08.魅惑のしっぽとただの棒
使者は、アルヴィンが絞り込んだ候補地の一つ、メドヴィアとの国境付近の要塞に監禁されていることが判明した。
これはアルヴィンが挙げた最有力候補地3つのうちの1つで、国境調査から戻ったレグルスに頼んで秘密裏に調べてもらったところ、忍ぶような人の出入りや夜には明かりが確認された。
一応他の2つも調査したが、人の出入りがあったのは唯一その要塞だけだった。
ファリアの制度ができる前、隣国との最前線基地として利用されていたらしい。
今アルヴィンは地下書庫でその要塞の地図を引っ張り出そうと格闘中で、俺は俺であっちへ帰る前に仕掛けておいたちょっとした作戦の効果を確かめるために単独行動している。
勿論黒目黒髪のままでは一発で俺だとばれてしまうので、目の黒はあっちの世界から自腹で持ってきたカラーコンタクトで茶色に見せ、髪の方はアルヴィンが用意してくれたカツラでやはり茶色に偽装した。
それにしてもこっちの世界にもカツラなんてあるんだな・・・。やはり世界は違えど共通の悩みはあるってことか。
妙に感心してしまったが、コンタクトと一緒に持ってきた染髪剤を使わずに済んでほっとしたのも事実だ。
不可抗力の白髪は仕方が無いとして、一生持って生まれた黒で!と決めている俺だが、さすがに主義と命は天秤にはかけられない。
きっとこっちへ来て異界人だとバレれば洒落にならない事態もあるだろうと思い、わざわざ小遣いはたいて買っておいたのだ。
服もTシャツにジーンズの休日の普段着からこっち風に着替えている。
城内をうろついていてもあまり不自然ではない人種というとかなり限定されてしまうが、今回はアルヴィンの従兄弟の親戚の叔父さんの息子の友達という人物設定で、状況設定はアルヴィンに憧れて田舎から出てきて、城の兵士になろうと申請書提出にやって来たおのぼりさんが、広い城内で迷子、ということになった。
あくまで見咎められたとき用の設定だが、いきなりのアドリブでボロを出すよりはいい。とは言え、カッツェあたりに聞かれたら呆れられそうだが。
なんにせよ、情報は必要だった。
アルヴィンの部屋からそっと出て、文官や武官たちが集まっている場所を目指す。彼らが何を思っているのか知るのが今回の最大の目的だ。
立ち話している文官は結構そこらにいて、そういう奴らを見つけたらそっと近寄って柱の影に隠れ、言い方は悪いが立ち聞きする。
話の内容は大体が百年の簒奪のこと、使者の誘拐のこと。そして、その次くらいに多かったのが俺の話だった。
やはりひよこ豆の陰謀の効果は十分にあったようで、半分徹夜に見合うだけの成果は上がりそうだ。
それとな〜く関係者っぽい顔をして、あちこち道に迷いまくりながらも、俺は着実に情報を仕入れていった。
そして前方の渡り廊下を渡ろうとしたとき、ついに宿敵の軍人、ダリルだかドリルだか言うあの可愛げのない赤毛の男を発見した。
それも、たくさんの文官たちに押し包まれて猛口撃を受けている所に行き当たった。
非常に面白い状況なので、抜かりなく姿を隠してそっと状況を窺う。
自分でも嫌になるが、でもなんか楽しくなってきた・・・♪
このダリルだかドリルだかいう軍人には、帰る前にちょっとした仕掛けを施して逆に利用してやろうと思っていたのだが、使者誘拐というイレギュラーな事態が起こったことでその効果が倍増したようだ。
そう、あの帰る日の朝、早起きした俺はこの兄ちゃんを探して城内をうろついていた。
相手にそうだと悟られれば意味がなくなるので、何気ない風を装ってはいたのだが。
そして、見つけたこの兄ちゃんにわざと気づかない振りして近寄って、相手の方から喧嘩を売らせた。
この作戦には目撃者が重要で、その点もぬかりはない。
さすがに帰ると言って無作法に広間を飛び出した俺が、翌日になっても城内をウロウロしていれば喧嘩を売りたくもなるだろう。
最初は嫌味から始まったが、俺の方は作戦があってのことなので、真摯な態度で応対した。それどころか、文官の方々と話して、国を思うその気持ちに感動したから、微力ながら手伝わせて欲しい、みたいなことまで言った。
受け入れられないのは見越していたが、まさしくその通りで俺の言葉がかなり気に障ったらしく、奴はさらに喧嘩腰で言い募ってきた。
好きなだけ言わせておいて、周りにいた人々が止めに入る気配を見せる寸前、俺は『ならいいよ。ほんと言うと色々異界文明の力を使ってサポートしてあげたかったんだけど、俺なんていなくても平気みたいだから・・・せめてアルヴィンにGショックを預けとくから、困ったら使ってくれ』ってな具合にしおらしく引き下がり、自分の世界へ帰ったというわけだ。
Gショックは勿論腕時計のことだが、固有名詞なのでこちらの言葉に適切に翻訳されなかったはずである。意味不明な物体で、困ったときに役に立つ?ようなものをアルヴィンに預けた、という印象さえ残れば何でもよかったのだが・・・。
これは立派な作戦で、ダリルだかドリル本人よりも目撃していた周りの人々に“異界の品物”がアルヴィンの手にあり、それが困ったときに役に立つ、という情報を与えておくのが一つの目的で、もう一つは、協力的になった俺をダリルだかドリルが邪険に扱って異世界へ帰してしまったという印象を強く持たせることだった。
現実にこれの効果は目の前で起きている通り、ダリルだかドリルは文官たちに囲まれてなぜ俺の協力を無下に断り、オマケに怒らせるようなことを散々言って異界へ帰らせてしまったのかと非難されている。
ダリルだかドリルだかも異界人で自分とは直接関係無い生き物の俺には強い態度に出られるが、同じ世界、同じ国で生きている、同じく国を憂う文官たちにまで強気には出られないでいる。
かなり困った顔が面白い。
口が立つ文人たちに一方的に言われっぱなし、有効な反論すら一つもできないでいる。
ザマミロ☆
・・・ってこんな柱の影から笑って見てる場合じゃないな。
この様子からすると、あの喧嘩の他の目撃者はそろそろアルヴィンを探しているかもしれない。本当の目的は彼が持っている謎の“Gショック”だが。
文人たちに攻め立てられて、かなり窮した様子のダリル?ですら、このまま過剰ストレス下に置かれ続ければいずれアルヴィンに膝を折って俺召喚を願い出るかもしれない。
本来ならそれが目的だったが、使者誘拐という予想外の事件が重なっているので、そこまで行く前に“正式な俺召喚の要請”が下りなければならない。
元々は文官と武官を離間の計にかける作戦だったのだが、使者誘拐事件を解決するにあたって離間の計は邪魔にしかならない。
微妙に溝ができ始めた今だからこそ、文官の心も武官の心もがっちし掌握できるチャンスが生まれるのだ。
ダリルだかドリルが文官たちに吊るし上げを喰らっている場面は見ていて飽きないものがあるが、後ろ髪を引かれつつも次のステップへ確実に入れるように、俺は泣く泣くその場を後にした。
アルヴィンの部屋まで帰ろうとして散々道に迷い、最後にはアルヴィンの従兄弟の親戚の叔父さんの息子の友達だと名乗ってメイドさんにアルヴィンの部屋まで連れて行ってもらった。
やはり無茶はするものではない。
部屋にはアルヴィンの姿はまだなかったが、部屋の前には数人の青い髪の人々が眉間に皺を寄せて不安げな表情でたむろしていた。
Gショックもしくは俺の再召喚がお目当ての人々だろう。
彼らにしてみれば依然使者の行方は不明で、不安でしかたがないのだろう。
この問題はアルヴィンと俺の奇跡のコラボレーションによって鮮やかに一発解決されているのだが、暫定的にまだそれを知らないのだから仕方がない。
不安そうな文官たちを尻目に、俺はアルヴィンの知り合いということでさっさと部屋の中に入り、アルヴィンが戻ってくるのを待っていた。
戻ったら表の気配で知れるだろうとのんびりしていたが、突然床のきれいな石のタイルがガタガタいいだした時は本気で驚いた。
ちょうどベッドの脇の床で、俺は部屋の隅の本棚の裏に押し込んで隠しておいた荷物の中から催涙スプレーを出して隙なく構え、床下から何が出ても一撃の元に葬り去れるようにガタガタいっているタイルを注視した。
しかし、タイルが持ち上げられて姿を現したのは謎の生命体Xではなく、見知った銀髪の魔術師だった。
「ああ、ダイチさん。そんなところで何をなさってるんですか?」
隙なくスプレー缶を構えた俺を不思議そうに見上げ、お前こそそんなとこで何してんだと言いたくなるようなアルヴィンが、古地図の束を抱えて這い上がってきた。
「それはこっちのセリフだよ!お前は土竜の眷属か!?なんだって床下からのご登場なんだ!?」
スプレー缶をベッドに放り、アルヴィンが床下から出てくるのに手を貸しながら聞くと、彼は苦笑いした。
「いや、私も普通に帰ってくるつもりだったんですが、カッツェさんがお前の部屋の前に大行列ができているぞ、と知らせてくださったので、避難用の地下通路を通って帰って来た次第です。」
「・・・別に普通に帰って来たってとって食われるわけじゃないだろ・・・」
呆れて呟いたが、アルヴィンは真剣な表情で首を左右に振った。
「とんでもない!あなたが帰る前にダリルさんに仕掛けた悪戯のせいで、私は“じーしょっく”隠匿罪寸前なんですよ!?これだけの危機になぜ大賢者は“じーしょっく”とやらを使わないのかー!ってね。あれは時間が分かるだけの道具なんですよね?そんなので私にどうしろって言うんです?」
まぁ確かにその通りかもしれない。
アルヴィンに渡しておいた腕時計はすでに俺に戻ってきているし、ただの時計では使者誘拐は解決のしようもない。
「わ、悪かったって・・・。とにかく表の奴らの対応だ。作戦通り行くぞ。文人だけじゃなく武人が出てきて俺召喚を願い出るまで引っ張るんだ。なにがなんでもな。」
アルヴィンは一度扉の方を見やり、ため息をついてから俺に古紙を押し付けて最後の仕上げをするために表の人々を迎え入れに行った。
アルヴィンが扉を開けてやると、外の人々がほとんど雪崩れるように入って来た。そして一人の例外もなく強く訴える表情でアルヴィンに異界の勇者再召喚と“じーしょっく”始動を口々に叫び始めた。
ほとんどアルヴィンにすがりついている奴もいる。
俺はというとアルヴィンの苦労に若干哀れみを覚えたが、ソファにゆったり腰掛けて、焦りまくったアルヴィンがGショックは使者誘拐解決に役立つ種類の道具ではないと必死に説明しているのを聞いていた。
説明が一段落したあたりで、またまた来訪者があった。
懐から女の子がよく使ってるようなカバーがついた四角い小さな鏡を出して、それを使ってどんな奴が来たのかとそっと窺ったが、なんとあのダリルだった。
彼を囲んで喧々囂々非難していた文官たちに引っ張られるようにしてここまで来たらしい。
かなり不本意そうで、でもこれしか方法がなくてなんとも弱ったというその顔がたいそう面白かったので、俺としては荷物のところまで走っていってケータイを出してきて、写真の一つもとってやりたいほどだった。
鏡越しに奴を見ていると、ダリルは取り囲まれた文官たちを割ってアルヴィンへ近づき、そして急に真剣な表情になりアルヴィンに深々と頭を下げた。
そして、再び姿勢を正して真っ直ぐにアルヴィンを見、悔恨の言葉を述べるため口を開きかける。
そろそろだ。これ以上やらせて、完全にプライドをぶち折ってはならない。
「おい!」
俺は鏡を懐に戻して、ソファから立ち上がった。
しかしあくまで振り返らない。
まだカツラとコンタクトを装用しているので、誰一人俺だとは分からないはずだが。しかしちょっとした演出のために、右目のカラーコンタクトだけは外して保存液の入った容器に入れてある。目がゴロゴロしてなんか変だが今は我慢。
それまでの無関心から一点、突然割り込んできた“アルヴィンの従兄弟の親戚の叔父さんの息子の友達”(通称・赤の他人)に、アルヴィンを含め全員の視線が注がれる。
「事態は急を要する。文官武官で争ってる場合じゃないし、もっと冷静になることが必要だ。異界人だからって何でもかんでもできるわけはない。一人で全て上手く片付けられる生き物なんて、そうそういないからな。必要なのは、協力すること。同郷人だろうが異郷人だろうが、そんなことは関係無い。目的はなんだ?・・・サンダツへの参加だろう。王をファリアに据えることだろう。なら、方法で揉めるのはただの馬鹿だ。文人は知恵を絞り、武人は実働で文人のサポートをする。基本は互いの信頼だろう?」
突然介入してきた茶髪の弱卒に分かりきったことを言われ、それを失念していた己を省みたらしい人々は水を打ったように静かだった。
「なのになんだ?ここにいるのはほとんどが施政担当ばかり。頭が働いていても身体が動かなければ何の意味もない。そうだろ?」
俺はまだ、アルヴィンたちのほうを左肩越しに振り返っただけで完全に向き直ってはいなかった。
背後からは、ごく小さくはあるが賛同の声が上がり始めていた。
自分で仕掛けたとは言え、離間の計は結構上手くいっていたようだ。
しかし賛同の声と同時に、反論も出てきた。
「あんたの言うことはもっともだが、現実に我々の頭だけではどうしようもない事態が起こってしまったんだ・・・確かに今までは軍務についている者たちと互いにあまり協力的とは言い難かったが・・・。それでも、ここに来て軍の奴らと協力したからといって事態が良くなるわけでもないだろう」
半身だけ振り返って発言者を確認すると、空のような青の髪をしたアルヴィンと同年代か少し上くらいの若い文官だった。
「そうだな。確かにその通り。でも、だからといって異界人が100%難問の答えを知ってるわけでもない。これくらいは十分理解してるだろ?」
振り返らないままで言ったが、相手の視線は痛いほど感じた。
「ああ。その通りだ。異界人が全てを解決してくれるわけではないことくらい十分承知している。だが、ここでこうしているよりは有益な事実を知っている可能性があることも否定できない。私も色々考えたが、有効な考えが浮かばなかった。異界人がダメなら別の手を考えればいい。消去法を使って手探りで解決法を探るしかないんだ・・・。我々の王を世界の王にするために、できることは何でもするつもりでいる」
言葉の終わりを、今度は唯一の武人、ダリルが引き継いで続ける。
「俺もそうだ。王を・・・ファリアにするためには・・・使者を見つけ出せるならなんだってしよう。あの異界人に頭を下げることも、たとえあいつが解法を知らなくとも、喜んでしよう。俺がこんな事態を招いたも同然なんだ…あいつが、もしももう少しここにいれば、事態は全く違った方向へ進んでいたかもしれない…その可能性を、俺が潰したんだ・・・」
彼の声が酷く悔いた声色だったので、そろそろ振り返って俺が誰であるか示してやってもいいと思った。
まだ俺に対する過大評価が見えるような気もしたが、それは後々きちんと解消していけばいいだろう。
俺は目を閉じてゆっくりと振り返り、目を開けてからカツラを取った。
あらかじめ左目だけコンタクトを外しておいたので、左右で目の色が違っている。黒髪に右だけ黒目、左は茶色の目の俺は、事前に鏡で確認したがかなり不気味に見えるだろう。
振り返った俺に、誰も何も言わなかった。
ただ、ほとんど全員の視線が左右で色の違う俺の目に注がれているのが分かり、俺は口の端を釣り上げて笑みをつくって見せた。
「いやぁ悪い悪い。アルヴィンに助けてくれーって泣きつかれて、すでにこっちにいたんだ。」
つとめて軽い口調で言うと、やっと場に満ちていた緊張感が氷解するのが分かった。
「で、俺とアルヴィンの知恵を結集して、さらに実働部隊のレグルスの絶え間ない努力の結果、すでに使者の居場所は掴んであります。これこそ文武一体の知性と機動力、ってな。」
言ってアルヴィンに合図をすると、彼は俺の傍まで来てテーブルに古地図を広げた。
例の使者が捕らわれている要塞の内部図だ。
それを見ると全員がテーブルの周りに押し合うように詰めかけ、一気に俺の回りのゆとり空間が消滅した。
アルヴィンが真剣な眼差しで俺の推理とそれを裏付けるレグルスの調査結果を説明し始めると、俺はそっと人垣から抜け出して左目のコンタクトも外した。
誰にも見られない、が至上命令だ。
目の色が変わった秘密はペラペラの色がついた膜を虹彩部分に貼り付けてただけでした、ではありがたみも何もあったもんじゃない。
「さて、大体この茶番劇の経緯はご理解いただけたことと思う。」
アルヴィンの説明が終わると、俺はベッドに腰掛けて放り出したままになっていた催涙スプレーを弄びつつ、再び声を上げて注目を集めた。
振り返った面々はいつの間にか黒に戻った左目を気にしているようだが、構わず言葉を続ける。
「大事なのはここからだ。使者の居場所が分かっても、無事に取り戻せなければ意味は無い。殺されることはないとは思うが、それでも正面から何の策もなしに行けば、例えば使者が業務を遂行するのを妨げられるよう、怪我でもさせられる危険性がある。現時点では誘拐犯たちは俺たちが使者の居所を掴んだことを知らない。だから、何が起こるか分からない危険を冒してまで使者を傷つけたりはしていないはずだ。ここまで言えば分かるよな?
この使者誘拐事件を円満に解決しようと思うなら、文官が知恵を出して要塞の攻略作戦を立て、武官がそれに100%応えて使者を取り返す。これが最善だ。」
言って一渡り部屋にいる全員を見回すと、それぞれがやるべきことを与えられたしっかりした目で頷きを返してきた。
これならば大丈夫だろう。
あとはのんびり見学でもしれいればいい。ここまでは俺の分野だったが、戦術やら作戦やら実戦やらはどう考えても俺の専門外。ならば門外漢が口出しせずに手馴れた者たちに任せてしまった方がよほどいい。
話がまとまると、文官たちは早速要塞の場所を記した地図と、その内部の地図を重ねて見始め、唯一の武人は颯爽とした足取りで部屋を去った。
どうやら実働部隊のほかの軍部の者たちに声をかけに行ったようだ。
ダリルが部屋を出て行くのを視線で追うと、ドアのところで壁にもたれて面白そうに成り行きを見ていた、燃えるような赤毛の男と目が合った。
いつの間に入ってきたのかは知らないが、レグルスは楽しそうに俺を見てにやりと笑ってみせた。
士気を高め、一体感を出すためのくだらない演説を聴かれていたと思うとなんとも言えず恥ずかしくなる。
俺が視線を逸らすと、レグルスの方は気にする風でもなく近寄ってきた。
「なかなかの演説だったな。それはそうとアームズメーカーが酷く腹を立てていたぞ。魔導器を置いたまま主人が帰ってしまったとな。」
やっぱりからかわれた。なんか恥ずかしかったので、務めてぶっきらぼうな口調で返事を返す。
「そんなこと言われたって仕方ないだろ。ここの奴らに俺は必要ないって言われたんだから。」
「拗ねるな。とにかく事態はお前の思惑以上に好転している。どの道魔導器は必要なものだから、今から取りに行くぞ。」
言ってさっと身を翻しかかったレグルスに、俺は制止の声を投げる。
「ちょっと待った!行くってアームズメーカーのとこにか!?」
半身だけ振り返ったレグルスが、さも当然という表情で答える。
「それはそうだろう。お前の魔導器があるのはアームズメーカーの工房だ。アームズメーカーはお前がここに来ている事を知らないのだから、こちらから取りに行くしかあるまい。」
さらりと言われてしまい、俺はコンタクトを外してしまったことを後悔した。
その工房とやらがどこにあるのかは知らないが、城内にはそんなもんはないだろう。というと、街へ出る可能性が高くなる。
まさか黒目黒髪の異界人仕様のまま出歩くわけにはいかない。
俺の考えを表情から読んだのか、レグルスが戻ってきて言った。
「フードのついたマントでも被って行けば問題はない。どうせここにいてもすることはないだろう。ならさっさと行くぞ。」
そこまで言われれば仕方がないし、実際ここにいてもすることなんてないのだから、俺はレグルスに従って部屋を出た。
途中で他所の部屋へ寄り、レグルスからフードのついたマントを受け取って被り、そのまま初めて城壁の外へ出る。
そこに広がっていた景色は、これまで見たどんな場所よりも美しいものだった。
青みの強い石が敷かれた石畳の道と、白い壁の建物。
建物の屋根は陶器を焼いたときに出る青のような、不思議な、でもとても美しい濃い藍色の瓦のようなもので覆われ、白い壁によく映える。
家々の窓辺やテラスには花が植わったプランターが置かれ、そこから零れるほど見たこともない花々が咲き乱れている。
一定間隔を置いて通りに立つのは青緑色の細長い棒で、まるで魔術師の杖のような優美な装飾が施されたその先端に、ランプのようなものが吊るされている。今は昼間だから分からないが、夜になればきっとあれに灯が灯り、街灯の役割を果たすのだろう。
目の前を赤茶色の被毛の猫――猫と断言はできないが、それっぽい動物だ――が通りすぎ、路肩に並んだ鉢植えの陰へと消える。
通りには人々も沢山いて、茶色や緑の髪が目立ち、赤や青もちらほらと見受けられた。街を行く誰もが生き生きとした表情をしており、それぞれの仕事を抱えてそれぞれの目的地へと向かっていく。
風が吹いてきてフードを持っていかれそうになり、慌てて手で押さえるとレグルスがもういいだろうという表情でこちらを見ているのに気づき、俺は軽く頷き返した。
彼が先に立って歩き始めると、遅れないようについて行くので精一杯だった。
なにせ、初めて見る風景の連続である。
あちこち気を取られているとすぐにレグルスの背中が遠くなってしまい、慌てて追いかけるという行為を何度か繰り返すうち、俺はふと、すぐ目の前をゆらゆら左右に動くレグルスの尻尾に悪魔的な魅力を感じた。
尻尾を掴ませてもらえれば、とりあえずはぐれる危険性はなくなる。
あとは、多少なりとも“猫と同じように突然尻尾掴んだら、ぼわっと太くなるのかな?”という知的好奇心もあったことは否めない。
金色の美しい細工物の輪――普通腕とかにつけるものだ。腕なら腕輪だが、尻尾なので尻尾輪??――がはまったライオンと同じ色の尻尾に手を伸ばしかけて、掴む直前で内なる理性さんから緊急停止命令。
よくよく考えるまでもなく、猫みたいに尻尾がぼわっと膨らむのを確認する前に、レグルスのおっそろしいデヴァインによって首と胴体が永劫の別れをするのは目に見えている。
流石に命は惜しいので、この案は一時保留。
しかし、一度気になり始めるともうだめだ。
今度は周りの風景そっちのけで尻尾に気を取られ、ふかふかの尻尾が左右に揺れるのを注視してしまう。
ぼわっと膨らむのなら、是非ともそれを見てみたい。
だが、命は惜しい。
ならレグルスに頼んで触らせてもらえよという話だが、本人に意思確認して触ったのではぼわっと膨らむ様は見られないだろう。
仕方がないので、十分な距離をとって手だけを限界まで伸ばし、レグルスと等速で歩いて距離が開きも縮まりもしないように保つ。
振り向きざまの一撃になるだろうから、デヴァインの長さと間合いを目測で計って、後方確認。
幸いにも道がそこそこ広いため、少々走る程度なら平気そうだ。
あとは、後方に歩行者がいなくなるのを待つだけだ。
しばらく行くと通行人が途切れ、計画実行に最適の条件が整った。
後方に走って逃げるつもりなので、後ろに人がいられると都合が悪いのだ。
俺は人差し指だけ突き出した右手をそっと前にやり、ふわふわ揺れる尻尾の先端をつついた。
そして即座に後ろへ飛び退る。
だが、意外にも振り向きざまの一撃は襲っては来なかった。
レグルスはただ立ち止まって鬱陶しそうにこちらを振り返り、「なんだ?」と一言言っただけだった。
尻尾も勿論膨らまない。・・・つまらん。
「いや。突然しっぽ触ったらぼわって膨らむのかなって思って・・・。意外と膨らまなかった・・・」
素直に動機を話したものの、レグルスはあまり関心を持たなかったようだ。
ちょっと呆れた顔をしただけで、またさっさと歩き始めてしまう。
つついてダメなら掴むしかない。
しかしここでまた理性さんからイエローカードが提示される。
レグルスほどの戦士なら、背後でこそこそやっていればこちらは不意打ちのつもりでも、レグルスにとっては予想の範囲内、全くその効果はないという理性さんのありがたい忠告に従って、今回は諦めることにした。
それからは真面目に歩いて、中心街から外向きに進み、やがては街外れまでやって来た。
街全体が巨大な城壁で囲まれているらしかったが、各所にある門は開きっぱなしだった。
そんな門の一つまで来たところで、どうするのかと思うとレグルスはさっさと門を出てしまい、俺も慌てて後を追った。
まさかアームズメーカーの工房が街の外にあろうとは思いもよらず、かなり驚いたが、城がちょうど真西に見える森の中にそれはあった。
この森はちょうど視力検査に使われる、一箇所だけ途切れた所がある円と同じ形をしているらしく、城壁に沿うように街をぐるりと取り囲んでいた。
つまり、レグルスに簡単に説明してもらったところによると、王城と正対する一番大きな城壁門があるところだけ森が途切れ、後はぐるっと街を囲んでいるようだ。王城の裏手の森は結構広いらしいが、それ以外の場所は少し歩くとすぐに木々が途切れて、農耕地が広がっているということも教えてもらった。
そしてここは、王城との位置関係を考えても分かる通り、割と森が深い場所だった。
工房というとどうしても石造りのがっしりした建物で、煙突とかあってもくもく煙が出ていて、中はカマドとかそういう武器を鍛えるのに必要なものがゴロゴロあるというのが素人のイメージする典型だが、実際のアームズメーカーの工房は小屋としか呼べないものだった。
それなりに大きいが、所詮小屋レベルを打破できるほどではない。
しかも木製で、一見すると街で見た一般家屋の方がよほど立派に見える。
そんな事を考えていると木戸が内側から開き、木製のバケツを肩に担いだ女が現れた。
鋼色の髪に、炎のような赤い瞳。男と見まごうような、飾り気のない服装。
アームズメーカーだ。
「おや、珍しいこともあったもんだ。グルガの旦那がアタシに用かい?」
すぐにこちらに気づいたアームズメーカーは、バケツを下ろしもせずに近づいてきた。
「いや、私はただの道案内。用があるのはこっちだ」
答えたレグルスにぐいっと前に押し出され、フードを取ろうか取るまいかしばし逡巡している間に、アームズメーカーは俺を検分して、まぁ中に入んなと言った。
そして自身はバケツを肩に引っ掛けたまま、小屋の裏手へと消える。
「あっちに井戸がある。さっさと中へ入るぞ」
視線でアームズメーカーを追っていた俺にそう言って、レグルスはさっさと中へ入ってしまった。
仕方がないのでそれに続き、一応お邪魔しますと一声かけてから中に入る。
中は結構広く、部屋の中央に素材むき出しの木のテーブルがでんと据えられ、後は回りに調理場・・・といおうか、台所といおうか、むしろいっそ武器を鍛える鍛錬場といおうか、そんな設備が乱雑にあるだけだった。
オマケに部屋中に金槌とかそんなもんが散らばり、とても女性が暮らしている家とは思えなかった。
レグルスがテーブルに着いたので、俺もなんとなくその隣に腰掛ける。
フードをどうするかは、まだ思案中。
どの道俺だとバレずに済むはずはないのだが、アームズメーカーの気性から言って、魔導器放置でさっさと帰った俺にお咎めがないはずがない。
一発くらいはぶん殴られそうなものだ。
せめてその一発はそこらに転がってる金槌使用とかではなく、素手であってほしいものだが・・・
そんな事を漠然と考えていると、戻ってきたアームズメーカーがバケツに汲んで来た水を、俺の世界でいうところのヤカンに当たるだろうと思われるものに移し、それをカマドにかけた。
そして戸棚から紅茶だかなんだか、それっぽい茶葉が入った容器を取り出し、カップも器用に三つ持ってきてテーブルに並べる。
さっきちらりと見えたが、なんだって食器棚に小ぶりな金槌が入ってるんだろう・・・あの金槌はいつの日か食器棚を占領し、食器と政権交代することを目論んでいるんだろうか?
まぁどうでもいいことだが。
部屋は沈黙が落ち、誰も何もしゃべろうとはしなかった。
いまだフードを被りっぱなしの俺にも、アームズメーカーは何も言わない。
レグルスに至っては目を閉じ腕を組み、完全に己とこの空間を切り離してしまっている。つまり、救助隊は来ない、ということだろう。
多分俺一人だけ居心地が悪い沈黙は、カマドのヤカンがしゅんしゅん言い始めるまで続いた。
お湯が沸くとアームズメーカーは無言で立って行ってそれを持って来て、ポットに適量移してから茶葉を投入した。
そして、茶葉だけをこし取って紅茶っぽい飲み物を淹れてくれた。
沈黙が耳に痛かったので、俺はフードを取ることにした。
多分殴られるだろうが、状況は進み始めるはずだ。
「・・・とりあえずごめんなさい」
本能的に謝ってから、俺は勇気を出してフードを取っ払った。
アームズメーカーは呆れたような表情で俺を見て、口を開いたが何も言わずにため息をつき、そして奥の部屋へと消えた。
しばらく逃げようか止めようか迷っていると、戻ってきた彼女は布をぐるぐる巻きにした細長ーい何かを持っていた。
「帰ってきたのは知ってたよ。こいつが教えてくれたからね」
言ってアームズメーカーは細長い棒状のものをぐるんと一回転させる。
巻き付けられた布が風を含み、ふぉう…という柔らかい音がして、再び棒が地面に対して垂直になると彼女は前触れなくそれを俺に投げてよこした。
慌てて受け取ると、やはり中には棒状のものが入っているようだった。
持ってみた感じは軽く、アルミ製の鉄パイプ(矛盾)でも入っているかのようだった。
「アンタの魔導器だ。主人が消えて腹を立ててたが、すぐに戻ってきたから許してやるって言ってたよ。」
俺が疑念を込めた目で見ると、アームズメーカーがわずかに笑いながら答えた。魔導器はモノで、自由意志はないのだから、つまりはアームズメーカーが俺を許してくれるという意味で理解してもいいのだろう。
とりあえず殴られずに済んだようだ。
「見てみたらどうだ。」
それまで無関心を決め込んでいたレグルスが瞳を開けて、包みの開封を促す。
アームズメーカーも唇にわずかな笑みを含ませて、軽く頷きを寄越す。
再び手の中の細長い包みに視線を落として、俺はそっと巻き付けられた布を取り除く作業にかかった。
俺の最高にして唯一の武器。
一体どんなものなのか、自然と鼓動が早くなっていく。
長さは俺の身長よりも少し短い程度で、つまりはかなり長い。
布地の上からでも中味が細いのが分かり、握ってみるとちょうど手に馴染む太さだ。
大体、バットの柄か剣道に使う竹刀の握り部分か、それとも前述の鉄パイプ程度の握りやすいサイズ。
こんなに長いのだから多分剣ではない。
槍が一番形状的に近い。
嫌でも期待が高まり、ドキドキしながら布を取り去ると、出てきたものは……………
「なんじゃこりゃ!!!ただの棒!!?」
思わず叫んでしまうほど、“それ”はただの棒だった。
よく見るときれいな六角形ではあるが、刃物の類は一切ついていない。
どこからどう見ようとも、やたら長細い六角柱が一番正しい形容詞だ。
長いのを除けば、それこそRPGで主人公が最初のほうに持っているヒノキの棒だとか、そこらの棒切れだとか、そんなレベルである。
盾の代わりの相棒には鍋のフタが究極似合うあの棒。もうちょっと攻撃力のある棍棒とか銅の剣を買うまでの間つなぎとして使われる、あの棒だ。
アレよりもマシな点と言えば長いのと、軽いが一応金属製であるということ。
・・・こんなのが唯一にして最高の武器って・・・どうよ?