115話:不思議な鐘
時刻は丑三つ時。静寂と暗闇に包まれた聖堂内は、神聖さよりも不気味さが際立っていた。
ぼんやりとした月の明かりがステンドグラスの聖人達を照らし、消えた蝋燭に薄い影が伸びる。
時折、見回りの修道士達のカランッと言う足音が響く中、小さな人影が音もなく高い天井から舞い降りた。
ノエルだ。鐘の正体を探るため、本堂の真上を目指していたのだが、監視の目が予想以上に多くて外から回り込むことが出来なかったのだ。
その為、仕方なしに寄宿舎から本堂内部への侵入に切り替えた。
夕暮れ時の大立ち回りを見ていた監視者が、随分と玄人に入れ替わっている。
今となっては後の祭りだが、流石に少しやり過ぎたかもしれない。
――まぁいい、どうせ連中は中には入って来れないみたいだしな。
ノエルはいまだふてくされた様子のナインを頭に乗せて、祭壇裏にある長い螺旋階段を登っていく。
見上げると天井と呼べるものが無く、うっすらと紫色に光を帯びた鐘が見えた。
魔力を含んだ精霊銀の色に似ている。
ハンドベルを巨大化したような形のそれは、遠目に見てもかなりの大きさだ。
いくら治安が良いとはいえ、盗まれないのだろうか?
丁度、階段の中程まで登ったところで立ち止まると、頭の上のナインを抱き上げる。
ここから先、ミスは許されない。ナインには機嫌を尚してもらはないと困るのだ。
「なぁナイン。何でそんなにご機嫌斜めなんだ?」
『みゅぅ……』
と、覗き込んだノエルから、ナインは視線を逸らす。
なにが気に入らないのだろう。まさか焼き餅を妬いているとは思えないが。
そもそもの話、自然発生的に産まれてくる精霊には、性別と言うものがない。
そのためアナベルとのやり取りに嫉妬心を覚える筈がない、と思う……。
――まさかな。
抱き上げたナインを掲げると、一応確認してみる。雄か牝かを。
すると、急に暴れ出したナインが、実体のない幽霊のごとくするりと逃げだしノエルの顔面を引っ掻いた。
「痛っ!」
『フシャー』
フサフサのしっぽをピンと立たせて、威嚇するように毛を逆立たせている。
――そのまさかだった!
見たところ思った通り性別はなかった。精霊は食事を必要としないのだから当たり前なのだが。
だからこれは多分精神的な問題だ。
どういう理屈でこんな事になってしまったのかは分からないが、間違いなくナインは妬いている。
これは困った事になった。教会にいる間はどうしたってアナベルからは逃げ出せない。
嫉妬にかられたナインが、アナベルに攻撃でもしたらエラいことになる。
「まいったな……」
ノエルは引っ掻かれた頬を撫でながら呟いた。
どうしていいか分からない。が、とにかく言って聞かせるしかない。
「ナイン、俺は別にお前を蔑ろにするつもりは無いぞ?」
『みゅぅ』
「本当だって。俺達は一心同体なんだ。生きるも死ぬも共にあるってな。だから機嫌直せよ、な?」
言ってナインを抱き上げると優しく撫でる。
『ミャー』
ノエル言っている事を理解しているのか、ナインは懸命に自らの顔を胸元へと擦り付けてくる。
契約者と精霊は感覚を共有している。もしかしたら嘘と本音も分かるのかもしれない。
「機嫌直してくれたか?」
『ミャミャッ』
「良かったぁ……。お前に嫌われたら、どうしていいか分からなくなっちまうよ」
『ミャー』
人間のように女性相手に嫉妬したのか、それともペットのように構ってくれない事に寂しさを覚えたのか。
正直なところナインの本音は分からない。でも――
「これから先もずっと一緒だからな」
『ミャッ!』
なんとかナインのご機嫌を取ることに成功したノエルは、再び階段を登り始めた。
これでようやく目的が果たせそうだ。
………………。
…………。
……。
「仕組みがまったく分からん」
螺旋階段を登りきり、いざお目当ての鐘を見上げながら肩を落とす。
高さにして3mにも及ぶ巨大な鐘。これ程の大きさならば重量もかなりの物の筈だ。
にも関わらず、支えられるでも吊り下げられるでもなく、単独で宙に浮かんでる。
これでは対処のしようがない。
ノエルが立てた作戦は二つあった。
一つは鐘の絡繰りを解除して、ダーク・エルフ達を解放すること。
もう一つは鐘を丸ごとインベントリへと入れてしまうこと。
はっきり言ってしまえば盗もうと言うのだ。
だがそれは不可能だ。これ程の重量の物を動かすことなど出来ないし、宙に浮いたままではインベントリに仕舞いようがない。
「そもそもどんな仕掛けで浮いてんだ? これは」
鐘の周りをぐるぐると回りながら、周囲も含めて調べていく。
まず、鐘の真下は床が無く、吹き抜けの螺旋階段へと繋がっている。
周囲には鐘を中心に四本の丸い柱があり、それを支柱にして三角屋根が乗せられている。
他には何もない。たったそれだけだった。
もっとも魔力の気配を感じないところから、闇属性が使われていることは想像が付く。
問題はどこに使われているかだが……。
「うーん。柱も屋根もそれらしい仕掛けは見当たらないよなぁ。ナイン、何か分からないか?」
闇属性を持つ精霊であるナインならば、自分が感じ取れない魔力の気配が分かるかも知れない。
そう思い試しに訪ねてみると、ナインは鐘の上に飛び乗って短い前足をペシペシと叩きつけた。
「いや、鐘に仕掛けがあるのは分かるんだが、浮かせている方法が分からな……。待てよ?」
考えて見れば、鐘の外側は確認したが内側はまだ見てすらいない。
ノエルは、四本の柱の内の二本の対角線上にある柱に麻紐を結び付けると、綱渡りで鐘の下へと潜り込んだ。
「暗くて何も見えんな」
光魔法を使い、鐘の中へ光の球を浮かべる。
と、漸く仕掛けらしい仕掛けが見つかった。
鐘の内側が、ところせましと魔法陣で埋め尽くされている。
更に中程から垂れ下がったクラッパーには、巨大な闇属性の魔石がはめ込まれていた。
「これは、俺ではどうにもならんぞ?」
魔法陣は専門外だ。もうしわけ程度ぐらいの本で読んだ知識しかない。
しかしもここまで複雑なもになると完全にお手上げだ。
「この魔法陣のどれかが鐘を浮かせてるんだよな」
今まで得た情報を整理すると、この鐘には大きく分けて三つの機能が備わっている。
一つ。鐘の天辺に座標指定するように空間固定し、さらには時間指定して鳴らす機能。
二つ。ダーク・エルフ達だけを狙い魔力を奪い取る機能。
三つ。鐘の音に精神に何らかの影響を及ぼす効果を乗せる機能。
二を解決できれば申し分ない。次点で一か。三は正直どうでもいい。
ただ、現時点では手の出しようがない。
ノエルは、指先を滑らすようにして魔法陣をなぞると、インベントリから紙と釜戸用の木炭を取り出した。
この魔法陣は彫金で掘られているものだ。これなら魔法陣を持ち出せるかも知れない。
「時間は掛かるがやるしかないな。セバールご自慢の年寄りの知恵ってやつを見せてもらうか」
魔法陣に紙をあてがい木炭を擦り付ける。これならいけそうだ。
木炭を擦るたびに紙に魔法陣が綺麗に浮かび上がってきた。しかし――
「ダメだ、肝心の紙が足りない。どっかで手に入れないとな……」
今夜中にどうにかするのは無理そうだ。となると、暫くは孤児院に泊まる事になる。
手に入れる予定だった自宅への引っ越しは作業しだいか。
それ自体は問題ないが、ナインのご機嫌が心配だ。
アナベルに焼き餅を妬いて、魔法でも放たれたら取り返しが付かない。
「ナイン。後少しだけ孤児院に泊まり込むことになりそうなんだが構わないか?」
『みゅぅ……』
不満そうだ。これは参ったな。
「あっ、そうだ。魔法を使わないって約束してくれるなら、顕現した状態でもいいぞ。これならどうだ?」
『ミャミャッ!』
どうやらいいらしい。アナベルとの接触は避けられないし、これぐらいの譲歩は仕方がない。
問題が起きる前にやることやって、とっとと出て行くのがベストだろう。
「とりあえず、今ある紙は使いきっちまうか」
『ミャ』