01.異世界からの半強制的来訪者
目が覚めると、俺は見知らぬ場所にいた。
気が付いた時には無造作に石造りの床に寝転がっていたが、石造りの床自体、俺には覚えのないものだった。
半覚醒のまま身体を起こし、部屋の明るさに顔をしかめながら辺りを見回すと、あまり良質ではない睡眠からの覚醒直後のまとわりつくような眠気は全てどこかへ行ってしまった。
突然冷水をぶっかけられたように鼓動が早くなり、寝起きとは思えないほど素早い動きで辺りを見回したが、俺が持っていた鞄を除いては、目に馴染んだ物はひとつも見当たらない。
むしろ、怪しいものが盛りだくさん。
部屋の明るさになんとか目が慣れると、俺はその光を生み出しているのが電気の通った電灯ではなく、無数の蝋燭のものだと気がついた。
そしてその蝋燭にぼんやりと照らされて、妙なものがそこここに転がっていた。
今しがたまで俺が転がされていた冷たい石の床には、所々わけのわからない図や文字の書かれた紙が散らばり、部屋を乱雑に見せていた。
部屋の隅には、外国のファンタジー映画でしか見られないような剣が、鞘に収まって壁に立て掛けられている。
そしてその剣のすぐ横には簡素な造りの木製の机があって、その上には図書館でもお目にかかれないような古い大きな本がうずたかく積まれ、傍に書見用らしい古風なランプも見える。
もちろん電気を使うランプではなくて、中に蝋燭を入れるタイプのものだ。
そして天井から吊るされたカーテンとしか理解しようのない、厚ぼったいワインレッドに金糸で刺繍が入った布が部屋の片側を塞ぎ、その向こう側は見えなかった。
窓はあるにはあったが、布で塞がっていないほうの壁の上のほうで、傾斜した天井の半ばについており、天窓としか言いようがない。
俺は自分の置かれた状況が理解できず、とにかく記憶を探ってみることにした。
全く何の脈絡もなしに、突然こんなことが起こるはずなどあり得ないのだ。
………そう、確か俺は学校から帰っている途中だったはずだ。
部活を終えて高校の正門を出たのが確か5時半ごろ。それから、兄貴に頼まれた雑誌を買いにコンビニに寄って、ついでに夜食を色々買い込んだ。
で、その袋をぶらさげて、いつもの道を通っていつも通り帰っていたはずだ。
国道を渡って、住宅街に入って、近道のために公園を横切って………
そこで、記憶は途切れていた。
そう、確かに公園までは帰ってきていたのだ。
公園は自宅のすぐそばだった。
それなのになぜ、俺はこんな所にいるのだろう?
ここは明らかに公園ではないし、家でも学校でもない。
周りの状況から唯一考えられそうなのは―――。
「……カルトな宗教団体に拉致られた?」
独りで、声に出してつぶやいてみる。
現実味は全く無かったが、それでもこの状況にはいくらか納得できる。
通りがかりの高校生を襲ってこんなわけのわからない部屋に閉じ込めて、一体なにをするつもりなのか非常に恐ろしい。
宗教団体に拉致されたのだとすれば、壁に立てかけられている細身の剣はかなり生々しい目的のためにあそこにおわすのだろう。
俺は部屋の出入り口に目をとめ、ゆっくりと立ち上がると、その木製の扉のところまで細心の注意を払って無音で近づいた。
そして取っ手を握り、内側に引いた。
が、開かない。鍵でもかかっているらしい。
まぁ、手足に枷がされていなかったことを思えば、鍵くらい掛かっていて当然かも知れない。
仕方がないので扉は諦め、今度は剣に近づいてそれを手にした。
誰かが害意を持ってやってきたら、鞘のままぶん殴ってやるつもりだったが、重さを期待して手にしたそれが拍子抜けするほど軽かったので、俺はおもわず落胆のため息をついた。この程度の重量しかないのなら、これは単なるレプリカなのだろう。
本格的なレプリカであれば鈍器の代用品くらいには使えそうだが、手にしたそれは金属であるとしてもアルミか何かの軽い、強度のなさそうな素材で、たとえ何かを、もしくは誰かをぶん殴れたとしても、二打目にはゴミになりそうな代物だ。
そのレプリカの剣を諦めて放り出したが、石の床に当たったそれは予想外に大きな音を立てて俺を冷やりとさせた。
がらんがらんというその音は、空虚な部屋に大きく木霊し、俺は慌ててそれを踏みつけて止めた。
音の余韻が消えるまで息を殺して身を固め、扉の外の気配を一心に探ったが、特に見張りなどはいなかったらしく、何の変化も訪れなかった。
いや、“外からは”と言ったほうがいいだろう。
「ん、うーん…」
突然、厚い布に仕切られた向こう側から声が聞こえ、ごそごそと起き上がる気配がしたあと、俺と向こう側の誰かを隔てる赤い布が揺れ始めた。
俺はあまりに突然のできごとに一瞬忘我したが、すぐに我に返って足元の剣のレプリカを拾い上げた。
こんなものでもないよりはマシだろう。そして少なくとも、机に乗った本の角とかよりは攻撃力(?)もありそうだ。
俺が息を詰めて一心に赤い布のむこうを凝視する中、布の揺れと衣擦れの音が続き、やがて赤い布がカーテンさながらに横にスライドし、内側から眠そうな男が現れた。
カーテンの内部はどうやらベッドになっていたらしく、男は寝ぼけ眼でオマケに今しがた整えたばかりと見える身なりも寝起きに相応しいみっともないものだった。
彼が着ているのは見たこともない妙な服で、強いて近いものを挙げるならば欧州系の僧侶の僧服か、いっそロールプレイングゲームにでも出てくる魔術師のようなものだった。
年齢は二十歳そこそこ。肌の色はアルビノを思わせるほど白く、寝癖のついた髪は銀色で男にしては長く、ゆるい三つ編みにされている。そして、眠そうに半分開かれた瞼の下の眼は夏の空のようなスカイブルーだ。
どこからどう見ても外国人。髪や肌の色から見てモンゴロイドではありえない。
しかも、寝起きのぼんやりした表情にもかかわらず、俺は眼前の謎の男が絶世という形容詞をつけても遜色ないほど整った容姿の持ち主であることに気付いた。
なるほど、この部屋の住人としては俺と同じ日本人よりは遥かに似合っている。
いや、そんな悠長なことを考えている場合ではない。
俺は全身を緊張させたままで眼前の男を注視し、奴が俺に対してなにやら怪しい行動に及ぼうものなら全身全霊を込めた一撃をお見舞いしてやろうと身構えたが、どうやら低血圧らしい男はぼんやりした目で俺をじっと見つめ、僅かに眉をひそめただけだった。
その訝しげな表情で、俺にはリアルに彼の考えていることが分かった。
――こいつは一体誰だ?なんで私の部屋にいる?あんな偽物の剣なんかもって、一体なにをやっている?新手の泥棒かなにかか?
大体こんなところだろう。
一人称なんかは彼の見た目からの俺の勝手な想像だが。
俺と男の間の気まずい沈黙はしばし続き、男は俺の予想を遥かに越えたリアクションでその沈黙を破った。
「成功だぁあぁっ!!!」
突然しっかりと覚醒したらしい男は、唐突に意味不明な叫びをあげ、喜色満面でこちらへ走り寄ってきた。
俺としては突然妙な雄叫びを聞かされたこともあり、なにやら理解不能な、これまでの人生で一度として感じた事が無い危険を感じ、男を狙って偽物の剣を振るった。
しかしながら、慣れないことはするものではない。
男を狙って横薙ぎに払った剣は見事にすっぽ抜け、ベッドの上の壁に激突して派手な音を立てた。
そして俺が大暴投してしまった剣に気をとられているうちに、男は俺に到達し、あろうことか俺に抱きついてきたのだ。
「ついにいらっしゃってくださったんですね!異界の勇者様!!!」
そう叫んで、彼はまったく話の見えていない俺から身体を離し、代わりに俺の両手をがっしりと握った。
「これで、これで我が国は悲願を果たせる!先代の王との約束を守る事ができる…!勇者様、私はアルヴィン・クロス・リベイラ、召喚者です。あなた様のお名前は?」
ものすごい勢いで迫ってきた銀髪の青年に対抗する術も気力も俺には残されておらず、俺はアルヴィンと名乗ったその青年に求められるままに、力なく自分の名前を名乗った。
なんかもうこの短い時間にギュッと短縮された出来事が濃厚すぎて、男の話す言葉が普通に通じることや、言っている中身の事まで理解が及ばず、ただただ眼前の男の勢いに圧倒されるばかりだ。
「大地・・・。天城大地。」
「アマギ・ダイチ・・・。どちらが家名ですか?」
「・・・家名?名字ってことなら、天城のほうだ。」
「・・・では我々とは言語形態がかなり異なるところからいらっしゃったようですね・・・。それにあなたのその髪。見事な黒髪ですね。生まれて初めて見ました。」
目の前の青年はどんどん俺にはわからない方へ話を持って行ってしまう。
はっきり言って、召喚がどうのというあたりから俺の理解など全く超越してしまっている。
「ちょっと待てよ、アルヴィンさんとやら。色々と、それこそ山ほど聞きたいことがあるから、俺が聞くこと以外はしゃべらないでくれるか?とにかく俺は今の状況を理解したいんだ。異文化交流はそれからでも遅くない。だろ?」
俺はなんとなく状況を悟りつつある本能を押し留めるためにわざとゆっくりと言って、理性にすがってアルヴィンを見た。
アルヴィンは意外にも大きく頷いて、俺を部屋の隅の机まで導くと椅子を引いて俺を座らせてくれた。
はっきり言って、本能で感じるこの危機的状況に、俺の身体は所有者の言う事を聞かなくなりつつあった。
「どうぞ、ダイチ様。時間はあるとは言い難いですが、あなた様の疑問を解消する時間くらいは十分に残されていますよ。」
古書を床にぶちまけてその下から出してきた補助用の椅子に座って、アルヴィンは真っ直ぐに俺を見ながら言った。
「じゃ、あ、・・・ほんと言うとかなり聞きたくないけど、さっき召喚がどうとかって言ってなかったか?」
搾り出すような俺の声に、アルヴィンは笑みを浮かべて大きく頷いた。
「ええ。今回が最後のチャンスだったんです。今回あなた様が応えてくださらなければ、我が国は再び辛苦を舐めていたでしょう。」
しょうかん。召喚。ショウカン。
こんな銀髪の裁判官に呼び出されるようなことをした覚えがないから、多分俺が認めまいといま必死になって否定しているほうの意味だろう。
召喚。
RPGや、ファンタジーものの本やなんかで使われるほうの意味。
時空の壁をぶち破って、“異世界”と呼ばれる場所から何かを呼ぶこと。
今回の場合、呼んだのはこいつで、呼ばれたのは俺。
なんてこった。
「バカ野郎ーっ!!!!!」
俺が突然大絶叫したので、アルヴィンは危うく後ろにひっくり返りそうになった。
が、そんなことは知ったこっちゃない。
よりにもよって、なんで俺なんだ。
「一体どういう了見だっ!!ただの高校生に魔王を倒せってのか!?ええ!?敵うと思ってたら大間違いだぞ!!?」
さらに猛烈な剣幕でまくし立ててやると、アルヴィンは笑みを引きつらせて俺をなだめにかかった。
「お、落ち着いてくださいダイチ様、とにかく落ち着いて・・・」
「これが落ち着いていられる状況か!?目が覚めたら異世界だぞ!!?シャレになんねェだろうが!!しかも魔王と戦えってか!?お前らでも勝てんもんに俺が勝てるわけがねぇだろう!いっそ夢オチであってくれっ!!」
「い、いやだから、落ち着いてくださいって・・・。マオウって誰ですか?別に私はそんな人とあなたを戦わせようと思って呼んだわけじゃありませんよ。確かに、他力本願な頼みごとをするためにお呼びしたのにはかわりありませんが…」
とりあえず、王道パターンの“魔王退治”ではないらしい。
どうせ魔王の代わりに地獄の帝王だとか、そんな輩が出てくるに違いないが、俺はとりあえず深呼吸をして気持ちをカームダウンさせた。
一端話を聞いてやって、それからこっちの無力さを嫌と言うほど思い知らせてやるほうが、きっと効果的に元の世界へ還してもらえるだろうという魂胆でもある。
「魔王じゃなかったらなんなんだ?とにかくここが異世界だと仮定して、お前の言うことも全部信じてやるから事情だけでも話してみろ。ただし、これだけは言っとくが、俺は弱いぞ。」
アルヴィンは落ち着きを取り戻した俺に安心したようにかすかに微笑むと、ゆっくりと状況を説明し始めた。
お待たせしました、どうにか復活しました。