25.魔の森CRISIS
そのあともしばらくリーフとそれぞれの家族のことや、友達のこと、住んでいる町のこと、そういう他愛無いことを沢山話した。
世界が違っても、やっぱり家族や友達が大事だっていうのは変わらない。
彼女の友達についてアレコレ聞いたので、なんだか自分の知り合いですらあるように思えてきているし、俺だって自分の部活仲間やクラスの友達のことを沢山リーフに話したので、彼女も俺の世界について親近感を覚えてくれたようだ。
文化が違っても、国が違っても、世界が違っても、仲良くなれるし、仲良くなれればもう友達だ。
世界には沢山見えない線が引かれてるけど、そういうのは大きな体制の中の話で、俺と目の前の誰かとの間には、お互いに立っている場所の距離だけしかない。
ほんの目の前、歩いて3歩。
そういうのが現実だ。
その間にどんな線がある?
地図に書いてある線は、ただの紙の上のものだ。
ここに来て俺は、それを教えてもらった。
日が暮れる前に宿に戻ると、会議中だった面々はまだ議決には達していないようだった。
やっぱり宿抜け出して大正解だ。
俺がリーフに目配せすると、彼女はちょっと微笑んだ。
「あぁ、ダイチさん。おかえりなさい。」
そっと宿に入った俺たちを迎えてくれたアルヴィンは、かなり疲れた顔をしていた。
俺たちが宿に戻ったことで議論は一時中断され、ずっと座りっぱなしだったらしい何人かが席を立っていく。
俺はアルヴィンのそばへ行って、大きくため息をついて一口水を含んだ彼に聞いてみた。
「結局どうなりそうなんだ?」
俺が知りたいのは結論で、途中の議論はどっちでもいい。
「ええ…。セルシェスさんがなかなか頑固で。私はラフェルシアさんの案に同意するところまで妥協したんですが、どうしてもみんな一緒に行くのが嫌のようなんですよ。」
セルシェスは席を立っており、姿は見えない。
アルヴィンはまたため息をついて、椅子に深く座りなおした。
相当ぐったりしてしまっている。
セルシェスは結構口調がキツイから、ほぼ半日その猛口撃を受けていたらこうなるのも当然なのだろう。
「つーかさ、議論も大事だけど、結構時間の無駄じゃない?行くなら行くでさっさとしないと。もう他の国は塔にたどり着いてるかも、だし。」
俺が至極真っ当な意見を述べると、アルヴィンは疲れた笑みを顔に乗せた。
「全くその通りですね。ただ、毎回状況が変わるものですから、森を見るまでは作戦が練れない状態だったので、どうしてもここで一度方針固めをする必要があるんですよ。闇雲にただ森に入って行ってどうにかなるようなものでもありませんし。」
「んでも今現在だって、森を外から見てるだけだろ?いつかみたいに森全体が燃えてるとかなら別だけど、目に見えてなにが起こってるか分からないまま議論だけしてても、前に進んでるんだかどうなんだか。」
「いやまぁおっしゃるとおりなんですけどね。でもどうやって森に入るかはとても重要ですよ。森がどうなっているのか分からないなら特に。」
「案ずるより産むが易しって言葉こっちにはないのか?大変だな、それって。」
単純な俺の言葉に、俺より遥かに知識を蓄えた大賢者は苦い顔で黙り込む。
やってみないと分からないけれど、やる前にその方法でもめる。
そういう状況なのだ。
「レグルスとかシンラとかにサクッと偵察してきてもらうとかは?」
自分は行かないので、俺は気楽に提案してみる。
「それも考えましたけど、でも毎回一人で抜けられるような温い試練なんてないんですよ。いくらグルガ族とはいえ、ね。少し立ち入るだけにしても、何が起こるか分かりませんから、帰ってこられる保証がない。貴重な戦力を無駄に減らす危険を冒すことはできませんよ。」
「つーかグルガは個人プレーヤーばっかりだもんな。余計相性悪いのかもな。じゃあもうみんなで行っちゃえばいいじゃん。それともアミダでもやるか?アミダくじ。」
とうとう運を天に任せる案を出した俺に、アルヴィンは苦笑で答える。
どっちかと言うと体育会系の俺にしたら、こんなところでアレやコレやと言い合うばかりでは何の進歩もないようにしか見えない。
どの案をとっても一長一短なのだったら、もう神様の言うとおりにするのが一番だ。
「よし、じゃあ俺の世界の神聖な方法でアルヴィン案、セルシェス案、オッサン案の3つの中から1つを選ぼうか。」
俺は大きくうなずいて、一度にやりと笑った。
リーフが不思議そうに小首をかしげて俺のほうを見ていたが、俺は笑みを返しただけだった。
少ししてそれぞれ休憩を終えて戻ってきた面々に、俺は議論ばかりで先に進まないことの無駄さを告げて、俺の世界の方法で一つの案に絞ることを提案した。
ラフェルのオッサンは岩みたいな顎を引いて賛成してくれ、アルヴィンも異存はないと頷いた。
セルシェスは俺を不満たっぷりな目で見たが、散々寝てから起きてきたシンラが、「お前らまだ決められてねぇのかよ?このままじゃ待ちくたびれてジジイになんぜ!」とか自分は何一つ貢献していないにもかかわらず偉そうに的を射た意見を述べたのに腹を立てて、どうでも良くなったらしくどうにか同意をとりつけられた。
「よし、じゃあこれから俺の世界式神聖な選択の儀式を行います!ルールがあるからよく聞くように!まずはアルヴィン、ラフェルのオッサン、それからセルシェスお姉様、こっちへどうぞ!」
ちゃんとセルシェスには敬称をつけたにも関わらず、彼女から厳しい視線というかほとんど物理的攻撃力を備えている熱線を浴びせられた俺はかわいそうだと思う。
でも頑張って三人を仕切る。
俺は三人に良く見えるように自分の右手を掲げ、こぶしの形をゆっくりと三度変えた。
「はい、これ。練習しましょう。まずこれがグー。リピートアフターミー!」
言葉と同時にこぶしを握る。
「次これがチョキ。」
人差し指と中指を立ててブイサイン。
「最後、これがパー。」
一通りこぶしの形を変えて、今度は弱肉強食のルール説明。
「グーはチョキより強いです。チョキはパーより強いです。パーはグーより強いです。オーケー?ユーアンダスターン?」
俺の目の前の三人は、それぞれに分かったような分からないような顔をしていた。
何が始まるのか、理解できないのだろう。
「これから執り行う儀式はじゃんけんといいます。俺の世界では良く使われてる神聖にして絶対の儀式です。やり方は簡単。今俺と一緒に練習した手の形の中から、どれか一つえらんで、それに己の全てを賭けてじゃんけんぽんの掛け声と共にその形を作ってこぶしを前に出すだけ。三人がそれぞれを選んで、グーチョキパーとなった場合もしくは同じものを選んだ場合はあいことなり再勝負。
なお、後だしするヤツは一生卑怯者の汚名を背負い、なおかつ今回の選択でのじゃんけんをする権利が剥奪されますので、くれぐれも各自ご注意ください。
では模範演技。リーフ!」
俺に突然名前を呼ばれ、リーフはびっくりして俺を見た。
「はいじゃんけんぽん!」
俺がかまわず勢いをつけて言うと、リーフは慌てて手を出した。
突然・速攻の俺の掛け声に、なにをどうする暇もなかったらしく、リーフが出したのはパーだった。
いきなりじゃんけんを仕掛けたら、パーかグーを出す確率が高い。
咄嗟だと、パーかグーが一番形を作りやすいからだ。
ちなみに俺はチョキ。
「はい、俺の勝ち〜!というわけで、この場合俺の主張が通ることになります。今のは後だしもなかったし、間違いなく公正なじゃんけんでした。なお、このじゃんけん結果に異議を申し立てようものなら、たちまち神罰が下るのでそのへん各自気をつけてください。じゃあ用意はOK?」
かなり戸惑いを含んだ表情の三人に向かって、俺は無情に言い放つ。
「じゃんけんぽん!!」
じゃんけんの結果、最終的に確率の神が微笑んだのはラフェルのオッサンのごついこぶしにだった。
というわけで、一団揃って森に入り、何かあるたびにちょっとずつ戦力を切り離す「ここは俺に任せてお前は先を急ぐんだ!作戦」で大決定された。
結局じゃんけんを終えてからまたひとしきり決定した作戦について詰めがなされ、宿で一泊してから翌日早朝の出発の運びとなった。
久しぶりのベッド就寝で若干テンションが上がった俺だったが、この先いつまた人間らしい環境で眠れるのか全く検討がつかない状況なので、夜遅くまでアルヴィンたちとぐちぐちやる気になれず、その晩は速攻眠りについた。
で、朝はやっぱりやってくるわけで。
器用などこかの誰かが上手い具合に太陽を誘拐してくれたらなぁ的なことを寝る前にチラッと考えないでもなかったが、こればかりは不可避。
とにかく翌日も晴天なり、精霊王の試練日和だった。
宿を出発し、一路、というほどもない距離を経て村の目の前の森へ。
空は快晴明朗にして雲ひとつなし、ではあったが、森の中は変わらず曇天だった。
木々の間をうっすらと霧のようなものが覆い、奥まで視界がきかない。
「ラフェルシアさんの作戦で行く事に決まりましたが…最後の確認です。森に出る魔物も簒奪期限定の特殊なものが想定されます。それらを打ち破るのに必要な人員だけを残し、残りは先を急ぐわけですが、精霊王の塔は大体森の中心部にあります。今回は羅針盤を狂わせるような磁場は発生していないようなので、何かあって本隊から離れた場合は、各自南西を目指してください。」
アルヴィンが手元の金属板を掲げ、みんなに見えるようにして言う。
俺が見たことのあるコンパスと言うと磁石で浮いてて自動で北を指すやつだが、ここのは野球の硬球くらいのサイズのぺラッとした金属板で、俺には読めない文字が記され、真ん中に時計の針みたいなのが一本ついていて、それが勝手に動いて行きたい方向を教えてくれるそうだ。
アルヴィンによれば道しるべの精霊が封じてあって、方向を教えてくれるらしいがこの情報はきっと蛇足なんだろうな。
俺たちはそれぞれに一つずつこの羅針盤を持っており、幸いにも北だけを指さない羅針盤であるため盤に書かれた文字が一つも読めない俺にも支障なく使うことができそうだ。
方角を忘れては何の意味もないので、首から提げた羅針盤に油性マジックで南西と記しておく。
自分で書いた字だが、漢字を見るとちょっと安心する。
「塔の前に3人集まった時点で、戦力的に問題がなければそのまま塔の攻略に移ることにしましょう。さぁ、それでは行きましょうか。」
緊張で胃がどうにかなっているはずのアルヴィンだったが、硬い表情からはどれほどダメージを蓄積させているかは読み取れず、彼は森に向き直るとレグルスを先頭に森に入っていくよう指示を出しはじめた。
先頭はレグルスで、次にラフェルのオッサン、それからジェイル、セルシェスと続き、アルヴィン、俺、リーフの一団に最後尾がローウェンとシンラという陣形だ。
陣と言ったが別に隊列とかを作っているわけではなく、魔術師や俺やリーフを守るように武闘派な方々を配置して一団となって進んでいるというのがもっとも適切な言い方だろう。
先頭のレグルスが獣の勘で索敵し、ラフェルのオッサンとジェイルが二段目の壁の役、それから後方支援のアルヴィン・セルシェスが続き、最後にバックアタックに備えてシンラとローウェンを据えるというアルヴィンらしい堅実な陣だ。
ちなみに、みんな歩きである。
森の中は視界も道も悪いので、馬よりも自分の足の方がよほど信用が置ける。
それに、今回は空間を弄るようなお茶目系能力に秀でた精霊王に当たっていないので、塔まで普通に歩いてもたいした距離がないのも馬を使わなかった一因だ。
森に足を踏み入れると、暑くも寒くもなかったはずの空気がしんと冷えたように感じられ、俺は一瞬身震いをした。
霧が体にまとわりつくようで、そのせいでうっすら濡れた皮膚から体温が奪われた結果かもしれない。
「なんだよお前、ビビってんのか?」
後ろからニヤニヤ笑いながらシンラが俺とリーフの間に割って入ってきて、からかうように俺を見た。
後ろにいたのだから、さっきの身震いを見られたのだろう。
「違いますー。皮膚に付着した霧の水分が体温で気化する際に熱を奪って体感温度が下がったから、突然の温度変化に対応しようとして熱を発生させるため筋肉を収縮させるという対抗手段をとった結果、身震いが発生しただけですー。放射冷却って現象ですけどー、グルガ族はそんなもんくらいもちろん知ってますよねー?」
語尾を延ばして子供っぽく言ってやると、シンラはやっぱり半分も理解できなかったらしく、ニヤニヤ笑いを消してとりあえず殴っとくか?という表情をしたので、俺はあわてて彼から離れた。
なんだって生理現象を学術的に説明しただけで殴られないといけないのだ。
理解できない方が悪いだろう明らかに。
しかし視界が悪い。
一団の先頭を行くレグルスの影がかろうじてぼんやり見える程度で、あとはひたすらに白の世界だ。
左右を見ても、木々の輪郭がぼんやりと浮かんでいるだけで、はっきり見える範囲といえば、本当に手を伸ばして届く程度でしかない。
森の奥に向かって進むにつれ、白い闇はその濃さを増していくようだ。
これは確かに羅針盤を持っていて正解かもしれない。
何の危機に陥らなくても、ちょっとでも油断するとこの白い闇に呑まれかねないのだ。
俺はコートの下の羅針盤をそっと手で確かめると、取り出して南西を示してくれるよう願った。
針はなんの抵抗もなくするりと動き、俺たちが今目指している方向を指してぴたりととまる。
今のところは何か怪しい力で妨害されてはいないようだ。
羅針盤を大事にもう一度コートの下にしまいこんで、白にぼやけたアルヴィンの背を追う。
闇の精霊の癖に、何もかも真っ白に塗りこめたいようだ。
乳白色で塗りこめられた木々は明確な輪郭を失い、さすがにこの中を走って逃げられるとは思えなかった。
視界ゼロに等しいこんな中で走れる方がイカレてる。
しかも地味に霧で濡れてきて気持ち悪いし。
「うおっとぉ!!」
しっとり濡れてきた外套に気をとられていると足元がお留守になり、張り出した木の根に躓いた。
ぎりぎりで転倒は回避したが、なんだかみんなの視線を独占しちゃってちょっと恥ずかしい。
「大丈夫ですか?」
隣にいたリーフが手を差し伸べてくれて、俺は照れ隠しに笑いながら彼女の助けをやんわり断った。
「大丈夫大丈夫。ちょっと躓いただけだから。」
さすがに女の子に手を引いてもらうわけにはいかない。
しかしやはり森だけあって木の根はそこらじゅうにあるし、下草も密度の濃淡はあるものの足元を覆うように茂っている。
今のところ近くに生き物の気配はしないが、遠くから何か鳥っぽいものの鳴き声が聞こえてきた。
俺が知っている動物にたとえれば、梟が一番近いような声だ。
音の少ない真っ白な森で不意に聞くには、いささか不気味といってもいい。
リーフがびくりと体をこわばらせ、鳴き声のしたほうに視線を投げながら俺のほうへ擦り寄ってくる。
ちょ、これはあの…俺また足元お留守になっちゃうよ?
「ははは、大丈夫。あれは無害な鳥だよ。」
後ろから明るい声が聞こえ、ローウェンが不安感を払うような笑みを浮かべて泣き声の主について教えてくれた。
新芽のような柔らかな緑の髪と、同系色の碧の目の彼が穏やかな笑みなど浮かべてくれると、なんだかとてもほっとする。
「クローヴィスって言う名前で、本当は夜にしか活動しない鳥なんだけどね。僕らの……狩人の守り神なんだよ。」
言葉の終わりに再び笑みをのせたローウェンだったが、その表情はなぜか俺にはわずかに翳って見えた。
ほんのわずかなもので、俺の気のせいか霧のせいで視界が悪かったからかもしれないが。
「やっぱり夜行性の鳥だから闇の精霊王と相性がいいのかな?」
続いた彼の言葉に、俺が感じた陰は微塵も含まれていなかった。
遠い白の彼方に鳥の姿を探すように、ローウェンが目を細めて鳴き声の聞こえた方を見つめる。
俺もつられて、見えはしないと分かっていつつも霧の向こうへ視線をやった。
「おい、ちょっと待て」
先頭の白く煙ったレグルスが無言でぴたりと立ち止まったのと、シンラが俺とローウェンの肩を掴んで静止の声をかけたのは、ほぼ同時だった。
白い空気の中にピリッと緊張感が電気のように駆け抜ける。
鳥のことなど一瞬で忘却の彼方に追いやられ、俺は何かの気配を険しい表情で探るシンラの顔を見ながら、短くして腰にさした棒に手をやった。
ローウェンも表情を引き締め、背負った弓をそろそろと下ろす。
「ふむ、こりゃいかんな。」
前方からオッサンのややのんきとも取れる口調でのつぶやきが聞こえてきて、いよいよ何かがおいでなすったことが否定できなくなる。
「なんだ…?」
じゃきんとジェイルの抜刀する音が聞こえ、俺はあたりを見回して答えの得られる見込みのない問いかけを吐き出した。
ついさっきまでは何も感じなかった白の向こうに、突然湧いて出たかのような何かの気配。
しかし何かがいることは分かっても、それが何かまではこの白い闇の中では知りようがない。
ち、とシンラの短い舌打ち。
それを人間語に直すように、続いたローウェンのつぶやき。
「囲まれてる…ね。」
俺にははっきりとはわからなかったが、シンラやローウェンの様子からそれが事実だと知れる。
囲まれている。
この霧の中、数も得体も知れない敵に。
一寸先は闇状態のこの中で、一方向からの攻撃ならまだしも、囲まれてしまえば敵に見合うだけの戦力を切り離して…などと悠長なことは言っていられない。
周りからいっせいに攻められればそれに対応するしかなく、乱戦ともなれば同士討ちの危険性すらある。
「ありえない…グルガに察知されずにこの距離まで……しかも包囲状態…。この状況で乱闘は最悪だ…。抜けられる人から塔を――南西を目指してください。」
アルヴィンの緊張でこわばった声が聞こえ、それを引き金に鋭い金属音が弾けた。
アルヴィンの指示を待っていたレグルスが先陣を切ったようだ。
「塔へ行けっ!!こっちは俺が、前の敵はカッツェの野郎が抑える!!」
後ろからの怒鳴り声と共に、どん、とシンラに背中を蹴られ、俺は前向きにつんのめった。
一対一や、せめて視界がクリアなら別だが、今この状況で乱闘になれば、俺のような戦い慣れしていない素人は同士討ちという最悪の暴発の危険性があるばかりで何の役にも立てない。役立たずをかばう余裕がないから、まだ乱戦化していない今のうちに抜けろと、そういう意味なのだろう。
ましてや突然現れたか気配を全く読ませなかったか、どちらにせよ不意に攻撃の届く範囲に現れるような相手である。只者であるはずがない。
自分が役に立たないこと。それは重々理解していた。
「リーフっ!!」
「はいっ!!」
何もできないから。
だからせめて、自衛手段をまるで持たないリーフだけはこの乱戦の場から連れ出そうととっさに決めて、彼女の名を呼び手を握る。
「ごめん!俺ら抜ける!!」
宣言すると、周りから責めてくる敵の只中に道を作るように、前にいた面々が一歩それぞれ敵のほうへ踏み出してくれ、南西へ続く空白地帯が作り出された。
「ダイチさん!セルシェスさんを…!」
右手に棒を持ち、左手でリーフの手を握った俺が走り出そうとすると、アルヴィンが叫んで隣にいた女魔術師の肩を掴み、強引に俺たちの道へ押し出した。
俺はとっさに頷いてリレーバトンサイズの棒を口にくわえ、空いた右手で無理やりセルシェスの手を掴み、彼女の一瞬の抵抗をねじ伏せて駆け出した。
全神経を前方へと集中し、霧をかき乱す気流のように走る。
全力は怖いので、人間が普通に走る程度の速度で仲間の間をすり抜ける。
先頭で何かに向かって刃を振るっていたジェイルのそばを抜けたとき、不意に白灰色の霧の塊のようなものがどん、と俺たちの進路をふさぐように飛び出してきて着地し、その小山のような影を見て俺がブレーキをかけるのと横合いからレグルスが突っ込んできてデヴァインを振るい、それを避けた小山を霧の向こうへ追いやるのとがほぼ同時だった。
「そのまま行け!追わせはしない!!」
力強い金色の瞳と俺の目とが一瞬だけ合い、彼は敵に追撃をかけるため消え、俺も殺しかけたスピードを慣性に任せて再び上げ始めた。
「ちょ…っと!戻るわ!離して!!」
人間にも出せる速度で走る俺に手を引かれて戦場を抜けながら、セルシェスが再び悪あがきを始める。
アルヴィンにしてみたところで、彼女が女だから戦場から離す選択をしたわけではあるまい。
こっちの攻撃魔法というのがどんなものか、俺はあの召還生物の牛怪が放つ炎のそれしか見たことがないから分からないが、しかし乱戦で使えるようなものがそう多いはずがないことくらい分かる。
魔法を使うということは、下手をすれば一番仲間を傷つける可能性すらあるのだ。
それを考えた上で、自分ひとりが残ればいいという判断をアルヴィンは下し、俺に彼女を託したのだろう。
なら俺の仕事は何がなんでも彼女を戻さないことだ。
しかしながら今は棒切れを口にくわえているので、言葉で説得することはできない。
そもそも戦力を切り離すという案を強く押していたセルシェスがこんなに動揺するとは思わなかった。
まぁね、確かに俺やリーフと3人でいるよりも、あの乱戦の只中にいたほうがある意味安全かもしれないんだけどね。
「ダメですっ!!戻れません!」
俺の口が塞がっているので、同じく俺に引っ張られて走っているリーフが代わりに抑止力の働きをしてくれる。
「どうしてっ!!!私は…役に立てる!!何もできない子供じゃないわ!!」
セルシェスの激昂した声。
悪うござんしたね、何もできない子供で。
「冷静になってください!!!今から戻ったって、他の皆さんの足を引っ張るだけです!」
「そんな…そんな事ないわ!!これじゃ意味がない!」
「意味はあります!!!少なくとも残った皆さんは私たちを庇いながら戦わないで済むんですからっ!塔へ行って、それで皆さんが追いつくのを待つのが、私たちにできる最善なんです!!」
リーフの強い口調に、俺の進む力に抵抗しようとしていた右手側の力が弱まる。
「違う…そんなんじゃないのよ……私は……」
消え入りそうな声でその後セルシェスがなんと言ったのか、足元と前の障害物にだけ神経を集中していた俺には聞こえなかった。
それからしばらく走り続けて、セルシェスが足をもつれさせて転びそうになったのを支えるために停まって初めて、俺は自分のペースで走りすぎたことに気づいた。
障害物を避けるため、人間でもついてこられる速度で走っていたのだが、しかし普通の人が同じ速度で延々走り続けられるはずがない。
……『人間でもついてこられる速度』とか、『普通の人』とか言うとなんか俺が人間でも普通でもないバケモノみたいでちょっと傷つくが。
文句も言わずに健気についてきたリーフももはや限界のような荒い息遣いで、立ち止まった途端木の根元に倒れるように座り込んでしまった。
俺は同じく荒馬のような呼吸をするセルシェスをそっとリーフの隣に座らせて、少しだけ自分反省会を開催。
俺自身の体は全く微塵も疲れは感じていないのだが、100メートル走ペースで10分も20分も走り続けられるほうが異常なのだ。
ゴールの見えた100メートルだから全力で走れもするが、その全力を維持できるのはやはり100メートルが限界なのである。
背負った背嚢からペットボトルを引っ張り出して、ぐちゃっと潰れていた紙コップを修復して水を入れ、それをまずはリーフに、続いてセルシェスに手渡す。
それから俺自身も少し給水。
棒は邪魔なので腰に吊るし、分かりもしないのだが念のため周囲に他の動物の気配がないか探る。
それから羅針盤を取り出して、南西の方角を確認した。
思ったほど目指す方角からはそれておらず、針はやや右向きに進路を示していた。
「ごめん、なんか俺、自分のペースで突っ走っちゃって…。」
やっと呼吸が落ち着いてきた二人に、普段どおりのペースで呼吸しながらとりあえず謝罪の言葉。
リーフはなんとか笑みらしきものを浮かべて、首を左右に振って気にしないでとばかりに俺を見てくれた。
健気だ。
セルシェスはというと俺と目を合わせようともしない。
「とりあえずもう少し休んで、ここからは歩きで塔を目指そう。歩けなかったら俺が負ぶってく。限定一名様だけどな。」
息を整えつつリーフがうなずいてくれたのを確認してから、俺は彼女らを庇うように二人に背を向けてできるだけ周囲の物音に耳を澄ました。
もし何か生き物がいたら、森の下草を踏む音くらいするだろう。
さっきの敵は不意に現れたような感じだったから一概には言えないが。
無茶はしたがその分距離は稼いだので、残してきたアルヴィンたちの剣戟の音など全く聞こえてこない。
あるのは相変わらずの白い闇と、時折の微風に揺れる葉擦れの音くらいだ。
それと、どこかで鳥の鳴く声がする。
ローウェンが言っていた、あの鳥の声だ。
鳥の声に気をとられた次の瞬間、何かがガサガサと音をたててこちらに近づいてくるのに気づいた。
小動物のたてる音ではない。
少なくとも人間と同じくらいの大きさの動物だ。
「っ!!」
言葉にならないうめき声のようなものが自分の口から漏れている事に気づき、俺はあわてて気配を殺して身をかがめ、二人に手を貸してほとんど無理やり引き上げるように立たせた。
ここには俺たち以外誰もいない。
鬼強いレグルスやシンラはもとより、アルヴィンですらいないのだ。
「なんか知らんけどこっち来てる!このままじゃマズい。とにかくどこか…」
言いかけて俺は言葉に詰まった。
リーフもセルシェスも立ってはくれたが、走れる状態ではない。
やっと呼吸のペースが落ち着いてきたくらいだ。
さっきの筋疲労は、まだ回復といえるほど回復しているとは思えない。
それでもリーフは必死の表情でうなずいて、歩き出そうとしている。
セルシェスもそれを見て、俺の手を払い彼女に続く。
迷惑をかけたくないから。
多分、リーフはそう考えているのだろう。
俺と同じだ。
セルシェスだって、俺の手など借りないという自尊心だけで歩いているようにしか見えない。
「くっそ…!なんだよ俺っ…!!ああぁあーーーー!!!!」
なんで俺はこんなに何もできないのだろう。
元いたあの世界の中では、まぁまぁほどほどには自分はできてる人間だと思っていた。
勉強にしても運動にしても、課せられたことは並程度にはこなせた。
こんなにどうしようもないほどの無力感など、一度も感じたことはなかった。
たった二人を逃がすことすら満足にできない自分に、まず逃げることしか考えられない自分に、どうしようもなく腹が立った。
「塔だ!いいな?南西へ!!!」
気づくと俺は声を張り上げ、南西を指して二人に言うと、棒を手にして何かがいるほうへ駆け出していた。
後ろからリーフの声が追いかけてきたが、耳元でうなる風の音に散らされて言葉として俺に届くことはなかった。