28.塔へ至る道
乳白色の海の中を4人で進んで行くと、やがて霧が晴れてきた。
まるで見えない空気のカーテンでもあるかのように、ある一点を境目に嘘のように景色に色が戻っていた。
白が途切れて、あたりは緑が大部分を占める多彩な色彩を取り戻す。
まるで、夢から突然覚めたような。
「なんだこれ?不思議だな…」
白い海と緑の森の交わる線上に立って左右を見ると、本当に線が引いてあるかのようにくっきりと分かれている。
片側は深い霧。もう片方は、普通の森。
「この霧は自然現象じゃないもの。闇の精霊王の意思の元作り出されているものだから、不思議でもなんでもないわ。」
一番最初よりは若干ツンツンとんがった感じが軽減した口調でセルシェスが種明かし。
ここから先に霧がないのは精霊王の意思ということらしい。
霧は晴れ、視界は良好。これで足元にばかり注意を向けなくてすむ。
格段に歩きやすくはなったのだが、それでもリーフは俺の手を握ったままだった。
いや、別に構わないですよ?俺的には全然。
これはこれで足元がお留守になりそうな気はするが、いいよね青春!
「あれは………塔だ!」
先頭を歩きながら木々の隙間を目を凝らすように覗いていたローウェンが、前方を指す。
色が戻った周りの景色と温かくて小さいリーフの手ばかりに気を取られていたが、確かに何か大きな黒いものが緑の葉の間から見え隠れしていた。
闇を凝り固めたような光を弾かない黒い塔に、ふんわり春色めいていた俺の気分は水をかけられたかのように冷えた。
「じゃあこれで試練は終わりってこと…か?」
霧も晴れたし、塔まではもう少しで着きそうだ。
今回の試練は前回までに比べてぬるかったのかどうなのか、俺には知りようがないがどうしても終わりを期待してしまう。
8割がた俺の希望を込めて言った言葉は、しかしながらローウェンの肯定によって現実味を帯びた。
「そうだろうね。多分、これで森の試練は終わりだ。次はあの塔だよ」
はっきりとした指針ができたことで、そこからはこれまでの疲れを忘れたかのように、歩きやすくなった森の中をひたすら塔を目指して進み、それからしばらくして俺たちは巨大な塔の根元に立っていた。
それは、森の空隙地帯にあった。
もともとそうなのかそれとも精霊王の意思の元できた空間なのかは知りようがないが、塔の周りは円形の広場になっていた。
足元に雑草は茂っているものの、芝生のように心地よく整えられている。
なんだかサッカーでもできそうな、自然では絶対こうならない何かの意思を感じる場所だ。
結構広さはあり、塔を中心にドーナツ状に広がっている。
塔には俺たちが最初についたようだった。
一応周りを歩いて一周してみたが、俺たち以外の生き物の姿はなかった。
「それじゃあ、他に誰か来るまでここで待っていようか」
広場の一角に腰を下ろし、ローウェンが手招くとセルシェスとリーフも隣に座る。
俺は塔に興味があったので、そちらに混じらずに巨大な黒い石柱のような建造物に近寄った。
それは、まるで黒曜石ででもできているかのように一片の曇りもない黒のカタマリだった。
一周したので分かるのだが、単純な角柱の形をしている。
真っ黒な四角形の柱を、森の中心にでーんと据えつけた感じだ。
高さとしては12〜3階のマンション程度で俺にしたら珍しいほど大きいということはないが、ただの森の中にあるにしては異常な存在感と巨大さだ。
多分、あの忌々しい霧が出ていなければ、森の外からでも見ることができただろう。
入口のところには階段がついていて、塔内部に入るための空洞が、まるで疑似餌に釣られた獲物が進入するのを待つ提灯アンコウのようにぽっかり口を開けていた。
………提灯アンコウってなんか怖くないな。訂正。黒豹のように、って言っとこう。
入口もちょっと覗いてみたが、入った瞬間ガシャーンとかいって鉄格子とかおりてきたら嫌なので、階段にも登らず外から見た程度では何も分からなかった。
塔の中も外と同じ黒い石でできているようで、光を飲み込みただひたすら黒が見えるのみだ。
入ってみなければ分からない、ということらしいが、いずれ入るにしてもレグルスとかシンラとかを先頭にしてじゃないと俺は絶対入らないぞ、と誓っておく。
そういえばアルヴィン、生きてるかなぁ。
レグルスとシンラの顔を思い出したら、ついでに幸薄そうな魔術師の顔も出てきた。
レグルスやシンラは殺しても死ななそうなので別に心配ないが、アルヴィンは殺したらちゃんと死ぬタイプなので心配だ。
…………?
なんだろう。
俺はなんだかすごく大切なことを忘れている気がするぞ。
何かが心に引っかかり、俺は塔から完全に興味をそちらに移して皆のところまでゆっくりと歩いて戻った。
残りの3人はローウェンが先頭に立って、簡単な食事の準備を開始していた。
全員軽装だったのだが、ローウェンがキャンプにでも持ってくるような簡易の調理道具を持っており、着々と準備が進められている。
そういえば朝ごはんを食べてから、結構時間は経過しているように思う。
太陽の動きも霧に阻まれて分からないし、8割がた必死だったので忘れてたが、どう考えてもお昼はとっくの昔に過ぎているだろう。
一瞬食べ物に心奪われた俺だったが、思いなおしてアルヴィンの顔を思い浮かべた。
なんだかとても大事なことを、俺は忘れている。
「………?」
「手伝わないならもう少し邪魔にならないところにいてくれるかしら?」
ちょっとずつ元気が戻ったセルシェスが、ツンツン度合いを増して立ちっぱなしで邪魔な俺に邪魔だとはっきり言ってくる。
「ああ、ごめん。アルヴィン…なんだっけ?なにを忘れて……」
ぼんやりと謝って少し後ろに下がった瞬間、セルシェスがきちんと目に入り、俺は唐突に衝撃的なことを思い出した。
セルシェスとアルヴィンの共通項。
それは、魔術師だということ。
「そうだアルヴィン!!あいつ死んだら俺帰れない!!!」
全身の血が音を立てて下向きに流れ落ちる気がした。
なんで今まで忘れてたんだ俺!!
こういう異世界召還モノのRPGじゃお約束だってのに…!!
「縁起でもないこと言わないでちょうだい!だ、大賢者様が死ぬ…なんてっ!!」
てっきり超冷静に道端の石ころでも見るような目でこっちを見てくるだろうと予想されたセルシェスは、しかしなぜか顔面蒼白で動揺しまくりだった。
あれ…?
これはもしかしたらもしかするのか…?
一瞬自分の窮地も忘れて、へぇ〜とか思ってると、村のある方角から木々を掻き分ける音がして、一気に俺たち4人の注意を奪った。
何がくるか分からないので急いで腰から棒を抜いて握り、セルシェスとリーフを背に庇うようにローウェンと並んで音の方角に目を凝らす。
つい先ほどまで煮炊きに沸いていた空気がぴりっと緊張感を孕み、ローウェンがそろそろと矢筒から矢を引き出す小さな音に背筋が冷える。
正直、今日はもう怖い思いはしたくない。
でも、何か害意を持ったものが近づいて来ているなら戦わねばならない。
「着いた……はぁー…」
俺の不安を他所に、盛大な安堵のため息とともに森の中から現れたのは、どこをどうやって来たのか髪にいっぱい葉っぱをくっつけたアルヴィンだった。
想像していた不安が形になったどころか、緊張感と真逆の彼の姿に、高鳴っていた心臓が拍子抜けするほどあっさりペースを乱される。
一瞬ため息をつきかけた俺だったが、しかしふとアルヴィンを見て今度覚えたのは安堵だった。
ちゃんと生きてる!俺帰れるよ!!
噂をすればなんとやらってやつか。
彼はガサガサと茂みを掻き分けて円形広場へよろめき出ると、気が抜けたのかへたりとそこに腰を下ろした。
「ったく、手間かけさせんなよ。おら、とっとと立って歩け!もうちょいじゃねーか」
続いてやはり髪の毛や羽に葉っぱとか枝を満遍なくまぶしたようになったシンラが出てきて、座り込んだアルヴィンの首根っこを無理やり掴んで引き起こし、ほとんど引きずるようにこちらに運搬してくる。
「アルヴィン!!無事でよかった!」
荷物と化したアルヴィンは自分のことで手一杯だったらしく、俺が声をかけて初めて俺たちの存在に気づいたようだった。
「ダイチさん!!ご無事でしたか!?……あぁ、それにリーフさんにセルシェスさんも!ローウェンさん、無事にダイチさんに合流できたんですね」
シンラに運ばれてきたアルヴィンは俺たちのところに着くと自力で立ち上がり、若干ふらつく足取りながら俺のところに来て他の全員を眺めまわした。
この場で一番無事じゃないっぽく見えるのは彼なのだが、そのことは意識にないらしい。
「葉っぱついてる葉っぱ。どこをどんな風に通って来たんだ?トトロでも追いかけて木のトンネル突っ走ってきたのか?」
よく見ると小さな引っかき傷もそこらじゅうにある。
茂みの中を全力疾走したとしか思えない。
さすがの俺でもそこまでの無謀はしないぞ…
アルヴィンの髪についた葉っぱを除去していたら、セルシェスと目が合って睨まれた気がした。
あれ?やっぱりアルヴィンのこと…?
「ほれ、俺はシンラの葉っぱを取ってやんなきゃならんから、アルヴィンはあっち行ってセルシェスとかに葉っぱとって貰えよ。」
他人の恋路を邪魔すると馬に蹴られるらしいので、俺は葉っぱ取り作業を中断し、アルヴィンの背中を押してセルシェスのほうへやった。
「え??なにがです?」
全く分かっていないアルヴィンは俺に押されてよろめいたが、結局自分で葉っぱ取りを再開した上、気を利かせたリーフが手伝い始めたものだから、まったく始末に終えないものだ。
「アルヴィンとシンラだけが先に来たのか?」
一応シンラをダシにしたので、言葉どおり彼に近づきながら聞くと、彼は突然濡れた犬がするみたいに盛大に体と羽を振って引っかかった色々なものを落としにかかった。
「あぁもう!野生なのは分かったからちょっと待って!枝が飛んできて痛い!」
普通手で払うだろう手で。
とりあえず小さな枝がビシビシとちらへ飛んでくるので顔を庇いながらシンラに近寄り、後ろに回って羽根に引っかかった小枝の除去作業を開始。
ふわふわの羽毛に絡んだ小枝を一つ一つ取り除くのは結構大変な作業だ。
蔦の千切れたのが強固に絡み付いていたので、ちょっとイラっとして引っ張ったら羽まで一緒に抜け、シンラが痛ぇとぼやく声が聞こえた。
「お前、今なにした?」
羽越しに振り返ってきて、ボランティアでグルーミングしてやってる俺をもの凄い眼光で睨む。
「小枝ヲトッタダケダヨ」
すかさず後ろ手に羽を隠して言うと、シンラは一度舌打ちをしてまた服についた葉っぱを捨てる作業に戻った。
多分俺の目は盛大に泳いでいたと思うが、明確な悪意はなかったので許してくれたらしい。
でも怖ぇー。
羽が落ちてたらマズイのでポケットに押し込み、今度は丁寧に引っかかったものを外していく。
「レグル…じゃなくて他の3人は?」
言ってはいけない名前を口走りそうになって訂正すると、シンラの不機嫌な声が返ってきた。
「そっちの大賢者がお前たちのことが心配だからどうしても抜けるっつって聞かねぇから、俺も一緒に抜けてきただけだ。あとのことは知らねぇよ。」
うわー、信頼関係とか一切ないんだネ。
普通は、
「ダイチさんたちが心配だから、私は先に行きます!」「ああ、じゃあ俺が護衛につこう。魔術師1人じゃこいつらの相手は骨だ」「よし、ここはわしらに任せておけ。なに、心配いらん、すぐに後を追う」
的な会話を経てから抜けてくるものじゃないのか?
「あの影とかいうの、どれくらい倒したんだ?こっちは俺とローウェンで自分たちの分は始末したけど。」
絆って、この世のどこかに確かに現存するんだ…って信じたい俺は、そっと話題を入れ替えた。
もっとも、そっとやらなくてもシンラは頓着しないだろうが。
「俺の影はあの忌々しいカッツェの野郎が潰した。俺はオッサンの影と騎士の影を潰してきたから、あと残ってんのはカッツェの影だけだな。手こずるぞ。ありゃあ狡猾な上にここはアイツにとっちゃ最高のフィールドだ。身を隠す霧と遮蔽物に富んでる。俺の影が潰されたのだって、ここがアイツにとって絶好の猟場で俺には絶望的に不向きな環境だったからってだけだからな。」
おうおう意地張っちゃって。
絶対素直にレグルスが強いからって認めないよ。
「ん?アルヴィンやセルシェスの影は?1回も話しに出てこなかったけど?」
本人の能力をコピーできるなら、攻撃魔法とかガンガン撃ってくる嫌な敵になりそうだ。
しかしシンラの答えはあっけらかんとしたものだった。
「あぁ、あんなもん瞬殺だ。放っといたら厄介だからってのもあるが、狩りは弱いものから、がセオリーだろ。」
怖っ!
仮にも味方の姿をしたものなのに、言葉の端からは一片の躊躇も感じられない。
俺なんて、俺自身を殴るのでも結構躊躇したのにな。
会話を続ける間にも手は動かしていたので、大方葉っぱの除去は済んだ。
シンラとこのまま会話をしていても俺の中の純な少年の部分がじわりじわり殺戮されていくだけなので、最後の葉っぱを始末して彼を残してアルヴィンたちの一団に加わることにした。
とは言え後ろからシンラもついては来たのだが。
アルヴィンはローウェンからリーフ経由で貰ったお茶を飲んで一息ついているところだった。
色をなくしていた彼の顔には赤みが戻り、やっと気持ちが落ち着いてきたようだ。
リーフが隣に腰掛けて持っていたらしい飴玉のような小さなお菓子を勧めたりしているのも、アルヴィンが和む大きな手助けになっている。
にわか炊き出し基地と化した原っぱの一角は、ちょっと離れたところから客観的に見ると、なんだかいい大人が寄り集まってキャンプでもしているように見える。
テントこそないものの、煮炊きの煙がいい感じに上がり、人が火を囲んでいる姿は無意味に楽しそうに見えるものだ。
内実は全然楽しくない集まりなのだが。
「なんにせよご無事でなによりですよ。私もやっと安心できました」
俺が隣に座ると、アルヴィンはほっとした笑みで迎えてくれた。
さっそくローウェンが俺の分もお茶を作ってくれたのでありがたく頂く。
なんだか薬草っぽい味のするお茶だったが、これはこれで悪くない。
ローウェンは火の側に腰掛け、鍋に何か足したりしながらこまごまと食事の準備を進めてくれていた。
やっぱり働き者が1人いると全然違うな。
俺なんか率先してアレコレするよりは、後手に回ってるほうが多いから本当に感心する。
「で、どうするんだい?人数はそれなりに揃ってはいるけれど…」
切ったマッシュルームのような物体を鍋に入れ、セルシェスが混ぜるに任せながらローウェンが塔を見上げる。
このメンバーで行くのかどうか、彼が聞いているのはそういうことだ。
「ええ、とにかくもう少し休憩時間は取るとしても、このメンバーではいささか頼りないといいますか、せめてカッツェさんなりを待ってからのほうが無難でしょう。」
一同を見回したアルヴィンが、お茶を片手にため息をつく。
まぁシンラが居るとはいえ、ちょっと微妙なメンバーだもんな。
「入んねぇのかよ?来るかどうかも分かんねぇカッツェの野郎なんか待ってねぇで、さっさと入っちまったほうがいいと思うぜ?」
シンラが露骨に嫌そうな顔でアルヴィンを見る。
彼が待たされるのが大嫌いなのは、個人的な経験からよく知っている。
でもレグルスがいない上に俺は戦力外通告を自分で出しちゃってるし、アルヴィンは休憩するとは言えヘロヘロ、リーフにセルシェスは女の子だ。
ローウェンは頼りになるが、しかし全員を守れるような文句のつけようのない戦士というわけではない。
シンラは確かに強いのだろうが、なんというか、協調性に欠けるところがあるのが難点だ。その点レグルスはまだマシ…と言ったら失礼だが、ちゃんと全体のことを考えてくれている。
シンラのほうが群れ社会の文化と疎遠と言ったらいいのか、とにかくそういう面での信頼は圧倒的にレグルスに軍配が上がる。
怖いので決して声に出しては言えないが。
……これはちょっと頑張ってシンラの気を逸らさなければ。
で、レグルスが合流してくるまで何がなんでもここで粘らなければ。