30. Lost in a labyrinth
闇色の入り口にたじろぐ俺をよそに、先頭に立ったシンラは何の気負いもなく隣の家でも訪問するかのようにさっさと歩を進め、闇の中に消える。
そのすぐ後をローウェンが追い、あまりにも無造作すぎるシンラの代わりに全方向に対して注意を払っている。
アルヴィンが次に続き、てっきり俺たちは最後尾だと思っていたのだが、ラフェルのオッサンが唇に太い笑みを乗せて先に行けと促してきたのでそれに従い、アルヴィンに続いた。
入り口は暗く小さなものだったが、入ると中は巨大なホールになっていた。
壁に一定間隔で紫色の炎が灯った松明のようなものがあり、明るいんだか暗いんだか分からない光を撒き散らしている。
とにかく視界に不自由を感じるほどには暗くはないが、しかし全部をはっきりと見渡せるほど明るくもない。
塔を外側から見た時覚悟していたほど広くはなかったのが多少の救いだった。
なんだかちょっとお化け屋敷を彷彿とさせるような、ほの暗い明るさだ。
内壁は外壁と同じく黒い石のようなものでできており、継ぎ目がないためまるで濃い闇のように見える。
丸い形のホールの中心に、次の階へと伸びる階段が魔物の舌のように俺たちのほうへ舌先を伸ばしていた。
想像していたような、いきなりモンスターがどーん!という事態は起こらなかったが、怖いモンは怖い。ああ、怖いとも。男の子だろーがなんだろーが怖いんですよこの手の雰囲気ってやつは。
全員が入ってくるまでローウェンが引き止めておいてくれたらしいシンラが、面倒くさそうに俺たちのほうを振り返って、口もきかずにそのまますたすたと階段へ歩いていく。
あ、シンラは男の子っつーよりケモノに近いから、こういうお化け屋敷っぽい雰囲気は怖がりません、って注釈入れといたほうがいいのかなこれ?
シンラがそのまま階段をのぼって行くのに合わせ、ローウェンも背負った普通の弓とは別の、組み立て式らしい短弓を出して同じく短い矢を同じ手に持ち、そろそろとその後を追って行く。
アルヴィンは一度俺たちを確認してからローウェンの背を追い、俺は一瞬隣のじいちゃんと後ろのラフェルシアを見た後、何か起こったときすぐに逃げられるように靴紐の確認をした。
そしてしゃがんだついでにふと思いつき、しゃがんだままじいちゃんに声をかけた。
「あの、良かったら背負ってくよ。えっとその、これは俺の都合って言うか、俺が提案した手前じいちゃんに怪我とかさせられないし、逃げるのだけは得意なんだ。だから、背中にいてくれたら後先気にせず逃げられると言うか…なんか情けないけど、でもここに一緒に入れただけマシだと思ってくれると…ありがたいな」
じいちゃんは俺を見て、少し戸惑ったあと後ろを振り返り、ラフェルシアがうなずくとすまんねと一言謝ってから俺の背に素直に負われてくれた。
背中に背負っていたバックパックはあらかじめお腹の側に回しておく。普通に背負ったときはお腹の前で止めるホルダーを、背中の側でしっかり止めてあるので、走り回っても邪魔で仕方がないというほどでもない。
見た目なんか色々間抜けな感じだが、まぁいいでしょう。
カッコつけて死んだら元も子もないし。
俺はリレーバトンサイズだった棒を握って少し伸ばし、じいちゃんが棒に座れる形にして両手でそれぞれの端を持つと、足に力を入れて立ち上がった。
もちろん筋力強化の影響なのだろうが、もともと老人の体があまり肉付きがよくなかったのも相まって、たいした負荷は感じなかった。
それからもう一度ラフェルのおっさんに目で確認し、先に階段をのぼって行ったアルヴィンたちを追いかけた。
二階は一階とは全く趣を異にしていた。
階段を上がるとほんの少しスペースがあり、そこから一本だけ廊下が伸びている。
例によって要所に松明はあるものの、その周囲を見るのに不自由がない程度で、完全に先を見通すことはできない。
つやつやした漆黒の壁は距離感を混乱させ、壁に手をついていないとじわじわ平衡感覚まで奪われそうだった。
「どうやらこの階は迷路になっているようですね。」
通路の先を覗き込みながらアルヴィンが言うと、シンラが心底面倒くさそうな顔をした。
確かに荒事には向いるシンラだけど、頭使わせたら俺よりアレかもしれない。
「僕が地図をつけながら進むよ。そうすれば最悪出口に戻る道だけは見失わずに済むから。」
ローウェンが短弓の弦を腕に通して固定し、矢を矢筒に戻して代わりに紙束と羽ペンを取り出し、腰に下げた携帯用のランプに火を入れた。
そして同じく腰につけた小さな鞄のようなものの蓋を開け、中に入っていたインク壷の蓋をひねったのを見て、俺はふと思いついて待ったをかけた。
「ちょ、待って。俺もっと便利なの持ってるから。」
片手で棒とじいちゃんの体を支えつつ、空いた右手で前のバックパックのチャックを開けて中を探り、中からボールペンを引っ張り出すとローウェンに渡す。
なんか俺っていうより俺の世界の文明が主に役に立ってる気がするが、それ言っちゃうと悲しくなるので忘れておこう。
「これ。インクとかつけなくても当分は使えるペンだから。」
ローウェンは不思議そうに俺の渡した何の変哲もないボールペンをしばらく眺め回したあと、試し書きをしてからにこりと笑った。
「インクをつけてないのに書き続けられるなんて、とても便利な道具だね。ありがとう。使わせてもらうよ」
現在地を書き込んだローウェンは、すでに待ち疲れていらっしゃるシンラに目で謝ってからもう一度背嚢を探り、何かが入った袋を取り出すと、それをベルトと上着の間に挟んでしっかりと紐で結び、固定した。
袋の大きさは大人の手のひらくらいのもので、何かが一杯に詰まっている。
ローウェンが短刀でそれに小さな穴を開けると、そこから木の実がいくつか転がり落ちた。
彼の意図は俺には全く読めなかったが、アルヴィンは一瞬で合点がいったらしく、何か口の中で低くぶつぶつ言ってから、壁に指を置き、走らせ始めた。
何かの呪文の効果が現れ、アルヴィンの指の軌跡が青白く輝く文字となって壁に刻まれていく。
当然、言葉は通じてても文字までは読めない俺には理解不能だ。
「もしも危なくなれば、この木の実をたどって下まで先に戻れるからな。焦らず、まず足元を確認することだ」
俺が全く理解していないのを分かった上で、ラフェルのおっさんが後ろからローウェンの行動を説明してくれる。
ということは、アルヴィンが壁に残しているのはさしずめレグルスへの手紙ということだろう。
たどって戻れるということは、逆もまた然り。これをたどればレグルスも俺たちに合流できるということだ。
「あの、ありがとうローウェン」
絶対に俺のことも考えてくれたに違いないローウェンにお礼を言うと、彼はまたにこりと笑って今度は首を否定の形に振った。
きっと絶対この木の実は食べられるものに違いない。それをわざわざ俺のために使ってくれたのだから、お礼くらいちゃんと言っておかねば。
ここは塔の中だし、多分木の実をばら撒いたままにしておいても小鳥さんとかに食べられたりはしないだろう。
ヘンゼルとグレーテルにはならずにすむということだ。
「おい、そろそろいいかよ」
待てない子シンラが俺たちの入念な準備が終わるのを待ちかね、イライラと声をかけてくる。
つーかこの人、こんな薄暗いところでちゃんと目見えてるんだろうか。
鳥目とかじゃないんだろうか。
「ああ、済みません。もう終わりましたから。シンラさん、ローウェンさんはマッピングに注意力を割かれますので、十分注意してくださいね」
アルヴィンがせっかく心配兼アドバイスしてくれたというのに、シンラはふんと鼻を鳴らすと普段どおりの足取りで迷路に足を踏み入れた。
俺はペンと一緒にバックパックから出したペンライトをすぐに出せるポケットに移動させると、ラフェルのおっさんを見上げた。
おっさんはシンラのほうを見やって一度肩をすくめ、俺に進めと身振りで示した。
シンラの後をローウェンとアルヴィンが並ぶように続き、その後を俺、最後尾をおっさんが進む。
通路は大人二人が横並びになると多少の余裕が残るのみで、あまり広くて快適とは言い難い。
最初は一本道だったが、しばらく行くと三叉路が現れた。
フォークのようになっていて、真ん中の道はまっすぐ一本のように見え、丁度アルファベットのEのような、少しカクカクした造りだ。
どれも同じ幅で、同じように先は闇に呑まれている。
先頭のシンラは一度ぐるりと三つに分かれた道を見渡して、賭けてもいいが絶対絶対何も考えずに真ん中の道を選ぶと、無造作に歩を再開した。
アルヴィンが真ん中の道に入るときに壁を指でなぞり、矢印を残す。
シンラの選択に特に異は唱えないようだ。
案外野生の勘とかで行っちゃう方がさっさと次の階へ上がる階段みつけられたりして。
廊下も壁も塔の外壁と同じ黒大理石のような素材だ。
狭い通路に俺たちの靴音とかすかな息遣いだけが満ちた。
ひんやりした空気と緊張のせいで、なんだか手足の感覚が希薄になってきているような気がする。
四方が黒で光源も乏しいためか、やっぱり平衡感覚がおかしくなりそうだ。
狭いにしても息苦しいほどではないが、四方の壁・床・天井が迫ってきているような錯覚すら覚え、なんだか閉所恐怖症でもないのにじりじりとしてくる。
しかしシンラの速度は一定で、それ以上は絶対に速くなりはしない。
彼なりに色々なものに注意を払いながら進んでるのかと思いきや、アルヴィンとローウェンの背中越しにかろうじて見える彼のほうから舌打ちが聞こえたかと思うと、石がぶつかるような鈍くて重い音が続き、シンラが突然背の翼を広げて通路に風が巻き起こった。
続いてアルヴィンが心配する声を上げる。
「ちょっと…!大丈夫ですか!?」
バサバサと何度か羽ばたきの音と前からの風を感じていると、シンラはそのまま通路の先の闇へ消えたらしく、だんだんと感じる風が弱まっていく。
夜盲症は適応されないのか、シンラは明りひとつ持っていないため、壁にかかった薄ぼんやりした紫色の松明だけではシンラの姿は完全に闇に呑まれて見えない。
「何?なに何ナニ?」
とにかく自分の身の安全の保障が欲しかったのですぐ前のローウェンにすり寄って聞いて見ると、彼は半身で俺を振り返って答えをくれた。
「どうやら落とし穴があるみたいだ。先頭がシンラ君でよかったよ」
と言うことは、さっきの石がぶつかったような音は落とし穴の蓋が開いて、どんなタイプの落とし穴なのかは知らないが、とにかくなんかそんな罠が作動した時の音らしい。
「シンラさん!私たちでもそちら側まで跳べそうですか?」
手にしたランタンで足元を照らして慎重に穴の淵まで行ったアルヴィンが、闇に声を投げる。
「無理じゃねぇ?結構でかいぞこの穴。天井も低いし、俺はお前ら全員一々抱えて飛ぶのなんざごめんだからな」
返事と共に闇が割れて、シンラが再びにょっと顔を出す。
しかも完全にこの道を諦めたらしく、さっさと飛んで帰って来たようだ。
いや、ホントに先頭が羽根付人間で良かったよ。
戻ってきたシンラは手でアルヴィンに下がるよう支持し、風と共に着地すると煩そうに顎をしゃくって俺とオッサンにもう一度来た道を戻るように促した。
仕方がないのでオッサンの影に隠れるようにして、また三叉路まで戻る。
アルヴィンが真ん中の道の矢印に×を付け、今度はまたしても絶対何も考えず、足の向くままシンラが左の通路に入っていったので、そこへ矢印をつけていた。
左の道は緩やかなのぼりになっており、このまま三階行けんじゃね?とちょっと期待できるほど何もない道をただ上って行くだけだった。
落とし穴の類は一切ない。
シンラが先行し、そのあとをアルヴィンとローウェンが並んで進み、そのあとを俺、オッサンの順で続く。
ローウェンは歩きながら器用に地図をつけていき、アルヴィンはところどころ壁に矢印を加え、ランタンでローウェンの手元を照らしている。
「あ、ダイチ君、そこに何かあるみたいだから足元気をつけて」
地図をつけながらローウェンが振り返り、平坦でつるつるした道の途中で俺に注意を投げる。
「ありがとう。わか……ったけど………あの………」
あれ、俺なにしちゃったのかな?
なんか今、足の下に嫌な感触がしたような気がするぞ?
気のせいかな…?
「ダイチ君…?」
俺に注意を投げてすぐまた前を向いていたローウェンと、隣のアルヴィンが俺の返事をいぶかしんで足を止め、振り返る。
「あの、なんかすんません。時すでに遅かったみたいで…」
俺の足の下には、ローウェンがわざわざ教えてくれたスイッチらしき物体が鎮座していた。
体重乗せちゃったから、なんかカチって言った気もするゾ☆
「お前らあぁあっ!!!!なにしやがったー!?」
俺たちを無視してさっさと先へ進んでいたはずのシンラが怒声と共に猛然とダッシュで戻ってきて、俺の心臓は少なくとも肺くらいの位置まで飛び上がった。
「すんませんすんませんすんませんっ!?俺の足がなんかやらかしたみたいでっ!」
反射的に謝ると、走りながらよくそんなに怒鳴れるなぁという声量でさらにシンラから追い討ちがかかる。
「お前かっ!!よけーな事ばっかしてんじゃねーー!!!回れ右して走れっ!」
シンラの後ろからはだんだんとなんか嫌な音が近づいてくる。
ごりごりと、重いものが転がってくるような。
石、いや、音からするともっと大きい岩石だろうか。
そのとき、全員がこの道が傾斜していた理由を悟った。それはもう嫌というほどに。
その言葉と音に弾かれたように全員が来た方向を向き、駆け出す。
俺はオッサンの横をどうにかすり抜けて先頭に躍り出、じいちゃんを担いで10分近く上り続けた道を1分半で駆け下りた。命かかると速いよ、俺は。
懐かしの三叉路に戻ってくると、すかさず一番右側の道へ入り、そっと様子を伺う。
これで誰かがミンチになったら俺の責任だ。
アルヴィンとかトロそうだから心配だったが、俺から遅れること3分と少し、オッサン、ローウェン、アルヴィン、シンラと一団になって駆け下りてきて、追いかけてきた通路一杯の円盤状の岩石が三叉路の壁と通路とを塞ぐようにぴったりと収まって動きを止める頃には、安全圏に非難して暴れまわる心臓と乱れた呼吸を整えていた。
左の通路は完全にふさがれてしまったので、残った道はカタカナのコの字型、ちなみに真ん中は落とし穴が開きっぱなしなので、とりあえず右の道を行くのが順当だろう。
「すんません。気づいた時には踏んでました。折角ローウェンが教えてくれたのに、ホントすんません」
ぜぇはぁやってる面々に素直にごめんなさいしたのだが、例によってシンラがしつこく絡んできた。
あのダッシュの後なので、さすがの彼も息が乱れ、俺一人ぴんぴんしてるのもちょっとは気に入らないのだろう。
「足元気ィつけろ馬鹿!おかげでこっちは挽肉寸前だってのによォ!なんで教えてもらっといて引っかかんだよ!お前は間抜けか!!」
「でもさ…シンラが気づいた時点で教えてくれてたら俺だってあんなスイッチ踏まなかったよ!多分だけど!でも踏まなかった気がする!!先頭歩くんだったら、怪しいものに気づいて避ける時に後ろに教えてくれてもいいだろ!」
シンラに馬鹿とか間抜けとか言われると、俺よりミジンコとかのほうが賢いんじゃないかと思えてきて情けないので、警告ぐらいしてくれと論旨をすり替えてみる。
実際、ここから先もあんな典型的で王道な罠が仕掛けてあるのだろうから、先に教えて貰えれば俺にだって回避できるだろう。
「…………。………知るか!」
俺の論旨すり替えには勿論気づかなかったシンラだが、返事の歯切れが悪かったのを俺は見逃さなかった。
絶対アレだ、気づいてなかったんだよあのスイッチに。
ただ運が良くてスイッチを避けて通って、後から来たローウェンはちゃんと気づいたんだけど俺に警告するのがちょっとだけ遅かったってことで、つまりはシンラが踏んでたかもしれない、と。
その決定的な事実に確かに気づいた俺だが、あえて言葉にはしなかった。
もしも言ったら今度は言葉じゃなくて暴力で返事がくるからな。
俺もそろそろシンラの飼い方…もとい扱い方が分かってきたってことだ。
俺たちが言い合いしている間に最後までへたりこんでいたアルヴィンもなんとか立ち上がり、罠スイッチの件で旗色が悪くなったシンラはそれから何も言わずにさっさと右の道へ入って行ってしまった。
「何かに気づいたらすぐに教えるから、ダイチ君は僕の5歩後ろをついて来てくれるかい?大賢者さんもダイチ君と並んで来てください。地図なら大丈夫。手元はなんとか見えるから」
明らかにさっきのシンラの不自然さから事実を類推したローウェンが、それには一切触れずに俺たちに気遣いを見せてくれ、ゆっくりとシンラの後をついて歩き始めた。
俺はアルヴィンと視線を交わすと、彼に言われたとおり少し距離をとって続いた。
アルヴィンがランタンで足元を照らしてくれたので、さっきよりずっと歩きやすい。
オッサンは俺たちの後ろにぴったりついて来て、ちょっと狭そうにしている。
思えばオッサンは小山のような大男だ。
二人は十分並んで歩ける通路だが、天井はそう高くないのでちょっと窮屈なのだろう。
それなのに走らせて申し訳なかった。反省。