22.自転車で巡る異世界ツアー2
「ここは誰?私はどこ?」
自転車を停めた俺は、お約束のアレを呟く。
眼前には森。
道は、その森と背後の山に吸い込まれており、先まで見通すことはできない。
森からなだらかに続いているその山を見上げると、峻厳とはとても言えないちょっとしたものだったが、自転車で坂道を積極的に登りたいとは思えない。
でも一応道はきちんと整備されているようだ。
都から離れるに従って、どんどん石畳の質が悪くなり、今現在はもう地面むき出しの道ではあるが。
「これってもしかしなくても道間違えてるよな?」
良かった。後ろにシンラ積んできて。
少なくとも現地人を一人連れているのと、俺オンリーでは土地勘が違う。
たとえそれが人間語が多少通じにくいグルガ族であっても。
後ろを振り返って荷台に声をかけると、シンラが青い顔をしてヨロヨロと自転車から降り地べたに座り込むところだった。
あ、酔ってやんのー。
「そういえば三叉路とか、交差点は何回かあったような気がするんだよな。右見たり左見たり下見たり、あとたまに前見たりで忙しかったからフィーリングで走ってきたけど。」
360°の大パノラマで広がる美しい景色に見惚れながら適当になんとなく真っ直ぐっぽく走ってきたので、自分でも戻れる自信はない。
これだけは胸を張って言えるが、いまここから一人で都まで帰れと言われたら絶対無理だ。
そしてここまでの道のりに枝道分かれ道があればあるほど、アルヴィンが俺たちを発見できる可能性も薄くなる、ということだ。
うわぁ、今更ながら、そして我ながらとんでもないことをやっちゃったものだ。
ちょっと調子乗りすぎた。反省。
「とりあえず途中に村や町がいくつかあったから、一番近いところへ戻って王都までの道を聞くのが賢いやり方かな?」
シンラが答えないので、自分で結論を出して自転車に跨ったまま膂力で前輪を持ち上げ、両足で車体を挟んで無理やり方向転換。
シンラはさきほどからずっと無言で、悪い顔色のまま地面でくたばっている。
この世界ではありえない速さでここまで走ってきたことを思うと当然の結果なのだろうが、無賃無断乗車に厳しく対応していこうと思っている天城輸送の無敵ドライバーは全然まったく気にしないのであった。
空を見上げると、太陽はまだ天の半ばにも差し掛かっていない。
朝城を出て、まだ昼前という所か。
「ほら、こんなとこでボヤボヤしてても仕方ないし。乗って。」
時間をなんとなくで確認してから、地面のシンラに声をかける。
この状況を作り出したのは紛れもなく俺なのだが、そのへんは都合よく忘れたふりだ。
シンラはだるそうに体を動かし、俺を見上げて目で何か色んなことを訴えてきたが、俺は彼から確信犯で視線をそらしてぽち籠を開け、中に転がっていたぽちを取り出す。
なんだかこいつもピクピク動くばかりで元気がない。
きっとあちこち転げまわって大変だったに違いない。
籠にたっぷり入れてある布切れもつまみ出し、それにぽちを包んでそっとコートに移住させてやる。
ぽち念願のポケットだ。
これなら転がるスペースもないし、衝撃吸収対策もしたので、動物愛護団体の非難を多少は減らせるだろう。
ポケットは深いし、一応ボタンのようなもので中身が出ないようにできるので安全だ。
「ちょ…待て、水、くれ」
ぽちの移住が済むのを待っていたようなタイミングで、若干焦点の定まらない目でシンラが俺を見上げ、搾り出すように言う。
声にも目にもいつもの不必要に溢れっぱなしの力が感じられない。
本格的に酔って気分が悪いようだ。軟弱ボーイめ。
仕方がないので自転車から降りて後ろの荷物を解き、ペットボトルに入れてもらった水を引っ張り出す。
水筒よりも軽いし、捨てて帰っても困らないので(こっちの文明に影響は与えるかもしれないが、こっちの人だって俺に与える影響をお構いなしで呼んだのだからそこまで気にする義理はない。)今回はペットボトル持参だ。
それも、500mlなんて甘っちょろいものではなく、2ℓのペットボトルだ。
力が強くなっているので、2キロくらい軽いものなのだ。
水で満たされたそれのキャップをひねり、地面にしゃがんでシンラに与える。
何か手元も怪しかったので介助つきの大サービス。
「さすがに俺も、自転車に相乗りして酔っ払う奴が出てくることまでは想定してないから、酔い止めなんて持ってきてないぞ?」
いくらなんでも想定外だ。俺自身は三半規管強いほうだし。
それでも水を飲んで気分が落ち着いたのか、シンラの目に若干力が戻ってくる。
そういえば猛禽類って50m先の新聞が読めるくらい目がいい奴がいるんだっけ。それをあんなスピードで振り回したら、そら目も回るわな。
俺はふと思いつき、ぽち入り以外のポケットを探って飴を見つけ出し、袋を破ると酔い止め代わりにシンラの口に放り込んだ。
それからまた水を荷物に戻して自転車に跨る。
もう少し休憩したら出発だ。
その間俺も糖分を補給しようと、さっきのポケットからもう一つ飴を出す。
シンラにあげたのと同じのだ。
………ん?
…………やば。これ梅の飴じゃん。
日本が懐かしくなった時のために持ってきた酸っぱいヤツだ。
大急ぎでシンラの顔を確認。
その後俺が、色んな意味ですごい事になっている彼を見て大爆笑したのは、わざわざ付け足すべくもない当然の帰結だった。
とにかくいつまでもウダウダしているわけにはいかないので、少し休んで多少は落ち着いたシンラを無理やり後ろに乗せて、俺たちはまた走り出していた。
後ろに乗せる時に激しく乗車拒否されたが、俺のほうも全面乗車拒否拒否してやった。
飛んでいくと言い張るシンラをなだめてどうにか後ろに乗せるだけでどれほどの労力を要したか、俺の苦労をぜひ察してほしい。
まだ全然本調子に戻っていないフラフラ状態で飛んだってそんなもん、三メートルと進まないうちに落ちるに決まっている。
さすがの俺もここでシンラにトドメをさしておくほどひん曲がった性格ではないので、今は退屈するほどゆっくりスピードで走行中だ。
来るときよりもさらに存分に景色を堪能できるのだから悪くはないのだが、せっかく馬より速く走れるというのに馬程度の速度というのは俺の韋駄天ソウルには少々物足りない。
しかしながら、後ろで時々呻きながら俺の背中に頭を預けておとなしく乗せられているシンラのことを考えるとこれ以上のスピードアップは酷というものだろう。
あー。これがリーフだったらなぁ。いや、リーフじゃなくてもせめて性別が俺の逆だったらなぁ。
そんなことを考えながら走っていると、最初の分かれ道に差し掛かった。
来たときは余所見に忙しくて全く気づかなかったのだが、やはり街道らしく分かれ道にはちゃんと道しるべが立てられていた。
木製のしっかりしたそれは、分かれ道の真ん中に立っており、それぞれの道が連れて行ってくれる先を示している。
俺はその道しるべの前で自転車を停めると、長年風雨に晒されて老朽化しつつもまだまだ現役で立派に仕事をしているそれを見た。
分かれ道ごとにこうやって道しるべがあるなら、わざわざ街に道を聞きに寄らなくてよさそうだ。
ただし、何が書いてあるのか分かれば、の話だが。
……そう。
道しるべに記された、その道の行方についてのこれ以上ないほど明確な文字は、残念ながら俺にとっては理解不能の謎の記号だったのだ。
アルヴィンの魔法のおかげで会話には不自由しなくても、読み書きは全くできない。
自分の世界ではともかくここではもう清々しいまでの文盲だ。
異世界って素晴らしいなこん畜生。
「シンラ、シンラ!元気をお出し。そして俺のためにこの文字を読んでくれ。そしたら今度は梅の飴じゃなくて、正真正銘甘いチョコレートをあげよう」
半身だけ振り返って俺の背中でぜーはー言ってるシンラの注意を無理やり道しるべに向けると、彼は閉じていた目を開いてしばらく無言でそれを見たあと、同じく無言でヨロヨロと腕を上げて三つの分かれ道の真ん中を指差した。
そして一言も発せないまままた俺にもたれかかって動かなくなった。
素手でここまでグルガを弱らせるなんて、俺ってちょっと凄くない?
とにかく道は分かったので、再び発進。
できるだけ丁寧に操舵して、揺らさないようにしてやる。
そんな感じで見事な連係プレーを繰り出しつつ何度目かの分かれ道を越える頃、前方からもうほとんど青と言うよりは土気色の顔をしたアルヴィンが駆けて来るのと行き会った。
隣には割りといつも通り平静なレグルスが併走している。
「だ、だいちさんっ!!やっと、やっと見つけた!」
俺の姿を捉えたアルヴィンが手綱を引き、馬が不満そうないななきと共に俺たちの前で止まる。
レグルスもその隣に自分の馬を止め、ひらりと馬から降りると息を弾ませた馬の首を何度か叩いて俺のほうへ寄って来た。
アルヴィンはと言うと、やはり馬から降りようとしているのだが要領が悪いらしくモタモタしている。
「ダイチ………元気がいいのはいいが、何をどうしたらそうなる?」
近づいてきたレグルスはピンシャンしている俺を一瞥すると、後ろに積んだ荷物の方に目をやって若干呆れたように言った。
「ダイチさん!け、怪我とかされてませんか!?危ない目に遭いませんでしたか!!?」
やっとアルヴィンも馬から降りられたらしく、ほとんど俺にすがりつくように寄ってきて真っ青なまま俺の状態を確認する。
どちらかと言うと、大丈夫じゃないのは俺じゃなくてアルヴィンだ。
でもものすごく心配されていたのが如実に伝わってくる顔色だ。
一応護衛用の超危険生物だって一人後ろに積んでたし、俺もそこまで子供ではないのだが。
「大丈夫大丈夫。ごめんな、ついついシンラの口車に乗っちゃって。心配かけてすんませんッシタ!」
アルヴィンとレグルスに体育会風に威勢よく謝って、頭も下げる。
こんだけ心配させたのだから、詫びておくべきところはきっちりと詫びなければ。
挨拶は人間関係の潤滑油って言うし。
勢いよく謝る俺を見て、どこをどうしても死にそうにないのがやっと分かったアルヴィンは、ほっとしたらしく顔に赤みが戻ってきた。
そしてやっと、俺の後ろに積んだものに気づいたようだ。
「あ、あれ?シンラさん?どうされたんですかこれ?」
「ああ、なんかちょっと酔っちゃったみたい。たいしたことないからそのうち良くなるし、学習する動物なら二度と俺に乗らないから、今回みたいなことはもう起きないよ。」
当のシンラは遭難救助隊が現れた事に気づいているのかいないのか、相変わらず顔も上げず動きもしない。
そんなシンラを珍獣でも見るかのようにマジマジと失礼なほど見つめていたアルヴィンは、やがてぽつりと静かに呟いた。
「私、人間がグルガを負かすのを初めて見た気がします。」