02.現状理解行程
「――我々が暮らしているこの世界には、六つの国があります。ウェルスト王国、ミルネーレ、メドヴィア、ラドキア、ドグラシオル帝国、そして、我がセレーナ王国です。それらの六つの国は、お互いに2つの国と国境を接して存在しています。我が国の両隣はラドキアとメドヴィア、ラドキアのもう一方の端はミルネーレ、続いてドグラシオル、そしてウェルスト、メドヴィアと戻ってきます。単純に言うと、丸い円を六つに区切った状態ですね。
そして、大陸の中心部には内海が広がり、その中央に不可侵の聖地ラースがあります。ドーナツ状の大陸を思い浮かべて、穴の部分にもうひとつ陸地があると考えてもらえば間違いありません。
昔々、六つの国の間に、争いが絶えませんでした。本当は八つの国があったのですが、その争いの時代に潰えてしまい、いまでは先に述べた六つしか残っていません。
ある時、我々の争いに心を痛めた創造主が、ある取り決めを国の主たちに告げました。それは、六つの国の中から一国だけを統一主国家とし、他の国同士の争いごとに介入・仲裁する権利を与えるというものでした。
統一主国家の権勢は絶大で、従わなければ創造主の罰が下るとも言われています。そして、統一主国家の王たる“ファリア”を選出する“百年戦争”が、もう間近に迫っているのです。
我々は統一主国家を選ぶ一連の儀式を、“百年戦争”だとか、“百年の簒奪”とかいった名前で呼んでいます。その理由は、統一主国家の王、ファリアの統治期間がおよそ百年だからです。
長寿種族の樹人…アントンの王がファリアに選ばれた場合は、王の寿命が尽きるまでとなり、百年の枠には収まりきりませんが、これは特例でして、普通は百年一周期で“簒奪”はやってくるのです。」
長い語りを終え、アルヴィンは大きく息をついた。
よく見れば彼の端麗な顔は疲れが目立ち、先ほどまで眠っていたはずなのに目の下には濃い隈がある。
白い肌は健康的とは言い難く、少しやつれてさえ見えた。
ここまでの説明だけで、俺は自分の置かれた状況を大まかに理解した。
魔王や地獄の帝王はまだ出てこないが、この話の流れから言って登場もそう遠い先ではなさそうだ。
「つまり、俺はその“百年戦争”だか“百年の簒奪”だかに参加するお前らの国の、戦力の一端として呼ばれた、と。」
ため息をつきながら、理解しえたことを言葉にすると、アルヴィンはかすかな笑みを浮かべて頷いた。
他力本願この上ない。手前勝手で、俺の都合などお構いなし。
しかも、そんな大事な戦争だかなんだかに、どこの馬の骨とも知れぬ異世界人を投入しようというのだから、ある意味凄い神経をしている。
「お前らの世界など知ったことかっ!!善良な一般高校生をそんなバイオレンスなニオイがぷんぷんする汗臭いイベントに巻き込もうもんなら、校長が黙認してもPTAが黙っちゃいないぞ!?て言うか国の行く末を門外漢にさらっと預ける度胸があるならもっと現実を見て対策を練れっ!!」
俺が至極まっとうな意見(本音ミックス)を大音声でぶちまけてやると、アルヴィンは俺の予想以上にその意見を真摯に受け止めたらしく、唇を噛んでうつむいてしまった。
てっきりなにか屁理屈でやり返してくると思っていた俺は、予想が外れて大いに動揺し、妙に重苦しい沈黙を気まずい思いで打破しようと頭をフル回転させた。
しかし、言ってしまった言葉を引っ込めるなんて器用な技は、生憎と持ち合わせてはいない。
「・・・えーっと・・・いや、悪かった。ごめん。でもほら、誰でも家に帰る途中で急に変な世界へ来ちゃったりしたらさ、アグレッシブになるもんだろ?その前に、普通は自分がよその世界へ来たことを信じないと思うし・・・。俺も、なんか混乱してて、今でもまだ半分くらい冗談だとしか思えないし、それに・・・できることなら俺だってお前らの力になってやりたいけどさ、でも俺はまだ親の世話にならないと生きてもいけないような子供で、無力で、情けないがきっと足手まといだ。だから、期待させる前に帰りたかったんだ。どうせ期待には応えられないから・・・」
俺の長い独白が終ると、再びしばしの沈黙が落ちた。
けれども今度の沈黙は、さっきとは違って重苦しさは消えていた。
残念ながら、俺は普通の高校生だ。
職業戦士ではないし、学者でも、政治家でもない普通の高校生。
陸上をやっていて、人より少しばかり足が速いくらいで、他にとりえもない。
そんな俺に、彼らのためになにかができるとは思えない。
「そうですね。悪いのはあなたではなくて、私たちのほうなんです。あなたが謝ることではありませんよ。・・・私は、自分たちの国のことを、まったく関わりのないあなたに押し付けようとしていたんですね。・・・すぐに、あなたを還す準備をします。もう少しだけお待ちください」
アルヴィンは静かにそう言って、椅子から立ち上がり、床に散らばった紙片をゆっくりと拾い集めだした。
俺はいたたまれなかったが、しかし、自分が無力であることは分かりすぎるくらいに分かっていた。これは、テレビゲームではないのだ。
俺はただ座っているのに耐えられず、立ち上がるとアルヴィンを手伝って紙片を集め始めた。
紙片には見たこともない文字がたくさん記され、幾何学模様やどう見ても魔方陣としか思えない図形もたくさん描かれていた。
多分、この魔方陣を完成させるために、アルヴィンはとんでもなく時間と労力をつぎ込んだに違いない。
それこそ目の下に濃い隈ができて、太陽を忘れたような肌の色になるほどの時間と労力を。
二人がかりで床を片付けていくと、部屋の中央、丁度俺が最初に横たわっていた辺りに、魔方陣が現れた。
これがアルヴィンの努力の集大成であり、俺をこの世界へと導いた扉だったのだ。
「さぁ、ダイチ様。魔方陣の上へ。あなたを元の場所へ戻すだけならば、残りの魔力でもなんとかなるでしょう」
アルヴィンが示すと、床の魔方陣が薄い緑の光を放ち始めた。
この上に乗れば、元の世界へと帰れることは分かっていたが、俺は形容し難い複雑な気持ちだった。
いても役に立たないことは十分わかっている。
さっさと帰って全部なかったことにして、宿題してご飯食べて風呂入って寝て忘れてしまうのが一番幸福なのだ。
多分それが、俺にとってもこの世界の人にとっても、一番いい選択肢なのだ。
けれどもアルヴィンが長い長い時間と労力を捧げた果てに得た成果が俺だと分かったうえで、あっさりと振り返りもせず帰れるほど実利主義にもなりきれない。
俺が逡巡していると、何の前触れもなく部屋の扉が勢いよく開き、一人の男が飛び込んで来た。
部屋に飛び込んできた男は、見たこともないような姿をしていた。
いや、果たしてそれを人間と同一種として取り扱ってもいいのだろうか?
燃え盛る炎のような赤い髪に、ライオンを思わせる金の瞳、まるで動物の耳を人間の耳の位置に付け直したような、不思議な形の耳、肉食獣のようなしなやかな体。オマケに、ネコのような尻尾まで生えている。
それはまるで、人間にネコを足したような生き物だった。
身長は多分180cm半ば、俺が175で、アルヴィンと大体同じくらいだが、男はさらに頭一つ分ほど高かった。
彼は俺の事などまるで見えていないように、部屋に入るなりアルヴィンに詰め寄り、喋り始めた。
「アル!ついに来たぞ!使者がラースを発ったらしい!百年戦争が始まる・・・!!」
低い落ち着いたその声は、今は興奮で多少早口になっていたが、はっきりと俺たちと同じ言語を喋っていた。
・・・あれ?そういえばなんで俺、普通に異世界言語を理解してんだろう?
外国語科目は下から数えた方が早いような万年欠点予備軍のこの俺が・・・。
俺が今更ながら不思議がっていると、男がやっと俺の存在に気付いた。
「・・・これは・・・異界の者か・・・?では成功したんだな?」
男の声がそう言って、俺は改めて彼の方を見た。
ネコのような細い縦の瞳孔が、真っ直ぐに俺を見ており、俺はいささかたじろいだ。こんな生き物はファンタジーの産物であり、俺の常識世界には存在すら許されていないのだが、それがいま目の前にいるのだ。
しかも口をきいて、俺のことを話題にしている。
俺もこの奇妙な生き物をまじまじと見つめ返すと、相手も視線を逸らさずにやはり見つめ返してくる。
お互い、相手の存在が不思議で仕方ないといったように。
しかしふと我に返った俺は、男同士で熱く切なくいつまでも見つめあう趣味など持ち合わせていないので、男から視線を逸らして代わりにアルヴィンを見た。
彼は“仲介者”なので、彼に状況を説明してもらうのが一番いい。
俺の視線の意味を理解したアルヴィンは、即座に説明を開始した。
「カッツェさん、彼は確かに私が異界から召喚したんですが、・・・でも、今回の“簒奪”の協力者ではありません。これから、元の世界へお送りするところです。今回の簒奪は、我々の力だけでなんとか乗り切るしかないんです・・・。」
赤髪の男にそこまで言って、アルヴィンは今度は俺に向き直った。
「ダイチ様。彼はこの城の食客、レグルス・シェン・カッツェ。と言っても、ほとんど我々の同胞です。出自は我が国セレーナの隣りのラドキアで、擬獣族です。」
「ギジュウゾク?」
俺が耳慣れない単語をオウム返しに聞き返すと、アルヴィンに代わって赤髪の男本人が答えた。
「半獣の戦闘民族だ。人によって、様々な動物の特徴を持っている。だが、擬獣族・・・我らの言葉でグルガの民の最大の特徴は、生まれた時からその身に備えている武器だ。我らはこれを“デヴァイン”と呼んでいる。」
そう言って、男は俺に向かって手を差し出した。
見ると、彼の両手にはゲームに出てくる武闘家が使うような、いわゆる“鉄の爪”のようなものがはまっていた。
爪は四本で、そのどれもが研ぎ澄まされた刃物のように長く鋭利だった。
それから彼は無言で手甲を外し、俺によく見えるように手の甲を見せてくれた。その爪は、たんなる武器ではなく、確かに手の甲、指の付け根の少し上から生えていた。
「これらの武器も、どの動物の守護を得るかで個人差がある。私のような爪の場合もあれば、刃の場合もあるし、針のようなものの場合もある。」
彼は再び手甲をつけながら、そう付け足した。
俺はその不思議な爪に見入りながら、改めて異世界を実感していた。
「ちなみに、グルガの民に喧嘩を売ると、一族全部を根絶やしにされる、だとか、返り討ちに遭わずに彼らに勝つ方法はない、とか言われるほど、グルガは好戦的で戦闘能力の高い種族です。---ところでカッツェさん、使者がどうとかおっしゃっていませんでしたか?」
アルヴィンが急に話を本題に戻し、俺もグルガの男も面食らったが、しかしすぐに主題のほうが重要だということを思い出したのか、カッツェと呼ばれた半獣は最初に言ったことを再び繰り返した。
「ああ、今しがた、使者が聖地ラースを発ったとの連絡が入った。もう一月もしないうちに、ここにやってくるぞ」
「いよいよ・・・ですか。では王に謁見を。事情を説明して、異世界からの来援は期待できないことをお伝えしなければ・・・」
「・・・実際、我らの力だけでどこまでファリアに肉薄できる?帝国が玉座を手に入れることだけは絶対に避けねば、世界は再び暗黒を迎えることになる。この国で“簒奪”をマトモに戦えると言えば、お前と私に加えてほんの数名だ・・・。王の護衛だとて残しておかねばなるまい。我らに、ファリアへの道は残されているのか?」
カッツェの問いに、アルヴィンは沈黙で答えた。
なにやら俺は非常に居心地が悪かったので、身じろぎもせず、できるだけ小さくなっていた。
もしもアルヴィンが召喚したのが、三度の飯よりRPGが好きで剣道なり柔道なりの有段者、闘志満々の正義漢で、しかも突然消えても周りが騒がない人間とかだったならば、なにも問題などなかったはずだ。
・・・まぁそんな人間の生存自体が怪しいものだが。
「ダイチ様、あなたを還すのはもう少し待っていただけませんか?・・・こちらの世界での経過時間が二、三日未満なら、時空を渡るときにあなたを呼んだすぐ後にお帰しすることができますから、少々こちらに長居しても平気です。それからもしよろしければ、一緒に王に謁見しませんか」
仕方なしに、俺は頷いた。
ここまで来てお預けはなかろうとも思ったが、この状況で我がままなど言えない。
それに、アルヴィンの話をそのまま信じれば、俺は自分の世界へほとんど同じ時間に帰れる、ということだ。
つまり、2〜3分意識をどこかへやっていたと思えばいいわけだ。
話がまとまると、アルヴィンが先頭に立って部屋を出た。
そういえば、鍵が掛かっていると思っていた木戸は、どうやら内側に引く戸ではなく外に押す戸であるらしかった。
内側に思いっきり引いてみたところで、開かないのは当然である。
我ながらちょっと焦りまくっていたようだ。
部屋の外は部屋と同じく石造りの廊下へと続き、幾つのドアを通り越したか分からなくなる頃にやっと、階段へと出た。
石造りといっても窓がたくさんあり、採光は十分で明るかった。
けれども造りが均一になっており、簡単に自分の位置を見失ってしまう。
今もとの部屋へ帰れと言われれば、まず確実に迷子になるだろう。
ひやりと湿気の篭った石造りの螺旋階段をくだり、それから更に難解な道を行くとやっと、俺たちは目的の王の居室へとたどり着いた。
このような城は敵に攻め入られた時のことを考えて、わざと複雑なつくりにしてあると、以前なにかの本で読んだ記憶があるが、しかしまぁよくも迷わずすらすら目的地へたどり着けるものである。
俺なら右手を壁に当てて歩くという迷路の攻略法を使って、そこら中くまなく歩き回って初めて、目的地へたどり着けるだろう。
とにもかくにも、案内者がいる今はそんなことはどうでもいいが。
「陛下、アルヴィンが参りました。失礼します」
アルヴィンは来意を告げると、これまで見てきたどの扉よりも立派な金属製の飾り扉を押し開けた。
俺はてっきり、王と会うのだから例の映画のような大きな大理石の部屋を想像していたのだが、俺たちに向かって曝け出された扉の内側は、思ったより広くなかった。
最初に居た部屋のだいたい2〜3倍の規模の部屋ではあったが、俺の想像したような、騎士たちがずらりと並んでいたり、並み居る家臣団が所狭しと立ち働いているような大広間ではなかった。
家具類調度品などはさすがに上等なものを使っているが、全体的にすっきりとしており、無駄な飾り立てや華美さはなくシンプルながら居心地はよさそうだった。
部屋の中央には大きな木の机があり、部屋の両脇を占める本棚には古めかしい本が満載だった。
そして、机の両隣りにはカッツェのように武装した一組の男女が石像のように身じろぎもせずに立っている。
恰好から一目で、王の護衛官だと分かったが、肝心の王が見当たらない。
俺は、この部屋の主を探して辺りを見渡したが、俺の想像するような、壮年の威厳ある立派な王の姿はどこにもなかった。
「来たか、大賢者。カッツェから知らせは聞いたな?」
突然あどけない声に話し掛けられ、俺は驚いて大きな机の方を見やった。
そして初めて、そこに人が座っている事に気づいた。
大きな木製の椅子にちょこんと腰掛けていたのは、まだ10歳にも満たないような子供だった。
しかしながら、蜂蜜のような金色をした彼の髪には、俺でもよく分かる王冠が堂々とのっかっている。
どうやらほぼ間違いなく、この子供こそが王であるらしい。
「陛下。このたびの簒奪に、異界の協力者は得られませんでした。我々は我々だけで、世界の玉座をかけた戦いに挑まなければなりません。そして、使者はラースを出立しました。もう、我々に残された時間はわずかです。」
アルヴィンが王の前に進み出て、硬い声音で告げた。
王は幼い顔をわずかにしかめ、ため息をついたが、すぐに真っ直ぐ顔を上げてアルヴィンへ視線を注いだ。
「そうか。よくやってくれたな、大賢者。今回の簒奪は、お前にまだまだ頑張ってもらわねばならん。ゆっくり休んで備えてくれ。
・・・そもそも、私たちが間違っているのだろう。我々の国の問題を、異世界の住人に解決してもらおうなどとは、ムシが良すぎる。私は、国民に愛される王たることを目指しているはずなのに、いつの間にか安逸な道に逃げていたのかもしれぬ。今回の簒奪も、私たち自身の問題だ。
私は世界の王たらんと欲することはないが、ドグラシオルにだけは冠を与えてはならんと思っている。そしてそれは、国の民たちの願いでもある。もはや二度と、闇が降り立ってはならんのだ。・・・カッツェ、お前にもなにかと辛い思いをさせる・・・ふがいない私を許してくれ・・・」
小さな王は言って、うつむき、無念そうに唇を噛んだ。
子供だと思ったが、中身はもう立派な王である。
多分、この少年と呼ぶにも幼すぎる王も、俺が召喚された原因の一端なのだろう。
「陛下、私は私の信ずる王に仕えるために、今ここにこうしているのです。私もアルヴィンも、あなたを抱えてでも世界の玉座へお連れしましょう。」
静かな声でカッツェが答え、王の執務室は、しばらく沈黙が部屋の主となった。
俺は再び、身の置き所のない思いに襲来されていた。
確かに、俺にはまったく非はない。
高校から帰る途中で突然拉致られたも同然で、ここへ連れてこられた。
その挙句に国の命運をかけて戦えというのである。
普通の高校生のこの俺に。
―――だが、ここには俺よりもよほど非力で無力で、幼いが昂然と顔を上げて、真っ直ぐに戦いに挑もうとしているやつがいる。
しかも、俺には一生かかっても理解できないような、国という重圧を背負って。
7歳や8歳の頃の俺は何をしていた?
毎日学校に通って、安穏と勉強して遊んで、それだけだ。
国を背負った事もないし、誰かのために働いたこともない。責任のある仕事といっても教室で飼っていたメダカの世話をしたくらい。
それも、一人だったわけではない。
少なくとも―――
少なくとも、俺にはこの小さな王よりは力がある。
ほんの少しだが、彼より長く生きている。
あまり真面目だったとは言えないが、これまでの授業や生活で得た知識だっていくらかある。
それなのに、俺は逃げようとしている。
平和に凪いだ自分の世界へと、尻尾を巻いて逃げ帰ろうとしている。
それはかならずしも悪いこととはいえないけれど、けれど、この先、俺は果たして胸を張って堂々と生きていけるのだろうか?
ここでのことが夢のように遠く霞んだその時に、この胸の片隅に鋭利なガラス片が残っていたりはしないだろうか?
なりたくて、“勇者”なんてものになろうとは思わない。
そして、この小さな王もまた、なりたくて王になどなったのではないだろう。
この子供だって、町で平穏に暮らし、友達と遊んだり喧嘩したり、勉強したり、そうやって普通に生きていたかったに違いない。
「分かったよ。やりゃいいんだろ。・・・邪魔にしかならないかも知れないけど、それでも・・・袖振り合うもなんとやら、乗りかかった船だ。幸いというか、いやらしいくらい偶然にというか、明後日から夏休みだ。勉強も部活もほっぽり出して、お前らに付き合ってやるよ!」
我知らず、そんな言葉を投げていた。
しかし、言葉を発してしまってから俺に残ったのは、意外にもすっきりとした心持ちだけだった。
突然のその言葉に、アルヴィンは信じられないという表情で振り返り、まじまじと俺を見た。
カッツェも俺の方を振り返り、真っ直ぐに俺を見つめてくる。
そして幼い王は、今までアルヴィンの後ろのほうで縮こまってできるだけ目立たないようにしていた俺に初めて気付いたように驚いた表情を浮かべた。
「大賢者、その者は・・・?」
王に問われ、アルヴィンは慌てて王に向き直ると、カッツェに押し出されて前に出た俺の紹介を始めた。
「あ、ああ、この方は異界の方で、アマギ・ダイチさん。ダイチのほうが名前で、アマギは家名だそうです。・・・あまり闘争を好まない種族のようで、最初は協力を断られ、今から元の世界へお送りしようと思っていたところでした」
「では、成功していたのだな?さすがは大賢者だ。・・・それにしてもその者の髪、それにその目は、闇のような漆黒なのだな。私はこんなものは初めて見たぞ」
王は身の丈に合わない大きな椅子からぴょんと飛び降りると、屈託なく俺のそばまで来て、俺の髪や目を不思議そうに眺めている。
さっきから散々言われているが、どうやらこの世界には黒目黒髪なる人間は存在しないようだ。
「そんなことより、俺は具体的には何をすればいいんだ?」
一端腹が据わってしまった俺は、自分の決断に後悔しないうちに引き返せないところまで行ってしまおうと、話を進めにかかった。
「え・・・ダイチ様、本当に私たちに協力してくださるんですか…?」
信じられないようにかすれた声でアルヴィンが言って、カッツェも同じく疑問を宿した瞳で、やはり真っ直ぐに俺を見つめてくる。
足元に視線を落とせば、幼い王の青い瞳が、子供とは到底思えないほど揺らぐことなく力強く、俺を見上げていた。
「・・・改めて確認されるとやっぱ無理かもと言ってしまうぞ。さっきはうっかりやるよ的な事を口走ったけど、俺だって今まさに後悔の嵐と格闘してて、理性さんと本能の野郎が大喧嘩中なんだよっ!勢い余って口が滑ったのを言質にとって、さっさと逃げられないとこまで追い込んでくれんと、俺は逃げるぞ!!なんてったって、現役陸上部のエースだからな!逃げ足だけは自信がある!!言い換えると、逃げ足にしか自信がない!!」
確かに、内心ではさっそく後悔が始まっており、『ただいまの発言はわたくしめの口が勝手に申し上げたことであり、事実無根でございます』などと、どこぞの腐れ政治屋みたいなセリフを口走りそうになる。
それを理性さんがわずかに勝った力で一生懸命押さえつけてくださっているところなのだ。
なのにアルヴィンときたら、逃げたい逃げたい言っている本能の野郎に味方するようなことをさらっと言う。
勢いで言ってしまったのだから、改めて確認されるとグラグラくるのが道理というものだろう。
「よし。ライル、早速アームズメーカーを呼んでくれ。リズリアは引き続き王の護衛で、アル、お前は勇者にもう少しこちらのことをレクチャーしてやれ。私は身体に合いそうな服を見繕って来よう。そんな恰好をしていたのでは、一目でここの者ではないとわかってしまう。」
俺の最終的な意思確認が終る前に、カッツェが手短に命令を出し、王の護衛をしていた石像のような戦士のうちの男のほうが軽く頷いて執務室から出て行った。
彼のほうはどうやら俺を追い込んでくれるらしい。
そして、俺にむかってにやりと笑って犬歯を見せてから、カッツェも姿を消した。
残った俺は、アルヴィンに導かれて執務用の机の前に備えられた大きなソファへと腰掛けた。
アルヴィン自らも俺の正面に差し向かいで座り、カッツェに言われた通りにレクチャーとやらを始めるつもりのようだった。
王は執務机の上に山と積まれた書類と俺たちとの間を何度か視線で往復し、残念そうに机に戻りかけたが、アルヴィンに手招きされて嬉しそうに俺の横に腰掛けた。
先ほどまでの王の威厳は失せ、俺の隣りに座ったのは年齢相応の好奇心に満ちた、ただの子供のようだった。
残った女性のほうの護衛官はそんな王の姿に微笑し、立ち位置を王のすぐ後ろに変えた。
「それではもう少しこちらのことを理解していただくために、いくつか簡単な説明をしましょう。まず、…そうですね、色についてお話ししましょうか」
「色?」
俺が訝しげに聞き返すと、アルヴィンは微笑して頷いた。
「色です。私たちの世界では、色である程度のことが分かるようになっています。例えば髪の色。この世界には、あなたのような黒い髪や目は存在しません。そして、髪の色はその人の性質を反映しています。
例えば私のような銀の髪。これは、強大な魔力を持つ者の証で、銀髪の人は魔術師と見てまず間違いありません。
次にカッツェさんやリズリアさん、そしてライルさんのような赤髪は、力を示し、特に戦士が多いです。カッツェさんの種族であるグルガの民はほとんどの場合が赤毛です。これもグルガの特長のひとつですね。」
確かに、カッツェはもとよりライルという男性護衛官も、後ろに立っている女性護衛官リズリアも、色の濃淡はあるものの、誰もが赤い髪をしていた。
「次に青い髪なんですが、これは知性を示し、学者に多いです。ちなみに、目の色もこれらの法則に基づいています。つまり私の場合、銀髪・碧眼なわけですから、魔術師で知性のあるタイプと分かるわけです。
さらに付け加えると、銀と金の目というのは、事実上特殊な例を除けば存在しません。カッツェさんがその特殊な例で、彼は半獣ですから、守護を得た動物から金の目を受け継いでいらっしゃるようです。」
確かに、あのカッツェの目は金色で、俺にライオンを思い起こさせた。
俺が納得したのを見届けると、アルヴィンは更に説明を続けた。
「これから町に下りていただければよく見かけると思いますが、緑の髪を持つ人もいます。彼らは平和と秩序を好み、茶色の髪の人もこの傾向が強いのですが、農民が多いです。戦士のように壊すことに生きがいを感じるのではなく、作り出すことが彼らの基礎であり、彼らが国の土台でもあります。
緑と茶色の髪を持つ人々はともに自然を愛し、争いを好みません。この国ではこの二色を持つ人が一番多いですね。
次に灰色、鋼色ですが、これらは職人に多い髪の色です。職人と言っても、鉄鉱石を鍛えたり鉱物を掘り出したりするような人々ですね。
そして最後に金の髪なのですが、これは、各国にただ一人しかいません。」
「・・・つまり、王ってことか?」
「そうです。中々優秀な生徒さんですね。私も教えがいがありますよ。
王は金の髪を持って生まれてきます。生まれた時から王になる宿命を背負っているということですね。そして、次の王、つまり王太子は必ずしも現国王・王妃の子供とは限りません。むしろ、現国王・王妃の子供であることのほうが珍しいのです。」
「は!?じゃあ・・・どうするんだ?現王が急病になったり、ぽっくり逝ったりしたら大混乱じゃねェか」
俺が隣りの王とアルヴィンを交互に見ながらいうと、アルヴィンは頷いてから答えた。
「それはもっともですね。けれどもそこには偉大なる創り主の意志がきちんと働いておりまして、先王が崩御なされる最低5年前には次の王が生まれてくるんです。そして、生まれた次の王はすぐに王城にやってきて、先王の政治を見ながら城で育つのです。」
アルヴィンの説明に、俺の隣りにちょこんと座った王が頷いた。
「ああ。私もそうだった。私の父は農夫で、母は機織をしている職人だった。私は生まれるとすぐに両親に連れられてここへ来て、先代の治世を間近で見ながら育ってきた。去年、先代がお隠れになったので、私が即位したのだ。」
アルヴィンの説明を幼い声で引き継いで、王は自らの身の上を語ってくれた。
とにかくこれで俺の黒目黒髪が面白がられる理由は分かった。
つまり黒い髪や目の持ち主は、現時点でこの世界では俺ただ一人ということだ。
「次に、魔導器についてお話ししましょうか。」
「マドウキ?」
「ええ、魔導器です。人は、誰もが魂に一振りの剣を宿しています。
それは信念であったり、夢であったり、野望であったり、形こそ人それぞれですが、誰の魂にも共通するものです。
そして、私たちは魂の中の一振りの剣を実体化させ、それを己の唯一最高の武器としているのです。」
「・・・なにやら急激にファンタジー色が濃くなってきたな。」
「まぁ聞いてください。あなたにも、魔導器を造っていただきます。さっきカッツェさんがライルさんに言っていた“アームズメーカー”とは、魔導器を造る専門職の呼び名です。言ってみれば究極の武器職人ですね。ちょっと分かり辛いようなので、実物をお見せしたほうが早いでしょうか?」
アルヴィンがそう言うと、女護衛官が俺の横手へまわってきて、微笑と共に細身の剣を差し出した。
それは美しい一振りの剣で、俺の目にはそこらのRPGに出てくるそれと全く同じに見えた。
「これがリズリアの魔導器剣、“ヴィネス”です。魔導器とその持ち主とは一体なので、ほかのどんな武器よりも手に馴染み、攻撃力もどんな強力な武器でも及びません。魔導器の形は人それぞれで、リズリアのような魔導器剣の場合もあれば、魔導器杖、魔導器弓、魔導器槍など、様々な種類が存在します。
付け加えて言うと、グルガ族はこの魔導器というものを造り出せません。理由はもちろん彼らが生まれた時から“デヴァイン”を身に帯びていることです。
つまり、彼らの魔導器はデヴァインだということですね。むしろデヴァインを真似て造り出されたのが魔導器だと言えます。ただし硬度的に言うと、デヴァインに及ぶ物質は存在しません。魔導器の原料であるソウルメタルですら、デヴァインの硬度には全く歯が立たないんです。」
「要するに、何が何でもグルガ族にだけは喧嘩を売るな、と言いたいんだな?」
俺が話の流れから内容を要約してやると、アルヴィンは苦笑で答えた。
・・・こいつ、さっきからやたらとそればっか言ってるが、昔グルガに酷い目にでも遭わされたのだろうか?
サブタイトルは適当につけてたので、全然記録に残ってません。
また適当につけるので、前回と大幅に食い違いそうです。でも基本中身は一緒です。