26話:予想外の追跡者
――コンコンッ
「ジャスパーです。只今帰還いたしました」
「入れ」
「失礼します」
ジャスパーは、アルル村での事のあらましを報告する為、タイラーの元を訪れていた。
特にオンディーヌ捕縛失敗は、今後の自身の身の振り方に関わってくるだろう。
しかし後悔はない。成すべき事を成した迄だ。
只、部下を巻き添いにする訳にはいかない。
その一念だけがジャスパーの胸にチクチクと突き刺さっていた。
「申し訳ありません……。責任の全てはわた「気にするな」っ」
「えっ?あっ、そのっ……」
「気にするなと言ったんだ。ジャスパー」
「し、しかしそれでは、示しが付きません」
「なんだ?また子供の頃のように、叱り飛ばして欲しいのか?」
「タイラス様!」
「何度も同じ事を言わせるな。そんな事より約束通り稽古を付けてやろう。」
言うなり、立ち上がると執務椅子の後方に立て掛けてある、置物の如き巨大な大剣の元へと向かう。
シルク製で、金糸による刺繍が施されたローブを脱ぎ捨てると、
分厚い胸板と丸く盛り上がった肩の筋肉、太く血管の浮き出た二の腕は、タイラスが未だ現役の戦士である事を思わせた。
刃渡り180cmもの分厚い鉄塊の如き大剣を肩に担ぐと、深く皺の刻まれた顔をニヤリと歪ませる。
「さぁ、行くぞ、ジャスパー」
「…………」
「何だ、不服か?」
「い、いえ、そうではありません。実は他にもご報告したいことがありまして」
「ん?そうか、何だ?」
「はい、実は――」
ジャスパーは、タイラーに教会騎士による不正の発覚、及び間者の捕縛並びに掃討について、一通りの報告をする。
眉間に皺を寄せ、苦々しい表情を浮かべたタイラーであったが、ジャスパーから一通の書類を手渡されその目を丸くする。
「探索者ギルドの設立……」
「はい、是非ご検討をお願いいたします」
肩に担いでいた大剣を机に立て掛けると、何やら真剣な面持ちで書類を捲っていく。
それは、以前にノエルがケット・シーとしてジャスパーの元を訪れた際に手渡した、ゴルドー達への報償であった。
その概要はこうだ――
アルル村での探索者ギルド設立の提案。
その利点
①仕事にあぶれた者への職の斡旋。
②有事の際の戦力の補強。
③村内の治安維持活動への従事。
④現在多忙を極める騎士への負担削減。
⑤冒険者ギルドと違い国が管理する為、間者などの流入及び潜伏の防止。
――など多岐にわたっていた。
「……面白いな」
「はい、なかなかに考えられた提案書だと思います」
「思う?お前が考えたのでは無いのか?」
「はい……。最近私の所へ――」
オンディーヌ捕縛作戦の前夜、突如現れたケット・シー。
ジャスパーはそのケット・シーについて、報告にくる前に幾つか聞き取り調査を行っていた。
どうやらケット・シーと思しき人物が、村で初めて確認されたのは、凡そ2年前のとある事件の時からである。
とある事件とは、村の子供達が次々と行方不明になるという人攫い事件だ。
当時、事件を担当した教会騎士によると、犯人についての情報を手に入れ、いざ向かってみると既に子供達は救出され、犯人は捕縛されていたとの事。
因みに情報提供者も不明で、ジャスパーはこれもケット・シーの仕業ではないかと考えている。
「――まさかケット・シーが居たとはな……。まぁいい、お前の好きにやれ」
「宜しいのですか?」
「構わんと言っている。それより訓練場へ行くぞ、書類仕事はうんざりだ」
「はい、寛大な御処置、痛み入ります」
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――人の気配がする。
ドアノブから手を離し、舌打ちをすると自宅を見上げる。
あれからそう時間は経っていないはずだ、にも関わらず既に何者かが自宅へ侵入している。
感じる気配は一つだけ、恐らく幾人かは気配を殺して待ち構えているのだろう。
「チッ、行動が早すぎる……。ザンバ達は捨て駒だったって事か?」
相手は奇襲のつもりだろうが、運良く一つだけではあるが事前に気配を察知する事が出来た。
ノエルは潜伏している何者かに悟られぬように、エンチャントを使わず身体強化のみで壁を上って行く。
本来ならば危険を冒さずに立ち去りたい所ではあるが、今回ばかりはそう出来ない理由があるのだ。
(俺の素性は完全にバレてるな……。こりゃ、ノンビリなんてしていられんぞ)
2階にある自室の窓から自宅に侵入すると、まずはタンスを開け、衣類をインベントリへと押し込んでいく。
「インベントリ――」
「不味いなインベントリの容量が一杯だ、どうしよう」
ノエルは、どうしても宝物庫にある書物を持ち出したかったのだ。
オン婆が残していった大切な宝物だ、置いて行くなんて選択肢は有り得ない。
「窓から出入りするなんて、御行儀が悪いわよ?」
「なっ!」
開いていたインベントリからナイフを取り出すと、窓際まで一足飛びで移動する。
油断はなかった。警戒を怠る程、間抜けじゃない。
それでも後ろを取られた。相手がその気なら自分はとうに死んでいただろう。
その事実が、相手と自身の実力の差を如実に物語っている。
「へぇ、真っ先に逃げ道を確保するタイプなのね」
「……何の用だ?」
開け放たれた窓を背にして、右手に握ったナイフを相手に向ける。
緊張で汗を掻き、濡れた背中に風が当たる度、身体中に悪寒が走る。
「そう警戒しないで。お姉さんは、坊やに危害を加えに来た訳じゃないのよ?」
「…………」
両の掌を掲げて、ひらひらと振りながら無造作に近づいてくる。
ナイフを握る手に力が入る。
待機魔力は既に全弾装填済み、勝てなくても良い、逃げ切ってやる。
「参ったわねぇ。本当に危害を加える気はないのよ?
用件が済んだら直ぐに出て行くから、その物騒な物を下げてくれないかしら?」
背中越しに指す月の光でその姿が露わになると、ノエルは思わず目を見開いた。
「あの時の行商人か……」
「そうよ。あの時の、お姉さんよ?」
やけに”お姉さん”を強調するこの女性は、確かに以前ノエルにブカブカのローブを売りつけた女行商人だった。
「……何の用だ?」
ノエルは未だに女にナイフを向けたままだ。
『かもしれない』は油断でしかない。
故に、ノエルは目の前にいるこの女を、敵と断定して話を続ける。
女は困り顔で微笑むと、仕方がないと口を開く。
「まぁ、いいわ。時間も無い事だし、手早くすませましょう」
「…………」
「実はね、お姉さん、貴方に何かあったらこれを渡すようにと、ある方に頼まれていたのよ」
そう言って女は懐から何かを取り出す。
それはビロードの生地で丁寧に包まれており、形から察するに本であることが見受けられる。
「魔導書?」
「そうよ。さぁ受け取ってちょうだい」
「…………」
「流石に警戒しすぎだと思うわよ?」
ノエルは女を見据えたまま、ゆっくりと後ろに下がり窓枠に手をかける。
「そいつを床に置いて下がれ……」
「はいはい、分かったわよ」
女は無防備にもノエルに背を向け、扉へと歩いていく。
その背中へと視線を向けたまま、床に置かれた本を拾い上げビロードを捲る。
それは確かに魔導書だった。
黒革で作られた重厚な表紙に金の刺繍が施され、鈍く銀色に光るタイトルには、空間魔法の文字が読みとれる。
(いくら何でも出来すぎだ……)
先の行商人は予め何者かに渡すように指示されたと言っていたが、流石にこれは出来すぎであるとノエルは考えた。
もし女の言っていた事が事実なら、その何者かはノエルが村を逃げ出す羽目になることを、あらかじめ予期していた事になる。
その様な真似が出来、かつノエルを目にかけてくれる人物が居るとすれば……
「オン婆か?」
見ると女は扉に寄りかかり、両手を組んで意味有り気にニヤニヤと顔を歪ませている。
「只の子供に魔導書を、それも寄りにもよって空間属性なんて読み解けるとは思えなかったけれど……、貴方なら大丈夫そうね」
「どう言う意味だ?」
「そのままの意味よ、別に他意はないわ」
「そうか……。所でオン婆は無事なのか?」
「さて、お姉さんの用はこれでお仕舞い。じゃぁまたね、坊や」
「あっ、待て!話はまだ終わってない」「バタンッ」
呼び止めるノエルを無視して女は部屋を後にする。
慌てて後を追うが、そこには既に女の姿は何処にも見あたらない。
残されたノエルは、暗い廊下で一人その手に持った魔導書を見つめながらポツリと呟いた。
「くそっ、俺はいったい何に巻き込まれたんだ?」
◇――――――◇
――空間属性の魔導書を読み解き取り込んだ後、部屋中の荷物をインベントリへと詰め込んでいく。
食料はもちろんの事、食器に調理道具や調合に必要な道具など、部屋中の物を手当たり次第に詰め込む。
最後に全ての書物を本棚ごとインベントリに収納すると、ノエルは楽しげにニヤリと笑う。
「空間魔法ぱねーな! この属性を持ってるだけで、一生食うには困らなそうだ」
勿論、収納できる容量に限界はあるし、時を止めるなんてとんでも機能は付いてはい無いが、それでも部屋中の荷物を粗方詰め込めるだけの容量は驚異的だった。
「さて、行くか……。っとその前に連中に置き土産でも残していくかな」
そう言って酒と油を取り出すと、ニヤリと悪い笑みを浮かべた。
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――ノエルは、東にある魔の森へと向かって走っていた。
アルル村は天然の城壁に囲まれている。
西には飛竜山脈が連なり、東から南にかけては魔の森に囲まれている。
その為、常識的に考えて村を出るなら北の街道を通るしかない。
と、誰しもがそう思うはずだ。
故に北へは向かわない、待ち伏せされては敵わないのだ。
風のエンチャントを掛けて速力をあげる。
出し惜しみはしない、慎重かつ迅速に出来る限り遠くへ逃げる。
死んだザンバの仲間が、後どれぐらい残っているのかは分からないが、少なくとも自分を追ってくる事は間違いない。
急いで村から離れた方がいいだろう。
振り返ると遠くの方が明るく照らされている。
仕掛けて置いた罠が発動したのだろう。
先手は取った、逃げる方角も決めている、急がなくては。
ノエルの脳裏にはザンバの死に様がチラツいていた。
あれ程までの憎しみに似た殺意を向けられた事など一度もなかった。
あの時のザンバは異常だった、今思い出しても寒気がするほどに……。
(神子か……。嫌な予感しかしねーな……)
モスグリーンの外套を翻し、草原を駆け抜けていく。
辺りに人の気配はない、無事逃げきれそうだ。
暫く行くと前方に林が見えてくる、サクッサクッと落ち葉を踏み締めながら真っ直ぐ東へと進む。
このまま一気に森へ逃げ込もうと待機魔力を解放した瞬間、右後方で何者かの魔力が立ち上るのを感じた。
「チッ、待ち伏せか……。どうやら勘の良い奴が居たみたいだな」
相手にするのは面倒だと、風のエンチャントを身に纏い飛ぶように速度を上げる。
相手が一人なら、逃げ切るのはそう難しい事ではないだろう。
しかし、一向に相手との距離が離れない。
それ所か、相手が纏うエンチャントの魔力が膨れ上がったかと思うと、一気に距離を詰めてくる。
「なっ!マジか、コイツ……」
「キュイン」
甲高い音が後方から近づいてくる。
ノエルは反射的に飛び上がると、木を蹴って横へと交わす。
「ドンッドンッドンッ」
ノエルが蹴った地面が弾け木に穴が開き、さらに前方にある木を見ると、そこには直径20cm程の丸い穴が開いていた。
(ヤバイ、あれは一撃でも当たれば死ぬぞ……)
狙い撃ちされぬように、木の上を飛び跳ねながら左右に躱して逃げて行く。
(持久力には自信があるんだ。朝まででも逃げ続けてやる!)
「待てノエル!話がしたいだけだ降りてこい!」
不意に聞き覚えの有る声に呼ばれ、振り返ると目を丸くする。
「なんで、お前がそこにいる? どういうつもりだ」
自身を呼び止めた予想外の人物の登場に思わず一瞬、速力が弱まる。
「ちゃんと説明する。だから降りてこい」
「ぶざけんな、知ったことか!」
ノエルは前を見据え、気を取り直すように速度を上げる。
先の攻撃を避けられたのは只の運だ、この男は間違いなく命を刈り取りに来ている。
他にも仲間がいるかもしれない、口車に乗って足を止めれば命に関わるのだ。
「いいから止まれ! ノエル!」
「うっせー、死ねクソ親父」
そう言い放ったノエルの瞳には意外な男
――魔導具屋の主人、ケイジの姿が映っていた――