運命の出逢い 一
鮮やかに染まる山を背に喪服の少女、人見 愛嘉理は、無言のまま目の前で昼下がりの日差しに照らされる墓を一人ただ見つめていた。
周りには沈痛な表情を浮かべる大人達の啜り泣く声が聞こえる。そしてそのたくさんの視線のどれもが、愛嘉理を蔑んでいた。
しかしそれを理解していても、愛嘉理は憤慨することも号泣することもない。眼鏡の奥から覗く瞳はただただ無表情で、まるで命を抜き取られたかのように褪せている。その眼差しは到底齢十の娘のものとは思えない程、重かった。
その瞳の奥で、愛嘉理は昨日も一昨日も町中で今夜は皆既月食だと騒いでいたことをあえて思い出していた。
「来年は皆で一緒に月を見ようね。」
丁度一年前の今日、皆既月食のニュースを受けて妹の飛火里が無邪気に放った言葉だ。しかし、それは叶わなくなった。その原因は、間違いなく自分だ。
愛嘉理は襲い来る罪の意識から逃れようと、どうでも良いことを探した。今はそれが何より必要だった。
そう言えば自分が生まれる前年の今日は、皆既日食が世の中を騒がせていたと両親が言っていたような…。違う、これじゃない。例えばそこら中に転がっている砂利のような、そんな無関係さが欲しい。
愛嘉理は、足元を睨むように視線を落とした。
生きていく上で、関心は持たない方が良い。そうすれば、接点はできない。その方が楽だから。十歳にして、愛嘉理はそんな持論の元に生きていた。
「…。」
ふと何かの気配を感じた愛嘉理が目線を墓の向こうに移すと、そこには不思議な雰囲気を放つ深海のような深い青の瞳を持った銀毛の獣が静かに佇んでいた。
「白い狗…?」
愛嘉理を見ていた狐の尾を持つ狼のようなその獣は、目が合うと鈴の音と共にその場から姿を消してしまった。
「あ、待って!」
いつもなら、絶対に追い掛けたりなどしない。しかし、今日の愛嘉理は自分でも気付かない間に走り出していた。まるで逃げるように、否、求めるように。
しかし、愛嘉理の後を追う者はない。周りの大人達は、皆気付かないふりをしていた。
「あれ?ここ、どこ…?」
気付けば獣を追い掛ける余り、愛嘉理は知らない場所にいた。とりあえず元来た道を戻ろうと辺りを見回すと急に霧が深くなり、一歩先もまともに見えなくなった。
更に追い討ちを掛けるように、ただでさえ寒かった辺りの空気が何か嫌な気配を帯びてより一層冷たさを増す。時と共に恐怖は募るばかりで、愛嘉理はその場で凍り付いた。
今まで愛嘉理が感じたことのない強さの嫌な気配が、刻一刻と近付いて来る。最早愛嘉理にとって、極限と言っても差し支えない状況だ。
嫌な気配は目の前で動きを止めると、恐怖に顔を握る愛嘉理の耳元で不気味な息遣いと共に呻くように囁いた。
「…こ…せ…!…魂…寄越せ…!」
こんな時に限って、身体が緊張で動かない。万事休す、愛嘉理の恐怖が最高潮に達する。
「助けて、神様…!」
愛嘉理が強く念じたその時、鈴の音と共に瞼越しに光を感じた。同時に、嫌な気配が遠ざかるのが分かった。
「う゛ぅ…あ゛ぁ…。」
「!?」
愛嘉理がうっすらと瞳を開くと、すでに霧は晴れていた。目の前には愛嘉理を守るように頼もしく立つ大きな背があり、視界の左隅では黒い影が二人の前に立つ古くて小さい鳥居を越えて山の方へと移動していく様子が見えた。
愛嘉理は来た時になかったはずの鳥居に違和感を覚えたが、今はその疑問を追求する心の余裕はなく、どこからともなく現れた救世主を含めた目の前のこの状況にただ唖然としていた。
その救世主は三日月のような剣と弓矢を携え、その背に長い縄を大きく蝶結びにしていたが、影が見えなくなると同時にそれらも消えてしまった。
「大丈夫?」
身体の大きな少年は振り向くと、頭が目の前の状況に追い付かない様子の愛嘉理の目線に合わせるようにしゃがんで問い掛けた。
人懐こい、しかし凛々しさと温厚さが同居した不思議な雰囲気の美男子だ。どことなく、先程見たあの獣に似ている。
「だ、誰…?」
「僕は吾生。もう心配いらないよ。」
ポカンとした顔で訊ねる愛嘉理にそう答えながら、吾生と名乗る少年は特徴的な八重歯を覗かせた。微笑む顔は優しく、穏やかなその声に愛嘉理は思わず張り詰めた緊張の糸が一気に緩んでしまう。
「…!」
吾生は、溢れ出す涙を抑えきれない愛嘉理を優しく抱き締めた。
「よしよし、辛かったね。すぐに来てあげられなくてごめんね。」
吾生は大声で泣きじゃくる愛嘉理を宥めるように、背中を何度か軽く叩いた。
こんなに自然と心を曝け出したのは何年振りだろう。
愛嘉理は今まで生きてきて味わったことのない程の不思議な心地好さに、すべてを委ねてしまいたくなる衝動を覚えた。しかしその瞬間、すぐに正気に戻った。
感謝はするべきだ。しかし、ならば尚更恩人に迷惑を掛けるべきではない。ましてや泣くなど以ての外だ。今まで生きてきて、自分といた人間がろくなことになった試しがない。ならばできる限り誰かと関わるべきではないのだ、と。
「…ありがとう、吾生さん。じゃあね、さよなら!」
「あ、ちょっと待って!」
走って立ち去ろうとしたが腕を掴まれて、思わず愛嘉理は足を止めた。
「?あの…。」
「あ、いや…。えーと、ごめんね。その、つい…。」
本人も思わずの行動だったようで、恥ずかしそうに頭を掻きながら吾生は愛嘉理の手を放した。
そして再び背を向けようとした愛嘉理は、その時あることに気付いた。
「あれ…?吾生さん…。」
「え?」
「もしかして、人間じゃない…?」
「や、やっぱり出ちゃってる?耳と尻尾…。」
愛嘉理が頷くと、吾生は困ったような顔で頭を抱えた。狼のような耳を押さえると、指の間から銀色の髪がさらりと零れた。
それだけではない。よく見れば見る程、目の前で狼狽える吾生は普通の人間とは異なる容姿を持っていた。
狼のような耳や髪と同じ色の狐のように豊かな白銀の尾、雅な時代劇で見たことのあるような服、腰から下げた狗の面、そして海のように深い青の瞳。
どれもこれもが人間の一般常識に当てはまらない。今更気付いたのが遅過ぎるくらいだ。
しかしだからと言って恐ろしい訳では全くなく、愛嘉理は神秘的で美しいと感じた。
「似合ってるよ。銀の髪とお揃いの耳も尻尾も、服もお面も。あと、綺麗な青い瞳も。」
「…ありがとう。」
気遣いと言えば愛嘉理なりの気遣いだが、決して嘘ではなく心からの言葉だということが分かったので吾生は素直に微笑んだ。