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29.

「なぁシンラ、あの塔の上のほうってどうなってるんだろうな?ちょっと見てきてくれたりしない?」

彼を振り返ってから塔を見上げて言うと、シンラも一瞬気を逸らされたのか、釣られて視線を塔へ動かした。

背中にアルヴィンの感謝の視線を感じながら、言葉を継ぐ。

「上のほうにもしかして入口なんかあったりしないかな?まわりを一周した限りじゃ入口は一箇所だけだったんだけど、上が気になるというか、うん」

「入口なんざ一箇所ありゃ十分じゃねぇか。一つじゃ足りねぇのかよ?」

ない知恵絞った俺に対し、珍しくシンラからまっとうな意見が返ってくる。

ちっ、作戦失敗か…。確かにおっしゃるとおり、出入り口なんか一箇所で十分ですけどね。

他にシンラの気を逸らせておける話題と言えば…

ダメダメダメ、レグルスはダメ。

それは墓穴だ。しかもピラミッド並みに巨大な墓穴を掘ることになる。

次の手を考え始めたのもつかの間、俺は信じられない出来事に遭遇していた。

体が浮いたのだ。

いや、俺自身の力だけで浮いているわけでは勿論ない。

ばっさばっさ羽根を動かしたシンラが、俺の襟首を掴んで飛んでいるのだ。

いつぞやのデジャヴを感じずにはいられない。

俺の足は緑の地面を離れ、30センチほどのところでしばらく滞空したあと、一気に天を目指し駆け上り始めた。

「ちょ!!?なに!?ど、どうするのこれ!?」

「お前が上が見たいっつったんだろーが。」

頭上からの返事。

確かに言いましたけれども!!でも「見てきて」とは言ったけど、「見たいから連れてって」と言った覚えは微塵もありませんよ!?

「お空が近いんですけどっ!!俺地上の生き物ですよ!!?」

精一杯の抗議も、シンラは無視。

というかオブラートに包んだ言い方をしたので、果たして曖昧表現というものの存在を認識できないこの方に通じるかどうか。

黒い塔の表面をなめるようにぐんぐんと上空を目指す。

やがて俺の視界一杯を占めていた塔の黒が抜け、ぱっと青空と森の緑が視界を占める。

あ、と思った次の瞬間、俺は放り出されて塔のてっぺんにいた。

俺も大概だけど、この人も運輸業には絶望的に向いてない。

荷物を大切にしようっていう真心とかがまったく感じられないのだ。

「ううう…いてぇ…」

放り出された際にぶつけた肘をさすりさすり立ち上がると、隣にシンラが下りてくるのが風で分かった。

「残念ながら、お前が期待してたみたいなチートな抜け道はねぇな。」

かつんかつんと硬い音を立ててシンラが俺の横に並ぶ。

音の原因は彼の足にあるデヴァインで、それが塔の屋根とぶつかって硬質な響きをたてていた。

俺もこんこんとつま先で硬さを確認してみる。

石は石でも、ちょっとやそっとじゃ傷もつかない硬い石でできているようだ。

証拠に、鋭いデヴァインをつま先にくっつけたシンラが歩いた後には一つの傷もない。

金属ではないようだが、屋上に穴を開けていきなり最上階に降りるという手は使えそうにない。

まっ平らな屋根には、本当に何一つなかった。

ただ黒い平面があるばかりである。

俺はそろそろと歩いて端に近寄り、柵がないので万一の転落を考えて四つんばいになるとさらに端っこに近寄った。

そっと下を覗くと、はるかな緑の絨毯にぽつんと一群が見える。

アルヴィンたちの炊き出し基地だ。

実際、下から見上げるよりもこうして上から見下ろしたほうが遥かに高く感じられる。

森の木々も軒並みその天辺を見せているし、なだらかに広がる山の稜線から地平線までよりどりみどりの絶景が360度の大パノラマで広がっている。

不思議なことに、あれだけもわもわ立ち込めていた霧も、上から見れば全然それとは分からない。

自然現象では絶対こうはならないので、やっぱり精霊王の仕業ということだろう。

膝をついてみて分かったが、塔はぞっとするほど冷たかった。

普通黒は太陽光を集めやすいので、これだけの晴天だと鉄板なみとは言わずとももっと温度を持っていて然るべきだが、むしろひやりとしている。

俺の世界のそれとそう変わらない風景の中、俺はこれまでになく異世界を実感していた。

当たり前のことが当たり前でない。

俺は、俺の知る世界のどことも違う場所にいるのだ。

「なんだ?あの爺さん」

俺の脇に高さを恐れることなく立って、同じくひょいと下を覗き込んでいたシンラが眉根を寄せる。

俺は彼の声で初めて彼が側にいたことに気づき、ふと我に返ってシンラを見上げたあと、怪訝そうな表情の彼の視線を追った。

森と広場の境界に、ぽつんと一つ人影があった。

俺たちが来たのとは反対側の森の中から、今まさに出てきたところのようだった。

俺にはぽつんとした人影以外のなににも見えないが、シンラの性能のいい目はその人物が男性で、しかも年老いていることまで看破していた。

俺だって目は悪いほうじゃない。

むしろ、本は読まないしテレビゲームも目が悪くなるほどやりこんだりしないので、同年代のなかではいいほうだと思う。

人間の持つ性能的には標準かちょっといいほうの俺をして、単なる人影にしか見えなかったので、シンラの世界は一体どんな見え方をしているのか想像もできない。

人影はしばらく森と原っぱの境目でウロウロしたあと、意を決したようにゆっくりとアルヴィンたちのほうへ歩き始めていた。

そして、それを確認した瞬間、俺は再び鷲に捕らえられた子うさぎ状態になり、つかの間の空の散歩。

今度は上昇じゃなく下降だったので、行きよりももっと怖かった。

ずんずんと緑の地面が近寄ってきて、木々が現実的な大きさを取り戻す。

俺とシンラは、アルヴィンたちと謎の老人のちょうど中間地点に降り立った。

いや、正確には降り立ったのはシンラだけで、俺はまた四つ足で転がったと言ったほうが正しい。

またしても乱暴に放り出され、ぺちゃりと地面に四つんばいになった俺の横にシンラが舞い降り、老人に気づいていなかったアルヴィンたちの視線が初めてこちらに向くのが分かった。

さすがに地面に下りてくれば俺にもその人物がシンラが言ったとおりだと分かったが、恐るべきはやはり塔の上からアッサリとそれだけの情報を手に入れてみせた彼の視力だ。

老人は、70代から80代に見えた。

しかし、おじいちゃんと言って想像するような腰が曲がって角のとれた柔和な雰囲気のそれではない。

背筋はしゃんとしていたし、わずかに灰色がかった白髪の頭にもしっかり髪が残っており、色彩を欠いた老人の顔で唯一宝石のように鮮やかな色が残った暗緑色の目には峻厳な輝きが宿っていた。

おじいちゃんなどと気安く呼べる雰囲気ではない。

老人は一瞬俺たちの姿に目を瞠ったが、見た目どおりの確かな足取りで躊躇のない歩みを再開し、やがては俺たちの元へ達した。

「王城からこられた方だろうか」

深みがあるよく通る声で、いまだ地面に這ったままの俺ではなくシンラをまっすぐ見ながら、老人はそう言った。

シンラのほうが上背があるが、老人が放つどっしりとした揺ぎ無い存在感のようなものが、彼を実際よりも大きく見せているようだった。

「なんだよ爺さん、俺らが王城から来たんだったら、どうだってんだ?」

さすがと言うかなんと言うか、老人の放つ威厳のようなものにも頓着せず、シンラは真っ向から老人の視線を受け止めて返答をよこす。

老人はしばしシンラの目を見据えたあと、予想外の行動に出た。

深々と頭を下げたのだ。

これにはさすがのシンラも面食らったらしく、助けを求めるかのようにちらりと後ろを振り返ってからまた視線を前に戻した。

「な、なんだよ?何がしてぇんだよ爺さん!」

礼節とは無縁らしいシンラが気おされたように後ろに下がる。

彼のその様子はまるで十字架でも突きつけられた吸血鬼のようでちょっとおかしかったのだが、そんな考えなどおくびにも出さず、俺はそろそろと両手の土や草を払って立ち上がり、たじろぐシンラの横に並んだ。

「孫を―――救ってはもらえないでしょうか」

頭は深く下げたまま、それでもよく通る声で老人ははっきりとそう言った。

「お孫さん、ですか」

いつの間にか俺たちの側へ来ていたアルヴィンが、シンラに代わるように俺と彼の間を縫って老人と相対した。

「それだけでは事情が分かりかねるので、とりあえず火の側で落ち着いて話を聞かせて下さいますか?」

アルヴィンは拳で会話しない人種なので話がスムーズに進み、老人はアルヴィンにもう一度深く一礼すると彼について炊き出し基地へやってきた。

もちろん俺とシンラもぞろぞろとそのあとに続く。

腰を落ち着けた老人は、俺たち全員からの程度の差こそあれ一様に好奇に輝く視線を浴びても動じることなく、リーフから受取ったお茶に礼を言うと一口飲んで舌を湿らせ、語り始めた。



老人は、俺たちが入ってきたほうとは逆方向に森を抜けた先にある小さな村に、息子夫婦とその子らと住んでいるそうだ。

ことの始まりはさかのぼること3ヶ月前。

老人の孫娘、ラゼッタがある病気を発病したという。

それは突発的に起こる原因不明の病で、「セルケの眠り」と呼ばれる奇病だそうだ。

妹と一緒に森に…そう、この森に野いちごのような木の実を摘みに入り、ジャムにするためのその木の実を集めている最中に倒れ、そのまま眠り続けているのだという。

途中、病の名を聞いたアルヴィンの顔が歪むのを、俺は見逃せなかった。

他の面々もその名を聞いた瞬間表情が翳り、まったく知識のない俺にも絶望的な病なのだろうと察しをつけることができた。

ラゼッタは俺と同い年で、家族を助けてよく働くいい娘だったという。

それが突然。


しかし、それと今ここに老人がいるわけが結びつかず、俺は多分怪訝な顔をしていたのだろう。

俺の目を、まるで心のそこまで見透かすような深い深い緑の目で覗き込んで、老人は先を続けた。

「孫の病と、私が今ここにいること。繋がっておりませんか。私は、精霊王におすがりしに参ったのです。もはやそれ以外、ラゼッタを救う手立てはないでしょう。いや、100年に1度のこの期にラゼッタが患ったのは、天啓なのやも知れません。人の智が及ばぬ精霊の加護を得ることができれば、病はきっと治るでしょう。上手くすればセルケの眠り自体がもはや治らぬ病ではなくなるかもしれない……そう思えば、じっとしていられましょうか。」

それきり口を閉じた老人の周りに、ひそやかで重い沈黙が垂れる。

「つまり、あなたは僕らと一緒に塔に入って、精霊王に直接会いたいとお考えなんですね」

ローウェンが沈黙を割り、悲痛な表情に理解の色を浮かべてそっと老人の顔を覗き込むように問うた。

「できることならば。精霊王の塔への挑戦は、国の命運を決める大切なことだというのは重々承知しております。それでも、肉親への情は押さえきれませなんだ。私はあの子が不憫で……この老体が患ったのなら致し方ない。でも、あの子はまだ若い。まだまだこれからで――」

老人は言葉を切った。

いや、続けることができなかった。

年季を感じさせるゴツゴツと骨ばった手で目元を覆い、苦痛に耐えるように体を震わせる老人に、誰もかける言葉を持たなかった。

沈黙が落ち、火が爆ぜる音と風の渡る音だけがしばらく場を満たす。

やがて老人が落ち着きを取り戻し、悲しみを増した目を上げると、アルヴィンが静かに、しかし決然とした口調で彼に返事を告げた。

「……非常に残念ですが、あなたを塔へお連れするわけにはいきません。

あなたがおっしゃった通り、これは国の命運を左右します。それだけじゃない。この塔は危険でもあります。私たちでさえ生きて戻れるとも知れぬ場所に、あなたをお連れするわけにはいかないんです。どうか……分かっていただけませんか」

いつものアルヴィンとは思えぬほど、それはきっぱりとした否定の言葉だった。

老人が目を閉じ、再び顔をうつむける。

一縷の希望に縋っても、孫娘を助けたい一心でここまできたのだ。そして半ば予想していたにせよ、彼の願いは退けられた。

多分、アルヴィンは正しいのだろう。

確かに闇の精霊王というやつは他よりも一層頑迷なようだし、ここをクリアしなければ次に進めない大切な試練だ。

遊びではないし、結果如何では国のこの先にかかわることなのだろう。

全国民のために、アルヴィンの決断はきっと正しい。

でも、それでも俺は眼前の老人を見ていて納得できたわけではなかった。確かにこれは正しいことで、でも、それでも老人とその家族には絶望を与える結果であることには変わりない。

「……今すぐには無理ですが、可能な限り早く……そうですね、この塔を超えて、森を抜けてからになりますが、一度城と連絡を取って王都最高の医者の派遣を要請しましょう。これは約束です。そして、私に今できる精一杯のことです。」

俺よりはるかに良心があるアルヴィンも、やはりただ拒絶の言葉だけを返すには忍びなかったらしく、彼にできる最善の提示をしばしの間ののち付け足した。

でも確か、ナントカの眠りとやらは医者でもどうにもならない種類の病気だったはずだ。

焼け石に水としか思えないし、きっとしないよりはマシという程度なのだろう。

それでもその提案をするのは、ただ無理だと切り捨てられるほど彼が冷酷になりきれない証拠だ。たとえ何の解決にもならなくとも、なにかできるならしたいのだろう。

老人が顔を上げ、俺たちを睥睨した。

その目にあったのは絶望でも、憤怒でもなかった。

諦念。

全部を諦めて、静かに受け入れた者の目だった。

諦めきれるはずがない孫の命を、彼はこの瞬間救いがないことを受け入れて諦めたのだ。

それは、何度も不条理を受け入れてきた目に見えた。

他にどうしようもなくて、できるだけのことをしたけれど、やはりどうにもならなかった。だから、仕方がない。

そんな目だった。

納得するのではなく、ただ結果を知って諦めた目。

この国は今までに何度、そう短くはない人生のなかで彼にこの目をさせたのだろう。

いたたまれなくて、でも俺には何かできるほどの力もなくて。

これでいいのかと思ったが、でも解決策はない。

アルヴィンは正しいし、これ以上どうすることもできない。

俺は老人を見ていられなくなって視線を逸らし、塔を見上げた。

真っ黒な塔は太陽の光を取り込み、闇のように深かった。

あの塔のどこかから、闇の精霊王は今のこの景色を見下ろしているのだろうか。

人ではない、精霊の、しかも王と呼ばれる彼になら、このどうしようもない不条理をどうにかできるのだろうか。

姿の見えない精霊王に思いを馳せた時、俺はふと俺にもできそうなことがあることに気づいた。

「あのさ、ちょっと…いいかな?」

そろりと声を発すると、皆の視線が俺に集まる。

ただ老人だけが、諦念を含んだ瞳を動かすことはなかった。

「あの、俺考えたんだけど、あのさ、えっと、俺と一緒に最後尾からゆっくり行くってのでもダメかな?……その、じいちゃんも一緒に塔に入ってさ。」

慎重に言葉を発したが、それでも俺を囲む各人の視線は途端に険しくなり、顔を上げた老人が無駄な希望を持たせてくれるなとまるで非難するようにすら見える表情を俺に向ける。

「俺だって、最上階までなんて行けないかもしれないけど、そんなのは重々分かってるんだよ。これ以上無理だって思ったら引き返すか、皆が降りてくるまでそこで待ってるし、最上階まで行ければそれでいいし。なんか、アルヴィンの答えは正しいけど、でも間違ってる気がする。」

「正しいけど間違ってる?もっと理論的にしゃべってくれないかしら。それに、大賢者様はできることはすべてすると約束したわ。これ以上私たちにできることはない。」

アルヴィンより先にセルシェスが俺に反論し、俺はセルシェスを見てからもう一度一同を見渡した。

やっぱり、これが最善なのかという疑問は消しがたい。

「でもさ、このじいちゃんも、じいちゃんの家族もここの国民だ。だから、等しく幸せになる権利はある。それとも、王城から見て大体の国民が幸せそうだったらそれでいいのかな?それはいい国と言えるのかな?つまり、限られた一部の人たちだけで幸せを分け合って、その他は見えないふりをして、それで幸せな国だってことなのか?」

「詭弁だわ。論点をすり替えてる」

セルシェスの即座の反論にも、俺は動揺も焦りも感じなかった。

ただ、疑問が深くなっただけ。

「詭弁じゃないし、論点をすり替えてもないよ。あんたらが言ってるのは、大体の人を幸せにするには少しくらいの犠牲は仕方ないって事だ。違うとは言わせない。今ここで起きてることは、多分そういう質のことだから。」

「では一体どうすれば全員が納得して、犠牲を出さずに済むとおっしゃるんですか?そんな方法はありませんよ!どれだけ一生懸命に国を治めても、それでも取りこぼしてしまうものはある。だから常に大多数に対する最善を選び続けて、取りこぼすものを少しでも少なくするしかない。それが国です。それが国なんです。だから……だから…」

アルヴィンが俺の目を見ながら苦いものを飲み込むような、まるで彼自身すら無理に納得させるためにそうしているような歯がゆさを滲ませた口調で、言い聞かせるように言い、そして最後の言葉を言い淀んだ。

「マイノリティはどうなってもいい。」

彼が言えなかった言葉を、俺が継ぐ。

彼が言おうとしていた言葉よりももっともっと、ストレートな表現で。

アルヴィンは俺の言葉に目をみはり、否定をこめて大きく首を振った。

「違います!どうなってもいいなんてそんな…」

「でもお前やセルシェスの言葉は、俺には…そんで多分このじいちゃんにも、そんな風にしか聞こえないんだよ。」

言葉を結ぶと、沈黙が落ちた。

アルヴィンにもセルシェスにも、砂糖をかけた甘い言葉で俺の放ったストレートな言葉を飾り、隠す術はないようだ。

それまでただ黙って俺たちの間で交わされる会話を聞いていたローウェンが、そろりとアルヴィンやセルシェスの側から俺のほうへ移り、立ち位置をかえた事で俺側につくことを暗黙のうちに知らしめた。

彼の目は悲しそうに、弱者を見殺すことを否定できなかった二人を見つめている。

「なら一体、どうしろとおっしゃるんですか?私たちはできる限りのことをしたいんですよ。そう、たとえほとんど意味がないと分かっていても王城から医者を送ったり、可能性があることならどんな愚かなことでも。……ただ、ダイチさんのおっしゃるような事はできないんです。大多数の最善のために。私にこれ以上何ができますか?もしご存知なら教えてください。」

アルヴィンの口調に皮肉が混じる。

答えられない問いの答えを求めてごねる俺に対する皮肉だけでなく、自らの無力さを呪うように。

「多分、答えは簡単だ。アルヴィンが今まさに言ったように、できることをやればいい。ただし、最初からできないとみなして見捨てて、墓の用意をするんじゃない。人間は数じゃないし、人の数だけ意見があって、人の数だけそれぞれの困りごとがある。全体に対して一番いい選択肢を選んで、それからその恩恵を受けられない人に小さくてもいい、援助の手を差し伸べればいいだけだと思うんだ。諦めて捨てるのと、ほんの微力でも手を貸そうとするのには隔たりがある。とっても大きな隔たりがある。目の前の人が困ってたら、大多数の目から見た最善にのっとった解決策を示すんじゃなくて、自分たち個人として手伝える部分を手伝うって方法は絶対あると思うんだ。そういうのを国全体で共有できれば、今よりもっと幸せになれる人の数は増える。アルヴィンが最初に言ったのは諦めて捨てて墓穴を用意する方法だけど、でも、俺たちにはきっと他にもできることがある。俺がじいちゃんの側にずっと居るし、ダメだって思ったら置いて行ってくれればいい。その時はちゃんと従う。じいちゃんだって、塔に入れないよりは入っていけるところまで自力で行くほうが、一方的に押し付けられた結果よりはもっと納得できると思うんだ。」

何度目かの沈黙に、風だけが木々の音をさせて過ぎ去って行く。

黙考の後、アルヴィンが息をついた。

「分かりました。ただし、私たちには全くと言っていいほど余裕がありません。ですからおっしゃる通りダイチさんの案が最大の妥協点です。少しでも手に余ると思ったら、即座にそこでストップしていただきますからね。あなたも、あなたのお孫さんと同じく私たちが幸せで居てほしいと願っているこの国の民の一人なんですから」

アルヴィンの答えは俺ではなく老人に向けて発せられた。

老人はこれ以上ないくらいに深々と、俺たちに向かって頭を下げた。

あとはもう、運に任せるしかない。



「おお、揃っとるな。遅れて申し訳ない」

まるで俺たちの間で結論がでるのを待っていたかのように、茂みが揺れて熊のような巨漢が現れた――ラフェルのオッサンだ。

「いやぁ、カッツェ殿に先に行くように言われて離れたはいいものの、霧で参った。まさか走っていくわけにも行かんしなぁ。昔なら走っとったかもしれんが、いやぁ、年は取りたくないものだなぁ。」

そんな事を言いつつ豪快に笑いながら茂みを出て、こちらへのんきな歩調で歩いて来る彼を見ていると、なんだか張り詰めていた気が抜けてしまった。

オッサンは俺たちの所まで来て初めてシリアスな空気の名残に気づいたらしく、しばしきょとんとしていたが、アルヴィンに事情を説明されて改めて老人の存在を認識すると、太い笑みを浮かべて一度うなずいただけで受け入れてしまった。

「さてと、ほんじゃあそろそろ行こうかいの?」

何の抵抗もなく俺の案と老人の存在を受け入れた彼は、僧侶らしからぬごつい顔に飄々とした表情を乗せ、一度にやりと笑って塔を見上げると、まだ少し困惑しているアルヴィンたちを促した。

「あ、ええ、はい、そうですね。ええ、行きましょうか。では……セルシェスさんとリーフさんは残ってください。塔へは私とダイチさん、シンラさん、ラフェルシアさん、ローウェンさんで入ります。それから、ご老人、あなたも。ええと、セルシェスさん、レグルスさんが到着次第状況の説明をお願いしますね。」

頭の切り替えが超速いオッサン速度に巻き込まれた精密機械型のアルヴィンは一瞬混乱しつつも居残り班を指揮し、とことこ歩いて入り口へ行ってしまったラフェルシアと、それをさっさと追いかけ始めたシンラを追うように俺たちを促しつつ、まるで少し頼りない牧羊犬のように最後尾から着いてきた。

結局レグルスを待つことはできなかったが、それでもありったけの戦力を投入して塔に挑むことになる。

俺とじいちゃんが戦力外のお荷物だということを考えると少し頼りないが、じいちゃんを連れて行くことを了承させた俺としてはできる限り頑張るしかない。

俺たちの目の前には、塔が黒々と闇色の口を開いていた。

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