。

 バイト中という事で、後日また連絡するという形で何とかおさまった。

 事故の当事者ときたら、最初の剣幕はどこへやら。すっかり意気投合したようだ。


「また連絡するねー、ケンジ」


「ケンジ、今日はありがとうな」


 ケンジは軽く二人に手を振って、看板を置いていた場所に向かう。

 そこに一人の男が立っていた。

―――イヤミだった。

 その後のことはケンジには悪夢でしかない。どのように弁解しても聞き入れてもらえないばかりか、ひたすらイヤミの気が済むまで罵声を浴びせられつづけた。


「これはおたくの会社に連絡しておくからね。覚悟しておくことだね」


 そんな捨て台詞をはいて、ようやくイヤミは去った。

 このバイトも最悪、クビかもしれないな、ケンジは思った。


「だけど、俺は正しいと思ったことをしたんだ」


 口に出して、落ち込みそうな自分を励ます。そうでもしないと、へこんで立ち直れそうになかった。

 その後は特に何事もなく過ぎ、ようやく日も傾きかけたころ。おもむろにケンジの近くに白い車が停車し、ウィンドウが開かれた。車中から品のよさそうな中年夫婦が声をかけてきた。


「モデルルームはこっちでいいのかい?」


「はい、1キロ先です」


「案内してくれる人はいるのかい?」


 ケンジは反射的に「はい、担当の方がいるはずです」と応えた。

 中年夫婦は礼を言って去った。

 腕時計を確認する。あと1時間半もすればバイト終了の時間だ。

 今日はいろんなことがあった。否、ありすぎた。

 考える時間がいっぱいある、ということは落ち込み放題ということだ。やれやれ。ケンジの口から大きな吐息が漏れる。この日の仕事が終ったとき、自分の運命がどうなっているか、想像もしたくなかった。


「――おい、きみ! どういうことだ!」


 ケンジが思考の迷宮にはまり込んでいる時だった。唐突に攻撃的な声が背中に届いた。

 驚いてふりむくと、それは先程、車から声をかけてきた中年夫婦だった。

 声をかけられてからどれだけの時間が経過していたのか、よく分からない。1時間は経過したのだろうか。それはともかく、ケンジは混乱していた。最初のときとはうってかわって、温和そうだった中年夫婦が、やたら攻撃的な態度だったからだ。


「お、俺がなにかしましたか?」


「モデルルームに行ったら、誰もいないじゃないか!」


「誰もいない?」


「バカにして、売る気がないなら看板なんて出すな」


 憤然としてその夫婦は去っていった。おかしいな、いつもは応対する人間が確実にいるはずだ。彼のなかに大きな疑問符が生じていた。

 いぶかしく思ったケンジは、自分のバイト派遣会社に電話を入れた。


「―――もしもし、大庭ですが」


「ああ、大庭くん……今回は、大変だったね」


「それより、お願いがあるんですが」


「なにかな?」


「このモデルルーム会社の上司の連絡先……イヤミ……いえ、その方よりさらに上の人の連絡先を教えて欲しいのですが……」


「聞いて、どうするつもりなんだい?」


「確認したいことがあるのです!」


 ケンジの声の迫力に押されたのか、派遣会社の人はすぐに動いてくれた。


――そして、十八時。

 バイト終了時間になり、ケンジはモデルルームの入り口にある事務所に入った。

 そこには予期したとおり、誰もいなかった。

 ふいに「やあ」と声をかけられ、ふりむくと、イヤミの姿があった。


「今日は客がさっぱりこなかったな。君がサボったせいじゃないの」


「いえ、サボったのはあなたのほうですよ」


 ケンジは平然と応じた。


「な、なにを言い出すかと思えば、逆ギレかね」


「さっき、中年夫婦がそちらに向かったはずですが、逢わなかったですか?」


「…………」


「どこかへ出かけていたんじゃないですか?」


「私は見回りの担当でもあるんだ。そういうこともある」


「いや、そういうことはない!!」


 新たな登場人物が現れた。彼の顔を見て、たちまちイヤミの顔が青くなる。


「ぶ、部長、どうしてこちらへ?」


「そこのバイト君が連絡をくれたんだよ。向かった客が誰も居ないといって怒って帰ったとね。今日は受付嬢が有給を取って人手不足だから、見回りはしなくていいと言わなかったかな?」


「そ、それは、その……」


「具体的な理由を説明してもらおうか」


 すっかりイヤミは押し黙ってしまった。

 これは後日判明したことなのだが、どうやら彼は、自分の立場を利用して、日ごろからちょこちょこ業務をサボっていたのだ。いつもは受付や他の人が、我慢してその代理をしてくれていたのだが、今日のような人の少ないときに同様のふるまいをしたのが命取りだった。


「――じゃ、これ」


ケンジは温和な笑みをたたえつつ、看板を差し出した。

不審そうな顔をしてイヤミが受け取ると、部長はこう言った。


「おめでとう、明日から君が看板持ちだ」



■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□


―――それから、月日が流れ、半年が経過した。

 ケンジは相変わらずバイトを続けていたが、彼の柔軟な対応力は評価され、バイトのリーダー的ポジションを任されるようになっていた。

 時給は上がったが、仕事はヒラの頃より忙しくなった。

 今日も打ち合わせのために、早朝から現場入りである。あわただしく玄関で沓紐を結んでいると、ごとんと音がした。ちなみにケンジは新聞をとっていない。怪訝な顔つきで郵便受けを覗くと、一枚の絵葉書が入っていた。


『――私たち、結婚しました――』


 その明朝体の大文字と共に、まぶしい笑顔にピースサインをした二人が映っていた。


「仲裁に入った甲斐があったなあ……」


 ふっとケンジは満足そうな笑みをこぼした。

 なんとなく、今日はいい日になりそうだ。

 そんな予感がある。ケンジは大事そうに、絵葉書をそっと玄関脇の戸棚にしまいこむと、彼を待つ仕事先へと向かった。






――――了。


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