19.出発間際の大ピンチ。
昼まで頑張って、腹がエネルギー補給を要求し始めると、俺は国語のワーク決死の殲滅作戦を一時中止して昼食を摂りに出た。
食事は広間ではなく家臣たちが使っている食堂に行って、厨房の人に頼めば大体いつでも何か作ってくれる。
希望があるなら言っておけばそれを用意してくれるし、なかなか便利だ。
食材が何かよく分からないことを考えなければ、味のほうは最高。
今日は何を食べようかな、と考えつつ食堂へ行くと、大学の学食くらいの広さがありそうなそこで見知った顔に出会った。
採光のいい窓際で昼食を摂っていたのはダリルで、厨房に声をかけて適当に食べ物をもらった俺は大盛りになったオカズ類を盆に載せて、ダリルの座っているテーブルまで行くと一声かけてから彼の正面に腰を下ろした。
ダリルは正面に腰掛けた俺の顔を一瞥すると、特に何か言うでもなく目の前のパスタっぽい麺の山にフォークを刺してがっつりと口に含む。
そして咀嚼を始めるが、彼の前の皿には俺のと比較してもさらに多い量の食べ物たちが供えられていた。
ここにも自棄兄さん発見。
食べ方と量がどう見てもヤケ食いモードだ。
「あの・・・胃がびっくりしませぬか?」
どう声をかければいいのやら頭で考えているうちに、口からぽろっとそんなせりふが転がり出る。
「ふぐふぁらはんだつ・・・」
「すんません、人間語でお願いします。アルヴィンの万能翻訳魔法でも、そういう異星語にはちょっと対応できないみたいなもんで・・・」
口いっぱいに異世界パスタを含んだダリルは、しばらくふぐふぐと咀嚼のみを繰り返し、口の中身を胃へ通して唇を舌で舐め、水を一口飲んでから一息ついて改めて話し始めた。
「・・・これから簒奪なんだ。今のうちに、食べられるだけ食べておいたほうがいい。」
「いや、それにしてもその食べ方はどっちかと言うと、エネルギー補給と言うより自傷行為に近いぞ・・・?」
正直な感想です。だってヤケ食いなんて食べ物への冒涜だもの。
「それよりお前こそ、こんなところでのんきに昼飯なんて食べていて大丈夫なのか?」
冬眠前の熊みたいな食べ方をしている自分のことはさらりと棚に上げて、ダリルは平気な顔で言ってくる。
こっちは正真正銘エネルギー補給だと言うのに。
「俺はいいの。アルヴィンにも確認取ったけど、俺のすることは心の準備だけらしいから。」
言いつつ目の前でおいしそうな湯気を立てている料理に、持参の割り箸をつっこんで食事開始。
フォークやナイフはどうも性に合わないので、向こうに帰ったときに割り箸を何膳か用意してきたのだ。
こちらの世界では初公開の割り箸使用の食事に運よく(?)居合わせたダリルは、棒切れ二本で器用に料理を摘み上げて食べる俺を、珍獣が餌を食べているところにでも出くわしたかのように見ていたが、好奇心が収まるまで存分に見てから何事もなかったかのように話を続けてきた。
アルヴィンなら絶対につっこんでくるところだが、彼の場合はとにかく自分がそんなもんなんだと勝手に納得できればそれでいいらしい。
「聞いたか?三日後には出発するそうだ。」
「ん。アルヴィンに聞いたよ。それまで特にすることもないから宿題でもしてろってさ。で、午前中は宿題してて、頭脳労働で失われた糖分を補給しに来たってわけ。」
「シュクダイ、というものがどんなものかは分からないが、そんなものよりもカッツェ殿に武術の訓練でも頼んだほうがいいんじゃないか?」
こやつなかなかイタイとこを突いてくる。
さすが、例の砦で俺の大活躍を間近で見ていただけはある。
「そんなことしたら、三日の間に俺死ぬよ。遠まわしに消え果てろって言われてんのと同じだ。」
「確かにレベル差はありすぎるな。ならアードラー殿は?」
「・・・そんなに俺の死因をグルガにしたいのか?」
レグルスもシンラも大差ない。
実際少々くらいの差はあるのだろうが、どっちにせよレベル離れすぎてる俺にはどっちも化け物だ。
そして、会話の間に皿の食べ物が格段に減ってる目の前の兄ちゃんもある意味化け物だ。
しかしそんなダリルがふと食事の手を止め、フォークをカタンと音をさせて皿の上に置いてから、改めて俺の顔を真っ直ぐ見てきた。
「なら俺とはどうだ?」
一瞬お前俺よりヒマだろ!!と言いかけて、口腔内に食べ物があったため、どうにかそれと一緒に言葉も飲み込む。
そして代わりの言葉を吐き出す。
「直接手を下す方向で来たか!俺そんなに恨まれてんの!?」
「誰がだ!お前を始末して上へ行けるなら・・・考えないでもないが、特にそういうメリットもないのに誰がそんな危ない橋を渡るか!」
「チラッと危険思考出た!!しかも始末とか言ったし!!こわっ!もうここホントこわっ!!」
がたんと椅子を引いて、ややオーバーリアクション気味に返してやると、ダリルは一度ため息をついた。
「・・・お前がどう思っているかは知らないが、これから行くのは魔物の類も闊歩しているような所だ。今のまま行って、無事に帰ってこられるのか?」
ふっと俺を見るダリルの瞳に真剣さが宿る。
彼の瞳の中の俺は、笑顔建築中に予想外な崩落が起こったような顔をしている。
「いや、そりゃ危ないのは承知の上だけど・・・」
笑顔を消して、ダリルに合わせて真顔に戻し、俺は言葉を続ける。
「今から三日でどれくらい進歩できるかってことだな。生兵法は怪我の元って言うし。」
彼が真剣に心配してくれているのは雰囲気で痛いほど分かる。
でも、この忙しい時にそんなことで他人の貴重な時間を取らせるのは申し訳がない。
・・・目の前のお兄さんに限っては、確かに見た感じヒマそうなんですけどネ。
「最低限おのれの身を護る術くらいは身に着けておくべきだ。三日あればなんとか基礎くらいはモノにできるだろう。」
諦めないよ、この人。
確かに自分の身くらい守れなければ、いつまでたってもお荷物のままだ。
少々自分の身を守れてもお荷物には変わりないが。
「う〜ん・・・」
生返事。
検討中。
自分でも煮え切らないのは承知の上だ。
確かに必要なことだと思う。
躊躇う必要はないだろう。
だが、彼にしたところで残り三日で出発という事実は変わらない。
なのにその貴重な三日を俺のために費やすなんて、それでいいのかと思ってしまう。
「よし。じゃあ食事が済んだら教練場だ。魔導器を持って来いよ。」
「えっ!?俺イエスって言いました!?というかまだ宿題があるんですけれども!?」
なんか知らんが、さっきのう〜ん・・・はダリル語ではイエスになるらしい。
曖昧語って難しすぎて存在が認知されてないんでしょうか?
「そんなもの、訓練が終わってからすればいいだろう。どうせ他にすることはないはずだ。」
「強引だっ!俺にだって色々予定があるんだからな!」
あまりの強引さに、ついつい反駁してみたが、言ってしまってからふとダリルが疑惑の目でこっちを見ていることに気づく。
予定があるなら言ってみろと言わんばかりの目だ。
「そ、そのっ!宿題のほかにもだな、ゴロゴロしたり、夏の思い出を作ったり、散歩したりぽちをつついたり、酸素吸って二酸化炭素出したりっ!とにかく忙しいんだ!」
「そうか。ならせいぜいこの世に今生の別れを告げる有意義な三日間にすることだ。」
テキビシイ。
「わかっ!分かったから!分かったよ!!」
こうして俺は、宿題すらまともにさせてもらえないのでありました。
昼食をどうにか胃に流し込んだ俺は、ダリルなど金欠病で三ヶ月ほど酸欠の金魚みたいになればいい、と呪いの言葉をつぶやきながらも部屋に帰って仕度をし、おとなしく修練場へ降りて行った。
とことん逃げ回ってやっても良かったが、どのみち宿題できないし、逃げると他の人にも迷惑がかかりそうなので、大人な俺は妥協してやったのだ。
ダリルが俺のためを思ってわざわざ稽古をつけてくれるのは分かっているし、感謝しなければならないことももちろん了解済みなのだが。
修練場へ行くと、完全武装のダリルが待ち構えていた。
胸部のみを鎧うブレストアーマーと、関節各箇所の部分鎧姿の彼は、クレイモアを軽々と肩に担いで俺がのろのろと処刑されに行くのを急かすでもなく待っている。
そして俺が死刑台に上がるのを見届けると、始めるか、と一言だけ言葉を発した。
とは言え、クレイモアは肩に担いだまま。
特に構える様子もない。
「あの、もしやそれで俺のことを叩き斬るおつもりで?」
始めると言ったものの、特に何かするでもないダリルを警戒しつつ、おずおずと彼の肩の上のものを指す。
レグルスだってデヴァインの攻撃力を殺してくれたというのに、いくらなんでも真剣はあるまい。
だがしかし、俺の淡い期待は無常にも打ち砕かれた。
それはもう粉々に。
「魔導器を使うつもりだが、何か問題でも?」
平然と返してきましたよこのお兄さん。というか人でなし。
「マジで?本気?」
彼がそれを当たり前だと思っているのが顕著に見て取れて、ちょっと泣きそうになる。
いくらこっちもドラゴン革を着てると言っても、あんなので叩かれたらそれだけで三途の川くらいぴょーいと渡ってしまえそうだ。
しかし、ダリルは相も変らぬ真面目な表情のまま一言。
「俺は真剣だ。」
刃物持って“真剣だ。”
「その年でオヤジギャグ!!?感染してんのか不治の病にっ!!」
その一言がどう頑張っても切れる剣と本気をひっかけたギャグにしか取れず、思わずツッコミをいれてしまうが、彼は何のことか分からない、という顔をしただけだった。
寒い・・・なんかうすら寒い。
「さぁ、時間が勿体無い。行くぞ!」
オヤジギャグの破滅的破壊力を正面から浴びて硬直状態の俺に一切構わず、ダリルが覇気だか闘気だかそんなんをトドメのようにド素人の俺にぶつけてくる。
本職軍人のくせに鬼だこいつ。
「ま、ま、待った!!話し合おう!まだ和解の余地はあるはずだ!!」
「問答無用!!」
「死神っ!死神が見えるっ!」
聞く耳持たないダリルの後ろに、俺は確かになんか黒いマントの骸骨野郎が笑っているのが見えた。
思わず頭をガードする。本能のなせる業だ。
しかし、特に攻撃はこない。
恐る恐る目を開け、顔を上げると、行くぞと言って弾みはつけたものの、ダリルは俺の心の準備ができて俺のほうから行くのを待ってくれているようだった。
証拠に、いまだにクレイモアは肩の上だ。
し、仕方ない。
待たされすぎてキレたダリルに追っかけまわされるよりは、頑張ってこっちから仕掛けて即逃げたほうがちょっとは前向きなやる気を認めてもらえるだろう。
いや、この考え方からしてすでに後ろむきとか言わないでほしい。
怖いモンは怖いのだ。
そしてその恐怖心をどうにか5cmだけ内側に押し込めて、代わりに5mm.勇気を出して棒切れを・・・俺の魔導器を構える。
正眼っていうのか、剣道だとそんな構え方だ。
そのまま如意棒風ににょーんと伸ばして、正面に立つダリルをちょっとつついて逃げるという手もあったが、伸ばしてる間に何されるか分からないのでやめておく。
彼もアルヴィンもレグルスも、一応俺の魔導器が伸びるのは見ているので、手の内はバレバレなのだ。
「う・・・おおおおおおおっ!!」
雄たけびを上げて、士気を上げる努力をしてから棒を振りかざし、覚悟を決めて駆け出す。
ダリルは動かない。
クレイモアは肩の上。
俺と彼の間にある15歩ほどの距離を、勢いをつけて一気に詰める。
周りの世界が加速していき、俺1人引き伸ばされた時間の中に取り残されたような錯覚を覚える。
現実には俺がありえない速さで加速して、ダリルへと迫っているのだが、しかし主観的に見ると飛躍的に跳ね上がった動体視力のおかげで、まるでスローモーションで見るかのように世界はゆっくりと回る。
棒切れを振り上げる。
それでもダリルは動かない。
俺を見据えて、表情一つ変えない。
あと5歩。
振り下ろす直前。
まだ動かない。
当たるかもしれない。
それも、防具のない前頭葉にクリーンヒット。
いくらアルミパイプみたいに軽い棒切れでも、下手をしたら大惨事だ。
腕力も足ほどではないがあがっていることを考えると、下手をしなくても大惨事確定かもしれない。
残る距離3歩。
ダリルは動かない。
一瞬躊躇。
棒を掲げる手の力と勢いが弱まり、棒の先がぶれる。
足が反射的にゆるいブレーキをかけ始め、まるで後ろから遅れてきた時間がぶつかってくるような重力の反動を感じる。
轟。
疾風が、俺の肩口を裂くように走り抜けた。
前髪が風に舞って、もともとバサバサの髪をさらにかき乱していく。
危ないと本能が言って、俺の脚は今度こそ加減なくブレーキをかけた。
一時期全力疾走からの急停止が部活内で変な流行を見せたため、急停止はお手の物だ。
どれだけきれいなブレーキ痕というか、足の跡を残して止まれるかとか、転ばずに立ったまま止まれるかとか、変なことを競い合ったものだ。
しかし、勢いに乗った体は思ったほど急停止してくれない。
仕方なく腰を落とす。
これも、全力疾走からの急停止を研鑽する上で編み出した技の一つで、安全な転び方への導入部分だ。
腰を落とせば必然的に前のめりになっていた重心が後ろへ移り、そのまま足だけ滑らせて尻餅をつくようにして停止。
俺が刻んでいるはずの、これまでにないほどの鋭角的な急停止の跡はあえなく尻に敷かれて潰れ去っただろう。
多分、陸上部ギネスに認定されるのは間違いないほどきれいな停止跡だったろうが・・・。
そんなことを思ったのも束の間。
気づいた時には、開いた両足の間にわずかに覗いた地面に、クレイモアの切っ先がめり込んでいた。
こわっ!怖っ!!恐っ!!!
「相手を観察せずに無闇につっこむからこうなるんだ。俺が構えてないと思ったか?」
危なっ!凶器だ!この兄ちゃん、体から中身からくまなく凶器だ!!
「・・・誰が凶器だ。ほら、立て。」
絶対殺る気だ。まだあの時の事を根に持ってて、事故に見せかけて俺を始末する気だ。そんでそのへんに埋めて、知らぬ存ぜぬで通す気だ。
和解したふりをして俺を油断させて、これを狙ってたに違いない!!
「いやだから、純粋に利益も出ない殺人をするほど俺も酔狂ではない。ところで、全部言葉になって出てるが、自覚はあるか?あまり口に出すと人格を疑われるぞ?」
「うぅおっ!?俺全部しゃべってた!?」
「あぁ。事故に見せかけて始末するとか、凶器だとかな。俺よりもお前のその考え方のほうがよほど危険だと思うが・・・」
やばいやばい。
恐怖のあまり自制心のタガが外れて余計なことまでベラベラしゃべっていたようだ。
「・・・さぁ、いつまでも座っていても仕方がないだろう。立って構えろ。」
茫然自失の俺が現実に戻るためのほんの一呼吸の間を空けて、ダリルは何事もなかったかのように言って、当然のように立てと促してきた。
俺のガラス製のハートはさっきの一撃ですでに粉々になっていることには微塵も気づかない鈍感っぷりだ。
絶対こいつ女性にモテない。完全品質保証できる。
「正直申し上げますと、なんかその、えっと、殺気?闘気?そういうのを正面からぶつけられたこととか、こっち来て初体験なわけで、そんなスパルタにされると圧に弱い現代っ子は簡単に折れるというか、もう少しやり方があると思うのでありますが・・・」
あんなに本気で斬られそうになったのは生まれて初めてなので、体ががちがちにこわばってしまって立てと言われてもさっと立てない。
ちょっとした時間をくれとか、まぁもう少し手加減しなさいというメッセージをこめたつもりだったが、
「さっさと立て。まさか腰が抜けたとかいうんじゃないだろうな?」
ダリルは方針変更どころか表情ひとつ変えない。
あぁ、そうだ。このヒトは曖昧表現が理解できないんだったっけ・・・。
腰を抜かしたと思われても癪なので、それにこれ以上何か言っても多分無駄なので、俺はヨロヨロしているのをできる限り隠すように立ち上がった。
生え抜きの軍人相手に無駄だと思うが、なんかアレだ。男のプライド?そういうのが弱みを見せるのを拒否した結果だ。
なんとか立って、少し距離をとる。
ダリルはまたクレイモアを肩に担いで、俺の漫然とした動作を目で追っている。
そういえば、肩の上に剣を乗せるように構える型があった気がする。
大振りになるが、体を折るようにして剣を振り下ろすため、遠心力か何かが加わって一撃の破壊力は飛躍的に上がる型だ。
ただし予備動作が大きいので、ぎりぎりまで引き付けて避ければ決定的な隙を狙える。
無理だけどね。ぎりぎりまで引き付けて避けるなんて。
こちらに来て備わった動体視力と反射神経をもってすれば、紙一重で避けることも十分可能だが、でもそれは強靭な精神でもって迫りくる刃物のプレッシャーに耐えられたら、という絶対的前提が必要だ。
圧に弱いガラスハートの現代っ子である俺には到底無理な芸当。
「・・・仕方ない。」
つぶやいて、ため息ひとつ。
前が無理なら後ろから。
あんなふうに、得物を肩に担いでいたら後ろから不意に攻撃されたら対応は難しいはずだ。
問題はひとつ。
ダリルが対応してくる前に後ろに回りこめるかどうか。
その場で足踏みをするように、走り出すためのリズムを刻む。
棒は邪魔なのでリレーバトンサイズに縮ませる。
意識して伸ばそうとすると少し時間がかかるのだが、縮めるのはほんの一瞬だ。
リレーバトンのあの感触を思い浮かべるだけで、意識しなくても棒はレギュラーサイズからすぐに縮んでくれる。
元の長さに戻すのも、レギュラーサイズまでならすぐだ。
それ以上に伸ばそうとすると厄介なのだが。
伸ばしたほうが用途は広いので、これからの進歩に期待、と。
足踏みを繰り返すうちに、だんだんと体から余分な力が抜けて、同時に緊張感もほぐれていく。
そろそろ、エンジン始動というところか。
最初の一歩を踏み出すと、俺は全速力で駆け始めた。
まずはダリルを無視し、彼から大きくそれて広い空間でトップスピードまでギアを上げていく。
ありえない速さで景色が流れ、吹き付ける風がどんどん重くなる。
しかし、心肺機能も強化された今の状態では、さしたる苦にも感じない。
十分にスピードに乗って、急旋回してダリルを奇襲。
まずは正面から向かうように見せる。
なんのひねりもなく、ただ文字通り猛然と突っ込んでいくと、ダリルは一瞬で対応を変えて肩の剣を下ろし、正面で構える。
これで背後からの攻撃にも反射神経の限界速度では対応してくるだろう。
彼にあって俺にないものは山ほどあるが、彼になくて俺にあるものと言えばこのスピードしかない。
勝負できる手札は一枚。
あとは頭を使うだけだ。
スピードに乗った俺は一瞬にしてダリルの目前へと迫り、クレイモアの切っ先が届くか届かないかの境界へと達した。
棒はレギュラーサイズの半分くらいに戻してある。
杖にするには少し短くて、スイカ割りの棒には長いかなぁという程度の長さだ。
それを剣のように構えてやる気を見せておく。
俺が射程圏に入ったのを目視すると、ダリルも俺に合わせて腰を落とし、重心を下げて不動の守りの体勢に入る。
俺のスピードに自分の攻撃がついていかないことを考えて、後手を選んだのだろう。
明らかに得物の重量差を計算している。
たとえこっちがスピードに乗っていても、持っているのは細っこい棒だ。
比べてクレイモアは長大な剣で、動きが鈍重になるという欠点にさえ目をつぶればカバーできる範囲も広いし、たとえば俺の棒を受けてそのまま力押しで防御から攻勢に転じることだってできる。
とにかく俺の一撃を完全に防いで、それから一気に反撃にでるというのは確かにスピードに欠けて力で勝るダリルにとって最善の作戦だ。
あのでかい剣をこんなしょぼい棒で押さえ込めというのはあまりに酷。
力では負けてないと思うが、得物の重さでは圧倒的に負ける。
体重+力+剣の重さ=攻撃力とすれば、こちらに勝ち目は薄い。
金属バット持った輩に、フェンシングのあの細いくにゃくにゃの剣で挑むと考えてもらえばいいだろうか。
この守りの城砦を突き崩すには、やはり後ろからしかないだろう。
躊躇せず、一気に懐に飛び込む。
ロングレンジの大剣相手に躊躇していると、それこそ危険だ。
さっさと懐に入ってしまったほうが、かえって長さが邪魔になって有効な攻撃ができないが、下手に射程圏あたりで躊躇してると100%の力を発揮した一撃をもらうことになる。
ダリルが目を見開き、俺の一撃がどちらから来るか一瞬でも早く見定めようとする。
俺はそんな彼の眼前で、いきなり左手方向にそれてやる。
ダリルの首が、俺の動作を追って回る。
狙い通り。
そのときにはもう、反復横とびの動作で俺はダリルの死角、右手側へと回りこんでいた。
無防備な背中。
消えた俺を探して、反射的にダリルが右側を向くまでにはまだ何秒かあるだろう。
もらった・・・!!
が、しかし。
歴戦の戦士はそんなに甘いもんじゃなかった。
素人な俺の考えそうなこと・・・背後からの奇襲・・・を見越して、すでに十分予想していたらしいダリルは俺の考えを外れて、あえて右向きに回頭などせず、左を向いた勢いのまま体を回転させて剣を振るい、ちょっとした木くらいならすぱんと景気よくいっちゃいそうな一撃を放ってきた。
危ないので逃げる。
もちろん逃げる。
もし受け止めたら真っ二つになるのは棒だけでは済みそうもない。
ヒトとして生まれたからには棺おけにはいずれ入る予定だけれど、それは今ではないし、そして少なくとも上半身と下半身は一心同体のままでいてほしい。
いくら異世界で危ないことする覚悟はできたといっても、どっかのパーツを落として帰るような事態だけは絶対に避けねば。
中途半端に逃げたのでは攻撃範囲の広いクレイモアの餌食にされるので、せっかく懐に踏み込んだのに泣く泣く大幅に距離をとる。
そして即座にまたダリルへと肉薄する。
しかし直前でまた違う方向へずれ、距離をとってからもう一度アタック。・・・すると見せかけてまたかすらないギリギリで逃げに走る。
ヒット(すると見せかけて実はひたすら逃げ)&アウェイだ。
ダリルは再び防御の構えで忙しく俺の動きを追っている。
棒を無意味に振り回す。
そして、近づいては離れることを何度か繰り返し、やっぱり背後からしか無理だという結論に達した俺は、棒を振り回しながらもう一度正面から攻め込んだ。
絶えず動かしつつ、棒は少しずつ伸ばしておいたので、レギュラーサイズよりも俺の頭ひとつ分くらい長くなっている。
これでも少し短いが、これ以上伸ばせばさすがにどんなに振り回して残像で誤魔化しても誤魔化しきれなくなるだろう。
勢いをつけてダリルのすぐ前まで迫り、防御の構えのままのダリルの目の前に打ち下ろす。
体重を棒に預けて、しばし空の旅。
また棒高跳びだ。
普通に攻めたのでは絶対絶対絶対に後ろに回りこんでも即反撃がくるので、ちょっと奇抜にいくしかない。
とはいえ棒高跳びも一度見せているので、そこのところが不安だ。
とりあえず邪魔が入ることもなく気持ちよく背面跳びを決め、視界が空の青一色に染まる。
開放感が心に満ちて、一瞬棒を縮めるのが遅れた。
そして、その一瞬はあまりに致命的だった。
ガァンと金属音がして、俺の体はありえないことに、強い力でダリルの前方に投げ出されていた。
ちょうど棒高跳びの滞空最高点だったため、ランディング予定の空港が見えたと思ったら急に機首を旋回させて来たほうへ戻るような感覚だ。
何が起こったかしばらくわからず、吹っ飛ばされながらやっと棒高跳びの急所である地面についた棒をがつんとやられたのだと理解できた。
普通の人なら、自分をある程度持ち上げたら棒は捨てる。
俺の場合、武器と兼用なので捨てられない。今に至っても握っているくらいなのだ。
しかも縮めるのも遅れた。
それが招いたのがこの結果だ。
視界はひたすら青い空で、多分頭から落ちるのだろうなァとぼんやりそんなことを考えてしまう。
宙返りでも決めて着地できればカッコいいが、なんか体が動かない。
分かっているのに動けない。
思考速度だけが飛躍的に上がっていて、体のほうがついてこられないようだ。
全身の力が抜けて、人って意外と飛ぶんだな。でも痛いの嫌だなぁと思う。
重力が俺の体を引っ張り始め、現実時間にしてほんの十数秒の空の旅の終焉。
しかし、衝撃は意外なところから来た。
ぶつかるはずのないところで、ぶつかるはずのないものにぶつかったのだ。
背後には、建物も何もない広い修練場。
なのに、なぜか滞空中に首筋に衝撃が来て、そして落下が止まった。
何か体温の感じられないものが俺の襟首に侵入し、がっつりとドラゴン革ジャケットの襟を掴む。
まるで、母親にくわえられた子猫のような状態だ。
どっかの運送屋のロゴのようになった自分を想像で客観的に見てカッコ悪ィ・・・などと考えていると、俺の母猫・・・もとい救いの神的なものの声が上から降ってきた。
「これァ簒奪に持ってくんじゃねェのかよ?ぶっ壊して構わねェのか?」
ガラ悪い男の声。
わっさわっさ音がするのは、どうやら羽音らしい。
リーフがよかったな。どうせなら、リーフがよかったな。多分この意見には全世界の男性諸君の賛同を得られるかと思うのだが。
「あ、あ、あの、いやこれは…・・・あの、これは・・・」
俺の上の人・・・シンラに視線を定め、ダリルが畏まってなにか言いかける。
なんか激しく動揺が見えるが、シンラと何かあるのはレグルスだけではないのだろうか?
「あァ?何?ハッキリ喋れよ聞こえねー。」
シンラは俺の想像では極大に顔をしかめて、相変わらず俺を掴んだままバサバサとダリルのほうへ寄って行く。
掴んだ、と言っても、手で掴まえてくれているわけではない。
だってさ、首筋に当たるこの金属的な感触、ぜったいデヴァインだもん。
飛んできたサッカーボールをぽんと受けるみたいに、俺を片足で引っ掛けて捕まえているのだ。あの鉤爪付の足で。
こうなってくると母猫にくわえられた子猫ではなくて、鷲に捕まったウサギの気分だ。まさに鷲掴みにされているのだから。
でも下ろしてくれと頼んだら、ポイっと放り出されそうなので黙っておく。
できたら円満に下ろしてほしいけど、多分無理なんだろうな。
ダリルとの距離が縮むと、予想通りシンラは不意に自分の足にいまだに邪魔なものがくっついているのを思い出したように、俺に一声もかけずにいきなりぽいっと放り出しやがった。
ある程度予想済みだったので、そして高さもそんなになかったので、きちんと足から着地。
その隣に、シンラも降りてくる。
俺たち二人を前にして、ダリルはますます動揺しているようだった。
「こんなもん三日やそこらでどうにかなるわけないだろが。見りゃ分かんだろ?全身全霊で素質ねぇぜこいつ。」
翼をたたんで落ち着いたと思ったら、さっそくダリルを見つつ俺のほうを指差してシンラが言う。
ここでは人を指差しちゃいけませんって習わないのだろうか。
そしてわざわざ言われなくても本人が十分承知してることを口に出して言わないでおいてあげましょう、と教わらないのだろうか?
多分保育園か幼稚園あたりで教わるべきことなのに。
「あ、は、いや、それは・・・じ、事故、そう、多分事故で・・・」
対するダリルは動揺が激しい。汗はすごいし呼吸は浅いし、大丈夫かよと思わずにはいられない。
どう頑張っても俺のことをいぢめ倒してくれたあの男と同一人物とは思えない。
シンラってそんなに怖いのだろうか。
・・・いや。よく観察すると、ダリルはむしろ俺のほうをちらちらと見て、せわしなく地面へも目をやっている。
シンラが原因ではないようだ。
「事故だ?お前それ真剣だろ。そんなんでこんなヤツ叩いたら、ころっと逝くぞ」
こんなヤツ、のところで、シンラはばしんと俺の背中を叩く。
本人は多分そんなに力を入れてないつもりだろうが、俺にしては不意打ちだったので前方によろけた。
そして、ダリルが地面に向けた視線の意味に気づいた。
少し離れたところに、ころんと鈍色の輝きが転がっている。
細身の棒。
きれいな六角形。
なんか、見たことある。
「・・・わ、悪かった」
シンラが俺の顔を見ずに疑念を確信に変える言葉をつぶやく。
彼が視野に捕らえているのは、俺の握った棒切れの先。
やっぱな。見たことあると思うわけだ。
「これ俺の棒じゃん!!斬った!?斬ったの!!?」
多分棒高跳びに使って彼の後ろを取ろうとしたあの時、支点を叩いて俺を吹っ飛ばした拍子にスパンといっちゃったということだろう。
手元の残りに目をやると、やっぱちょっと短い。
しかも、切り口が斜めになっている。
平らな元の状態よりは攻撃力とかは上がってそうだが、でもこれは…
「なに?なんで!?これって・・・え?反則じゃない?」
寄って行って棒の先を拾い上げ、レギュラーサイズに戻した棒の先にくっつけてみる。
きれいに断面が合って、紛れもなく棒が短くなった事実を思い知る。
あれ?棒が壊れたってことは、俺・・・もしかして・・・留守番?