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17.2人のグルガと悩める乙女

まず、呼吸を整える。

二人の戦神の間に割って入るのだから、それなりに気力も漲らせておかねばならない。

一度深呼吸して心を落ち着け、なおかつやるぞと強く気を張り詰めて、俺はいまだに双方のデヴァインを激しくぶつけ合っているグルガ族に近づいた。

「ひかえおろう!この紋所が目に入らぬか!!ここにおわすお方をどなたと心得る!恐れ多くも先の副将軍、水戸光圀・・・ってぽちがそんな偉いわけねぇだろ!!えーっと、恐れ多くもそこらのぽちにあらせられるぞ!!頭が高い!!」

高々と言い放ち、同時に手にしたぽちを印籠か警察手帳のようにずいっと2人にむかって突き出す。

レグルスとシンラは互いのデヴァインをかみ合わせて互いに鍔迫り合いしつつ、こちらに顔を向ける。

目が尋常じゃない殺意を孕んでいて怖い。

人を焼き殺せるほどの熱量を秘めた目でしばしぽちを注視した二人だったが、意識はすぐに闘争に戻ってしまった。

「・・・ぽちがどうなってもいいってわけだな。よし、じゃあつつきまわしたり転がしたりぽんぽん放り投げたり、あとえっと、ふーふー息吹きかけたり、鼻を乾かしたりそれから・・・まぁなんかそんなことをしてやる!!」

突き出した手をゆっくり引き戻しながら言うと、今度こそ2人は動きを止めた。

まだデヴァイン同士はかち合ったままなので気は抜けない。

「・・・お前は悪魔か!?」

先に音を上げたのはシンラで、俺のほうを人でなしを見る目で見ながら押し殺した声で言った。

ぽちをつつきまわすのが悪魔の所業なら、この廊下の惨状はいったい何の仕業になるのだろう?

「ふふっ・・・そっちの兄ちゃんは人質の命が惜しいらしいな。で、あんたはどうなんだ?」

シンラがすっかり俺の罠にはまったのを見て取ると、多分かなり悪役な顔になっているのを自覚しつつ、俺はにやりと笑って言った。

あんたというのはもちろんレグルス。

ここでデヴァインを退くか否か。そういう問いかけだ。

当の人質はというと、ほっぺたに溜め込んでいたクッキーのかけらを出してきて、後生大事に両手に持ってかしかし齧っているのだが、二人のグルガの表情は確実に子供を人質に取られた親のそれだ。

・・・うわ。なんかちょっと楽しいかも。

「・・・・・要求は」

平和そのものリラックスぽちを真剣な表情で見ながら、レグルスも低く殺した声で俺の脅迫に応じる。

「城の中で暴れない。目が合っただけで殺戮を開始しない。公共の場で縄張り争いしない。」

俺が要求を述べていく。

一つ一つ言い募るごとに、2人の表情が苦々しげになってゆくさまが面白い。

三つ挙げたところで、こんなもんかなと思うと、不意にアルヴィンが後ろから追加要求を突きつけ始めた。

「簒奪が終わるまで喧嘩禁止。簒奪が終わっても城の敷地内での私闘禁止。ものを壊さない。他人を巻き込まない。あと、廊下の修繕に協力してください。」

「分かったら刃を退く!」

俺が付け加えて、2人は一度激しく視線で争ってからすっとデヴァインを離した。

「よし。よくできました。じゃあ仕上げは仲直りの握手だ。」

とどめとばかりに言ってやると、予想通り2人は壮絶な表情を浮かべた後、さっき互いに向けていた殺してやる!という危害に満ちた・・・もとい気概に満ちた恐ろしい目で俺を見る。

ま、負けるかっ!

「ぽち〜、俺たちも仲直りの握手しような〜」

言って俺はぽちをうまく手のひらに乗せかえて、二本足でぽてっと立ったぽちの小さな小さな前脚をつまみ、そっと上下させる。

何をされているのかイマイチ分かっていないぽちは、前脚の動きにあわせてぴこぴこと頭も上下させる。

見ていてなんともかわいい。

そして、俺がかわいいと思うのだから、危険獣指定の2人がかわいいと思わないはずがない。

「お〜!よくできたなぁぽち!えらいぞ〜!!ぽちができたんだから、ぽちより頭の中身が詰まった生き物ができないはずないよな〜。なぁぽち♪」

そうです。

俺はこういう追い込み方をする男なのです。

後ろでアルヴィンが笑いをかみ殺す気配をまざまざと感じつつ、視線を問題の2人へ戻す。

2人のグルガは俺とぽちの視線にさらされて、眉間に深いしわを刻むと、緩慢な動作で互いに向き直った。

空気がぴりっと張り詰め、手の上でぽちがぶるっと震える。

互いに睨みあったまま、時間がのろのろと過ぎていき、やがて最初に手を差し出したのはレグルスのほうだった。

しかし、差し出されたレグルスの手を握った瞬間に彼のデヴァインで自分の手首から先がなくなるとでも思っているかのように、シンラは一向に動かない。

あと一押しだ。

「レグルスは文明人だよなぁぽち!あとでお前、レグルスとも握手してもらえ。な?」

手のひらのぽちに語りかけた瞬間、ばっとシンラがこちらを見る。

もちろん視線はピンポイントでぽちに注がれている。

ぽちは空気の中の不穏なものを読み取って、いつでも巣に逃げ帰れるように、ちょこっと二本足で立って警戒姿勢。

しかし見方によっては握手を待っているようにも見えなくもない。

しばらくそんなぽちを見ていたシンラは、緩慢な動作で再びレグルスに向き直ると、差し出されたままの手ではなくレグルスの目を真っ直ぐにらみつけたまま己の手を差し出し、がっちりと握る。

レグルスは顔色一つ変えないが、シンラが握った手に相当な力をこめているのは雰囲気で分かる。

ギシギシ言う音が聞こえてきそうな状態のまま十数秒。

握手というにはあまりにも剣呑だ。

だがとりあえず和解は終了。

あんまり和解しているように見えないのはもちろん気のせいではないが、この際無視。

互いの手をあわよくば骨折でもさせてやろうかという悪意の応酬を終えた2人は手を離すと、即座に互いに視線をそむけて会話もない。

レグルスは腕組し、あさっての方向を向いているし、シンラも不満げに口元をゆがめつつレグルスのほうは決して見ようとしない。

喧嘩回避には視線を合わせないというのはやはり動物界では常識らしい。

「おい大賢者。一つだけ言っておく。俺はこいつとは組まない。」

シンラが吐き捨てるように言って、やはりレグルスを見ないまま親指だけ立てた右手で乱暴にレグルスのほうを指す。

と言うことはつまり、主力部隊には入らないということだろう。

アルヴィンも言葉ではシンラを動かせないと踏んだらしく、返事の代わりにため息一つ。

「じゃあメンバー変更とか色々雑事が発生しますね。ちょっと行ってきます。ではダイチさん、夕食の時にまた。」

疲れた表情で言って、アルヴィンが去っていく。

それを見たシンラもふんと鼻を鳴らして、くるりと背を向けて廊下を遡上していく。

同時にレグルスも何事もなかったかのように、来た道を戻っていく。

なんか俺、1人取り残されてるんスけど・・・?




それからなんだかんだと色々あった後、夕食を終えた俺は、一旦部屋に戻って入浴の用意をしてから風呂に向かった。

城内には三箇所の風呂があり、二箇所が城に勤める人用の小さいもの、もう一箇所が王様専用のものだ。

こちらでも入浴は習慣として確かに存在しているのだが、だからと言って必ずしも我ら日本人風呂好き国民の嗜好に対応したものではない。

最初のうち使っていた泊まり込みの家臣のための風呂は小さく、本当に行水程度の浴槽と呼ぶにもおこがましい様な桶のちょっと大きいのしかなかった。

そして、毎日毎日夕食後に風呂に通い詰める俺を見ていた王が、そんなに風呂が好きなら大きいほうに入ればいいと言ってくれ、今ではなんと王様用の風呂に入れてもらっているのだ。

こちらはやはり家臣風呂とは雲泥の差で、総大理石造りの馬鹿でかい風呂だ。

むしろプールといっても過言ではないかもしれない。

この風呂は王の寝室から少し行ったところにあり、俺の部屋からここへの順路だけはもはや完璧に暗記している。

そんなわけで、今日も今日とて風呂に入りに城内を進んでいた俺だったが、中庭に面した渡り廊下・・・そう、シンラとレグルスによって惨劇の舞台になったあの渡り廊下だ・・・を歩いている時、ふと月明かりの下、中庭の噴水の辺りに人影があるのに気づいた。

幸いにも月の明るい晩で、足を止めて目を凝らすと噴水のふちに腰掛けた人物がリーフだということが分かった。

さすがに表情までは読めないが、うつむき加減であることは見て取れる。

俺は渡り廊下から中庭へ出る低い階段を三段ほど下りて、リーフのそばに寄って行った。

噴水の水音のみ音らしい音とする静寂の中、土を踏む音に気づいたリーフが顔を上げ、こわばっていた表情が俺だと知ってわずかに和む。

「隣、いいか?」

そばまで行って聞くと、リーフは口元にほんのわずか笑みを浮かべて、小さく一度うなずいた。

了承が得られたので彼女の隣に腰掛ける。

日本の夏とは違って、こちらの夜はすごしやすい。

そもそも四季があるかどうか知らないので、年中こんな調子なのかもしれないが。

柔らかい風が背後から吹いてきて、わずかな水の飛沫とともに俺たちに触れて彼方へ去ってゆく。

月は空の真ん中にあり、白い光を投げかけている。

ちなみに、こちらの月は一個ではない。

日によって違うが、俺が見た最多は三個だ。

大きさも色も様々で、なかなか面白い。

今日は二つの月が重なるように出ている。

「あの、ダイチさん」

月を見上げていると、リーフが消え入りそうな声で話しかけてきた。

「ん?」

彼女が話しやすいように、つとめて軽い口調で返す。

「あの・・・私・・・せっかく皆さんが助けてくださったのに・・・・もしかしたら使者じゃないかもしれないんです・・・」

リーフが思いつめたような声色で告げた内容を理解するのに、しばらく時間がかかる。

「・・・え?」

そして、我ながら間抜けだと思いつつ、結局理解できずに聞き返す。

「だから私、使者じゃないかもしれないんです!!」

一転して強い口調で言った彼女は、うつむいて膝の上で両手を強く握り締めていた。

顔にかかった髪が邪魔で表情までは読めないが、語尾が震えていたことから類推して泣いているのかもしれない。

「いや、あの、結論だけ言われても、何の事だかサッパリなんだけど?」

もう一度聞き返すと、リーフは顔を上げて俺のほうを見た。

やはり彼女の瞳には涙が滲んでおり、引き結んだ口元は今にも崩れ去りそうだ。

「託宣が・・・託宣がこないんです」

追加情報をくれるが、それでもここの人間ではない俺にとっては・・・

「あのー、すみません。最初から順序良く一個ずつ説明していただけないでしょうか?」

頼むと、今度こそリーフは順を追って説明を始めてくれた。

こういう時、世界間の溝を感じるというかなんと言うか…

「使者は、簒奪の開始を告げるために聖地ラースより遣わされるっていうのは・・・ご存知ですよね・・・。使者の仕事は王様を清めて聖なる御戦へ望む準備を・・・手伝うことですが、他に一つ、一番大事な仕事があるんです・・・」

間にぐすんと嗚咽を何度か挟みつつ、リーフが説明してくれる。

「その、一番大事な仕事が、託宣を受けることなんです・・・。・・・簒奪に挑む王様が最初に挑戦する試練・・・その場所を、創造神様からのお告げとして受け取るんですが・・・いくら待ってても全然こないんです・・・やっぱり私、使者じゃないのかもしれない・・・」

ようやく事情は理解できたが、最後のほうの彼女の声はほとんど泣き声じみていた。

「でもさ、リーフは選ばれたんだよな?使者にって。だからそんな自信なくすほどのことじゃないだろ?」

どうにか励まそうと言ってみる。

使者とは重要な役目なのだ。誰にでもできることではないだろう。

「た、確かに・・・え、選ばれました・・・でもっ・・・お散歩してて、長老様と目が合って、ご挨拶したら・・・“おお、ちょうどいい。お前今年の使者じゃ。確かセレーナがまだ空いとったの。じゃ、セレーナの使者じゃ。あとはラドキアか・・・そのへんヒマそうにふらふらしてるヤツは他におらんかのう”・・・って・・・言われたんですっ!」

すごい反撃をくらいました。

なんだそのいい加減な使者選択方法は!?

「じゃあ・・・あれは?ラースびとはみんな使者の素質持ってるとか!?な!そうだよ!!そうに決まってるよ!!」

こうなればと民族総使者説を持ち出してみたが、リーフは黙り込み、再びうつむいてしまった。

確かに、「そのへんをヒマそうにフラフラ」していることと使者との関連性は薄い。というか絶望的にない。

誰にでも資質があるのなら、せめてもうちょっと儀式めいてそれっぽく見せるか、普段から誰でもできる仕事だと強調しておかないと、使者に選ばれた人はリーフが現在陥っているような状態に簡単に陥ってしまうだろう。

というわけで諸悪の根源は間違いなくラースの長老なのだが、ここで長老を吊るし上げて批判して言葉の暴力で叩きまくったところで、多少気が晴れる以外なんの効果もない。

問題は、いかにしてリーフに自信を取り戻させるかなのだ。

「でも、そんな深刻にならなくてもいいと思うよ。」

深刻にならざるを得ないと分かっていつつもそう発言。

それ以外なんといえるだろう。

しかし、落ち込んでいる当人に俺の事情まで酌量する余裕はないらしく、リーフは涙で潤んだ目で本当にそう思ってるんですか?と糾弾交じりにこちらを見てくる。

一瞬、次の言葉を見失いかける。

でもどうにか復帰。えらいぞ俺。

「あ・・・うん、重要じゃないとかそんな簡単には考えてないんだけど、ほら、今回は番狂わせとか色々あったし。簒奪って、一斉に始まるもんなんだろ?」

聞くと、リーフはやや目の力を弱めて一度うなずいた。

「じゃあさ、他の国の準備がまだできてないとか。これ自慢なんだけど、俺がいたおかげでこの国は一番に使者を奪還した自信あるからな。つっても犯人の国はきちんと何の問題もなく使者が到着してるはずだから、各国同じ状態になってるんだとすれば、一番焦ってるのは犯人の国かもしれないけど。

あ、そういえば、アルヴィンに聞いたんだけど、使者は使者同士連絡を取り合って、大体同じ時期に城に着く様にするんだって?」

もしも他国の使者と連絡が取れるなら、リーフはこんなに悩んではいないだろうと思いつつそう聞いてみる。

「え・・・いえ・・連絡とかは取れないです。ただ、他のみんなが今どの辺りにいるかを漠然と感じられるだけで・・・。でもほんとに感覚的なもので、一応みんな無事にそれぞれの国のお城にいるんだろうなっていうくらいが今分かることです。でも、それもここに来て心が落ちついてやっと分かったことで・・・監禁されている間は仲間の気配を全然感じられなくて・・・」

ということは、少なくとも各国ともに使者奪還は終わっているらしい。

もう本格的な簒奪の開始は迫っているということだ。

そもそも各国ともに使者たちがその託宣とやらを受け取れない状態でいるなら、今回使者を誘拐した多分ドグラシオルあたりは気が気ではなかったのかもしれない。

他国の邪魔をしたはいいが、自分のところの使者が最初に挑む試練をいつまでたっても告げてくれないのだ。

これは由々しき問題だ。

使者を誘拐するメリットは、自分のところだけ先に簒奪を始められるという点に尽きる。

でも、お告げがなくて物理的に簒奪を開始できない状況に追い込まれたら、自分で自分の首を絞めることになるのだ。

そういう意味では、使者を放置しておくのもアリだったかもしれない。

いや、目の前でくすんくすんと相変わらず嗚咽を漏らしているリーフを見なければ、そんな非人道的なことも考えられただろうが、さすがにそれは人の道にもとる。

結局は助け出すしかないが、もしもという仮定の上での話なら、使者を放置しておけばどんどん首が絞まってきた誘拐犯たちは、使者を解放したのではないだろうか。

殺すことはできないし、自分のところの使者もお告げを受けられないし、基本ルールを思い出してみれば使者たちはそれぞれ同じ時期に城に着くようにやってくるのだ。

だから、同じ時期に着かなければ簒奪が始まらないというのも十分考えられることだ。

「・・・でも、私、ここで良かったです」

変な方向にそれた思考に流されるままに考えを進めていた俺の耳に、蚊の鳴くような小さなリーフの声。

え?と言って彼女のほうを見ると、彼女は噴水のふちに腰掛け、器用に膝を抱えて顔を半分うずめながら、俺のほうを見ずにもう一度つぶやいた。

「私、この国の使者で良かったです」

月の光を浴びた彼女の青い髪は、どこか金属的な、もしくは絹のような艶やかな輝きを帯び、しっとりと濡れて見えた。

長い睫毛がかすかに震える。

「長老様に使者に指名された時は、正直私には無理だろうって思ってました。ラースの外へ出ることなんて、きっと怖くてできないだろうって・・・。」

ラースびとの住む聖地ラースは、確か内海に浮かぶ孤島だったはずだ。

俺の国も島国だが、だからと言って安直に彼女の気持ちを理解できはしない。

「怖いのか?・・・あ、いや、怖かったのか?」

問い返すと、彼女は膝に顔をうずめたままわずかに笑ったようだった。

「・・・今も怖いですよ。最初は、とても怖かったし」

「大丈夫。これだけは自信持って言えるけど、俺レグルスとかよりは格段に安全だから。」

胸を張って言うと、リーフは俺のほうを見て、少しの沈黙の後突然笑い始めた。

おかしくて仕方がないというように、身をよじって笑い転げる。

「だ、ダイチさんが怖いんじゃありません…から!私、最初からダイチさんだけは全然怖くなかったです。・・・他の方はちょっと・・・怖かったけど」

「だよな。あいつら殺気丸出しだもんな。ちょっとくらい隠せよはしたない。それにひきかえ俺ってば文明人だからさぁ!」

畳み掛けるように言うと、リーフはまたひとしきり肩を震わせて笑う。

よしよし。だいぶ重い空気を払拭できたな。

「ダイチさんを最初に見た時、すごくびっくりしたんですよ。この世の中には、こんな色を持った人がいるんだ・・・って。」

「俺だって、現実問題天使がいるとは思わなかったからな。羽が生えた人見たの初めてだし、驚いたよ。まぁそもそもレグルスなんていう不思議生物が普通に闊歩してるんだから、何がいてもおかしくないんだけど。」

俺も最初の時の彼女の印象を話すと、彼女はまた少し微笑んで、珍しいですか?と言いながら翼を広げて見せてくれた。

「そりゃ珍しいなんてレベルじゃないね。俺の世界には羽の生えた人がいるのは絵画か本の中くらいのもんだし。空を飛ぶには金属の塊に乗るか、もしくは上昇気流と布切れを使うかだな。」

もちろん飛行機と気球のことだ。

しかし当たり前だが彼女には理解できなかったらしく、リーフは目を大きく見開く。

「翼がないのに飛べるんですか?」

「うん。羽はないけど、航空力学があるから。その気になれば誰でも飛べるよ。」

飛行機にはほとんど誰でも乗れるし、気球だって機会とその気があれば十分乗れる。人力飛行機を作るという手もある。

たしかに、ここと比べると俺の世界は非常識なのかもしれない。

俺にとってここが非常識なのと同じだけ、ここの人にとっても俺の世界は非常識なのだろう。

「コウクウリキガク・・・すごいものなんですね。いつか、あなたの世界もちょっとだけ見てみたい気がします」

そう言ってリーフはふふふと笑った。

「うん、機会があればぜひ。多分、俺がここに来てすごく面白く感じてるのと同じくらい、面白いと思うから。」

俺にとってここが面白いなら、ここの人にとっても俺の世界は面白いはずだ。

なにせ、ほとんど全てが違うのだから。

「じゃあ、約束ですね」

リーフはにこっと笑うと、翼から無造作に美しい羽を一枚むしり取り、俺に差し出してきた。

「え?」

戸惑うと、彼女はふと気づいた表情になって説明を追加してくれた。

「あ、ごめんなさい。違うって分かってるつもりんですけど、やっぱり相手が了解してるのを前提にしちゃって・・・。

これは、私たちラースびとの約束の仕方なんです。お互いの羽を交換して、約束したことを忘れないようにするの。その人の羽を見るたびに、あぁ、そういえばこんな約束をしてたっけって思い出すんです。

もちろん、日常的な約束には使いませんよ。明日何時に会おうねっていう場合にいちいち羽を交換してたらきりがないですよね。だから、約束したことを実現するのに時間がかかる時や、大切な約束をする時にだけこうして互いの羽を交換するんです。」

ひとしきり説明を終えた後、改めて蒼い羽を差し出してくるので、俺は戸惑いながらも彼女と握手をするようにしてその羽を受け取った。

だが、俺には代わりに渡す羽がない。

もともと風呂に行こうと出てきたわけで、手元にあるのは着替えだけ。

あとぽちか。

・・・いや、さすがにぽちはまずいな。後が怖い。

「ふふ、別にいいですよ。ダイチさんがその羽を持っててくださるだけで。」

俺の様子を見ていたリーフがにこりと柔らかく笑って言ってくれる。

まぁ俺に羽がないのは見れば分かることだけど・・・。

「ん。分かった。じゃあ、約束。」

俺はリーフの羽の感触を確かめて、右手の小指を差し出した。

約束と言えばこれだろう。

「今度は俺の世界流の約束。小指を出して、こう――」

リーフの華奢な小指に、俺の指を絡める。

「指きりっての。なんでか知らんけど、これで約束成立するらしい。俺の世界では。」

二、三度軽く振って、絡めた小指を離す。

リーフはちょっと変わってるけど、でも素敵な約束の仕方ですねと言って指きりしたほうの小指を、反対側の手で包んだ。

まるで大切なものでも手のひらに握っているようだ。

「―――うん。元気でました。ありがとうございます。」

なにか吹っ切れたような口調で言って、リーフは噴水のふちから立ち上がった。

「もうちょっと、待ってみることにしますね。まだ、託宣がこないと決まったわけじゃないから・・・。また辛くなったら、話を聞いてもらえますか?」

まだ噴水のふちに腰掛けた俺を見おろして、リーフが言う。

「お望みとあらばいつなんどきでも、お嬢様。」

どっかの似非英国紳士風に片手を前に、片手を後ろにして一礼してみせると、リーフはまた笑みを浮かべ、そしておやすみなさいを最後の言葉に渡り廊下のほうへ戻って行った。

とにかく、少しは気が晴れたようだ。

・・・俺、カウンセラーに向いてるのかも。



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