表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/31

07.再び異世界いきなり窮地

翌日、俺は当分のあいだ縁遠くなる学生としての一日を送った。

ごく平凡に朝は母さんにたたき起こされて、眠い目をこすりつつ学校まで朝練がてらのランニング。

学校へつけば友達とふざけあって、かったるい終業式とホームルームが待っている。

友達からかかる数々の“楽しい夏休みの計画”へのお誘いを上手くかわし、付き合い悪いなとか彼女でもできたのかとか、冷やかされながらもなんとか切り抜ける。まさか明日からちょっと異世界行って、百年のサンダツとやらに参加すんだようらやましいだろコノヤロウなんて言えないし、何を言われてもひたすら我慢と愛想笑い。

大勢の友人たちとの友情を情け容赦なくぶっ壊し、散々ひんしゅくを買いまくってなんとか最後の授業が終了。

部活へはさらっと顔を出して、ここでもやっぱり合宿キャンセルによる非難の嵐を轟々浴びて、新部長の癖に〜などとののしられ――どうやら俺の知らないうちに、ナニモノカの陰謀により俺が陸上部の新部長という生贄に選ばれたらしい――誰が新部長など引き受けるかと反撃なども交えつつ、早々に退散してきた次第だ。

家に帰ったのは夕方にもならない頃で、つまりは善良な一般市民の家庭でおやつなどが楽しまれる時間帯である。

自分の部屋へ戻った俺は、ベッドに軽い鞄を投げ出し、すぐに着替えにかかった。そして、ふと制服を脱ぐ手を止めた。

考えれば、再びこうしてこの制服を着られるとも限らない身の上である。

制服をかけるために開けたクローゼットの姿見に映った自分は、やっぱりいつもの黒目黒髪、ちょっと気だるげな表情の普通のガキである。

なんとはなしに、ベッドに腰掛けて制服姿の自分を見ていると、不意にどうしようもない想いに襲われた。

無事に帰ってこられる保障なんてどこにもない。

怪我するかもしれないし、最悪生きては戻れない。

体験したこともない、そしてこれからも多分体験しないで済んだであろう“戦場”へ。

そんなところへ行こうとしている。

実感のなかった夢のような曖昧なものが、目の前の鏡に映った“リアル”の裏側から、突然その大きくて黒い巨体を現したような。

多分、それは“不安”と呼ばれる感情。

多分、それは“恐怖”と名づけられた奔流。

退屈だったこの現実せかいが、どんなものよりも美しい極彩色の楽園に見えてしまい、甘えられる家族の姿をこの目で見て、その声を聞いてしまったから、内側で眠っていた黒い獣が目覚めたのだろう。

鏡を見ると、そこに映っていたのは今にも泣き出しそうな顔の子供だった。

自分で自分が嫌になるくらい弱々しい顔で、俺を見つめ返してくる。

「くそっ!!」

一人きりの部屋で、俺はどうにもならない想いを抱え、しばらくベッドに座ったままでいた。

三十分はゆうにそうしていだだろうか。

いつまでもそうしていても、状況は何一つ良くも悪くもならないし、俺はため息をついて立ち上がると、よし!と声に出して気持ちを無理やりにでも入れ替え、制服を脱いでジーンズとTシャツに着替えた。

そして鞄の中から財布を出して尻ポケットに押し込むと明日からの異世界に備えた買出しに出かけるため部屋を出た。


必要なものを買い込んで帰ってくると、憂鬱な気分はいくらか軽減されていた。そのままの勢いで合宿用に新調した大きなスポーツバッグに着替えや荷物を押し込んで、異世界旅行の準備を整えてしまうと、家族と夕食をとった。

そして明日の召喚に備えて早めに風呂に入り、当分帰れないこちらの世界最後の夜をさっさとベッドに入って終えた。

翌朝目が覚めるとまだ8時だった。

今日から夏休みである。

いつもならば楽しい計画満載・鬼のような宿題山積の大型連休なのだが、今年はそういうわけにもいかず、夏休み初日だというのに、俺のテンションは低かった。

今夏のただひとつにして最大のイベントといえば、きな臭い異世界への旅行である。

今年もやっぱりたっぷりと宿題が課されており、野暮だなと思いつつも宿題持ちで異世界旅行の予定だ。

帰ってこれるかどうかも分からないのだが、無事帰れたとしても夏休みはほとんど終わっている計算になる。

それなのにそのわずかの休みを宿題に忙殺されるなんて悲しすぎる。

アルヴィンがなんと言おうと、レグルスにいやな顔をされようと、宿題だけはあっちで完遂が俺の目標だった。

さすがに先生に「異世界行ってちょっと困ってる人たち助けるボランティアするので、宿題免除にしてください」なんて言えない。

言ったとしても斬新かつぶっ飛んだそんな理由では、冗談としか思われないだろうが。

俺は起きだすとジーンズとシャツに着替えて、朝食を摂りに降りた。あともう二時間ほどで約束の時間になってしまうので、それまでにできる限り人気のないところへ移動していなければならない。

さすがに公衆の面前でこの世界から消えうせるのは遠慮したい。

兄貴はもう起きていて、コーヒー片手に新聞を読んでいた。

食卓には母さんがすでに朝食を用意してくれており、座って食べ始めると台所から母さんが包みを持って現れた。

「お弁当入れておいたから持っていきなさい。容器は使い捨てのやつだから、食べたら捨てちゃいなさいよ。」

手にした包みを俺にくれながら、母さんはいつも通りに笑った。

「うん。ありがとう。ご飯食べてちょっとしたら出るから。」

答えて受け取り、脇へと置いておく。

それからさっさと朝食をかきこむと、後ろ髪を引かれるような郷愁に襲われる前にさっさと家を出ることにした。

もちろん、俺だってできるなら平和にこっちで夏休みを迎えたいのだ。

でも、行くと決めた。

なら、さっさと家を出るのが得策だろう。変な風にセンチメンタルになるのなんて、俺には究極に似合わない。

俺は使った食器を洗って片付けると、自分の部屋へ戻って昨日のうちにあれこれ詰め込んでおいた大きなスポーツバック一つと、通学に使っているリュックを背負って帽子をかぶり、一度部屋を見渡してからそこから出た。

階下に下りて、家族に別れを告げる。

と言っても俺としてはまた帰ってくる気なので、いつも通りの“行ってきます”に様々な感情を詰め込んで、外からはそうとは知れないように言っただけだが。

「気をつけて行くのよ。それから、連絡は忘れないでね?」

母さんが玄関まで送ってくれ、俺はたまに通学に使っている自転車にまたがってうなずいた。

胸の奥から、昨日からずっと戦っているあの黒い獣が前進してきたが、なんとか元の位置まで押し戻す。

「行ってきます」

再び口にしたその言葉は、一度目よりも自然で、でももっと色々な感情がこもっていた。

「行ってらっしゃい」

笑顔で送り出してくれる母さんにかすかな笑顔を返し、二階から兄貴が「気をつけろよ!土産はいらんから!」なんて冗談交じりで、その実真摯に俺を心配する声をかけてくれたのに手を振りながら、振り返らずに自転車を漕ぎ出した。

運命は、坂道に差し掛かったボールみたいに転がり始めてしまったのだ。

もう、戻れない。

煮え切らない気持ちを抱えて行くのは嫌だった。

俺は、自転車で家から離れ始めたそのときから、家族のことは考えないでただ前だけを、これから行く異世界のことだけを考え始めていた。

とりあえず、ひとけのない場所へいかなければならない。

見当はあらかじめつけてあり、そこまではどんなにトロトロ行こうとも三十分程度の距離だった。

がしかし、ここへ来てとんでもないことが起こってしまったのだ。

家から少し離れた交差点を渡り、車を避けるため公園へ――あの公園だ――入ったとたん、俺はあの、懐かしい感覚に襲われた。

意識が闇に呑み込まれるような、強制的に体から魂をひっぺがされるような、それとも眠りに落ちる瞬間のような。

もちろん抵抗などできるはずもなく、犬の散歩の人やら、朝早くから遊んでいる子供たちやらがいる中で、俺は意識を失った。



「なんつー事をしてくれたんだコノヤロウっ!!」

次に意識が戻ったときには、俺はすでに俺の世界から切り離されてしまっていた。あの魔方陣の部屋である。

がばっと身を起こすと、とりあえず自転車や荷物を床に投げ出したままにしておいて、ちょっと面食らった顔をしているアルヴィンへと詰め寄る。

Gパンのポケットからケータイを出して確認するまでもなく、約束の十時まではまだかなり間があるはずだ。

家を出たのが九時過ぎだったからだ。公園まではほんの5分の距離だし、ひとけのない場所まで確実に行けるように用心して早めに家を出たのだ。

それなのに、それなのにアルヴィンのおかげで結構人がいる公園で、白昼堂々と人体消失マジックを演じてしまったというわけだ。

もしも、あそこに俺を知っている近所の人だとかがいたりすれば、考えるだに恐ろしいことが現在進行形で起こっている可能性も十分にある。

「だ、ダイチさん、落ち着いてくださいっ!約束の時間よりも早く召喚したことはお詫びしますからっ!!こっちも今ちょっと大変なことが起こってまして、あなたの知恵をお借りしたいなと思ったんですよ!一刻の猶予もなかったんですっ!」

「うるせー!お前のおかげで俺はっ!神隠しだとかUFOに攫われただとか変な噂が立ってたらどうすんだよ!!?帰れねぇだろうがっ!よしんばノコノコ帰ったところで、親は心配してるわマスコミが騒いでるわなんて洒落になんねぇよ!俺のクリーンな世間体を返せっ!大体からしてお前らの困ったことがなんでも俺に解決できると思うなよ!俺の知恵がなんぼのもんじゃい!こっちの世界で役立つと思ってたら大きな間違いだぞ!さぁ!さっさとさっきの失敗をなかったことにしろっ!」

「うううっ!苦しいですよダイチさん!首絞めないでくださいっ!死にますからマジでっ!!」

無意識のうちに、俺はアルヴィンにヘッドロックをかけてギリギリ締め上げていた。彼の顔色が冗談ではなく白くなっていたので、とりあえず自制心でもって手を緩め、呼吸ができるようにしてやる。

もしも彼に死なれたら、自分の世界に帰れなくなるかもしれないのだ。

「戻ってきて早々にぎやかなことだな…。それにいきなり大賢者を落とそうとするとは…元気が有り余っているようだ。」

木の扉が開かれて、赤毛のグルガ族が入ってくる。――レグルスだ。

「有り余ってねぇよ!むしろ今猛烈にヘコんでるとこだ!こいつのせいで俺は公衆の面前でぱっと消えうせるなんて破廉恥なことをしちまったんだよ!!しかも家の近所でだ!もしも知ってる奴に見られてたら、どんなことになってるのか想像するのも恐ろしいよっ!!」

「どうでもいいが、またアルヴィンの顔色が白くなっているぞ。腕の力を抜け。」

言われてふと気づいたが、あまりの事態に我を忘れ、再びアルヴィンの首を締め上げていた。ちょっと本気で危ない顔色になっていたので、慌てて腕を解いてやる。

アルヴィンは俺の手から逃れると、ごほごほと咳き込んだ。

どうやら我知らずかなり強烈な力で締め上げていたようである。

「…で、困った事態ってなんだ?今の俺の状況よりも困ったことじゃなかったら、許さないからな。辺り一帯を異界文明の利器で焦土にしてから帰ってやる!!」

床から拾い、肩に担いだスポーツバックをバンバン叩きながら脅すように言ってやると、酸欠から復活したアルヴィンの顔色が、再び青白くなる。

本当は最低限の着替えやら宿題やらしか入っていないのだが。

「……簒奪の始まりを告げる使者が消息を絶った。どうやら、妨害をしている者たちがいるようだ。」

アルヴィンに代わって、レグルスが静かな声で告げる。

「ふうん。」

それがどう困ったのかよく分からなかったので、とりあえず険悪な表情のままで生返事をしてやる。

するとアルヴィンが早速説明に乗り出した。

「これは大変なことなんですよ!?これまで一度だってそんなことはなかったんですから!使者というのは、ファリアを巡る戦い、百年戦争が行われる神の領土、聖地ラースに住むラースびとで、各国に簒奪の始まりを告げるためラースより使わされるんです。この使者たちはそれぞれの国に全く同日に到着し、各国で儀式をします。神聖な儀式で王を清め、ファリア候補としての資格が与えられるのです。この儀式で大体3〜5日ほどかかりまして、それが終われば簒奪が始まるんですが、使者が消息を絶ってしまった今、私たちには簒奪がいつ始まるのか全く分からないんです。それに、使者に清めてもらって初めて王にファリア候補の資格が与えられるわけですから、その使者がこなければ王はファリア候補の資格を貰えず、つまりは簒奪への参加権が完全に剥奪されることになるんです!!」

使者の役目は大体理解できて、使者が来ないことがどれくらい大変なのかも分かったが、一つだけ理解できないことがあった。

「だからって俺がどうにかできると思うのか?」

その理解できないことを口に出して聞いてみると、アルヴィンは真顔で答えた。

「なにかいい知恵はありませんか!?」

「知るかっ!普通はどこで消息を絶ったか、前後に何があったかを調べるだろうが!そんなことくらい誰にでも思いつくから、当然もうやってるんだろ!?」

「ええ…。腕利きの宮仕えの戦士や、頭脳労働担当の文人なんかが何組か消息を探っています…」

アルヴィンががっかりしたように肩を落として言う。

もしかして、こいつ本気で俺ならなんとかできると思っていたのだろうか?

「じゃあ後は果報は寝て待てだ。つーわけで話を蒸し返すけど、俺の世界でやらかした失態を償ってもらおうか。」

我ながらちょっとしつこいかもしれないとは思ったが、この問題は俺の未来がかかった大切な問題なのだ。

こっちの人も大変かもしれないが、それに振り回されてあっちでの正式な俺の人生がかき回されるのはちょっと受け入れられない。

「・・・すみません。でもきっと大丈夫ですよ多分・・・」

肩を落とし、座り込んだ床から立とうともせずにアルヴィンはうつむき加減で言った。

どうやら俺が問題解決に何の役にも立たないと知って、かなりがっくり来たようだ。こっちだってそんなやたらと頼りにされても困るという話だが、帰る前に色々と向こうの知識をひけらかしたのが悪かったのかもしれない。

実力未知数のブラックホースに賭けて大負けした、というところだろうか。

「多分って・・・なぁ、落ち込んでるとこ悪いけど、俺の問題も結構シビアなんスけど?公衆の面前でぱっと消えうせたんだぞ!?俺の世界じゃそれはかなり、もう信じられないくらい異常なことなの。分かる?」

「はぁ・・・ですからきっと大丈夫ですよ。なんとかなりますって・・・。召喚呪文が対象に影響を及ぼし始めると、対象をその時空と切り離して召喚される時空との緩衝地帯に一時置くわけです。よって、召喚魔法が作動した瞬間から対象は自分の世界とのつながりが薄くなって、そこにいても周りからはいないも同然なんですよ・・・」

アルヴィンはとりあえず答えてはくれたものの、いつものようになんとか俺に分からせようと平易な言葉を使う努力すら放棄してしまっている。

説明と言うより、理論展開を順序だって話された感じで基礎のできていないこっちとしては小気味いいほど意味不明だった。

「・・・分かったから。分かったから元気出せよ!そんなにヘコむな!明日はきっといいことあるさ!!生きてるだけで丸儲けって言葉聞いたことないか?ほら、使者が最後に目撃なりなんなりされたところってどこなんだ?俺だってドイルやクリスティーくらい読んだことあるし、こうなりゃ迷探偵でもなんでもやってやるから!」

とりあえずアルヴィンをなんとかしないことには状況は進まないと思い、俺はまたもや安請け合いをしてしまった。

もちろん推理だなんだなんてのは全くできない凡人である。

戸口のところで見ていたレグルスには“迷探偵”のニュアンスがきっちりと翻訳されて伝わったらしく、ちょっと呆れたような目でこっちを見ているのが感じられる。

だが、この際小さなことには構っていられない。どの道俺はもうこっちに来てしまったのだし、ならばなにもしないでうだうだしているよりは何か始めるほうが生産的ではないか。

「・・・そう・・・ですね・・・。こんなところで最低限の情報しかあなたに与えていない状態でいい案を出せというのは無茶ですもんね…。じゃあ、下の私の部屋へ行きましょうか。あっちなら地図なんかもありますし、なによりもう少し落ち着けるでしょうから」

なんとかアルヴィンが立ち上がってくれて、戸口で立ったままだったレグルスを先頭に部屋を出た。

またややこしい道を延々歩いて、(と言っても10分もかからないが…)アルヴィンの部屋へつくとそこは前来た時とあまり変わっていなかった。

適度に乱雑で、それでも落ち着いた雰囲気である。

部屋の中央の卓には大きな地図と、走り書きがたくさんある紙が散らばっていた。

俺とレグルスが卓を中心に思い思いの場所に腰掛けると、アルヴィンはあの不思議な味がするお茶が入ったポットとカップを三つ持ってきてくれた。

そして、カップに順番にお茶を注いでまわり、その一つを俺に手渡してくれる。

「で、非常に根本的な問題なんだけど、どれがこの国?」

卓のほぼ半分を占める大きな地図を覗き込みながら、カップ片手に聞くとレグルスが“難儀なことだな”とでも言いたげな表情でこっちを見てきた。

「仕方ないだろ!俺はあっちの人なんだから!こっちのことは知りません!!気に入らないなら即刻実家へ帰らせていただきますからねっ!!」

カップをテーブルに戻してばっと立ち上がってやると、レグルスは眉間に皺を寄せてさも嫌そうな顔をした。

「妙な風に曲解するな。別にお前がここのことを知らないからと言って責めるつもりはない。ただ難儀なことだと思っただけだ」

・・・どうやらレグルスはアルヴィンとは違って乗ってきてはくれないタイプらしい。ノリツッコミを期待していた俺としては、ネタの収拾がつかずちょっと微妙な事態だ。

いきなりノリツッコミは高度すぎただろうか?

こうなれば、ここにいる期間でみっちりとボケツッコミの精神を叩き込んでやろう。

「まぁまぁ、説明を始めますから座ってください」

アルヴィンにとりなされ、俺は仕方なく腰掛けた。

そしてカップを再び手に取る。

「えっと、まずここがわが国セレーナ。右がラドキアで左がメドヴィアですね。」

「うん。確かラドキアがグルガの国、と。で、その隣がミルネーレだっけ?なんかそんな名前だったよな。」

うろ覚えのその名を吐き出すと、アルヴィンはうなずいた。

「その通りです。ミルネーレは樹人・・・アントンたちの国です。その隣がドグラシオル帝国。六カ国中一番悪評が多いのがここで、ここの王がファリアになった時代は必ずと言っていいほど戦争が起こっています。」

「ふうん。じゃあ犯人はそのドグラなんとかじゃない?」

定説通りと言えばあまりにも定説通りなのだが、悪い人が悪いことを思いついて、悪いと知りつつ喜んでやるのは世界共通の常識ではあるまいか。

「・・・それのどこが推理なのか、お聞きしてもいいですか?」

段々と俺との付き合い方ってものが分かってきたらしいアルヴィンが、あまり期待しない目で問い返してきた。

「知ってるか?帝国主義ってのは、自分のとこが良ければそれで良しっていう豪気かつ自己中心的な国の政治的嗜好なんだぜ?弱者や、俺はこの言葉が嫌いなんだけど、いわゆる後進国をいたぶったり侵略するのをなんとも思ってない国の名札代わりってこと。まぁ帝国主義を論じるにあたり、その狭義的な意味からいけば資本主義の独占段階にも帝国主義に通じるところがあるんだけど、それは各自で勉強しなさい。」

「え・・・はい・・・。で、あの、帝国主義だと悪いことするってことがおっしゃりたいんですよね?でも・・・だから使者をかどわかすというのは安直すぎませんか?」

ちッ!理論派のアルヴィンに頭で勝てるとは思えんから、さっきの仕返しも込めて難しい言葉で煙に巻いてやろうと思ったのだが・・・奴もなかなかやりおるな。

さすがは大賢者なんぞと偉そうな称号を持ってるだけのことはある。

「もういいから!さっさと俺の推理の地固めに必要な他所の国の情報をくれよ!あ、その前に、かなり根本的疑問なんだけど、使者が国へ入ったらすぐに迎えの者を出したらいいんじゃないのか?そしたらこんな厄介なことにはならないだろ?」

話をはぐらかすついでに、疑問も解消させておこうと思い、俺は追加質問した。

しかしアルヴィンの答えは融通のきかないものだった。

「いえ、それはできません。使者は他の国へ使わされた者たちとも交信しながら、同時期に城へ着くように調整して来ているんです。ですから迎えを出すことはできませんし、使者もそれを拒否します。なぜ今まで他所の国の使者に危害を加えて参加国を減らそうという人が出てこなかったかと言えば、たとえよその国の使者でも、危害を加えるとその時点で簒奪への参加資格が剥奪されるんです。」

「ということは、使者は今でも生きている、と。これは前提条件だな。誘拐するのはいいが、殺したら自分のとこが簒奪に参加できなくなるってことだよな。それなら本末転倒だ。じゃ、その条件で推理開始だ。」

話を上手くはぐらかして、どうにか本筋に戻すことでアルヴィンの気を逸らすことができ、さきほどの直感と第六感とお約束のみに基づいた迷推理についてはとりあえず保留になった。

「ああ・・・えっと、ドグラシオル帝国で話は止まってましたよね。ドグラシオルの隣がウェルスト王国です。うちとは国交もあって、割と友好的な関係を結んでます。ここはまずシロでしょうね。」

アルヴィンの指が示した国を見ながら、俺はふうんと再び相槌を打った。

「で、メドヴィアってどんな国なんだ?この国の隣なんだろ?」

ウェルストとセレーナの間にある、いまだよく分からない国について質問するとアルヴィンが解説を始めた。

「この国は混合種族の国ですね。私たちのような種族や、カッツェさんがたグルガの民。それに樹人アントンやリグテールの民なんかもたくさんいます。一応王制なんですけど、王様よりも法律のほうが強い国ですね。ちょっと毛色の変わった国ではありますが、進んで他国の邪魔をしそうな国ではありませんね・・・。ただ、混合種族であるゆえに、国内で派閥のようなものができているらしいんですよね。表立っては現れてないようですが、愛国心の強いサガの民なんかだと使者の誘拐くらいするかもしれません。」

「ダークホースってやつだな。・・・さてと、そろそろ俺の灰色でもない脳細胞をフル活用するときがきたようだな。・・・まず、各国の検証から始めていこうじゃないか、ワトソン君。」

俺は気取ってそういいながら、最初に地図上のセレーナを指した。

「この国だが、狂言を働いているという可能性はどうだね?」

「いえ、ありえませんから。そんなことして一体なんの得があるんです?」

アルヴィンが怪訝な、そして若干疲れた顔で聞いてくるが、折角の雰囲気が壊されるのは不愉快なので無視。

「まぁ狂言説は冗談だよワトソン君。君らのような高級官僚・・・もとい廷臣の中でも特に位の高い二人が窮しているのを目の当たりにしているのだから、狂言の可能性は多くても二割程度だろう。」

「だから狂言じゃないですって!」

「いいや。可能性はあるぞ。たとえば、だ。お前とレグルスは異界からの心の広い救世主、すなわち俺問題で今現在、非常に微妙な立場に立たされているはずだ。文官はひよこ豆の陰謀で大体こちらの味方につけたが、武官のほうは野放しだ。最後の仕上げがまだだからな。

で、武官の中でもちょっと戦略とかそんなんを考えるやつが考えるんだ。“使者を誘拐して、秘密裏に王を清めさせ、アルヴィン・クロス・リベイラとレグルス・シェン・カッツェ両名を排斥した状態で簒奪を始められれば、異界の者の力など要らないことが証明できる”ってな。」

俺の言葉に、アルヴィンは反論しかけたがその可能性も十分あることは分かっていたのだろう。結局はなにも言わなかった。

「ま、それはあっちへ置いとこう。で、グルガのラドキアなんだけど、これもシロだ。」

レグルスが当然だ、という風にうなずく。

アルヴィンは一応理由を説明してくれと視線で要求し、俺は鷹揚に頷いてそれに答えてやる。

「理由は単純。使者なんか誘拐したら、彼らの楽しみにしてる強豪との戦いの場がなくなるからだ。グルガからしてみると誰も参加しない簒奪に行っても、面白くもなんともないだろう。」

アルヴィンが納得と同意を表すうなずきを返してきたので、次へととりかかる。

「次にミルネーレだが、最初にアルヴィンが言ってたよな?ここの種族は超長生きだって。」

「ええ。アントンは500歳を超えて一人前、というらしいですから。長寿なんてもんじゃないですよ。」

アルヴィンの補足に、俺は満足げにうなずき返した。

「という事は、だ。わざわざ危険を犯して使者をさらうよりは普通に簒奪に参加して、ダメだったら次を待てばいい。最悪、この国にファリアを取られるのはちょっとな〜と思う国があれば、そこの足を引っ張るだけでも十分だろう。長寿である彼らの時間的な感覚は俺たちとはかなりかけ離れてるはずだ。彼らからすれば、百年に一回の簒奪なんてちょっとぼんやりしてたらすぐ来るイベントだろう。だから、足を引っ張るって言っても誘拐なんて手の込んだことをしなくてもいいんだ。よっていくらうちの王が子供で、ファリアになれば統治期間が長いとは言え、さっきも言った通り簒奪が始まってからでも邪魔できるし、アントンだっけ?そいつらにしたら100年くらい昼寝でもしてればすぐだ。」

「確かにそうかもしれませんね。アントンたちは基本的にのんびり屋が多いですから。急ぐってことを知らない種族で、待ち合わせに1時間や2時間遅れても文句一つ言わないそうですよ。・・・ちなみに、彼らのほうがそれよりさらに遅れてくる確率はもっと高いらしいんですけど。」

「アルヴィンの豆知識も出たとこで次行こう。ドグラは本命だからパスだ。で、ウェルスト王国なんだけど、これはアルヴィンが太鼓判を押したよな。シロだって。だからまぁ正直どうでもいい。で、メドヴィアだ。

これは俺にも測りきれんな。混合民族国家ってだけで、すでに国家としての意思がバラバラだろう。王様だって生き物だ。自分と同じ種族にはやっぱりちょっといい目を見せてやりたいだろうし、そうなれば同じ国内の他種族から反発を買う。でも、王と同じ種族たちからは強く支持されていることもあるだろう。そういう奴らの中にはねっかえりがいて、王のために使者を誘拐しちゃおうとか考えないという保障はない。」

「そうですね。それはありえます。――追加情報としては・・・さっきもちょっと言いましたが、メドヴィアは六か国中でも特異な法治国家なんですよ。ダイチさんがおっしゃったとおり、王が自分と同じ種族にだけ特別の恩恵を与えないようにね。この国には議会だかなんだかがあって、各種族からそれぞれ二名ずつ代表を出しているそうですよ。そして、議会での決定は王をも揺るがすんです。これも一応頭の隅にでも置いておいてくださいね。」

アルヴィンの追加情報をしっかりと頭に刻んでから、俺は最後の難敵へと侵攻を開始した。

十中八九、この国が今回の使者誘拐騒動の黒幕だろう。

「最後になったが、本命のドグラシオル帝国だ。奴らはアルヴィンの話を鵜呑みにする限り、統治者レベルの人間にちょっとワルが多いようだ。ということは、使者の誘拐くらい平気でやっちゃうってことだ。でも・・・もしかしたら犯人の本拠地へ乗り込まずにさっさと解決できるかもしれないぞ。・・・なんか今までの検証が全部無駄って感じだけど、まぁ思いついちゃったもんは仕方ない。」

地図を見ながら言うと、アルヴィンもレグルスもこちらへ身を乗り出してきた。

「それは犯人を確定しないでも使者を取り返せるってことですか!?」

アルヴィンが真剣そのものの眼差しで言ってきて、俺は若干たじろいだ。

まだ俺の考えが正しいとは決まっていないし、なにより俺が考える程度のことはすでにアルヴィンや他の頭のいい奴によって実行されている可能性が高い。

「いや・・・まぁな。ちょっと考えれば分かることだけどさ・・・。使者がさらわれたのってこの国に入るか入らないかのあたりだったんだろ?」

「ラースからうちの領土へ入ったという情報は掴んでいます。ラースびとはちょっと特殊な外見をしていますから、間違いという可能性は少ないでしょう。」

「ふむ。じゃあ、アルヴィンにレグルス、あんたら二人は今から他所の国の使者を誘拐します。まず、一番にすることは?」

この問いかけに、アルヴィンが先んじて答える。

「えっと…使者の足取りを掴みます。」

まずまずのその答えに、俺は若干渋い顔をしてみせる。

「甘いな。そんなんじゃ一流の人攫いになれねぇぞ。」

「いや、別にそんな職業とも言えないようなものの、しかも一流になろうとは思いませんけど・・・」

アルヴィンのツッコミはなかなかいいが、この場合は黙殺でもって応える。

「ターゲットの足取りを掴むのは大事なことだけど、それ以前にしとくことがある。もっと全体を見る目を養うんだ!一流の人攫いにはそれなりの頭脳も要求されるんだぞ!さぁ悪人になれ!つまらん良心は全廃棄、でも常に理性さんを傍らに!!」

俺のヒントに、今度はレグルスが口を開いた。

「まずは潜伏。これは狩の基本だ。そして、アルが言ったように獲物の動向を探る。最後は獲物の隙を見て襲う。」

「ビンゴっ!!悪事に対して良心の呵責すらない凍れる理性さんと全体的な状況を見る鷹の目、それに肉食獣の狡猾さ!!一流の人攫いへの第一ステップクリアだ!!」

ぽんと手を打って言ってやると、レグルスは再びたいそう嫌そうな顔をした。

「潜伏ですか・・・なるほど。確かに、他所の国の使者をさらうなら、必然的にその国にいなければならない事になりますね。そして・・・私にも読めてきましたよ、ダイチさん。さらわれた使者はまだこの国にいるかもしれない!!」

さらにヒントが与えられ、アルヴィンが俺の考えへとついに到達する。

「その意気だアルヴィン!!悪事に関しては回転率5倍、冴え渡る氷の頭脳!人質をモノとして見るケダモノハート!嫌いな言葉は正義・愛・友情!!好きな言葉は営利誘拐!!!一流人攫いへの第二ステップクリアだ!!」

レグルスと同じく俺の褒め言葉にもあまり嬉しそうな顔をせずに、はははと苦笑してアルヴィンが俺の考えと自分の考えとの答え合わせを始める。

「つまり、どこの国かは知りませんが使者を誘拐するためにわが国に人をやって、潜伏させていた。そして、時期が来て潜伏した人間は首尾よく使者を誘拐した。でも使者を本国まで運ぶとなるとひと手間かかります。国境で見咎められる可能性もありますし、そんな危険を犯すくらいなら潜伏していた場所なり別に用意した場所なりに使者を監禁するほうが遥かに得策。ということは、まだ使者はこの国にいるかもしれない!!」

「その通り!!つーわけでアルヴィン、使者が消えた辺りの詳しい地図を。レグルスはすぐに国境を妖しい馬車だとかそんなもんが通らなかったか調査!でも多分リスクの面から考えても、使者はまだ国内のどこかに監禁されてるだろう。国境はそれを証明する作業だから、ほどほどに切り上げて戻ってくれ。」

俺が言うとすぐ、レグルスは一度うなずいたきりものも言わずに立ち上がって足早に出て行った。

よく考えてみれば単純で当たり前のことなのだが、アルヴィンたちにとっては使者が誘拐されるなんて初めてのことだったのだから、分からなかったのも無理はない。

俺の世界では、それこそテレビドラマの中ではすでに使い古されて擦り切れたような灯台下暗し的トリックなのだが・・・。

「ダイチさん、これが付近の詳細な地図です。印をしている地点が、使者が最後に目撃されたところです。」

アルヴィンがテーブルの上をひっくり返して紙切れを引っ張り出し、世界地図の上にセレーナ王国の地図を広げる。

「空き家とか廃村とか、地下壕みたいなもんはあるか?」

「普段人の近寄らないところなら、今は使われていない隣国を監視する要塞なんかも対象に入れていいですね。あとは洞窟、昔の砦、猟師小屋などもこういった用途に使われるかもしれません。この候補地の中でも水が確保できて、できれば街か村もほどほどの距離に一つはあるところが理想でしょう。でも小さな村だとよそ者が入り込むと目立つので、人の出入りがある中規模以上の都市が理想ですね。それからいざという時の逃走経路ももちろん確保してあるでしょうから、この条件を当てはめて消去法で行けばかなり絞り込めますよ!」

アルヴィンが俺の上げた候補にさらに付け足していく。

さすがは大賢者だ。俺なんかよりも想定範囲が広いし、見方、考え方の方向性さえ示してやれば俺など足元にも及ばないほど先を読む。

俺はというと、この使者誘拐事件を利用してやろうという悪魔的な考えがひらめいたので、監禁場所の絞込みは土地勘のあるアルヴィンに完全に一任し、そっちのほうに灰色でもないこの脳細胞をフル活用することにした。

こと悪巧みに関しては、この俺だって使者を誘拐したどこかの誰かさんに勝るとも劣らないのかもしれない。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ