第八話
巡察官こと地獄耳ことシスターこと痴女ことテレシアと別れた後、水を少し飲んだ後、直ぐに孤児院に帰ることにした。
空を見上げるとすっかり陽は沈みかけ。
自分とフィランは紅く染まる裏路地を歩いていた。
「そう言えば昼くらいにアリアさんから聞いたんだけど、クリムが冒険者になりたいんだとさ」
「知ってるわよ、それぐらい。そうじゃなければ私に鍛錬なんて乞いてなんかいないわよ」
「フィランさんは反対じゃないんだな。アリアさんは本音は反対らしいけどさ」
「アリアの考えは否定できないわよ。でも、男の子は何時でも未開の地とか旅するのが好きなんでしょ?」
「おう、悲しいかな、男はそんな何時でも浪漫を追い求める生き物なんだよね」
面倒くさいだろ、と付け加える自分に対してフィランは興味なさそうに欠伸をする。
「あっそ。まぁ、私にクリムを止める事ができないし、止める権利も無いわ。あの子が強くなりたいって言うなら強くさせるだけよ」
「へぇ、空腹で倒れて孤児院まで運んだ恩とかじゃないんだ──」
瞬間、自分の体が宙に上がる。
胸が吊り上がっている感覚からフィランが自分の胸ぐらを掴んで持ち上げているのが分かる。
「…………誰から聞いたのかしら?」
「奴です。クリムです。クリムが悪いです。僕は聞いただけです。首が苦しいです。下ろしてくだちゃい」
フィランの小さな手を何度も叩いて降参を意思表示する。
一瞬の浮遊感の後、硬い地面へと尻から落ちた。
痛みに尻を擦りながら上を見上げると、夕焼けを背後に立つせいで表情が分からないフィラン。
「あ、フィラン姉ちゃんに兄ちゃんー!!」
そこへ、太陽のような純粋な笑顔を浮かべながらこちらへ走ってくるクリム。
それを視線に捉えたフィランは無防備な獲物に近づく獣の如く向かう。
無論、自分はクリムに『逃げろ』と言うことはできない。
心の中で己の無力さに嘆くがフィランは待たない。
「………」
クリムとフィランの距離が一歩分の時、フィランの腕が動く。
クリムの右手を左手で掴み、右手で胸ぐらを掴む。
後ろへと振り返り腰を突き出した。
クリムが走る勢い使い背中に乗せた瞬間、左手を落とすように振り抜いた。
するとクリムの体は逆さまになり、足が天へと向く。
そして、そのまま勢いよく地面へと背中を打ち付けた。
「ゴパァッ!?」
変な叫び声をあげたクリムは気絶。
何かやり遂げた顔をしているフィランは払うように手同士を叩いていた。
「何、今の?」
「女子力よ」
「女子って何だっけ?」
♠︎
「ふーん、教会の関係者が殺されたって聞いたから心配になって迎えに来たんだ。昨日ボコボコにやられたアンタがねぇ」
「あ、あれは油断しただけだって!お、俺だってその気になれば殺人鬼なんて………」
「やめなさい。何者か分からない犯罪者よ。まだ私に一太刀も入れてないアンタが何かできるわけないでしょ」
フィランの言ったそれはそれは正しく正論だった。
だが、それで腑に落ちないのも男の子という生き物である。
「そうだけどさ………」
悔しそうに俯くクリム。
そのクリムの頭の上にフィランは手を置いて優しく母が子供を納得させるように撫でてあげる。
「大丈夫よ。アンタの腕は上がってるわ。そのまま磨いていけば一流の冒険者になれるわよ」
滅多に見せない、はにかんだ微笑を浮かべるフィランを直視したクリムは溶岩のように顔が真っ赤になる。
「じゃ、じゃあさ!ふぃ、ふぃ、ふぃ、フィラン姉ちゃんッ!」
「どうしたのよ、そんなに慌てて………」
「もし、もし!俺がフィラン姉ちゃんに一撃与えられたらお、俺と旅をしてくれ!!」
「へ?別にそれぐらいならいいわよ」
クリムにとっては一世一代の告白。
フィランにとっては単なる旅の誘い。
こちらへ振り返り、嬉々とした良い笑顔を浮かべるクリムに自分は親指を立てて答えた。
フィランはそんな自分達に片眉を上げて不思議がっていた。
♠︎
「別に孤児院の近くでも良かったんじゃないのか?」
「静かな所だと逆に声が通るでしょ。こうして騒がしい空間の方が声が掻き消されて聞こえないのよ」
「なるほどね」
今、自分とフィランは酒屋の前にいる。
夕食後、何とあのフィランが酒場に自分を誘ったのだ。
その様子にアリアが驚いたり、子供達が面白い玩具を見つけたような声をあげたり、クリムが真っ白になったり、と混沌だった。
「さぁ、入るわよ」
「おうよ」
フィランが両開きのドアに手をかけ、開けて中に入る。
入口をくぐった瞬間に体から感じる喧騒はどの酒場も変わらない共通の点だと思っている。
だが、客は全て立っており、尚且、一つのテーブルの周りに集まっている。
耳をすましてみると会話が聞こえた。
「し、シスターが二十人を屠ったぞ!!」
「な、何だ、あのシスターの姉ちゃんは!?」
「赤い髪の美人さんなのに、どこにあんな酒が入るんだ!?」
酒が入った杯を片手に慄く中年男性達。
そして、シスターと赤い髪という単語。
目を凝らして雄の群れの間を見てみると、仰ぐように酒樽を両手に持ち呑んでいる聖女教のシスターが。
端に見える赤い髪にとても見覚えがあった。
「………聖女教って飲酒って大丈夫なの?」
「えーと、努力義務っぽいよ?」
「あ、レイジにフィランじゃない!何よ、貴方達も呑みに来たの!?どうせならこっち来て呑みなさいよ!!」
中年男性達が一斉にこちらへ振り返る。
自分とフィランは苦い顔をした。
そして、中年男性達を押しのけて現れたのは赤い髪を持つ聖女教の巡察官──テレシアだった。
酒が入り調子が良いテレシアを見た自分とフィランは更に苦い顔をした。
その後、中年男性達は解散し、倒れた中年男性を担ぎながら各々のテーブルへと帰って行った。
「私、酔っ払いに絡まれるの嫌いなんだけど………」
「いいでしょう?こんな美女と呑めるのだからさ!」
無理矢理肩を組むテレシアにフィランは眉をひそめて嫌悪感を顕にする。
「私、女だけど?それにアンタはいいの?選ばれたアンタがこんな所で酒を呑んでて、聖女教の印象が悪くならない?」
「大丈夫よ、特に禁止されてないし。巡察官って言うのは基本、冒険者の修道士版みたいな感じだから、お祈りとか堅苦しい事なんかしなくていいのよ。地酒巡りしなくて何の為に巡察官になったのよ、って感じよ!」
「あー、テレシアさんってサボる為に努力する性格なのね」
「間違っては無いわよ。今の時点で目標は殆ど達成されたから努力はしないけど。まぁ、積もる話は酒と共に話しましょうよ!」
自分の肩に張り手を喰らわすテレシア。
どうしてこう酔っ払いというのは面倒くさい生き物なのであろうか?
それは男の子も同じだろう。
テレシアに調子を狂わせられながら溜息を吐いて店員に向かって注文する事にした。
「店員さん、私に酒樽を一樽頂戴」(金貨ドーン)
「店員さーん、私ももう一樽ー!」(金貨ドーン)
「あ、俺は安い酒一杯でお願いします」(銅貨数枚)
♠︎
酒場からの帰り道。
自分達は来た道ではなく、ベンベルグ教会へと向かっていた。
そして、自分の背中には息が酒臭く、ニヤニヤとしながら寝ているテレシアがいた。
完全に落ちた酔っ払いである。
「とりあえずテレシアさんは教会の前に置いておくか」
「神聖な教会に酒臭いシスターって中々ヤバい光景ね。明日が楽しみだわ」
想像してしまい見てみたいと思ってしまった自分はおそらく聖女教に属する事は無いだろう。
テレシアは完全に出来上がっており、こちらが聞きたいことは何でも話してくれた。
あの後、ギルドマスターは王女へ手紙を送ると共にベンベルグ教会と連携をとる事になった。
街の壁やベンベルグ教会に戦える冒険者と修道士を配置し、警備を強化するらしい。
「なぁ、フィランさんが俺に話したい事って何なの?」
会話の主導権の殆どをテレシアが握っていたのでフィランが話す事は無かった。
無論、フィランとしては自分と話したかったので喋るつもりはないのだろうが。
「また今度でお願い。本当に誰にも聞かれたくないの」
「ふぅーん、まぁ、いいけどさ」
フィランが誘うのはこれが初めてだったので、どこか残念と思う自分がいる。
ふと、夜空を見上げると見事な球体の形をしている月があった。
昔に聞いた月と兎の話を思い出していると、月が何故か陰る。
目を一瞬凝らす。
何故か大きくなる謎の影。
それがこちらに──フィランへ目掛けて剣を振り上げているのを見た瞬間、自分は大声を出していた。
「フィランさんッッ!!!」
「ッッ!ラァッッ!!」
即、目視したフィランは普通避けるところを真上へと跳躍する。
そして、回転と同時にフィランの爪先による蹴りが相手の片手剣の柄頭を捉え、相手の腕を無理矢理上げた。
その反動で相手は後ろへと飛ばされ、頭から地面に落ちるところを片手で体を支える。
そこから、更に後ろへと飛び着地した。
フィランも舞うように自分の前へと着地した。
自分はテレシアを近くの壁に座らせておく。
こんな時に起きないのはある意味神経が図太いと思う。
「おい、お前が殺人鬼か?」
「…………」
相手は答えない。
僅かに聞こえるのは奴の呼吸だけだ。
「フィランさん、武器持ってきてないだろ?ここは俺に任せな」
「舐めないで。武器が無いと役に立たない女じゃないわ」
「それはとても心強いな」
自分は相変わらずのフィランに笑う。
フィランは体を横にし、前足を後ろ足に対して垂直にする。
左拳を腰に、右腕を前に出す。
独特の構え方に興味が湧くが今は置いておく。
「「かかってこい。殺してやる」」
今はただ殺し合うだけである。