第九話
相手の体をもう一度確認する。
身長はフィランと同じか少し小さいくらい。
体格は黒いローブに覆われているせいかよく分からない。
顔もフードを深く被っているので口元以外の顔のパーツは全て影により見えない。
その手には何の業物でもない普通の剣。
全く以て謎の敵。
しかし、奴が殺人鬼とみて間違いはない。
「…………」
だが、一つ分かるのはこの殺人鬼が自分達を殺さんと殺気を放っている事だった。
荒々しく滲み出るその殺気は人間と言うよりも、まるで獣の様だ。
「おい、お前。投降する事を勧めるぞ。ここには天下の聖女教の巡察官がいるんだからな」
「あそこでへそ丸出しにして寝ているけどね」
元より怯える要素が無いが怯えない殺人鬼はピクリとも動かない。
そして、天下の聖女教の巡察官殿は腹を掻きながらとても幸せそうに寝ていた。
前方には今にも飛びかかってきそうな殺人鬼。
後方には涎を垂らし、へそ出ししていながら寝る選ばれたシスター。
あまりにも落差が激しい空気に苦笑を禁じえない。
直ぐに顔を元に戻し、相手の出方を見る。
左脚を前へと出す。
剣を頭の横へ持っていき、剣先をこちらへ向けている。
そして、ゆっくりゆっくりと左脚を前へ出し、次に右脚を引きつける。
自分達は動かず相手を迎える。
殺人鬼が相手に選んだのはフィラン。
手に持った剣を真上へと向け、今まさに振り下ろそうとしていた。
フィランは姿勢を低く突っ込み、両手で相手の腕を掴む。
一瞬だけお互いに力で押し合い、拮抗する。
怪力を持つフィランの方が有利だったが、殺人鬼は力のベクトルをフィランの方向から左斜め下へと変えることにより、両者の手は下へと下がった。
体勢を崩されたフィランに殺人鬼は肩に体重を乗せた突進でフィランとの距離を剣の刃の範囲へ離す。
そのまま流れるような動きで後ろ足を背後へ持っていき、体を回転させ前足にする。
またも振り上げた剣にフィランは反応できるか分からない。
自分は地面を踏みしめ、走り出しながら刀を構える。
そして、吠えた。
「ウオオオオオオオオ!!!!」
「ッ………!」
僅かに相手の動きが止まる。
しかし、自分が相手に一撃を喰らわすには不十分な僅か。
突撃と共に構えた刀を相手へと斬り込む。
殺人鬼は剣を横に倒し上へと掲げ、自分の刀を迎える。
火花が散り、暗い路地が一瞬だけ明るくなった。
剣に罅が入り、刀が無理矢理くい込んでいく。
だが、刀を止めない。
相手を殺すまでその刃の勢いを止めるつもりはない。
目の前にある殺しに必死に食らいつく。
相手の膝が落ちかけると共に刃が更に相手の脳天へと近づく。
しかし、完全に膝が地面に付く直前に相手は剣を倒し、無理矢理いなした。
体勢が崩れかける自分の無防備な脇腹に膝蹴りを入れる。
「イギっ!?」
力を入れた脇腹は神経が集まる所。
そこへ鋭い一撃による不快感と共に横へたたらを踏む。
だが、相手が離れようとした直前、自分は逆袈裟に刀を振るう。
不安定な体勢から振るわれた刀に反応できず、殺人鬼は一瞬だけ反応が遅れてしまい服を裂くことができた。
「…………!!」
突然な攻撃に驚いた様子の殺人鬼。
小さく一、二歩下がると後ろに重心を置いていた体を前に倒して自分へと向かって来た。
罅割れた剣などいざ知らず、我武者羅に振るいまくる。
「とととっとぅ!!?」
先程の体捌きと打って変わって荒々しい剣筋に自分は下がりながら捌いていく。
刀と剣が剣戟を繰り広げる度に空気が爆ぜ、自分の服が僅かに震える。
そして、背中に硬い何かがぶつかる感触。
それが壁だと分かった時、殺人鬼の一撃が迫っていた。
危機的状況に体が反射的に動き、刀で防ぐ。
押すか、押されるか。
押し込み首を掻っ切るか、押し込まれその首を掻かれるか。
死と生の狭間の鍔迫り合い。
そんな中、自分は殺人鬼にある物を見つける。
「……ん………?」
殺人鬼の斬り裂かれた服の中に小さく鈍い真紅の光が見えた。
体中に刻まれたそれは刺青に違いないが、刺青にしてはあまりにも禍々しい。
魔法ではなく呪いに近い何かなのは分かった。
どこかで見たことがある刺青に考えてしまい、一気に押し込まれてしまった。
「おぉッッ!?」
何て無様だ、と己を憎みながら現状を打開しようとする。
筋肉を総動員させ押し返そうとするが力は同等かそれ以上で全く動かない。
歯がめり込む程、食いしばり耐える。
だが、自分は上手くいったようで安心した。
もうそろそろ彼女が来るからだ。
「ッッハァ!!!」
横から突然とフィランが現れる。
後ろ足を前へ出すように踏み込み、腰、肩を捻り込み拳へと力を伝える。
更に全身の体重を拳へと乗せ、殺人鬼の肩へ着弾する。
パァン!!
まるでここら一帯の空気が爆発に変わってたのではないのかという強烈な炸裂音が響いた。
殺人鬼はまるで弓で放たれた矢のように飛ばされた。
受け身を取れず地面を数度跳ね着地する。
直ぐに倒れた状態で脚を大きく振った遠心力で起き上がった。
「………何してんのよ」
「いやはや、全く言い返す言葉も無いな。非常に助かった」
フィランの呆れたような言い方に自分は後頭部を掻きながら返した。
体勢を低くしている相手の左腕は縄を垂らしたかのように揺れている。
完全に肩の骨が砕けている。
あの怪力と洗練された技による一撃だ。
何も無い方がおかしい。
「………」
左腕を後ろへ庇うようにしてじりじりと後退する。
逃がすまいかとこちらもゆっくりと前へとすり足で進む。
そして、相手を壁際まで追い詰めた。
だが、殺人鬼は何故か剣を手放す。
その行動に自分達は疑問を抱く。
しかし、手負いの獣ほど何をするか分からない。
故に警戒を解かなかった。
懐に手を入れる。
この状況で別の得物、それも懐に入れれる者を出すのか?
得体の知れない行動に警戒を一層高める。
そして、奴が懐から出したのは黒い丸い球体。
黒いのは鉄だと分かる。
しかし、あの中に入っている物が気になる。
殺人鬼は球体に付いてある紐を抜き取ると、それを自分達へと地面に転がした。
転がる間、僅かに漏れる白い煙。
その臭いを嗅いだ時、自分の記憶からとある土地で見た新開発の兵器についてが思い出された。
その瞬間、自分はフィランを胸に抱き締めできるだけ遠く目掛けて地面を跳ねる。
そして、フィランを覆うように敵に背中を向けた。
直後、けたたましい破裂音が自分の耳の中を駆け抜け、一瞬で背中を無数の剣で突かれたような痛みが襲う。
自分の体を走る痛みに歯を食いしばりながら耐える。
背後を見ると殺人鬼はどうやらこの爆発に乗じて逃げた様だ。
「え………ちょっと………!」
自分の下から這い出て来たフィランが自分の背中の状態を見て、目を皿のようにして驚く。
慌てたように何度も自分を呼びながら体を揺する。
だが、意識が朦朧としてきている自分の耳には入って来ない。
寧ろ冷静に慌てた顔をするフィランが新鮮に感じでしまう。
そこへ同じように走って来るテレシア。
さっきの音で起きた様だ。
「………ぉせぇ………よ………」
段々と閉じていく瞳。
最後までフィランとテレシアを見詰めながら、自分の意識は波の引くように遠退いて行った。