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12.砦内闘争

走った。

砦はまるで鳥が羽を広げたような形でつくられている。

中央の、鳥で喩えるなら胴体の部分に正面入り口がある。そして、その左右の翼部分の建物のうち、例の物置があるのが右側の翼棟。

二階へ上がる唯一の階段があるのも右側の翼棟で、真ん中は玄関と吹き抜けのホールになっており、続いて左側の翼棟へと進んでいくようになっている。

俺はひたすら走って、右の翼棟から玄関とホールを突っ切って左の翼棟の端まで完走した。

つまり、大雑把に言って砦を縦断したのと同じだ。

行き止まりまで走っても、リーフの姿は無かった。

多分、どこかに隠れているのだろう。

玄関部分に何人か見張りがおり、外で騒ぎが起こっているのも分かった。

だが、スピードに乗っていたのでほとんど高速を突っ走る車の窓から外を見たほどの感覚でしか辺りを観察できず、見張りに見つかったかどうかもよく分からない。

ほぼ確実に見つかったのだろうが、俺が速すぎて対応が遅れているのだろう。

こうなればもうなりふり構っていられない。

このまま走っていけばまた正面入り口に戻れるのだし、不利になる前にこの行き止まりから正面入り口までは戻らねばならない。

走ってきたほうを振り返り、運動ではなく緊張で乱れきった息を整える。

そして、するべき事に優先順位をつけていく。

リーフを見つけるのは第一だが、その前にホールの何人かを片付けなければならない。となればまずはホールの見張りをどうにかすること。

それから、あの牛が来る前にリーフを見つけること。

最悪の事態は想定しておかなければならないが、今はそれよりも希望を見たい。

あちこちにあるポケットを探っていくと、役に立つかもと思って突っ込んできたものが色々出てきた。

スタンガンに催涙スプレー。このへんは王道だ。だが、相手に接近しなければ効力を発揮しないという弱点もある。

次に掴んだのはまさしく希望の星だった。

花火だ。

そう、本来あっちの世界にいれば、友達と夜に集まってちょっとした夏の思い出が作れるという夏の風物詩のあれだ。

今回は製作者のブーイング覚悟で武器代わりにならないものかと持ってきたのだ。よい子も悪い子も絶対に真似しちゃいけない。

いざとなれば、異世界でちょっとした夏の思い出など作ってもよかろうと種類も量も結構沢山用意してある。

流石に今回の使者奪還作戦では打ち上げの必要性は感じなかったので、持っているのは手持ちが主だが。

ネズミ花火とロケット花火がポケットに入るだけ、後は着火すると火を噴くタイプと、ちょっと大きめの手持ちの筒から火の玉が飛び出すというのが少々。

できればこういう場面ではなくて、アルヴィンやレグルスを驚かすとか、もっと平和な感じに使いたかったが仕方ない。

その次に出てきたのは点火に必要なマッチと使い捨てのライター。これも幾つか用意している。アルヴィンあたりに異界の魔法を見せてやるとか言って披露する予定だったのだが・・・。

それからペンライト。これは地下道で使うつもりだったが、結局いらなかった。

次のポケットには飴玉が数個。個包のチョコレートやクッキーなんかも少し出てきた。これはまるで役に立たない。

その次を探ると、何かもにゃっとして温かいものが手に触れた。

思わずうおっ!と悲鳴を上げて手をポケットから引っこ抜いたが、何か触り覚えのある感触だったのでそっともう一度探ってみると、そのポケットからにょこっと見たような顔の生き物が頭を出した。

・・・・飴玉やチョコレートに大差をつけて役に立たない堂々の第一位、ぽちだ。なんでこんなもんがこんなところに入っているのだろう?確かにあのリズリアという女騎士に預けて来たはずなのだが・・・。

どうやらぽちはこの騒動の最中のんきにも寝ていたらしく、酷くしょぼくれた顔をしていた。

そのまま寝とけ。役に立たないし。

そう思ってポケットからちょろっと覗かせた頭を指で押すと、ぽちは無抵抗にもしゅるっとポケットの中に消えた。しばらくもごもごしていたが、それもすぐにやむ。寝たのだろう。

なんでか入っていたぽちのせいですっかりポケット不信になった俺は当面必要そうな花火数個のみ残してあとは全て元に戻し、もう一度来た道を見る。

まだ、ホールの見張りが迫ってくる気配はしない。

・・・なにかぽちのせいで空気の中の緊迫感がどこかへ行ってしまった気がするが、とにかく気を引き締め直さねば。

俺は覚悟を決めると、リーフの名を叫びながら再び玄関ホールを目指して走り出した。

ほぼ確実に、リーフはここまでのどこかに隠れているはずだ。

そして俺の速度から考えると、玄関ホールよりも右側にいる可能性が高い。

一応こっちまで走ってはみたものの、ここにいる可能性は低いのだ。

心臓がガンガン脈打ち、俺は右手にスタンガンを握った。

左手にはネズミ花火。これならスタンガンの火花でも着火可能だろう。きっと、多分。希望的観測第二弾だ。

とにかく、あの牛が来る前に玄関の見張りを始末してリーフを探し出さねばならない。怖いとか嫌だとか逃げたいとか考えている場合ではないのだ。

記憶に鮮明に刻まれたあの炎の魔神の顔が表層だけの恐怖心を取っ払い、本物の恐怖が俺を突き動かしていた。

実戦経験では話にならないが、スピードと奇策では俺のほうに分があるのだ。

それに全てを賭けるしかない。

走っていくと、あれだけ時間があったにも関わらず、見張りは玄関ホールから動いてはいなかった。

なにか酷くざわついている。

ホールが見えて向こうからは極力見えないように壁にぴったり背をつけて、そっと様子を窺ってみる。

ホールはやはり吹き抜けになっており、右の翼棟と左の翼棟の二階部分を繋ぐ細い通路が壁際を這っているだけで、後は三階か四階の高さまで何もない。

俺はふと、右の翼棟、つまりは俺のいる位置から見て正面方向の二階部分に誰かが隠れていることに気づいた。

吹き抜けになっているからこそ分かったことで、しかも通路のある壁に一番近い場所にいるからこそ、見上げると自然に目に入る位置だ。

あまり太い通路ではなく、むしろ細いその通路の右の翼棟とホールのつなぎ目部分に隠れていたのはリーフだった。

どうやって二階まで上がったのだろうとちょっと考え、もしかしたら見張りたちの隙を突いて飛んだのかも知れないという結論にたどり着く。

あの羽が飾りではないのなら、そういうこともできるだろう。

むしろ、飛んだのでなければ二階にいる説明がつかないほどだ。

彼女は身をぎゅっと縮め、目も閉じてしまっているようだった。

とにかくホールの見張りをどうにかしない限り、リーフとコンタクトを取ることもままならないという事実は、残念ながら変わらない。

リーフが見つかったことにほっとしつつ、俺は作戦を変えることにした。

どうやらホールの見張りは飛び道具の類は持っていないようだし、一見したところ魔術師っぽいのはいない。

アルヴィンの例があるので、魔術師はローブに杖という固定観念は棄てなければならないが、それを割り引いても銀髪はいない。

色の濃淡はあるものの、赤毛ばかりだ。

こういう時、色で分かるって便利なのかもしれない。

時間がないのは明白なので、俺はスタンガンをポケットに戻して代わりに使い捨てライターを出すと、一度目を閉じて深呼吸し、覚悟を決めてホールへ飛び出した。

「我こそは異界の戦士、天城大地!!セレーナ王国大賢者に召喚され、助勢する者なり!!お前らの使者誘拐の罪は明白!異界の魔法、とくと見ろ!!」

若干震える声を隠すために大声を張り上げて、見張りたちの注目を一身に集める。それからまず右手に握って隠したライターに火を点けた。

それだけで見張りたちはざわめき、武器に手をやりながら俺から距離を取って後退する。

彼らにしてみれば、呪文なしに火が点くのは不思議なのだろう。もちろんそれを狙っての前口上であり、ライターをわざわざ見えないように握りこんだのであるが。

続いて一気に点火できるように持っておいた鼠花火に火をつけ、ばら撒いてやる。

即座にホールの広い床の上を鼠花火が四方八方に走り始め、見張りたちが驚きの声を上げて逃げ惑う。

勝負はここからだ。

鼠花火が最後の破裂音と共に沈黙するまでに、見張りを全て倒さねばならない。

ライターを即座にポケットに押し込み、代わりにスタンガンを構える。

見張りの注意は法則性なく床を走る鼠花火に釘付けにされているので、手近な相手のところまで突っ走って行って一撃。

そして即座に次の相手に狙いを定め、機動力と瞬発力を活かして一気にたたみかける。

こちらに来て備わった人外のスピードを利用して3人気絶させたところで、花火が走るだけでまるで無害だと判断した見張りたちがこちらに向き直ってくる。

しかし、ほとんど最高のタイミングで、最後の破裂音。

シュルシュルと走り回るだけの花火が急にパンッ!!と破裂したものだから、もちろん見張りたちはまた驚いて足元に注意が向く。

その隙を逃さず、飛びかかってスタンガンを見舞ってやる。

鼠花火の破裂音が止む頃には、立っているのは俺だけになっていた。

運動ではなく極度の緊張のため荒くなった息を整えていると、背後で柔らかい羽音がして後ろから何かがタックルしてきた。

心臓が口から飛び出すほど驚いて半身をねじって後ろを見ると、青に銀を足したようなあの不思議な色の髪が目に入り、思わず腰から砕けそうになる。

俺にひしっとしがみついていたのは、敵ではなくてリーフだった。

相当怖かったらしく、小刻みに震えている。

俺も怖かったっての。

「・・・もう大丈夫。それよりも、こんなことしてる場合じゃない。早く逃げないとあの炎の牛が来る。」

リーフの肩をとんとんと叩いてやると、彼女は顔を上げた。

そして、すがるような目で俺を見て頷いた。

あの牛の恐ろしさは、俺よりもきっと彼女の方がよく知っている。

「味方が外にいるから、もう平気だよ。あそこから出ればすぐに保護してもらえる。俺よりもっと頼りになる奴が沢山いるから」

リーフを落ち着かせてやるためにどうにか笑顔らしきものを浮かべる努力をしつつ、正面の入り口を指差す。

重厚な鉄製の扉は閉まっていたが、力も強くなっている今の俺ならどうにか開けられるだろう。

リーフはまた頷いてほんの少し緊張を解き、やはり努力して笑顔を作って俺の右手を握った。

「残念だけど、逃がすわけにはいかないねぇ」

背後から突然声がかかり、俺はまた心臓が跳ね上がるのを感じつつも即座にリーフを庇うように後ろを向いた。

右の翼棟へ続く通路に、男が立っていた。

赤い目をした銀髪の男。

炎の魔神の支配者<ドミネーター>だ。

同時に最後の希望である外への出口、それを閉ざす鉄製の扉の前に途方もない熱量を持ったものが現れた。

叩きつけてくる熱気に思わずそちらを向くと、炎の塊が扉と俺たちとの間に立ちはだかっていた。

炎の固まりは徐々に熱を一点集中していくように人型になっていき、そしてあの牛頭の魔神を形作った。

背後にはドミネーター。そして、前面には炎の魔神。

まさしく前門の虎後門の狼。

逃れられそうな場所と言えば左側の翼棟だが、そこへ逃げればほとんど袋の鼠になる。

まさしく絶体絶命。

RPG風に言うならレベル3くらいの主人公が魔王軍の副将あたりに挑むのと同じだ。瞬殺決定。

どうする!!?どうする俺っ!?

必死になって考えるが、マトモな作戦は一つも出てこない。

花火はまだストックがあるが、火で火の魔神を怯えさせられるとも思わない。

ちょっとびっくりくらいならしてもらえるかもしれないが、そんな少しくらいの隙でどうこうできる相手ではない。

というわけで、ライターを投げつけるという案も却下。

炎が引火して小規模の爆発のようなものは起こせるだろうが、そんなことでは炎の魔神はビクともしないのは明白だ。

炎といえば弱点は水と相場は決まっているが、残念ながら消火器なんて持ってきていない。

消火器があれば、もしかしたら結構面白い展開になったのかもしれないが・・・。

ペンライトもダメ。スタンガンも使えない。使えるものは何もない。絶望的な状況だ。

一瞬ぽちの存在を思い出して、レグルスのところまで走らせて救援を要請しようという伝書ぽち案も出たが、ぽちがそんなにガッツのある生き物だとか思う時点でどうかしている。

我知らず、背負った棒・・・アームズメーカー曰く魔導器・・・を握り、金具を外して構えていた。

ぽちと飴玉の次くらいに役に立たないあの棒だ。

威嚇のつもりでぶるんとまわしてみるが、ヒョウと風を切る音がしただけで特に効果があるとも思えない。

それどころか、ドミネーターは明らかに俺の魔導器を見て笑った。

「それが君の魔導器かい?面白い。そんな棒切れでイェルージェカとどう戦うのか見物させてもらうよ」

棒切れなのは見れば分かるし、自分でも嫌というほど認識していることなのだが、いざ他人・・・しかも敵対している相手から言われると妙に腹が立つものである。

なんと言うのか・・・たとえば自分の子供を他人が馬鹿にした時の感覚というのに近いのかもしれない。子供がいないので分からないが。

「・・ふふっ・・・棒切れ、ね。」

棒をぐるぐる回しながら、怒りを抑えて笑ってみせる。

「・・・何がおかしいんだい?恐怖で気でも狂ったのかな?」

嘲るようにドミネーターが言って、俺はその安い挑発をかわしてさらに笑みを深めた。

「あんたにはただの棒切れに見えるだろうな。だが、これはただの棒切れなんかじゃない。俺は、この世界の人間じゃないんだ」

最後の切り札。

もちろんハッタリ。

だが、ドミネーターの顔から笑みを消すには十分だった。

余裕があるふりをして、内心は必死で続ける。

「この世界の人間ではない者の魔導器は、果たしてこの世界の常識で測れるのか。いいや、無理だ。これを普通の棒切れとは思わないほうがいい。あんたのために忠告してやってるんだぜ?」

事実無根。ただの棒切れでございます。

ドミネーターと俺は、棒切れを挟んで対峙した。

じわり・・・と時間が過ぎていく。

背後の炎の圧力は減らず、俺の焦りは募ってゆく。

警戒して炎の魔神を自分の傍に呼び寄せてくれれば、とりあえずハッタリ成功。

魔神が退いたらすぐにリーフを抱えて扉をぶち破り、外へ駆け出すという作戦だ。

だが、このまま挟み撃ち状態を改善できなければ俺の負け。

棒がただの棒である以上、待っている運命は一つ。


じりじりと、まさしく身を焦がすようにゆっくりと時間が過ぎてゆく。

ドミネーターは動かない。

炎の魔神も動かない。

否応なく緊張感ばかりが高まり、今にも破裂しそうな水風船のように閉塞感と圧迫感をもたらしてくれる。

広いホールにいるのに、まるで満員電車にでも乗ったような感じだ。

「ふっ・・・。異界の者の魔導器、ね。イェルージェカとの実力差をどれくらい埋めてくれるものやら。面白そうだ。やってごらんよ」

緊張した空気に新しい風を入れるように、ドミネーターがふと頬を緩める。

策は成らず。最悪の展開だ。

俺は焦りを隠したまま握り締めた棒切れに視線を落とした。

六角柱の白銀の棒は、背後の炎を照らしてさらさらと薄赤く輝いていた。

俺の身長よりも少し短い程度の棒。

俺の魔導器。

だが、あまりにも頼りない。

炎の魔神をそっと窺うと、牛頭の怪物は炎を猛らせ獲物を焼き尽くせという主人の命令を待ちかねているかのようだった。

ふとあることを思いつき、また視線を魔導器に戻す。

今度は天井を見て、また魔導器へ。

だめだ。短すぎる。

「ほら、どうしたのさ?その魔導器が棒切れじゃないなら、イェルージェカを抜いてさっさとそのお姫様を砦から助け出してあげないと。じゃないと・・・」

轟!!

主人の言葉に合わせるように、人身牛頭の魔神が焔の帯を走らせる。

寸前でリーフを庇って左に避け、ジャケットの裾が火に炙られて大きく揺れる。だが、焦げ目は全くついていない。

凄いぞ強いぞドラゴン革!!

・・・って感心してる場合ではないな。

せめてあと少し、この魔導器が長かったなら。

だが、ないものねだりをしても仕方がない。

「だ、ダイチさん・・・」

「へぇ、面白い」

驚いたようなリーフの声と、それに被せるように楽しそうなドミネーターの声が聞こえる。

ドミネーターを睨んでから、リーフに気遣わしげな視線を送ると、彼女は「嘘じゃなかったんですね・・・それ・・・」とよく分からないことを言った。

その視線を追うと、俺の魔導器に行き当たる。

ふと見て絶句。

伸びていた。

「なんじゃこりゃ!!?・・・あ、違う、計画通りだ!!こ、これが異界の者の魔導器の力っ!!」

思わず俺も驚いてしまい、慌てて誤魔化したがリーフとドミネーターの表情からハッタリをかましていたことがバレたのが分かった。

でも結果オーライ。魔導器は、俺の望む形状になってくれたのだから。

なぜ伸びたのかとかそういう難しいことは考えないことにする。強度の問題とか、質量保存の法則とかもファンタジーにすべてゆだねることにする。

とにかく望むものは得た。あとは実行するのみ。

俺はリーフを背後に庇いつつ、炎の魔神から一杯に距離を取った。

ホールの最奥、壁際まで下がる。

炎の魔神までは5メートルほどある。

炎の魔神と鉄の扉までの距離が2メートル程度。

天井は十分に高い。

いけそうだ。

ドミネーターには俺が何をするつもりなのかまるで分からないらしく、「今度はどんな大道芸を見せてくれるのかな?」などと余裕の表情だ。今に見てろ!絶対泣かせてやるからな!!

ドラゴン革のジャケットを脱いで、リーフの肩にかけてやる。

彼女の羽に火が燃え移ったりしたら洒落にならないし、ドラゴン革の耐火能力は先ほどしかと見せてもらった。

「よっしゃ!3分でいいから俺を信じて、自力で俺に掴まっててくれ。怖かったら目を閉じて。すぐに終わるし、あんただけは最悪でも逃がすから。」

リーフに言うと、彼女は強く顎を引いて頷いた。

そして、ぴょんと俺の背中に飛び乗る。

きちんと手を使って背負ってやりたいが、脱出のために両手が要るのでそれはできない。

リーフの体重を背中に感じたが、驚くほど軽かった。

レグルスの比ではない。力が強化されているからという事もあるだろうが、まるで小さな子供を背負っているような感じだ。

これならいける。

魔導器を両手で掲げ持ち、標的をロックオン。

ドミネーターは相変わらず己の従僕を信じこんでいるらしく、嫌な笑みを浮かべたままだった。

「それで、一体どうやってイェルージェカを倒すのかな?それとも使者を背負っていればイェルージェカが君を攻撃しないとでも思ってるのか・・・だったらそれは間違いだ。ねぇ、イェルージェカ。使者を殺すなとは言われたけど、傷つけるなとは言われてないもの。」

言葉の終わりと共に、また魔神から炎の帯のプレゼント。

避けるとそれまで俺たちがいたすぐ後ろの壁が不気味に黒く焦げついた。

あれを連射されたらたまらない。

相手がこちらの出方を窺って、ライオンがウサギ狩りをする気でいるうちにさっさとここから出なくては。

どう見てもこのドミネーターはウサギ狩りに全力を尽くすタイプではなく、ウサギがもがき苦しみながらのた打ちまわるのを十分楽しむタイプだ。

なら、そこにつけ込ませてもらうまで。

気合を入れて、槍のように魔導器を頭上に掲げたまま助走開始。

あらかじめイメージしていた通りに踏み切り位置まで徐々に加速して走り、掲げた魔導器を振り下ろして地面に穴を穿つ。

俺の望むとおりの感触が手に伝わってきて、しなった魔導器が俺たちを高く持ち上げる。

そう。棒高跳びだ。

越えるべきバーは炎の魔神。楽勝。

頂点に達する瞬間にぐるんと体勢を入れ替え、背中を地面に向けて天を仰ぐ。

本来ならば用済みになった棒はここで手放すのだが、できれば魔導器は手元に置いておきたい。

そう思ったのが伝わったかのように、地面に繋がった棒の感触が消失する。

確かに魔導器は手の中にあったが、伸びた時と同じく唐突に縮んだようだ。

落とさないように、しっかりと棒を握る。

迫ってきた天井が重力に引っ張られて遠のき、マットがないので背面から地面に落ちないように空中で体勢を整える。

ドミネーターが信じられないものを見たという表情で、着地に向けて落ちる俺を視線で追うのが見え、一矢報いてやったという爽快感がこみ上げる。

予定通りに炎の魔神と扉の間に開いたスペースに着地し、同時に魔神とドミネーターに背を向けて扉に足で一撃くれてやると、ドバン!!と大きな音と共に扉が全開になる。

薄暗かったホールをさっと陽光が舐め、一瞬白い光に目がくらむ。

しかしすぐに視界が戻り、緑が溢れる手入れ不行き届きな庭に飛び出した。

あとはもう、俺の得意分野だ。

このまま味方のところまで突っ走るのみ。


砦の前庭はかなり広かった。

勢いをつけて飛び出したものの、予定通り騒ぎが起こっている門まではまだひとしきりの距離がある。

しかも、門にいる誘拐犯一味の一部が後方――俺たちに気づいた気配だった。

さっき派手に扉を蹴破ったのだから、当然と言えば当然の帰結だ。

「ダイチさんっ!!」

逃げるべき前方にばかり気を取られている俺に、リーフが鋭い声を上げて後方の状況を思い出させてくれる。

もう一枚の壁を突破しない限り、挟撃されているのも同じだ。

そして、どうせ越えねばならぬ壁ならば低い方がいい。

着地の衝撃から立ち直った俺は、無意識のうちに魔導器の尺度を忘れ、リレーバトンくらいの長さのつもりで気安く片手持ちにし、再び前方を目指して駆け出した。

いや、正確には駆け出そうとした。

「面白いものだ。伸びるだけじゃなく縮みもするみたいだね。でもこれまで。茶番も奇術もお仕舞いだ。」

ねっとりとした笑みを含んだ、あの嫌な声。

驚きはしたが、ドミネーターはそう易々と俺たちを逃がしてくれるほど甘くはなかったようだ。

気を取られて振り返ると、ドミネーターがちょうど砦の戸口に現れたところだった。前方には、先ほどまではなかった熱気。

また挟み撃ち。振り出しに戻る、だ。

そして、ドミネーターの言葉で気づかされたのだが、魔導器は俺の無意識の意識に従ってリレーバトンサイズに縮んでいる。

どうやって伸ばしたり縮ませたりしたのか、自分でも全く不明なため元のサイズに戻せるのかどうか不安。

・・・ってそんな事を不安がっている場合ではなかった。

後ろにはドミネーター、前には炎の魔神。

環境は変わったが、さっきとまるで同じ状況。

炎の魔神のさらに前方、魔神の発する熱で陽炎のように揺らめいて見えるのが希望を繋ぐ唯一の道で、そこへ行くにはこの魔神かドミネーターをどうにかしなければならない。

魔神を倒せれば一番いいのだが、奴と俺とではレベル差がありすぎる。

挑んでも絶対に勝てない、いわゆる負け戦だ。

ゲームのイベント戦闘では、負けてもまた這い上がる機会がきちんと準備されている。死ぬ前に敵が切り上げて帰ってくれたり、非常に都合よく味方か何かが助けに来てくれたり、捕まっちゃったりするが、物語の進行上それが必要なだけであり、“死”はないのだ。

だが、ここにあるのはリアルな現実。気味の悪いほど都合よく、味方が救助に現れるなんてありえない。

とは言っても、戦わずに逃げようにも逃げられない状況であることには変わりはない。

この手の召喚生物は、往々にして召喚主を倒せば自然と元の世界へ帰されたりするものだ。――この手の召喚生物、なんて言ったが、よく考えれば俺も同じような召喚生物だった。あの馬鹿アルヴィンは、どうせなら俺じゃなくてこういう強そうでヤバそうな生き物を召喚すればいいのに。――で、話がそれたが、召喚生物が強すぎてどうにもできなければ、召喚主を倒すというのもある種のセオリーだ。

俺に置換すると俺よりもアルヴィンのほうがきっと強いのでこれは当てはまらないが、とにかくドミネーターをどうにかできれば、炎の魔神も確率論で言うと消えないこともないかもしれない。

主のコントロール下を離れた怪物が暴れまわるとか、そういう嫌な可能性はないように祈ろう。ないと思いたい、マジで。

だが、召喚主が目の前にいるというこの状況、召喚主を探してうろつかなくてもいい分、召喚された生物が召喚主を磐石の体勢でガードできるという利点がある。

俺に喩えると・・・蛇足だからやめよう。むしろ俺のほうが召喚主に守られる感じになるからまるで意味はない、とか言うと、なんか余計に虚しくなる・・・。

召喚主を狙おうものなら炎の魔神がすぐに飛んでくるし、炎の魔神に直接当たっても絶対勝てない。万策尽きた。

だが、利点と言えばないことはない。

あれだけ必死に脱出したのだ。利点の一つくらい用意してくれないなら、神様なんて牛乳を拭いた雑巾以下の存在だ。

「リーフ」

俺は視界の端で前方の炎の魔神を警戒しつつ、わずかに顔を背中のリーフのほうへ逸らせて呟いた。

そして一応警戒のため、リレーバトンサイズに縮んだ、誠に頼りない我が魔導器を握った方の手を口の前に持ってきて、相手に唇を読まれないようにする。

炎の魔神やドミネーターが野球監督並に読唇術で相手のサインを読んでくることなどあり得ないだろうが、一応だ。

リーフは俺が呼びかけると緊張の極限にある面持ちのままそっと俺の顔に自分の顔を寄せてきた。

彼女の頬が俺の頬に触れて、温かい体温が直に伝わってくる。

花のような快いにおい。リーフの髪の匂いだろうか。

「思いっきり空に放り投げるから、全力で門まで飛ぶんだ。あれさえ越えれば、外には沢山の味方がいる。大丈夫だよな?」

リーフは俺の言葉を聞いて、酷く不安そうな、心細そうな顔をした。

だがそれも一瞬で、彼女の目から怯えや恐怖は消え去り、いや、内側に無理やり押し込められ、強く悲壮な決意が見えた。

そして一度、しっかりと顎を引く。

力強いとは言えないが、確かな頷き。肯定だ。

そう。唯一の利点。

それは空だ。

見上げればどこまでも青天井が広がっている。

この閉塞感のない場所なら、翼のある鳥に勝てるものはない。

炎の魔神も四六時中ぷかぷか中空に浮かんでいることを思えば、とりあえず飛べる種類の生き物のようだが、どのくらいの速度かは測れない。遅いといいな。芋虫くらい遅いといいな。・・・以上、俺のくだらない願望。

リーフに翼があり、空を翔ることができるのが俺にとってはどれほどありがたいことか。

この作戦は元々彼女の救出のために立てられたものだ。

だから、一番の目的は彼女を逃がすこと。

そのために俺はここにいる。

いや、長い目で見ると世界の王座強奪戦に参戦するためにいるのだが、今の状況でもうすでにおなか一杯状態なので、そういう限界以上は今のところ忘れておくことにする。

レグルスも言っていた。

『お前は望むと望まざるとに関わらず、己の意思でここまで歩いてきた。状況に流されたと言うかもしれないが、それでもここまで来たのはお前のその足だ。お前のその意思だ。・・・恐れるな、とは言わない。だが、怯えるな。怯えは意志を殺し思考をかき乱す。――己の成すべき事。それだけを考えろ。不要な思考は捨てろ。不安は怯懦を呼び、怯えは混乱を呼ぶ。・・・お前が言っていた“凍れる理性”。必要なのはそれだ。』

あの時のレグルスの真っ直ぐな目が、金色の虹彩を持ったあの肉食獣の目が、鮮やかに脳裏に蘇った。

俺は、俺の足でここまで来たのだ。

足りないものばかりだが、どうにか小手先で補って、俺の意志でここにいる。・・・確かにちょっと当初の予定とかそんなのからは大きく逸脱しているが・・・とにかく、予定外も含みつつ俺は俺の意志で、最良だと信じる判断の元、どんどん自分の首を絞めつつここに・・・いや、違う!良かれと思ってやったことがことごとく裏目に出たとは言えここにいる。

これは俺のせいであり、誰のせいでもない。若干の予定外は、それはもう色々な人の責任だが。俺は、自分の意志で確かにここにいるのだ。

「怯えるな。怯えは意志を殺し思考をかき乱す。己の成すべきこと。それだけを考えろ。不要な思考は捨てろ。必要なのは“凍れる理性”」

俺は無意識に呟いていた。

背中でリーフの動く気配。

彼女だって怖いのだ。俺よりもっと、怖かったのだ。

「ダイチさん、私いけます。行きます。行ってみせます!炎の魔神が追いかけてきても、今度は絶対捕まりません!!」

俺のさっきの呟きは、背中のリーフにも勇気を与えたようだった。

耳元でささやかれた彼女の声は、明確な意思の力が感じられた。

俺は一度頷いた。

こうなればもう、余計な言葉はいらない。

彼女の『成すべきこと』は飛ぶことだ。無事に門を越えて味方に合流することだ。余計な言葉など、何一ついらない。

俺はそっと、ぽちの入ったポケットに手をつっこんだ。

温かく柔らかい、毛皮の感触。

掌で包んで持ち出すと、ぽちは起きていたらしいが、無抵抗なままで外の空気の中に出てきた。

そっと掌を開く。

ひくひくと鼻を動かす小さな生き物。

リーフの助けをしてもらわなければならない。

ほんの微力だが、俺にしてもリーフにしてもたいした力があるわけではない。

“ほんの微力”は、偉大な力だ。

「走れよ。それがお前のすることだ。」

つぶやくと、ぽちは分かっているのかいないのか、小首をかしげた。

これでお別れになるかもしれない。

レグルスは怒るだろうか。

いや、これは余計な思考。必要の無いことだ。

「いくぞ」

短く、自分とリーフに言い聞かせるように。

次に、大きく息を吸い込む。

これを吐く時が運命が加速度的に動き始める時。

「行けっ!!味方の陣地へ!!走れっ!!!」

吸い込んだ息に言葉を乗せて叫びながら、炎の魔神の少し横に向け、掌の温もりを投げつける。

俺の手から突然空中へ放たれたぽちは、それでも“役立たず”の名前を裏切って地面に落ちると同時に走り始めた。

狙い通り、炎の魔神の視線が一瞬ぽちに奪われる。

そのための叫びでもありぽちである。

だが、それを満足いくまで確認する暇もなく、リーフの腕と肩口を掴んで大きく後ろにステップを踏みながら空に向かい放物線を描くように放り投げる。

放物線の頂点で、悲鳴も上げずに飛ばされたリーフは美しい蒼い翼を花がつぼみを開くように広げ、そして一直線に風を捉まえて門をさして飛び始めた。

俺はリーフが翼を広げたのを確認する間もなく、即座に振り返り魔導器を握り締め、そしてドミネーターへと肉薄した。

ドミネーターの目が迷いに揺れているのが見える。

炎の魔神で自分に向かってくる俺に対処するか、それともリーフを追わせるか。

ぽちは一瞬だけ気をそらせるための囮だと十分理解しているはずなので、標的にされるようなことはない。

勝てる気はしないし、自己犠牲の精神なんて標準装備してるはずもない。

だが、これが俺のすべきことだ。

だからやっただけ。それだけなのだ。


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