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10.潜入!

「・・・やはりダイチさんには一緒に行っていただきましょう。あなたの力を貸してください。勿論私とカッツェさんも行きますよ。・・・作戦を立てないと」

俺にとって最悪の答えを導き出してから、俺の返事をきちんと確認しないままにアルヴィンは再び思考の淵に沈んでしまった。

なんかもう俺の自由意志はまるで無視の方向で決定したようだ。

こうなれば、あっちの部屋で揉めている軍人の方々に猛烈に反対してもらうしかない。

「そうと決まればここで考えているよりも、向こうの連中に意思表明するのが賢明だと思うが?」

レグルスがやっと会話に戻ってきて、応えるように顔を上げたアルヴィンは少しだけ待ってくださいと言った。

しかしそれも本当に少しで、半ば状況に引きずられるようにして俺は二人に引っ立てられ、アルヴィンの部屋へと移動した。

なんと言うか、死刑台へ向かう囚人の気分。

裁判官はアルヴィンで、死刑執行人はレグルス。俺が助かるためには、向こうの部屋にたむろっているはずの文官武官演じる陪審員の良心に訴えるしかない。


アルヴィンの部屋は沢山の人間で溢れ、あれだけ広かったはずが手狭に感じられた。

やはり彼の言ったとおり誰が使者を直接救い出すかで揉めており、文人たちは言い争う武人を遠巻きに呆れたように見ていた。

しかし俺たちが部屋へ入るとそれも一旦は収まって、双方の人々から解決のつかないこの問題に終止符を打って欲しいという視線がアルヴィンに集まった。

なんだかんだ言っても大賢者の称号は伊達ではないようで、アルヴィンは他の人には悟られないようにかすかなため息でそれに応えていた。

最初は俺のことでアルヴィンまでバッシングを受けていたが、いい感じに信頼というか、そんなもんを取り戻してきているようだ。

ここでアルヴィンが大岡裁きをすればますます株が上がること請負だ。

「申し訳ありませんがあらゆる状況を想定して、使者を直接救出する潜入部隊のメンバーは私が決めさせていただきます。」

アルヴィンが宣言すると、部屋を緊張が走りぬけた。

今の状況ならアルヴィンの言うことが何でも無条件で通るということはないだろう。まだ大賢者不信は完全に払拭されていないのに、独裁的な意見が通るはずもない。

「まずはオフェンスの要としてカッツェさん。彼なら気配を消すのが誰よりも巧みですから、敵陣に潜入したときに露払いに最適です。」

アルヴィンがまず挙げた名前に反対者はおらず、レグルスだけが皮肉げな笑みを浮かべていた。

そりゃあ主力中の主力たる彼をただの露払い扱いしたのだから仕方がない。

アルヴィンもそれは十分承知していたようで、付け加えて言う。

「カッツェさんなら万一途中で敵に見つかるようなことがあっても、一騎当千ですから相手を力技でねじ伏せて使者奪還を遂げることができるでしょう。

――次は私です。魔法援護と現場の司令塔の役割で、外との連携を考えても魔法で交信できる魔術師は是非とも必要ですから。」

アルヴィンが己も参加することを表明すると、これには反対意見が上がった。

発言者はあの空色の髪の文官。

「魔術師の必要性は認めるが、なにも大賢者殿が行くことはない。大賢者殿は外に残っていただいて、全体の指揮を取っていただくのが一番だと思うが。」

もっともな意見だ。確かにアルヴィンの代わりはそうそういないだろうから、万一にも彼を失うような危険は冒せないだろう。それに、潜入して現場の指揮をする程度なら代打の魔術師で十分というのは一理ある。

「ええ。しかし、この作戦にはダイチさんも参加していただこうと思うんです。ですから、あえて私が行くわけです。」

あっさりと言った大賢者の言葉に、ざわめきが波紋のように広がった。

「た・・・確かに!確かにその異界の方が博識なのは認めよう。しかし、実戦には不安があるとカッツェ殿もおっしゃっていたはずだ!」

今度の発言者は俺の親父くらいの壮年の軍人。

そして、それに同調する言葉の波。

アルヴィンは一同を見渡してそれを鎮め、人選の理由を語り始めた。

「ダイチさんには、簒奪へ行っていただきます。内部の詳細な地図まである砦一つ攻略する程度、簒奪に比べればいかほどの事もないでしょう。彼の魔導器はもうできていますし、何より彼には他の誰も敵わないような凄い能力がある。まずカッツェさんに先陣を切っていただいて、使者まで到達します。そこで使者をダイチさんに任せて、彼には一足先に退いていただきます。あとは私とカッツェさんともう一人、どなたか一緒に行っていただく方とで内側から攻めに転じます。

こうすれば、ダイチさんが砦を抜けて外の軍へ帰還すると同時に、それが外から攻める合図になりますし、挟撃状態で敵を討てます。」

「しかしそれではダイチ殿一人で使者を守り、外まで連れ出せることが大前提ではないか!?実戦経験のない者に・・・いくら来た道を戻るだけとはいえそんなことが可能なのか?」

問い返してきた男に、アルヴィンはにやっと笑って間を置いてから答えた。

「簡単ですよ。要するに戦わなければいいんですから。」

この言葉に、ざわりと空気が揺れる。

誰の目にも疑問が浮かんでいて、アルヴィンに無言の問いかけを発している。

かく言う俺も何の事やらサッパリ分からず、一体アルヴィンは何を考えているのかと彼を見た。

たっぷり一呼吸置いてから、アルヴィンが答える。

「ダイチさんには、使者を抱えて突っ走っていただきます。」

部屋の中のざわめきは大きくなったが、俺はやっと合点がいった。

確かに、こっちの世界では文字通り俺は韋駄天だ。

あのスピードに追いつこうと思うと、俺の世界で言うならばチーターとか、そんな動物でも引っ張ってこなければ無理だろう。

こっちの世界にスポーツカーやF1マシンがあるはずもなく、チーターみたいな勢いで突っ走り、かつ人を乗せる体力とそのスピードを保つ持久力がある夢のような動物がいるようにも思えない。

スピードと持久力の両立が難しいのは、現役陸上部の俺が一番知っている。

そのうえ人を乗せるとなると、これはもう夢でしかありえないのだ。

ただ、ここは異世界。その手の動物がいないとも限らない。そこだけは後できちんとアルヴィンに確認しておかねば。

得心がいった俺とは裏腹に、部屋に集まった人々はますます納得しかねるように、説明を求めてアルヴィンに疑問符を投げかけている。

アルヴィンは聴衆を手で制し、俺をちらりと見てから説明を始めた。

「ダイチさんは常人にはないスピードの持ち主なんです。私が完全品質保証しますよ。」

ただそれだけ言って謎の答えを口にしないまま、アルヴィンはにやりと笑い、それ以上は何も口にしなかった。



アルヴィンの部屋での一幕は、ちょうど昨日の今頃だったような気がする。

そして俺は、ありえない機動力を発揮した異界の人々と共に今、使者が捕らわれている砦の傍の森へと来ていた。

結局アルヴィンは自分の意見を押し通してしまい、不本意ながら俺も行かねばならなくなってしまったのだ。

人間一人抱えてあの速度が出せるのか、そもそも人間を抱えたまま走るなんて芸当ができるのかとアルヴィンに聞いてみたのだが、ラースびとというのは種族の特性上ものすごく軽いらしい。成人の体重が平均して30〜40kg.程度というのだから、その凄さが窺える。一体どんなのが出てくるのか、今から戦々恐々としているが…。

潜入班の最後の一人はあのダリルになった。

最後の一人は別に誰でもいいとアルヴィンが言うと、また揉め始めたのだがダリルが最後まで折れなかったのだ。

砦へ向けて出発したのが昨日の夕方で、夜陰に紛れて砦を囲む森へ入り、軍の布陣もすでに終わっている。

馬車でも使ってここまで来るのだとタカを括っていたのだが、城を出るとき馬みたいな生き物に乗れといわれてかなり焦った。

そもそも乗馬経験などあるはずもなく、一朝一夕・・・どころか乗れと言われてすぐ乗れるわけがない。

そういうとアルヴィンの後ろに乗れと言われたが、乗りなれない馬などにのったりすれば、まず間違いなく臀部に摩擦創・・・要するに擦りむける・・・ができると聞いたことがあったので、丁重にお断りした。

尻に擦り傷などこしらえると衣服との摩擦で痛んで本気で走れなくなり、とてもじゃないが他人を助けている余裕もなくなるだろう。

なので、向こうから不可抗力で持ってきてしまった自転車で行くことにした。

途中までは街道を走ったので舗装・整備された道だったが、その後は完全にオフロード。どうなることかと思ったが、意外と走れた。

俺の脚力は異常強化されているので、アルヴィンの駆る馬のような動物と併走するのに苦はなく、長距離だったにも関わらず大して疲れなかった。

どうやら強化されているのは足だけではないようだ。

全体的に力が強くなっており、特に鍛えていた足にそれが顕著に現れただけなのだろう。

アルヴィンや他の学者連中が自転車の構造に大層興味を持ち、あとでバラしたい・・・とその眼が言っていたので、それに関しては徹底防戦するつもりだ。

俺たちが今いるのは森の猟師小屋で、そこの床板を外すと石で補強された地下道への入り口がでてきた。

これが、砦へと通じている抜け道なのだ。

どちらかといえば砦でもしものことがあり、普通の方法では砦から出られないような状況になった時にこの抜け道を使って脱出するのだが、今回はその反対ということになる。

あまり手入れされていない猟師小屋の中には、俺とアルヴィン、レグルス、ダリルの潜入班と、数人の指揮官と軍師役の文人がいた。

目の前には暴かれた床下と、黒々と内部の闇を晒す地下道。

森の空気はからりと乾いていたのだが、小屋の内側は床下の湿気でなんとなくひやりとして湿っぽい。

「じゃあ、行きましょう。」

潜入班一同を見渡して、アルヴィンが静かながら力強く言う。

彼は長い髪をまとめて結い上げており、部分鎧とドラゴン革の外套を着けて、帯刀もしていた。

なにか、魔法使いというよりは戦士とか剣士とかのほうが近い感じだ。

ずるずるしたローブを着ている魔法使いは、どうやら現実にはいないようだ。 

彼の腰に下がっているのは最初に俺がアルヴィンに投げつけて壁にぶち当てたあのレプリカっぽい軽い剣だ。

実はレプリカではなくて、しかもアルヴィンの魔導器らしい。

ありえないほど軽く感じたのはその剣が魔導器だから・・・ではなく、俺の腕力が足と同様強化されていたかららしい。

つまり力が強くなっているので、重いものが重く感じないということなのだが、当人たる俺にはイマイチ実感の湧かない話だ。

一番に地下道に入るため、床板のはがされた空隙へ身を沈めたレグルスは普段通りの格好で、デヴァイン以外は別に武装はしていない。

裏返して言えば普段から戦闘仕様ということになるが。

打って変わってダリルは完全武装もいいところ。しかし、俺たちの認識にある中世ヨーロッパの騎士とか、そんな風に完全武装というわけではない。

鎧といっても胸部と腹部のみだし、派手なマントも纏っていない。

思っていたほど物々しいこともなく、異世界の現実は小説よりも現実的だった。ちょっと残念。

ちなみにダリルの魔導器は俺の知る限りクレイモアと呼ばれる大きく長い剣に一番似ている。あまり刃の幅は広くないのだが、長いのはかなり長い。

俺の棒切れよりちょっと短いかな?というくらいの刃渡りだ。

最後に俺だが、例のドラゴン革のジャケット一枚で防具は終了。

部分鎧くらい着けろと言われたが、重さを嫌って固辞したのだ。

ブーツは靴底に鉄鋲を打ち込んだ特注のもの。スパイク代わりに鉄鋲を打ち込んであるので、滑らないし止まる時も結構便利。これは靴職人の家まで出向いてわざわざ作ってもらった。

あとはあの棒。

正直邪魔なのだが、持って行かないわけにはいかない。

これも城の出入りの職人に頼んで背負えるようにジャケットに金具やらなにやらをつけてもらった。

ぽちは邪魔なので留守番。・・・できれば俺は、あいつになりたい。


アルヴィンの指揮の下、まずはレグルスが地下道に入る。

次にダリルが入り、アルヴィン、俺と続く。

この場合後ろからの奇襲は考慮に入れなくていいので、前面に戦力を集中する形だ。

石で補強された地下道は、レグルスが普通に立ってもまだ少し余裕があるほどの縦幅で、横幅は二人並ぶとちょっと窮屈、という感じだった。

石が打ち込んであるのは天井部分と床で、壁は土がむき出しだった。

中に入るとしばらくは小屋からの光が差し込んでいたが、ほんの少し行っただけで闇色に塗りつぶされた。

湿った土のにおいと、長い間閉鎖されていたかび臭い空気のにおいが充満しており、長時間いると肺にカビでも生えてきそうな気がする。

温度はかなり低く、アルヴィンによると天然の貯蔵庫として使っても申し分ないということだった。

灯りを手にしているのは二番目を行くダリルと、その次のアルヴィン。

レグルスは猫みたいに夜目が効き、星明り程度のわずかな明かりでかなり先まで見通せるらしく、二人の持つカンテラの灯りがまぶしそうにしているほどだった。

俺は恐る恐るアルヴィンの後を進んでいたが、別段モンスターなど出るわけでもなく(それはそうだ。肝心の脱出路にモンスターなんぞが住み着いていたら洒落にならない)順調に距離を稼いでいた。

あ。今気づいたけど、俺ってば帰り道は使者抱えてここを一人で(二人だけど・・・)突っ走って来る予定になってるんだ。

・・・む・・・無理かもしれない。


俺のそんな思考を他所に、先頭を行くレグルスが立ち止まり、振り返って合図を寄越した。

どうやら着いてしまったようだ。な、なんか今更怖くなってきたが・・・。

通路は確かに途切れていた。

そして、その先は小さな四角い空間になっていた。

大人4〜5人が無理なく入っていられる程度の広さで、つまりはそんなに広くもない。

その一角に天井――地上へと続く階段があり、石かなにかで入り口が封印されているのが見えた。

その隙間からわずかばかりの光が注ぎ、やっと地上へ出られるという安心感と共にマジで来ちゃった・・・という不安を煽ってくれる。

「行くぞ」

光を絞ったカンテラの薄明かりの中、レグルスが狩の前の肉食獣のような静けさで一言。

湿っぽい空気一杯に士気が高まり、緊張感が走る。

「大丈夫ですか、ダイチさん」

気遣いというよりは確認という風に、硬いアルヴィンの声。

「だ、だ、だ、ダメっぽいけど、あ、あえて大丈夫!」

大丈夫じゃない俺の声。

「・・・お前、震えてないか?」

ちょっと呆れたような、心配するようなダリルの声が続いて、被せるようにまた俺の声。

「ふ、震えてるよ!当たり前だろ!!」

膝が笑い、手も小刻みに震えている。

棒切れ一本で、これから人生初の戦場へと向かうのだから仕方が無い。

「武者震いだ。行くぞ」

鬼のようなレグルスの声。武者震いとかかなりありえないことをさらっと言われてしまった。

「じゅ、純度100%恐怖からくる震えだっての!!」

思わず口答えすると、レグルスは薄闇の中にいてもなお鋭さが感じられる眼を俺に真っ直ぐに向け、拳を叩きつけるような物理的な力を感じる言葉を投げてきた。

「お前は望むと望まざるとに関わらず、己の意思でここまで歩いてきた。状況に流されたと言うかもしれないが、それでもここまで来たのはお前のその足だ。お前のその意思だ。・・・恐れるな、とは言わない。だが、怯えるな。怯えは意志を殺し思考をかき乱す。――己の成すべき事。それだけを考えろ。不要な思考は捨てろ。不安は怯懦を呼び、怯えは混乱を呼ぶ。・・・お前が言っていた“凍れる理性”。必要なのはそれだ。」

レグルスの力強い声と眼光とに真っ直ぐに射抜かれ、俺は気おされて頷きを返した。ここまで来てしまったのだから、やるしかないのは事実なのだ。

それを確認したレグルスは、今度はもう振り返らなかった。

低い階段が何段か天井に続いており、それを上って天井から地上へ出るため蓋になっている石をどける。

すると光が四角く切り取られて小部屋へ注ぎ込み、あらためてほっとする。

これが敵地じゃなかったらもっとほっとする所なのだが、生憎とこれから一仕事しなければならないし、心からほっと一息はもう少し先の話になりそうだ。

先頭のレグルスは音もなく軽い身のこなしでさっさと階段を上りつめ、四角い穴から上・・・地面の上へと消えた。

その次にそれよりは幾分不器用な動作で、長い魔導器をあちこちぶつけながらダリルが上がって行き、次にアルヴィンが続く。

俺は一度だけ背後の闇を振り返り、深呼吸をして気持ちを落ち着けるとその後を追った。

脱出用通路から這い出すと、そこはいわゆる物置状態だった。

用途不明のものからなんとなく分かるものまでが色々と乱雑につっこまれ、雑然としている。

この部屋なら脱出路の上の蓋とかもナチュラルに溶け込んで、要らなくなった石版を放置しているだけに見える。

物が雑然と空間を領有しているせいで、本来下にあった小部屋よりも格段に広いはずのこの物置は、下の部屋よりもさらに窮屈に感じられた。

レグルスは扉の傍に立って、たてかけられた箒が倒れないよう押さえつつ、外の気配を窺っている。それ以外の三人、ダリル、アルヴィン、俺は出てきた穴の傍にいるのだが、これが狭い狭い。

使わなくなった大きな棚が無造作に放り込んであるせいで、三人もの人間が穴を避けて立とうとするとかなり無理な体勢を強いられる。

しかし、散らばって立つと林立する様々なものに阻まれて、互いの顔を見ながらの会話すら不可能なのだ。

アルヴィンは無理な体勢のまま無理に砦内の地図を広げ、無言のまま一点を指差して俺たちを見た。

俺もダリルもそれが現在地だとすぐに分かり、頭を寄せてしっかりと確認。

その際ふらついたが互いの身体を掴んで、どうにか転倒は免れる。

アルヴィンは両側から俺たちに支えられつつ、現在地から使者がいると思われる部屋、幾つか目星をつけた部屋を順番に指で辿って一つ一つ確認させてくれた。それからその地図に比べると結構小さめの紙を出してきて、俺とダリルに渡してくれる。

それはどうやら手書きで先ほどの地図を写したものらしく、所々簡略化されていたが先ほど見た部屋の位置は正確に記されていた。

視線でレグルスはと問うと、アルヴィンには意味が通じたらしく指で軽く側頭部をトントンと打つ。

どうやら全部記憶しているという意味らしい。

それから、相変わらずの無言のままであらかじめ説明を受けていた作戦が改めて確認される。

まずアルヴィンは地図の上に指を滑らせ、現在地から地下へと入るらしい階段までの道を示した。その先は地下牢になっているらしく、使者が捕らえられている可能性のある場所のひとつだった。

そして、それからまた指を移動させる。

使者がいなかった場合の次へのルートだ。

指は階段を再び上って、一階を素通りし、今度は二階へ上がる階段を通って砦の一番端の部屋へとやって来た。

そこが、二つ目の場所。

地下牢以外の候補は、鍵のかかる部屋に絞られている。

それから、また階段へ戻って三階へ。

三階にあるのは三部屋ほどで、指はそこでその三部屋全てをくるりと一度円を描いて辿った。

その三部屋のどれもに可能性があるという事だ。

そして、その中のどこかで使者が見つかったと仮定し、指は再び階下へ降りて来る。

一気に一階まで降りてきて、そこで一度地図から離れ、アルヴィンは俺を指差した。

つまり、ここからの動きは俺の行動を想定しているということだろう。

俺が了承の意を頷きに乗せて返すと、アルヴィンも一度頷いて、指を離した位置まで再び持って行き、そのまま最短の道を通って現在地、つまりは脱出路のあるこの部屋まで戻ってきた。

もう一度頷くと、今度はアルヴィンはダリルに向き直って再び指を使って説明を開始した。

俺は目を閉じ、精神を集中させてどうにか動悸を収めようと努力した。

なるようにしかならないのだから、くよくよしていても仕方がない。

せめて、使者を連れた俺がここへ戻る間、この砦の人間に出会わないことを祈ろう。

もう、スタートラインに立ってしまったのだ。

あとは合図が鳴り響き、走り出すだけ。俺にできるのは、全力で走るだけ。


説明が終わり、アルヴィンが砦の見取り図をしまうゴソゴソいう音がするまで、俺はじっと精神集中していた。

やがてぽんと肩に手が触れる感触があり、大きく息を吐いてから目を開ける。

ダリルはすでに扉まで移動しており、傍にいたのはアルヴィンだけだった。

そのアルヴィンに促され、彼より先に扉まで行く。

もちろん、様々な障害物に四苦八苦しながら。

帰りのことを考えて、邪魔になりそうなものはできる限り移動させておくのも忘れない。帰りに使者を連れてここへ来て、ここの古くからの住人に蹴躓いて転倒の挙句追っ手に追いつかれるなんて、考えたくもないことだ。

扉までどうにか無事にたどり着くと、レグルスが最終確認をするように俺たちを一瞥した。

多分、俺が一番情けない顔をしているだろう。これについては自信がある。

しかしレグルスは結局それについては何も言わず、行くぞ、と一言低く言ってガタのきたドアをギシギシいわせながら押し開けた。

この物置は砦の一番端っこにあり、こんなところから侵入者があるわけないという先入観から見張りや巡回兵の類は皆無だった。

狭苦しい物置からの脱出は果たしたが、後ろを振り返りすらしないレグルスの手がここで待てと後続に告げ、結局物置を出てすぐの通路で一時停止。

レグルスは一人その先のT字型になった通路の交差点まで音もなく忍び寄り、左右の安全確認。

それから、ハンドサインで俺たちを呼ぶ。

なるほど。レグルス一人で先行して、安全を確認しつつ進むというわけなのだろう。

これならもしも誰かと遭遇しても、レグルスが瞬時にきゅっと締めてくれる。

そう思ってほっとしたのも束の間、ダリルが俺の後ろに回って先に行けと顎で促す。

単純に一番後ろが一番安全と思っていた俺だったが、それは袋小路でのこと。

よく考えれば、このT字の先は前後関係無く砦内の誘拐犯に遭遇する恐れがある。よって、一番後ろは危険。

誘拐犯にもグルガがいるなんて考えるのも恐ろしいが、ないとは言えない。

もしもレグルスみたいなおっそろしいグルガが、すぐ後ろに忍び寄ってきたら・・・多分理性さんが消し飛んで、前にいる連中を轢き斃して大暴走すること請け合いだ。

それよりももっと確実なのは、そうなる前にきゅっとやられてブラックアウト、その次の行き先は神のみぞ知る。

思わずぶるると身震いすると、後ろからダリルの“ほんとにこいつで大丈夫なのか・・・?ちょっと・・・いや、相当ヤバくなかろうか?”という視線を感じた。

言うまでもなく大丈夫じゃないし、相当ヤバイのだが、そういう事にはもう少し早く気づいてほしい。

俺は数あるポケットのうちの一つにつっこんでおいたスタンガンを握り締め――少なくともこっちのほうが例の棒切れよりもよほど攻撃力がある――がくがく笑う膝をなだめて前を行くアルヴィンの背中を追った。

やはりレグルスは砦内の見取り図を頭の中に正確にコピーしているらしく、ハンドサインで止まれと来いを繰り返しながら迷いなく進んで行く。

ハイペースすぎて心臓に悪い。非常に。

あちこちの角を曲がり、何度か砦内の誘拐犯をやり過ごしてあっという間に地下牢への階段に至ってしまう。

来るときに二回ほど見た誘拐犯は、どちらも若い男だった。

俺よりは年上に見えたが、しかしそう変わらない年齢だろう。

それでこんな大それたことをやらかすのだから、しみじみ肝が太い奴らだと思う。俺なんて、破壊力無限大の味方がいるのは分かっていてもビクビクする自分を完全にはコントロールできないのだ。

生まれ育った環境が圧倒的に違うと言えばそれまでだろうが、しかしどうしても、異質なものを感じてしまう。

同じ人間だということに疑問を感じるわけではない。文化や習慣、そして考え方の違いが、一番嫌な形で現れているだけだろう。

異世界だから特別そう思うということもない。俺の世界でも、日常的に感じることのできる感覚だ。

他人と自分の間にある溝。それは、どこの世界でも変わらないし、違う国だとか、人種だとか、性別だとか、そんなものの影響を必ず受けるとは言えない。

世界は沢山の個人からできており、その誰もが全く同一方向を向いている事などありえないのだ。だから、不和や軋轢が生まれる。

でもそれはすべて個人の問題で、見た目や生まれた国なんて関係はないはずなのだ。それなのに人は弱い生き物だから、自分を守るために相手の全て―人種や性別、出身国―を否定しようとする。そして、個人と個人ではなく個人を取り巻く環境まで巻き込んで、問題が大きくなるのだ。

ふと振り返ったレグルスと目が合って、俺は慌てて意識を現実に戻した。

余計なことを考えていたなどと知れたら、またどやされる。

彼曰く、俺が考えることはただ一つ、使者を助け出して無事ここから脱出することだけなのだから。



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